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24 - ドロボウネコ?



 ナーシャさんの正体に思い至ったとき、彼女から敵意を向けられる理由にも気づいた。セルジュ――恋人か、良い人か――が突然現れた小娘の教育係に任命され、二人の時間が減ってしまったのだ。恨み言の一つや二つ、言いたくなる気持ちも分からないではない――けれど、当てつけのような彼女の態度は不快だった。

 私が我儘を言ったわけではない。私が進んで二人の仲に割って入ったわけでもない。それなのになぜあからさまに敵意を向けられなくてはならないのか。

 しかし何もかも与えられている身で、偉そうに物申すことはできるはずもなかった。だから預けられた手紙をセルジュに渡すつもりで、上着の内ポケットに潜ませる。そして翌朝、いつもより遅くやってきた彼と家の前で合流し、挨拶をしたのだが――



「おはようございます」


「どうした、体調でも悪いのか」


「え?」



 挨拶もすっ飛ばして、セルジュは私の顔を覗き込んでくる。

 心配される心当たりが全くなく、驚きに首を傾げれば、



「君は挨拶のとき、必ず相手の目を見る」



 自分でも気づいていなかった事実を指摘されてどきりとした。

 確かに言われてみれば挨拶をするときはアイコンタクトを取るようにしていたかもしれない。けれどそれは私からしてみれば当然のことで、そもそも一回視線が逸らされただけで指摘するようなことだろうか。

 疑問に思いつつも、今朝セルジュの顔を見られなかったことに関して言えば、心当たりがあった。ナーシャさんからの手紙を渡せば、セルジュは――

 ポケットの中に潜ませておいた手紙が重くなったような気がした。



「いえ、その……」


「あー! チカお姉ちゃん!」



 言葉に詰まる私の耳に、救世主の声が聞こえた。

 慌てて声がした方へ体ごと振り向けば、リコがこちらに駆け寄ってくるところだった。



「お、おはよう、リコ」


「今日も出かけちゃうの?」


「うん。ごめんね、近いうちに一緒にご本を読もう」



 残念そうに肩を落とすリコの手には絵本が握られている。彼女は青空図書館の一番の利用者であり、私の留守中にペルナさんとも随分仲良くなったようだ。

 リコと視線を合わせるようにしゃがみこんで、そっと頭を撫でてやる。そうすれば彼女はにへらと眉尻を下げて笑い――ふと何かを思い出したのか、肩から下げていたバックに手を突っ込んだ。

 やがて目当ての物を見つけたらしいリコが、“それ”を差し出してくる。



「これ、お母さんから」



 差し出されたのは小さな包みだった。ほのかに香るバターの香りから、中身はクッキーか何かだろうかと検討をつける。



「ルールーって子のところに行くんでしょ? 持ってってあげて」



 そう言って彼女は私に包みを握らせた。感触は硬い。やはりクッキーだろうか。

 リコと彼女の母親の気持ちが素直に嬉しかった。彼女たちもルールーを気にかけてくれているのだと思うと心強い。



「ありがとう! 今度お礼を伝えにお邪魔するね」



 ルールーは喜んでくれるだろうか。美味しい紅茶を淹れて、みんなで食べよう――。

 私の頭はすっかりもらったクッキーとそれを食べるルールーの姿で占められてしまって、ナーシャさんからの手紙のことがすっぽりと抜け落ちてしまった。



 ***



「今日はカーテンを丸洗いしよう」



 セルジュの提案に神妙に頷く私とルールー。カーテンは今日まで目につきつつも避けてきた“大物”だ。



「重労働になりそう。ルールー、手伝ってくれますか?」


「あたしの家のカーテンでしょ。手伝う」



 当然、というように大きく頷くルールーに嬉しくなる。今ではすっかり心を許してくれて、この前はとうとう自室に招かれたのだ。――招かれたといっても、掃除のために入ったのだけれど。しかし理由はどうであれ、一番プライベートな空間に立ち入ることを許してもらったことには変わりない。

 重労働と言いつつも、セルジュのまじないにかかればカーテンを取り外すのはあっという間だった。家中のカーテンを庭に集めて、これまたセルジュのまじないで水浸しにして。

 私たちが請け負った作業といえば、バケツいっぱいに泡立てた洗濯洗剤を上からばらまいたことぐらいだった。



「ふふ、泡だらけですね」



 洗剤をまいて特に汚れがひどい部分は手で揉みこんで、気づけば全身泡だらけになっていた。

 ルールーの鼻先に泡が乗っかっていることに気づき、指先でつつく。すると揶揄われたと思ったのか、彼女はムッと下唇を噛みしめ、



「きゃあ!?」



 足元の泡をかき集めたかと思うと、こちらに向かって放り投げてきた。私は驚いてその場で足を滑らせてしまい、軽い尻餅をつく。幸いカーテンが折り重なっていたおかげでどこも痛くなかったが、頭から被った泡をどうにかしようと大きく頭を振った。



「油断したわね」


「もう、ルールー……」



 目論見が成功して上機嫌なルールーが手を差し伸べてくる。私はその手を取ってゆっくりと立ち上がり――胸元あたりに違和感を覚えた。

 私はその違和感の正体に思い至り慌てて起き上がる。そして内ポケットから“それ”を取り出した。

 想像通り、“それ”――ナーシャさんから預かった手紙はしっとりと水に濡れ、文字が滲んでしまっていた。



(手紙が……!)



 中身は無事かと慌てて封に手をかけ、やめる。中身を見るのはいくら何でも失礼だ。とにかく謝らなくては。



「どうした、大丈夫か」



 私たちから少し離れた場所で、同じようにカーテンを洗っていたセルジュが駆け寄ってきた。どうやら私が尻餅をつく場面を目撃して心配してくれたようだが、正直それどころではない。

 私は濡れた封筒を胸元に抱き、己の罪を懺悔した。



「ご、ごめんなさい! あなたにナーシャさんからお手紙を預かっていたんです。朝渡そうと思ったんですが、すっかり忘れてしまっていて……それで……」



 早口で捲し立てた後、しっとりと濡れた封筒をセルジュに渡す。彼は怪訝な表情で渡された封筒に視線を落とし、しかしすぐに私を見た。



「今日、謝ってきます。それでもう一度手紙を頂いて――」


「その必要はない。俺が会いに行く」



 ――会いに行く。

 セルジュはそう言った。私の言葉を遮って。



「……そう、ですか」



 すみません、と小さく続けたつもりだった。しかしその言葉はほろほろと空気へ溶けてしまって、彼の鼓膜どころか私自身の鼓膜すら揺らすことはなかった。

 セルジュは受け取った封筒をしまい込むと、私たちの姿を見下ろして苦笑を浮かべる。



「君たちごと、水洗いしなくてはな」



 何よそれ、と毒づくルールー。そんな彼女に早速水をかけるセルジュ。

 微笑ましい光景に私は口元を緩ませ――どうしても気になってしまうナーシャさんからの手紙の存在を頭から追い払おうと、彼らの輪に加わった。



 ***



「すまない、今日は先に帰らせてもらっていいだろうか」



 綺麗に洗い乾かしたカーテンを取り付けなおしたところで、セルジュが申し訳なさそうに切り出した。おそらくナーシャさんに会いに行くのだろう。



「え、えぇ。大丈夫です。お疲れ様でした」



 私が手紙を駄目にしてしまったせいで二人に迷惑をかける形になってしまった。だから当然引き留められるはずもなく、その背を見送る――と、セルジュはまじないを使ったのか一瞬でその場から消えてしまい、見送る背中すら見失ってしまった私は、しばらくその場にぼうっと突っ立っていた。

 ――言ってくれればよかったのに。

 真っ先に浮かんだのは、セルジュへの文句。ナーシャさんと良い仲だと教えてくれればこちらも気を遣って、勉強やら掃除やらに彼を巻き込むこともしなかった。そうすれば恋人同士の時間をとれただろうし、私がナーシャさんからいらぬ敵意を買うこともなかったかもしれないのに――なんて、セルジュからの施しを享受してきた身で言えることではない。

 今までセルジュに頼りすぎていたことを改めて反省し、今後はできるだけ彼を巻き込まないようにしようと心の中で決意したとき。



「ねぇ、ナーシャって誰」


「うわぁ!?」



 突然背後から問いかけられて、私はその場で飛び上がった。



「そんな驚かないでよ……。もしかして、セルジュの恋人?」



 驚きに早い鼓動を刻んでいた心臓がまだ落ち着いていないのに、ルールーの口から放たれた“恋人”という単語にもどきっとしてしまって、私はすぐに答えることができなかった。

 数度深呼吸を繰り返し、多少落ち着きを取り戻してから口を開く。



「さ、さぁ……。私のマナーの先生なんですが、彼との関係については何も……」


「ドロボウネコってやつ?」


「え!? どっちが!?」


「どっちが?」



 ――自分で自分に驚いた。

 どうしてルールーがそんな俗語を知っているのかも驚きだったけれど、咄嗟に“泥棒猫”と聞かれて自分の口から出てきた言葉が「どっちが?」なんて――。

 驚く一方で、やけに冷静な頭が“私自身の不可解な言動”の理由に気がついた。なぜ朝セルジュに手紙を渡さなかったのか。なぜ会いに行くと言ったセルジュに、素直に謝れなかったのか。なぜ消えた彼の姿に、寂しさを覚えたのか。

 どうやら私は、教育係セルジュがナーシャさんに取られてしまったと感じていたらしい。でなければ、泥棒猫という単語で彼女を連想するはずがない。

 あまりに幼稚で自分勝手な思考に私はいたたまれなくなる。セルジュからしてみれば生徒より恋人を優先して当たり前だ。私は取られた、なんて嫉妬できるような立場ですらない。なんて愚かで、なんて傲慢で、恥知らずで――

 恥ずかしさのあまり顔から火が出そうだった。一人で身悶えていると、刺々しい視線を感じてはっと我に返る。ルールーだ。彼女が「なにやってんだこいつ」と言いたげな冷たい視線でこちらを見つめている。



「あ、いえ、違くて、それより泥棒猫なんて単語をどこで……」


「あんたが貸してくれた本に書いてあった」



 私が貸した本と言えば絵本かせいぜい児童書なのだが、もしかするとその中にドロドロとした恋愛模様が描かれた作品が混じっていたのだろうか。子ども向け作品と甘く見ていると、案外えげつないストーリーが展開されていたりするから、今度から貸し出す本には一通り目を通しておいた方がいいかもしれない――

 自分の恥から目を逸らそうと、必死に別のことを考えていたのだが、



「今度セルジュに聞いといてあげる。ナーシャってドロボウネコなの? って」


「それだけはやめてください!」



 ルールーがとんでもないことを言い出すものだから、私は恥も外聞も捨てて半泣きで必死に止めた。



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