28 ー ガラスの鈴
翌朝、セルジュが屋敷を訪ねてくるより早く、私はルールーの許へ向かった。顔を合わせれば余計なことを言ってしまいそうで怖かったのだ。
しかしそんな私の恐れなど知らないセルジュは当然のように私の後を追ってきた。そしてルールーの屋敷で挨拶したのだが、
「ねぇ、ガラスの鈴ってあんたにとって大切なものだったの?」
「え?」
「ル、ルールー!」
聞きたくても聞けなかったガラスの鈴について、ルールーが何もかもをすっとばして切り込んだ。
私は慌ててルールーの口を塞ぐ。彼女としてはただ単純に、昨日の私とナーシャさんの会話を聞いて疑問に思ったことを本人に尋ねただけなのだろうが、私はその答えを聞く心構えができていなかった。しかしルールーはそんな私の心中など露知らず、質問を邪魔されたことにカチンときたのか、口を塞いでいた私の手を乱暴に払う。
「何よ! チカだってびっくりしてたじゃない!」
図星を突かれて私は押し黙る。セルジュを見やれば、彼はなんのことかいまいちピンときていないようだった。急にガラスの鈴という単語だけで尋ねられては、話が見えないのも無理はないだろう。
私は腹を括った。すべてを本人の口から語ってもらって、空回りし続ける日々に今日こそ終止符を打とう。そう思い、ルールーの投げかけた問いについて補足を始める。
「あ、あの、昨日私が“授業”をすっぽかしてしまって……ナーシャさんが屋敷にいらしたんです。そのときにセルジュからもらったとガラスの鈴を見せてもらって……」
そこまで聞いて、ようやくセルジュはルールーと私が指している“ガラスの鈴”が何か分かったらしい。自分の胸元を探り始め、
「何を言っている。しっかりとここにしまって……ない」
そこにガラスの鈴がないことに驚きの表情を浮かべた。
セルジュの一連の反応から察するに、ガラスの鈴を彼からナーシャさんに渡したという事実はなく、そもそも鈴が今手元にないこと自体、彼の想定外のことで。
「……ナーシャか」
セルジュが険しい顔で呟く。
これは、つまり、もしかしなくても――ナーシャさんが鈴を勝手に拝借した、ということなのだろうか。
脳裏に浮かんだのは昨日のナーシャさんの勝ち誇ったような笑み。それと同時に腹の底に渦巻いたのは、なんとも表現できない複雑な感情だった。怒りなのか、哀れみなのか、同情なのか、苛立ちなのか――どうであれ、セルジュの“大切なあの子の忘れ形見”はきっちり返してもらわなくてはならない。
***
「ナーシャさん!」
その日、タイミングが良いのか悪いのか、ちょうど夕方に“授業”を控えていた。
セルジュは鈴を返してもらうことに消極的だった。結局のところ、ナーシャさんと彼の関係はいまいち分かりかねるが――鈴を本人からもらったのが嘘だとすると、少なからず恋人ではないのだろう――立場的にナーシャさんに強く出られないのかもしれない。なにせ彼女はエヴァ伯爵の親戚だ。
そんな彼の様子を間近で見たからこそ、私が取り返すつもりでいた。もっとも私もエヴァ伯爵の部下の孫であるから、ナーシャさんに強く出られない立場なのは同じだけれど――それでも、散々世話になっているセルジュへの恩返しができればと思ったのだ。
「そのガラスの鈴、返してください」
今日もナーシャさんは胸元にこれ見よがしにガラスの鈴をつけていた。
「何を仰っているの? これは私がもらったのよ」
「嘘。盗んだんでしょう。セルジュが驚いてました」
一瞬ナーシャさんがたじろいだ。自身の嘘がばれたことに動揺したのかもしれない。
しかし彼女は動揺を覆い隠すように笑みを貼り付け、くるりと私に背を向ける。まるで鈴は渡さない、と言われているようだった。
「きっとあなたを前に照れたのでしょう。うふふ、かわいらしい面もあるのね」
「生憎と彼は、そんなかわいげがある人じゃありません」
「なぁに、その言い方。まるで自分の方がセルジュを分かっているみたい」
とうとうナーシャさんの笑顔が崩れる。私がセルジュについて、知った風な口を利くのが癪に障ったらしい。
今は私の中のセルジュと彼女の中のセルジュ、どちらがより本物に近いか言い争っている暇はない。そもそもそんなことに意味はないのだ。もしナーシャさんの方が私よりセルジュとの付き合いが長く、セルジュのことを詳しく知っていたとしても、彼女は“大切なあの子の忘れ形見”を盗んだ。その事実がこの場で重要な、たった一つの真実だった。
「返してください。その鈴はセルジュのとても大切なものなんです。彼の大切な人のものなんです」
途端、ナーシャさんの横顔が泣きそうに歪む。
――あぁ、彼女はセルジュが好きなのだ。振り向いて欲しかったのだ。その鈴が彼の大切なものだと知っていたのだろうか。だから彼の気を引きたくて、あるいは彼の心を自分のものにしたくて、盗んでしまったのかもしれない。
返してください。再びそう言って、右手をいっぱいいっぱいに伸ばす。しかしナーシャさんは拳の中に鈴を握りこんだまま離さない。
ガラスの鈴を握りこむ手が震えていた。よほど力を込めて握っているのかもしれない。このままではガラスでできた鈴に、傷ができてしまうかも――
早く取り返さなければと、私は焦りを募らせていた。
「……それを奪ったからって、彼の心までは奪えませんよ」
涙を浮かべた瞳にキッと睨みつけられる。
あえて挑発し、傷つける物言いをした。罵られても、殴られても文句は言えない。だからせめて、ガラスの鈴は無傷でセルジュに返して欲しい――。
その願いが通じたのか、ナーシャさんは胸元から乱暴に鈴を引きちぎった。そして、
「いいわよ、返してあげる! ほら!」
そのまま大きく振りかぶり、床に叩きつけたのだ。
――がしゃん!
あ、と思ったときにはもう遅かった。美しいガラスの鈴は無残な音を立てて割れてしまった。
私は慌てて割れた破片を拾い上げる。幸い欠片はどれも大きく、くっつけることさえできれば修復が可能な範囲だった。しかしどこまで綺麗に直せるだろうか。この世界に接着剤はある? どれだけ綺麗に直せても、一度割れた事実は消えようがない。
私のせいだ。私がもっとうまくナーシャさんを説得出来ていたら――
じわりと眦に涙が浮かんだ。そのときだった。
「ようやく尻尾を出したわね」
「エヴァ叔母様!?」
私とナーシャさん二人きりだった部屋に、エヴァ伯爵が現れた。彼女は慌てるナーシャさんを一瞥すると、フン、と鼻を鳴らす。
「あら、叔母様なんて呼ばないでくれる? 薄い血の繋がりしかないお嬢さん」
「な、なにを……」
「あなたを家に帰す口実をずっと探していたの。セルジュの私物を盗んだ挙句、壊したとなれば十分すぎる理由になるわ。もう二度と来ないで頂戴」
声を荒げるナーシャさんと、冷たく突き放すエヴァ伯爵。彼女たちの言い合いを聞きつつも、私は割れたガラスの鈴をどうやって修復するかで頭がいっぱいだった。
――結局のところ、私は嫉妬していたのだ。恩返しだなんだと綺麗ごとを並べても、生徒である自分には関係ないと嘯いても、もう自分の心すら騙せない。私はセルジュの恋人と名乗ったナーシャさんに嫉妬し、彼女の軽率な行いをこれ幸いと攻め立てた。彼女をあえて傷つけるような言葉を選んだのも、醜い嫉妬心故だ。
あぁ、なんて愚かしい。なんて見苦しい。セルジュに会わせる顔がない。私のせいで彼の大切なものを壊してしまった。
大粒の涙があふれては、ぼたぼたとガラスの鈴の破片に落ちていく。けれど泣いている暇はない。もうセルジュに会わせる顔がなかったとしても、この鈴だけはどうにか直さなければ。
「チカ、お手柄ね。あなたのおかげよ――って、チカ?」
いつの間にかナーシャさんはいなくなっていた。彼女がどこに行ったのかとか、いつから伯爵は私たちの会話を聞いていたのかとか、聞きたいことはいくつかあったけれど、何よりもまず、
「は、伯爵! 接着剤ってありますか!?」
割れたガラスの破片をくっつけるとして、一番に脳裏に浮かんだのは瞬間接着剤だ。
「接着剤? あぁ、異世界の……。そうねぇ、修復には粘り気のある土をよく使うわよ。エルフの知恵だから、ルールーなら知っているんじゃない?」
エヴァ伯爵は接着剤を知っているようだった。さすがは魔女というべきか。しかし生憎接着剤はこの世界にはないようで、彼女は代替案を示してくれる。
「送っていってあげましょう」
***
エヴァ伯爵のまじないで、ルールーの屋敷までひとっとび。
閉められた玄関の扉を乱暴に叩いたら、驚いた顔のルールーが顔をのぞかせた。
「チカ?」
「ルールー! 壊れた器の修復方法って知ってる!? 粘り気のある土を使うって、エヴァ伯爵が!」
手の内のガラスの破片を見せれば、彼女は状況を察してくれたらしい。私の腕を引いて、庭に出た。
ルールーはそこらの土をシャベルで掘り返す。そしてバケツに黒土を採取すると足早に屋敷の中へ引っ込んだ。私は何も考えられず、ただ小さなその背を追う。
黒土には水と、他にもいくつか液体や粉を混ぜたらしい。ルールーが作ってくれたのは粘り気のある粘土のような土で、どうやらそれを繋ぎに使うのが“エルフの知恵”のようだ。
「大丈夫だよ、チカ。大きな破片が多いから、すぐ直る」
「うん……ありがとう、ルールー」
ずっとはらはらと涙を流す私をルールーは気遣ってくれた。
ルールーから指示をもらって、破片を繋ぎ合わせていく。思った以上に土は粘着性があり、破片は簡単に繋がった。盛り上がった土は削って、形を整えて、そう時間がかからずに破片は鈴の形へと戻ったのだけれど。
(どうしよう……繋ぎ目が目立つ……)
繋ぎに使っている土がどうしても目立ってしまう。
「チカ、綺麗に直せてるじゃん、大丈夫だよ」
「あ、ありがとう。でも……ごめん」
「チカ……」
傍らのルールーが立ち上がり、そっと離れていく。
私はガラスの鈴を胸元に抱きしめて、途方に暮れた。この鈴を見たらセルジュはどうするだろう。優しい彼のことだ、私を攻め立てるようなことはしないだろうけれど、一人になれば落胆に肩を落とすかもしれない。大切なあの子を思い出して、涙を流すかも――
「ここにいたのか」
今一番聞きたくなかった声が鼓膜を揺らした。
ゆっくり、ゆっくりと振り返る。
「ルールーが教えてくれた」
月明りに照らされたセルジュが、そこに立っていた。




