05 - 居心地の悪い好意
セルジュの手によって酔っ払いは酒場の柱に縛りつけられた。男の今後の処遇は店側に委ね、最終的判断は土地の所有者であるエヴァ伯爵によって下されるらしい。
すっかり伸びている男を見下ろしながら、セルジュはくく、と喉を鳴らす。
「芸術的な結び方だったな」
どうやら私のぐちゃぐちゃな固結びを思い出していたらしい。
先ほどの大笑いには馬鹿にする意図は感じられなかったものの、今回は明らかにこちらを揶揄うような響きが震える語尾に含まれていて、私はそっぽを向く。
「余計な手間をかけてすみませんでした! 人を縛りつけるなんて経験、今までの人生で一度もなかったものですから!」
「今度また結んで見せてくれ」
「今回あなたからしーっかり学ばせて頂きましたから、もうあんな結び方はしません!」
「それは残念だ」
体を揺らして笑うセルジュはやけに楽しそうだ。まったくもって意地が悪い。
未だ笑いが止まらない様子の教育係に嫌気が差して、体ごと背を向けたときだった。私の真正面に、先ほど酔っ払いに絡まれていた女性店員が回り込んでくる。
「あの、お嬢さん、本当にありがとう。あなたのお陰で助かったわ」
見知らぬ少女に助けられたことに戸惑いを見せつつも、女性は私の目をしっかりと見つめて頭を下げた。
ここ、ディネルカは森の中にある小さな町だ。おそらく住民たちは皆顔見知りなのだと思う。だからこそ、町のトラブルに突然首を突っ込んできた見知らぬ少女に戸惑っているのだろう。
女性の心の内は安易に想像がつくからこそ、私は踏み込みすぎないよう、わざと堅苦しい返事をした。
「いえ。人として当然のことをしたまでです」
気持ち微笑めば、女性は何かに気が付いたのか目を丸くする。それから一歩こちらに大きく足を踏み出して、じっと顔を覗き込んできた。――明らかに観察されている。
いったい何事かと心の中で首を傾げつつ、微笑みを浮かべたまま動かずにいると、女性の視線が私の背後に立っているセルジュに向けられた。
「セルジュ、もしかしてこの方……」
「前アマンド領主のお孫さんだ」
「やっぱり! アマンド様に良く似て、とても勇敢なお嬢さんね」
納得したように大きく頷く女性。先ほどまでのよそよそしさはどこへやら、あっという間に打ち解けた笑顔を向けられて、今度は私が戸惑う番だった。
アマンド男爵の孫だと分かっただけで、これほどまでに警戒心を緩めていいのだろうか。町の人々に顔が広いらしいセルジュが一緒にいることも、良い方向に働いた?
驚きつつも、紹介を受けたからには自己紹介をするべきだろうと会釈する。
「チカと申します」
「ぜひぜひうちで食事していってくださいな、チカ様!」
腕を引かれて、そのまま空いている席まで案内された。そして戸惑う私を置いて、女性はキッチンへと戻っていく。
向かいの席にセルジュが座った。彼は視線だけで私に座るように促して――訳が分からないまま、少し早めの昼食を酒場で頂くことになった。
***
程なくして運ばれてきた肉料理は、元の世界の牛や鳥・豚とも違って見えた。引き締まっていて、脂身がほとんどない。
「これってなんの肉ですか?」
口をつける前にセルジュに問いかける。すると彼はまるで毒見をするように一口、先に食べて見せた。
「畑を荒らした魔物の肉だ」
「……魔物って食べられるんですか?」
魔物の肉と聞いて、私は目の前の肉をよりいっそう注意深く観察する。獣臭さもないし、見た目だけでは分からない。
「動物と魔物に明確な違いはない。強いて言えば凶暴かどうかだな」
食べてみろ、というようにセルジュは顎で肉を示した。私は促されるままフォークを魔物の肉に突き刺して、一切れ口に入れる。
筋肉の部分が多いのか、触感は硬めだ。パサパサとしていて、チャーシューにちょっと似ているかもしれない。
初めて食べる魔物の肉をじっくり味わっていたところ、
「お嬢さんの口には合わなかったか?」
言葉こそ揶揄うようなものだったが、セルジュは気遣うような視線を寄こしてきた。
私は首を振って素直な感想を口にする。
「いえ、魔物を食べたのは初めてだったので。臭みとかないんですね」
「偉大な先人たちの知恵のおかげだ」
それはつまり、普通の調理法では臭みが出てしまうということだろうか。先人たちが様々な調理法を試したことで、臭みを抜いて食せるようになった壮大な歴史があるとか――
気にはなったものの、魔物の調理法よりも聞きたいことがあった。
セルジュは先ほど、この肉を“畑を荒らした魔物の肉”と称した。その言葉を信じるなら、人里に魔物が現れるということになる。それは危険ではないのだろうか。
「魔物が町にくるんですか?」
「あぁ。だが畑に出る魔物の狙いは人ではなく作物だし、森の主はエヴァ・ダリ伯爵に手懐けられているから大きな被害は出ていないよ」
また気になる単語が出てきた。
異世界にきて数日。分からないことだらけで、教育係をつけてもらえなければ途方に暮れていたことだろう。
「森の主って?」
「ドラゴン」
セルジュの口から飛び出てきた単語に、私は手を止めて思わず目の前の彼を凝視してしまった。
魔法、ドワーフ、魔物、精霊、そしてドラゴン! まさにファンタジー小説の世界だ。とはいっても大作ファンタジー小説を原作にした映画をいくつか見たことがある程度で、知識はほとんどない。知人に一人、そういった娯楽に造詣が深い子がいたが、その子に教えてあげたらさぞや喜ぶだろう。――おそらく彼女とは、もう会えないだろうけれど。
「この世界にはいるんですね、ドラゴン。少し見てみたいかも」
それは純粋な好奇心半分、話を続けるための社交辞令半分で口にした言葉だったが、思わぬ返答が帰ってくる。
「もう君は会っているかもしれないぞ」
「え?」
「そのドラゴンの正体は、魔女伯爵だという噂があるらしい」
ニヤリ、とセルジュは薄く笑う。冗談のつもりなのか、はたまた本気の噂話なのか分からず、私は数秒黙り込んでしまった。
「……人がドラゴンになるなんて、ありえるんですか?」
「さぁ。ただ魔女なら可能かもしれない」
肩を竦めたセルジュもまた、真実は知らないようだ。エヴァ伯爵の正体については、まことしやかに囁かれている噂――といったところだろう。一瞬、彼女の纏う唯一無二の妖艶さや年齢不詳の謎に隠された素性から、ありえない話ではないと思ってしまった。
それにしても、なぜエヴァ伯爵は魔女と呼ばれているのだろう。
思い返せば私を迎えに来たとき、伯爵は魔女と自称していた。だとすると本人が名乗ることで周りが呼ぶようになったのか、周りから呼ばれる内に自称するようになったのか。
どちらにせよ、彼女が“魔女”たる所以はなんなのだろう。
「あの、どうしてエヴァ伯爵は魔女と呼ばれているんですか?」
「俗世から離れるように森の奥に住む変わり者を、この世界では魔女と呼ぶんだ」
与えられた答えは漠然としない曖昧なもので。
踏み込んで問いかけようにも、どう質問を投げかけていいか分からない。次の言葉を選びあぐねて、自然と沈黙が落ちてしまった。
「――あぁ、まだいた!」
ふと背後で上がった声に振り返る。すると酒場の入口に大きな篭を持った男女が数名立っていた。
彼らは私の顔を見るなり笑いかけてきたかと思うと、大股でこちらに近づいてくる。そして私たちのテーブルにどん! と持っていた篭を置いた。
「採れたての果実さ、持っていきな!」
「獲れたての魚も!」
「えっ、えっ?」
話が見えず、私は机の上の篭と目の前でニコニコ笑う人々の顔を見比べる。そうすれば野菜を持ってきた女性が説明してくれた。
「メルダを助けてくださったと聞いてね。ほんのお礼さ」
メルダとは、おそらく酔っ払いに絡まれていた女性店員のことだろう。さすがは小さな町、噂が広がるのはあっという間だ。
「でも、こんなにたくさん……」
好意は素直に嬉しかったけれど、篭いっぱいの果物や立派な魚をもらえるほどの働きはしていない。それに私は領主として、彼らから税を取り立てるのだ。その税がどれほどの量かはまだ分からないが、これほどあれば税に充てることもできるだろうに。
「もらっておけ。純粋な好意を無碍にすることはない」
躊躇う私にセルジュがそっと耳打ちした。思わず縋るように見上げれば、彼は小さく頷いた。
もう一度町の人々を見る。そうすれば彼らもまた、セルジュと同じように頷く。
――ここで断る方が失礼だ。
そう判断し、私は椅子から立ち上がった。
「あ、ありがとうございます」
一人一人と目を合わせてから大きく腰を折る。すると彼らは「礼儀正しいお嬢さんだねぇ!」と軽快に笑って、私の背をバシバシと叩いた。
セルジュが彼らと軽い雑談を交わす。今日は大漁だとか、最近は雨が少ないだとか、私には入れそうにもない世間話だ。それらを愛想笑いでやり過ごして、酒場から去っていく背中にもう一度頭を下げた。
テーブルの上に残された大きな篭の中身をそうっと見やる。つやつやとしたまあるいリンゴに、雫が滴る瑞々しいぶどう。魚も篭の中で跳ねるほど活きが良く、この世界の物価は分からないけれど、市場で買えばそれなりの出費になりそうだ。
――酔っ払いをいなしたぐらいで、こんなにもらっていいのかな。
向けられた好意にそわそわと落ち着かなくて、私は顔が引きつるのを感じた。