06 - 優しい?いじわる?
酒場でお腹いっぱいの料理を頂いた後、町の散策を再開した。
町の人々が持ってきてくれた果物や魚はセルジュが“まじない”で屋敷まで一瞬で送ってくれた。どうやら彼の“まじない”は他の人と比べて優れているようで、机の上から篭が消えた瞬間、周りの人々も声を上げて驚いていた。薄々感じていたことではあるが、セルジュは様々な面において優秀であるようだ。
行く先々で声をかけられる。セルジュの顔が広いのはもちろん、私の名前を呼んでくれる人もいて、確実に町の中で私という存在の知名度が上がっている。更に付け加えるならば、彼らは皆私が前アマンド領主の孫だと分かっているようだった。
「町の皆さんは私のことを知ってるんですか? アマンド領主の孫だって……」
「領主が亡くなった後、容姿的特徴が良く似た少女が現れれば、血縁者だと思うのは自然なことだろう」
「父が駆け落ちしたことは……」
“それ”がずっと気になっていた。
確かに私は前アマンド領主の孫だ。しかし同時に、この世界から駆け落ちした父の娘でもある。父は母と生きるためにこの世界を去ったが、それは町の人々からすると、この町を捨てた領主の息子、と捉えられかねないだろうか。
正直な話、私としては若干気まずさがあるのだ。町を捨てた癖に、領主の座が空いたらのこのこ戻ってきた不義理な娘と思われていないかという不安もある。
しかしセルジュはあっけらかんとした調子で答えた。
「君の父君が家を出て行ったことは当然知っているが、駆け落ちとは知らないだろうな。喧嘩の絶えない親子だったそうだから、多くの人は喧嘩の末の家出だと思っているようだ」
喧嘩の絶えない親子――。
確かに、父はどちらかというと楽観的で大雑把な性格をしていた。話を聞く限り、祖父は真面目で頑固――私と似たような性格をしていたようだし、正反対の性格は場合によっては相性は良くないだろう。
「それはまた……ずいぶんと長い家出ですね」
「貴族の息子が家出することはそう珍しくない」
そう言ってセルジュは肩を竦めた。他にも心当たりがあるような言い回しだ。
“家出”をした父は、この町をどうするつもりだったのだろう。どうやら一人息子だったようだし、自分がいなくなれば後継者問題が出てくると分かっていただろうに。
いつか戻るつもりだったのか、それともこの町のことなんてすっかり忘れていたのか――
私はエヴァ伯爵にこうして“見つけられた”けれど、正直領主を勤め上げられる自信はない。三か月後、自分がどのような選択を取るかは分からないが、懸念事項があった。
もし今度こそ領主がいなくなったら、この町・ディネルカはどうなってしまうのか。
「私が領主になりたくないと言ったら、この町はどうなるんですか?」
単刀直入に問いかけた。するとセルジュは足を止め、私を真正面から見下ろす。
――そんなことは許さない、と凄まれたらどうしよう。
しかし心配とは裏腹に、セルジュは穏やかに微笑んだ。
「どうもならない。元々エヴァ・ダリ伯爵の領地の一部をアマンドさんが任されていただけだ。後任が見つからなければ、元の持ち主が面倒を見る」
元の持ち主。つまりはエヴァ伯爵がこの町の領主になるということだろう。
そう聞いて安心した。もし町自体が維持できなくなる、なんてことになれば絶対に断れないなと若干覚悟していたのだ。
あからさまにほっとした私を見てか、はたまた最初から私の不安を感じ取っていたのか、セルジュは微笑んだまま続けた。
「だから君が気負う必要はないよ」
――優しい声と言葉だった。鼓膜を震わせ、じんわりと胸に沁みこんで、下手をすれば泣いてしまいそうなほど。
このとき自分が思っていた以上にプレッシャーを感じていたのだと気が付いた。それにセルジュは気づいていたのか、間違いなく彼は私を気遣ってくれた。そんなに気負わなくていいのだと――
心の内を見透かされたようで、私は頬を赤らめた。むずむずと面映ゆい感覚に、私はセルジュの顔を見られなくなってしまう。
お礼を言うべきか迷って、しかしどう切り出せば自然か分からず、逃げるようにして話題を変えた。
「ところで、あなたは町の人たちとずいぶん顔見知りのようですが……」
「アマンドさんのところで世話になっていたからな」
「えっ、そうなんですか?」
初耳だ。
確かにセルジュはこの町や祖父について詳しそうな口ぶりだった。それもこれも、エヴァ伯爵と何らかの関係があるからだろうと考えていたのだが、まさか祖父の方の関係者だったなんて。
どういった関係だったのだろう。使用人? 秘書? まさか祖父の息子、もしくは孫――?
「さて、日も暮れてきたことだ、そろそろ戻ろう」
しかし私が踏み込んで尋ねる前に、セルジュは会話を切り上げた。
――以前も似たようなことがあった。彼とエヴァ伯爵の関係を尋ねようとして、すぐに話を切り上げられてしまったのだ。
偶然なのか、はたまたセルジュの意志なのか。後者だとしたら、彼は自分について詮索されることを望んでいないようだ。
一体私の教育係は何者なんだろう。疑問に思いつつも、セルジュの正体が何であれ、多少意地が悪い点を除けば今のところ優秀で文句の付け所がない教育係だ。
浮かんだ疑問を追い払うように頭を振って、私は彼の背中を追いかけた。
***
――翌朝、気持ちのいい目覚めを迎えた。
与えられた自室は過去祖父が使っていた部屋らしく、最低限の家具しかない。しかし元の世界の私の自室も似たようなもので、部屋が散らかることを嫌った結果、随分と殺風景な部屋になってしまったものだ。
やはり祖父と私は似たところがあるらしい。初めてこの部屋を見たとき、親近感を覚えたのだ。こうして使っている今も、最低限の家具が使いやすい場所にばっちりとはまるように置かれていて、爽快感すら覚える。
昨晩の内にペルナさんが用意してくれた服に着替える。階段の多い町をあちこち歩くためか、パンツスタイルの服装が用意されていることが多かった。
今日も細身のパンツとシンプルなブラウス。しかしブラウスの肩の部分にリボンがあしらわれており、カジュアルな雰囲気の中にもかわいらしさを感じる。
素早く着替えて、髪もまとめて、部屋を出る――と、扉を開けた瞬間、目の前にセルジュが立っていた。
「お、おはようございます」
「……おはよう」
互いに目を丸くしつつも、朝の挨拶を交わす。
どうやらセルジュが外からドアノブに手を駆けようとした瞬間、私が扉を開けたようだ。タイミングが良いのか悪いのか、どちらにせよ目を丸くしたセルジュの表情は初めて見るもので、私はくすりと笑う。
するとセルジュははっとして、
「先に言っておくが、今日はきちんとノックをするつもりだった」
真剣な表情で、弁明するように言った。
どうしてそんなことを――と疑問に思い、彼と二度目に会った朝のことを思い出した。あのときセルジュはノックもせずに部屋に入ってきたのだ。おそらくは彼も今の私と同じく、あの朝のできごとを思い出しているに違いない。
「それは何よりです。さぁ、今日も街を案内してください」
それにしても真剣すぎる表情が面白くて、元々口元に浮かんでいた笑みを深める。そして彼の横を通り過ぎ、そのままダイニングルームへ向かおうとしたのだが、
「肩のリボンが解けてるぞ」
「えっ」
かけられた声にはっと足を止める。
そんな、きちんと結んだはずなのに。一体いつリボンが解けてしまったのだろう。
慌ててブラウスの両肩にあしらわれたリボンを見下ろした。右は解けていない。ならば、左か――左も解けてない。
あれ、と首を傾げる。結ぶために宙に浮いていた両手が彷徨って――揶揄われたのだと、ようやく思い至った。
ばっと背後を振り向く。そうすれば肩を揺らして笑うセルジュと目が合った。
「すまない、見間違いだったようだ」
――あの日の朝のことを気にして、今度は誤解されないよう真剣な顔で弁明してくるあたり、かわいいところもあるんだと思ったのに!
前言撤回。相変わらず意地の悪い教育係に私は怒りで顔を真っ赤にして抗議した。