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03 - 教育係は意地が悪い



 町の入口で会った女性と別れて、これから三か月過ごす祖父の屋敷を目指すことになった。

 女性が教えてくれた通り、ディネルカは階段が多い町だった。山の傾斜に沿うようにして建物が建てられているからだろう。しかし町の人々は慣れた様子で、お年寄りから子どもまで、ひょいひょいと軽い足取りで行き来する。

 幸い体力には自信がある。高校生の頃は護身術を身に着ける目的で、柔道部に所属していた。大学に入ってからも健康のためにジョギングを欠かさなかったのだが、まさかこんなところで活きてくるとは。

 セルジュは町の人々と顔見知りらしい。すれ違う度に声をかけられていた。私は彼の後ろで会釈をして、いったい誰だと不思議そうに見つめられるばかりだった。

 階段を降り、細い道を通り、大通りに出た。今までセルジュの後ろを歩いていたが、少し駆け足で横に並び立ち、町にやってきたときから聞きたかった質問を投げかけた。



「さっきの、魔法ですか?」


「さっきの?」


「お屋敷から一瞬で町までやってきたから……」



 屋敷からの瞬間移動についてずっと聞きたくてうずうずしていたのだ。

 セルジュは前を見たまま、こちらには視線を寄こさずに頷く。



「まぁ、そうだな。ただこの世界では魔法と呼ばずにまじないと呼ぶ」


「まじない?」


「魔法と違ってまじないは自分自身の力ではない。精霊の力を借りているんだ」



 ぴたり、セルジュは足を止めてこちらを見た。

 魔法とまじない。その違いが私にはよくわからないけれど、この世界には精霊も存在しているらしい。

 人々の生活を脅かす魔物がいて、人々に力を貸してくれる精霊もいる。まさにファンタジーの世界だ。生憎娯楽にはあまり触れてこなかったけれど、それでも興奮と好奇心で心が浮き立つのを感じる。いつか、精霊にも会えたりするのだろうか。

 不意に夕焼け色の瞳が逸らされる。かと思うと彼は右手に建っていた、大通り沿いの屋敷を見上げた。



「ここが君のおじいさん、アマンドさんの屋敷だ。君も今日から三か月ここで生活してもらう」



 セルジュの言葉に誘われるようにして私も屋敷を見上げる。

 祖父が暮らしていたという屋敷は、二階建ての小ぶりな屋敷だった。周りの建物と比べると立派な作りだが、正直男爵が住む屋敷にしては質素な造りに思えた。しかし庭には美しい花々が咲き乱れ、小さいながら青々とした畑も見える。おそらく祖父はここで豊かな暮らしをしていたのだろう。

 セルジュが庭先のベルを鳴らす。するとすぐさま屋敷の扉が開かれ、ある人物が現れた。



「お待ちしておりました、チカ様」



 笑顔で駆け寄ってきたのは私の胸元あたりに頭のてっぺんが来る小柄な少女だ。ふっくらとした頬が幼さを際立たせるようでぎょっとしてしまう。

 私のことをチカ“様”と呼んだ。屋敷から出てきた。それらから推測するに、もしや彼女は祖父が雇っていた使用人ではないだろうか。

 祖父はこんな幼い少女に仕事を――!?

 大慌てで隣のセルジュを見やる。場合によっては、今すぐ彼女を解放することが私の領主見習いとしての最初の仕事になるだろう。



「そ、祖父は、幼い少女に仕事を強いて……!?」



 あろうことか、セルジュは笑った。更に少女本人も「まぁ、うふふ」と楽しそうに声を弾ませている。

 なぜ彼らが笑っているのか分からなくて、二人の顔を交互に見る私に、セルジュは笑いを噛み殺しながら説明してくれた。



「彼女は子どもではなくドワーフ。アマンドさんから最も信頼されていた古株のメイドだ」



 ドワーフ。その単語は知っている。詳しい説明ができるほど詳しくはないが、つまり私とは人種が違うため、目の前の女性は少女に見える容姿をしているが、成人している立派なメイドということなのだろう。

 事実が分かれば、何も知らずに少女扱いしてしまったことが申し訳なくて、頬に熱が集中していくのを感じながら頭を下げる。



「し、失礼しました。ドワーフの方と初めてお会いしたものですから……」


「いいえ、とても素晴らしく美しいお心をお持ちなのですね。わたくしのことはどうかペルナとお呼びください」



 メイドの女性――ペルナさんのフォローにますます顔が赤くなった。

 今回は好意的に受け取ってもらえたが、今後異世界の常識でものを言って相手を不快にさせてしまう可能性がある。まず発言する前にセルジュに確認するようにしよう、と心に決めた。

 その後、ペルナさんは屋敷を一室一室丁寧に案内してくれた。しかし祖父はこの小さな屋敷を持て余していたようで、ほとんどが空き部屋だった。

 書斎、応接室、住み込みで働くペルナさんの部屋、客間、それから。



「ここが旦那様の執務室です」



 二階の大通りに面した見晴らしのいい部屋が執務室だった。大きな窓が二つあるからか広々とした印象を受け、部屋が明るい。



(町がよく見える……)



 もしかすると祖父はこの部屋で仕事をしながら、窓から見える町行く人々を見守っていたのかもしれない。通りを見渡せる大きな窓を見ながらぼんやりと思う。

 エヴァ伯爵は祖父・アマンドのことを真面目だと称した。町の入口で出会った女性は祖父に対して好意的だった。きっと領主の仕事を真面目にこなし、信頼を集めていたのだろう。



「明け方、登る朝日が綺麗に見えると仰って、わたくし共より早く起床されることも多かったんですよ」



 ペルナさんがかつてを思い出すように目を眇める。彼女の瞳は私の横、大きな窓の前を見つめていた。まるでそこに、祖父がいるかのように。

 祖父は駆け落ちした息子のことをどう思っていたのだろうか。孫――私のことを知っていたのだろうか。なぜ強引に父を連れ戻さなかったのだろうか。

 もう答えを得ることはできない疑問が次々と浮かんでは消える。



(……会ってみたかったな)



 存在を知ったときには既に亡くなっていた祖父。彼の人生を辿るように、私はそっと大きな窓に指を這わせた。



 ***



『チカ、お前の瞳は本当に綺麗だ』



 夢を見た。

 父が私の瞳を覗き込んで、嬉しそうににこにこと笑っている。



『朝焼けを閉じ込めたような瞳だ』



 頬に触れる父の手のひら。あたたかかった。涙が出そうだった。

 父は私の瞳をよく褒めてくれた。今思えば、異世界に一人置いてきた自分の父親のことを思い出していたのかもしれない。

 朝焼けを閉じ込めた瞳。祖父から受け継いだ瞳。

 いつか祖父が愛した朝日を見てみようと思い――ノックの音で目が覚めた。

 まだ意識がぼんやりとしている。昨晩は確か、ペルナさんに屋敷を案内してもらった後、エヴァ伯爵が送って下さったというたくさんの着替えをクローゼットにしまい込んで、与えられた自室を整えて、晩御飯を頂いて、それから、それから。

 コン、コン、コン。

 リズミカルに三度、再び扉がノックされる。

 私はまだ半分寝ている状態のまま「はい」と返事をした。てっきりペルナさんが起こしに来てくれたものだと思い込んでいて、誰が入ってきたかも確認せず、ぐぐぐ、と体を伸ばしたのだが、



「おはよう、領主様。昨日と違って今日はずいぶんな寝坊だな」



 鼓膜を揺らした声にカッと意識が覚醒した。

 慌てて髪を手櫛で整える。そして扉の方を見やれば、そこに立っていたのは長身の男性――セルジュだった。



「今日は町を案内しようと思ったんだが……領主様が眠いようなら明日にしようか? 好きなだけ寝ているといい」



 笑いを含んだ声で続けられてカチンとくる。寝起きのだらしない姿をからかわれたように感じた。

 キッとセルジュを睨みつけて高らかに宣言する。



「十分で支度します!」



 セルジュを部屋から退室させて、私はクローゼットに飛びついた。そして真っ先に目に入ったブラウスと細身のパンツに素早く着替える。服装に合わせて髪は一つに結った。

 昨日着ていたワンピースと比べると動きやすくカジュアルな恰好だ。しかし女性用乗馬服に似た作りをしているからか、そもそもの作りがいいのか、上品さも感じられる。

 姿見の前で二周ほど回っておかしなところがないか確かめてから自室を出た。そして美味しそうな朝食の香りにつられるようにして、ダイニングへ足早に向かい、



「十五分かかったな」



 優雅に朝のコーヒーを楽しんでいるセルジュに煽りのお言葉を頂いた。

 何も言わずに彼が座っている椅子の斜め後ろに立ち、愉快そうに弧を描く口元を睨みつける。



「そう睨まないでくれ。責めているわけじゃない」


「…………」


「からかってるだけだ」



 ――意地が悪い!

 なぜからかわれるのか分からず、ただただセルジュに対する反感が募っていく。しかしここで声を荒げては彼の思う壺だと判断し、一つ大きく深呼吸。そのとき、セルジュの肩が笑いをこらえきれないというように揺れたのを見逃さなかったが、指摘せずに心を落ち着けてやり過ごした。



「……はやく町を案内してください。そのためにわざわざ来たんでしょう?」



 言われっぱなしはどうにも腹に据えかねたので、わざとらしく鼻を鳴らして不遜な物言いをしてしまった。しかし言われた本人は腹を立てるどころかますます肩を揺らして、顎で向かいの席を示す。そして、



「申し訳ない、まだコーヒーが残っているんだ。それに君も朝食を食べた方がいいんじゃないか?」



 優雅に一口、コーヒーに口をつけた。

 ――領主見習い一日目の朝。意地悪な教育係に振り回されて、晴れ渡った気持ちのいい青空とは対照的に、私の心の内は荒れ模様だった。



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