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30 - 異変



 私の教育係の名前はセルジュ・ダリ。上司であり恩人のエヴァ・ダリ伯爵のお孫さんだという。

 血縁者なのでは、と疑ったことはあった。ただの上司と部下にしてはセルジュの態度が横柄だったからだ。しかしエヴァ伯爵の面影を感じる顔立ちのナーシャさんとは違い、セルジュは伯爵と全く似ていない。もちろん血の繋がりを疑うことはないけれど、まさか血縁者だとしても、孫ほど近しい存在だとは思っていなくて――



「お、お孫さん……? セルジュ・ダリ……?」


「送ろう。ペルナさんも心配している」



 セルジュは混乱する私の腕を引いて立たせる。そしてそのまま部屋の外へと出た。



「チカ!」



 部屋から出た途端、ルールーが駆け寄ってきた。セルジュを呼びに行ってくれたのは彼女のようだったし、きっと心配をかけてしまったことだろう。

 私はセルジュの件は一旦頭の片隅に追いやって、駆け寄ってきたルールーに微笑みかけた。



「ルールー、ありがとう。あなたのおかげでセルジュと仲直りできました」



 私の言葉にルールーはほっと胸を撫で下す。突然泣きついてしまったことを今更恥ずかしく思いつつも、今度改めてお礼をしようと心に決めた。



「喧嘩をしていたわけじゃないが……」



 背後からセルジュが訂正をいれてきたが、反応する余裕はなかった。とにかくルールーにもう一度お礼を言って、これ以上長居するのも申し訳ないので足早に屋敷から出る。

 町へ戻る道中、私とセルジュの間に会話はなかった。――正確には隣から様子を窺うような視線をひしひしと感じていたけれど、セルジュがエヴァ伯爵の孫だという事実を飲み込むので精一杯だった私は、一人でずっと考え込んでいたのだ。



(セルジュがエヴァ伯爵のお孫さんで……私は、エヴァ伯爵の部下。彼の方がずっと立場が上じゃない!)



 過去の自分の言動が脳裏を過る。咎められたことはないけれど、上司の孫に随分な態度をとってしまっていた。それに、何もかも頼り切りで――

 顔から血の気が引いていく。とにかく今までの非礼を謝らなければ、と私は足を止めた。



「も、申し訳ありませんでした」


「チカ?」


「あなたがエヴァ伯爵のお孫さんだなんて、知らなくて……今まで、様々な無礼を……本当に申し訳ありません。それに、教育係なんて――」



 頭を下げようとした私の肩をセルジュが掴み、謝罪を阻止する。そして子どもに言い聞かせるような口調で言った。



「君が知らなかったのは、俺が言っていなかったからだ。謝るとしたら俺の方だろう」



 セルジュが意図して身分を隠していたのは事実だ。何回かはぐらかされた記憶がある。

 しかしなぜエヴァ伯爵は自分の孫を部下の教育係に任命したのだろう。なぜ伯爵もセルジュ自身も、私にそのことを隠していたのだろう。気を遣わなくていいように、との配慮だろうか。

 どうであれ、彼がエヴァ伯爵の孫だと分かった以上、今までと全く同じとはいかなくなってしまった。



「……お心遣い、ありがとうございます」


「なぁ、今まで通りに接してくれ。俺は血筋だけで言えば確かにエヴァ・ダリ伯爵の孫だが、父親からはとっくに見放された家出息子だ」



 セルジュは自分の過去について語り始めた。



「伯爵家に三男として生まれたが、どうにも貴族社会に適合できなくてな。十四のときに家を出た。ただ一人で生きていく術を知らなかった甘ったれの餓鬼は、変わり者の魔女伯爵なら力を貸してくれるかもしれないと、この屋敷を訪ねたんだ」



 彼は早口で捲し立てる。口を挟む隙はなかった。



「もちろんあの魔女は餓鬼を受け入れなかった。それでまぁ、色々とあって、アマンドさんの許でずっとお世話になっていたんだ。彼は俺を息子のように受け入れてくれた。俺はアマンドさんに一生の恩がある」



 かなりの数のエピソードが端折られているのは明らかだが、なぜセルジュがエヴァ伯爵の孫でありながら国内最東の小さな町にいるのかが彼の口から明らかになった。そしてなぜ私の教育係になったのかも、なんとなく理解した。

 セルジュは私の祖父・アマンドに恩を感じて、その孫である異世界の小娘の教育係を請け負ってくれたのだ。



「だから私の教育係を?」


「これからも俺は、この町で暮らしたいからな」



 私の問いに頷くことも首を振ることもなく、セルジュはそう答えた。頷けば私がいらぬ気を回してしまうと思ったのかもしれない。

 会話が途切れる。ゆっくりとセルジュが歩き始めたので、私はその背中を追いかけた。

 セルジュは自分たちの関係が変わることを望んでいない。しかし彼の望み通り私は振る舞えるだろうか。上司の孫だと思うと見る目はどうしても変わるし、態度にもそれが現れてしまうような気がする。なまじ人との関わり合いが苦手なだけに、難しい問題かもしれない――

 一人でぐるぐる考え込んでいる内に、屋敷に到着していた。セルジュは屋敷の中までは入って来ず、門の前で足を止める。



「今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい。おやすみ、チカ」



 細められた夕焼け色の瞳をどうしても真正面から見つめ返すことができなくて、私は逃げるように家へ入った。

 帰りがすっかり遅くなってしまったことでペルナさんに心配をかけてしまったらしい、ほっとした表情で出迎えてくれる。その後温めなおしてくれた夕食を頂き、私はそのまま自室へ向かった。

 着替えもせず、ベッドに飛び込む。今日はいろんなことがあったように思うが、一日の終わりに明かされたセルジュはエヴァ伯爵の孫だという事実に全て上塗りされてしまった。

 セルジュの言葉を思い出す。貴族社会に馴染めず、魔女伯爵を頼ってこの町に来たといっていた。しかし伯爵は彼を受け入れず、私の祖父であるアマンド領主に世話になったと――



(セルジュはずっとこの町で、祖父の許で息子のように暮らしていた……?)



 脳裏に浮かんだ光景は、町を見回る祖父の横に並ぶセルジュの姿。果して彼らが疑似親子のような関係を築いていたかまでは分からないが、セルジュが祖父を慕っていたのは間違いないだろう。

 駆け落ちした父や何も知らなかった私とは違い、セルジュはずっとこの町で祖父と、この町の人々と生きてきたのだ。だから町の住人たちはセルジュに気安い態度だったし、彼も住人たちの好物を知っていた訳だと今更納得する。

 ぽっと出の私なんかより、この町と共に生きてきたセルジュの方がよっぽと後継者に相応しいのでは――そんな考えが脳裏を過ったとき、ある可能性に気が付いた。



(彼は領主になりたいと思ったことはないの? 祖父を慕っていたのなら、彼の後を継ぎたいと……)



 ベッドから慌てて体を起こす。そして慌ててカーテンを開け窓の外を見たが、セルジュの姿はもう見当たらなかった。

 気づいてしまった可能性に鼓動が早まる。ひゅ、と喉が嫌な音を立てたことで息が浅くなっていたことに気が付き、意識して深呼吸を繰り返した。

 ディネルカの夜は暗い。おそらくはまじないによる灯が等間隔で大通りを照らしているが、森と崖を切り開いて無理やり作られた町なのだ。窓の向こうに広がる闇は、吸い込まれそうなほど深くて――見つめていると、くらりと眩暈がした。



(私は、彼からとんでもないものを奪ってしまったのでは?)



 眩暈をやり過ごすようにぎゅっと目を瞑った。

 瞼の裏、暗闇の中にセルジュの顔が浮かぶ。優しい表情をしていた。鼓膜の奥には彼から投げかけてもらった言葉の数々が反響している。何度だって励まされて、救われて、前を向くきっかけをくれた。

 それらが偽物だったとは思わない。けれどもし――私の今の立場が、セルジュの我慢や犠牲の上に築かれたものだったとしたら。

 そう考えると途端に足元が崩れ落ちていくような感覚に襲われて、私はとうとうその場にしゃがみ込んだ。



(このまま私が領主になっていいの?)



 セルジュに話を聞きたかった。本当はどうしたいのか。私が――邪魔ではないのか、と。

 けれどそれを聞く勇気がなかった。だってもし彼に頷かれたら、私は――。

 いつの間にか、この町で暮らしていきたいと思うようになっていた。ルールーやリコ、町の人々に囲まれて、穏やかで充実した時間を過ごして、この時間が続いてくれればいいと、そのためならどんな努力だってできそうだと、そう思っていた。

 町の人々は私のことをすっかりアマンド領主の後継者だと思い込んでいる。これはもしかするとエヴァ伯爵に外堀を埋められたのかもしれなかったけれど、町に残るとしたら領主になる道しかないと覚悟はしていた。責任も立場も投げ捨てて、ただ充実した生活だけ享受したいというのは虫が良すぎる。

 決めたはずの覚悟がぐらぐらと揺らぐ。私の決断が、セルジュから奪うことに繋がるのなら――

 考えることから逃げるべく私はベッドに潜り込んだ。すると盛り沢山の一日に体は睡眠を欲していたのか、意外にもすぐさま睡魔が襲ってきて、私は夢の世界へと逃げるように意識を手放した。



 ***



 ――朝はいつだって、誰にだって平等にやってくる。

 扉越しに聞こえてくる物音に私は目を覚ました。廊下を誰かが忙しなく走っている。おそらくその誰か、とは住み込みで働いてくれるペルナさんだろうが、彼女がここまで慌てるのは珍しい。

 何かあったのかと思い、私は昨日から着たままでくしゃくしゃになってしまった服を着替え、廊下に出た。すると丁度扉の前をペルナさんが走り抜けるところだったので、その小さな背中に声をかける。



「おはようございます。どうかされたんですか?」



 振り返ったペルナさんの額には汗が浮かんでおり、見るからに狼狽していた。



「チカ様、申し訳ありません。朝食の準備がまだできていなくて……」


「……何かあったんですか?」



 寝坊をしたのだろうか、と一瞬思ったが、それにしては身なりがきちんとしている。予想外のトラブルがペルナさんを襲ったのだと見当をつけて問いかけたのだが――彼女の口が紡いだのは、全く想像していなかった答えだった。



「町でまじないが使えないんです」



 ――まじないが、使えない?

 ディネルカで大事件が起きていると知るのは、その数分後。血相を変えたセルジュが駆け込んでくるまで、私は何が起きているのかまるで分からなかった。



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