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32:森の主



 精霊がへそを曲げている状況でも、セルジュはまじないが使えるようだった。それは彼のかつての愛猫であり現妖精・ナナの恩恵によるものらしく、彼のまじないで精霊の棲み処である森の入口までやってきた。

 隣に立つセルジュの横顔は険しい。いくら教育係とはいえ、彼をこんな危険な状況に巻き込んでしまったことを心苦しく思った。そもそも護衛なんて教育係が任される仕事の範疇を超えているだろう。



「巻き込んでしまってごめんなさい、セルジュ」


「君のせいじゃない。頭が固い精霊のせいだ」



 表情は険しいまま、それでも向けられる声音は優しかった。



「そんなこと言って、精霊に聞かれたらどうするんです」


「俺は元々精霊に嫌われている」



 肩を竦めて、セルジュはようやく表情を和らげる。それにつられるようにして私もそっと微笑み、幾度となく彼の言葉に助けられてきたとこの二か月ちょっとを懐かしく思った。

 今だって原因が私であることこそ否定しないものの、セルジュが憤りを向けている相手は精霊だ。



「……いつもあなたは、私のことを励ましてくれましたよね」



 いつだって私側に立って寄り添ってくれた。両親を亡くし、突然連れてこられたこの世界で、俯くどころか過去を省みて前を向けたのはセルジュのおかげだ。感謝してもしきれない。一生分の恩ができた。だから。



「とても心強かったです。ありがとう」


「チカ?」


「行きましょう」



 この地で再びまじないを使えるようにするべく、とにかく精霊に会わなければ。そしてできることなら精霊に認めてもらい、昨日となんら変わらない町の日常を取り戻す。それから――セルジュの話をきちんと聞きたい。この町で祖父と暮らしてきた彼を差し置いて、ポッと出の私が領主になってしまっても本当にいいのか。それが彼の望んだことなのか。

 もしセルジュの望んだ未来に辿り着くため、私という存在が邪魔なのだとしたら町を出よう。私が彼に返せるものなんて、それぐらいしかないのだから。

 覚悟は決まった。私は地面を踏みしめるように一歩、大きく踏み出した。



 ***



「精霊がへそを曲げているのは事実らしい。俺から離れるなよ」



 奥へ進むにつれてどんどんあたりが暗くなっていく。木々が生い茂る深い森とはいえ、日中にもかかわらずこの暗さは異常だろう。おそらく精霊がへそを曲げていることに関係があるのではないかと思う。



「精霊の寝床へは、普段であれば目印を辿って行けばつくはずだ」



 セルジュが指さした先に、うっすらと光るバツ印が刻まれた木があった。印を刻まれた木は目視できる範囲でもいくつか確認できる。

 印を辿るセルジュの背中を追いかける。彼もいつもとは違う状況に焦りを覚えているのか、歩くスピードが普段より早く、ついていくために気づけば小走りになっていた。隣を並んで歩くときに私は何の意識もしていなかったけれど、セルジュが歩幅も歩くスピードも合わせてくれていたのだと今更ながら気づく。

 不意に前を行く背中が止まった。私も慌てて足を止め、セルジュの肩越しに前の様子を窺う。相変わらず目前には暗い闇が広がるばかりで、目的地に近づいているのかすら分からない。



「……駄目だ、同じ場所をぐるぐる回ってる。精霊の悪戯か」



 深いため息と共にセルジュは呟いた。今いる場所が先ほど通った場所と同じなのかすら分からない私は、憔悴したセルジュを前にどうすればいいのか分からずおろおろとしてしまう。

 現状を打開する素晴らしいアイディアも心に響く励ましの言葉も見つからない。ただ少し休もうと声をかけるべくその背に歩み寄って、



「きゃあああ――!」


「悲鳴!?」



 絹を裂くような甲高い悲鳴に慌ててあたりを見回した。

 ぐい、と腕を引かれる。かと思うと木の幹に背中を預けるような形で、セルジュに後ろ手に庇われた。セルジュと木の幹に体を挟まれて若干息苦しい。しかし守られているという安心感故か冷静にあたりの様子を窺うことができ、近くの茂みが揺れたことにもすぐに気づいた。

 目を凝らす。茂みの揺れは徐々に大きくなっていき――なんと小さな女の子が現れた。



「女の子!? どうしてここに!?」



 私は慌ててセルジュの背から飛び出そうとしたが、腕を掴まれてそれは叶わなかった。

 女の子はこちらに駆け寄ってくる。しかしセルジュは動かない。どうしたのかと彼を不審に思ったとき、猛々しい咆哮があたりに響いた。



(魔物!)



 周囲の茂みが大きな音を立てて揺れる。姿こそ見えないものの、魔物がすぐそこに来ているのは明らかだった。

 緊張で体が強張る。エヴァ伯爵から借りた銀のナイフを握りしめ、私は息を詰めた。

 今この瞬間、魔物に襲われたらひとたまりもない。妖精ナナの力でどれほどのまじないを使えるかは分からないけれど、群れで襲われでもしたら――

 じわり、額に浮かんだ汗が顔の輪郭を沿うように喉元まで流れ落ちたとき、再び魔物が咆哮を上げた。セルジュが身構える。私はナイフを鞘から抜く。そして――予想とは反して、魔物と思われる茂みのざわめきは遠ざかっていった。



「妙だな、襲わずに逃げ帰るとは……」



 セルジュが構えていた手を降ろしつつ、警戒は未だ解かずに呟く。しきりにあたりの気配を探っている様子だが、森にはすっかり静寂が戻っていた。

 私は銀のナイフを鞘に戻して汗を拭う。



「エヴァ伯爵が森の主を手懐けてくれているからでしょうか……」



 襲われなかった幸運に感謝して、私は地面に倒れこんでいる少女に駆け寄った。なぜこんな小さな子が、こんな緊急事態に、一人で森にいるのだろう。



「大丈夫? 怪我してるの?」



 声をかければ少女はゆっくりと顔を上げる。逃げている最中に転んでしまったのか、あちこちに擦り傷ができていた。



「迷子? お母さんやお父さんは? どうしてここにいるの?」



 少女は何も答えない。ただ黙って私を見つめるだけだ。

 ――おかしい。何か変だ。

 不信感が胸の奥で首をもたげる。本当に彼女はただの迷子なのだろうか? 疑心が顔を覗かせる。しかし当然放っておくことはできず、私は小さな手を取ろうとそっと腕を伸ばしたのだが、



「……この少女、見たことがない。町の子どもなら全員顔を把握している」



 セルジュに手首を掴まれて、私の指先が少女の手に触れることはなかった。

 強く握られた手首が痛いくらいだ。私は反射的に手を引こうとしてバランスを崩した。あ、と思ったときにはセルジュに抱え込まれるような体勢になっており、更に驚くべきことに、つい数分前まで私が抱えていた銀のナイフが、抜き身でセルジュの右手に握られていた。



「何者だ、貴様」



 傷一つない銀のナイフの切っ先が少女の首筋に宛てられる。それでも悲鳴一つ上げない少女にますます不信感は募ったが、それでもナイフを突きつけられている少女という図は視覚的に嫌悪感を訴えてきて、私は思わず声を上げた。



「ま、待ってください! もしかしたらディネルカに来る途中で迷われたのかも……!」



 それらしい理由を挙げて少女を庇ったときだった。小さな体がその場でぐう、と丸まったかと思うと、そのまま地面に膝をつく。四つん這いになって、吐き気を堪えるように少女が手元を覆った。

 さすがのセルジュにも一瞬の躊躇いが生まれたようだ。私は彼の腕の中からするりと抜け出すと、蹲ったままの少女の背をそっとさすってやる。



「大丈夫? 気持ち悪いの?」



 ゆっくりと少女が顔を上げる。大きく見開かれた紫の瞳が妖しく光って――



「チカ!」



 背後から強い力で腕を引かれた。

 反射的に目をつむる。体を襲う衝撃。何が起こったのか分からない。顔が熱い。メキメキと何かが割けるような耳障りな音。お腹の前に回された腕に力が込められる。ややあって、自分の両足の裏が地面を踏みしめた。

 ゆっくりと目を開ける。――まず視界に飛び込んできたのは、化け物の姿だった。なんと表現すればいいのか分からない。見ているだけで吐き気を催す醜悪な姿。しいて言えばバッタに似ているように見えるが、その体は肉塊で形成されている。体の終わりを視線で辿ると這いつくばった少女に辿り着き、この化け物が少女の背中をメキメキと“割って”現れたのだと理解した。

 複数ある手足は触手のようにそれぞれ独自に動いている。近づくことを許さないというように縦横無尽に動き回り――その中の二本の触手が、少女を抱えていることに気が付いた。

 目を疑う。だって、その触手が抱いている少女は、



「リコ! ルールー!」



 ぐったりと気を失っているリコとルールーだったのだ。

 どうして彼女たちがここに。もしや、ディネルカがこの化け物に襲われてしまったのだろうか。

 思わず駆け寄りそうになる私をセルジュが制する。それでも必死に手を伸ばし、喉が枯れるのも厭わずに彼女たちの名を叫んでいたときだった。



『キサマがイセカイのムスメだな』



 化け物が語り掛けてきた。

 貴様が、異世界の、娘だな。

 目の前の化け物の正体は分からない。魔物なのか、全く違う別の何かなのか。けれど異世界の娘が目的なのだということは分かって、私はとにかく何度も頷いた。



「私がかわりに人質になります! だから二人を離して!」



 訳も分からないまま叫ぶ。そうすれば化け物はおそらく“笑った”。肉にうずもれた目を細めて、口というにはぱっくりと割けただけの空洞を歪に持ち上げて。



『チガう、キサマはヒトジチではない。――イケニエだ』


「生贄……?」


『オマエがシねば、マジナイをツカえるようにしてやる』



 化け物の話し方は拙くて、ぎこちなくて――それ以上にその言葉を理解するのを本能が拒んで、私は呆けてしまう。

 生贄。私が死ねば、まじないを使えるようにしてくれる。

 その言い草はただの化け物のものとは思えない。だって、これではまるで――



「たかだか魔物風情が何を……!」



 セルジュが咆えた。彼の額には汗が浮かび、夕焼け色の瞳には動揺が見え隠れしていた。



『オレがセイレイだ。このモリのヌシだ』


「嘘をつくのもいい加減に――」


「いいえ、本当よ」



 突然響いた第三者の声に一瞬時が止まる。数瞬の後、私を後ろ手に庇っていたセルジュが背後を振り返った。私もつられるようにして振り返り――



「エヴァ伯爵!」



 そこに立っていたエヴァ・ダリ伯爵の姿に、確かに一度安堵した。

 自然と浮かんだ笑顔はそのまま、彼女をじっと見つめる。しかし彼女はこちらに微笑みかけてくれることはなく、化け物のすぐ横に立った。



「その醜くおぞましい化け物こそ、この森の主であり精霊であるゲッコラ。彼が納得すれば、再びこの地でまじないが使えるようになるでしょうね」



 エヴァ伯爵の紹介に、化け物――森の主であり精霊であるゲッコラは恭しく頭を下げた。人間からはかけ離れた見た目の生き物が、人間のようにお辞儀をするその様は、なんだかひどく滑稽で非現実的な光景に思えて、私はただただその場に立ち尽くすことしかできなかった。



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