02 - 漆黒の髪の教育係
――夢を見た。
『その髪、本当に地毛なのか』
教師に怪訝な目を向けられる。
日本人らしくないホワイトブロンドの髪は、どれだけ地毛だと訴えようと教師にすら信じてもらえなかった。
黒く染めてこいと何度言われたことだろう。髪を染めてはいけない校則なのに、黒髪に染めるのはいいのですかと真っ向から問いかければ、面倒な奴だと忌々しく吐き捨てられた。
信じてくれる人もいた。けれどその何十倍もの人が後ろ指を指してきた。
『あれは焼いてるっしょ。今どきなかなか見ないよね』
クスクスと背後で笑われる。
小麦色の肌を指して、焼いているだの時代遅れの黒ギャルだの、好き勝手言われた。チャラく見られ、年齢が上がるごとに下品な言葉遣いで遊びに誘われることも増えた。
だから遊び人ではないのだと主張するためにも、人一倍真面目に勉学に励んだ。学級委員にも立候補したし、生徒会にだって入った。それでも面白おかしく噂を流す人はいなくならなかった。
『カラコンどこの?』
それは好意的な質問だった。綺麗な瞳の色だねと褒められることは多かった。しかしその後に続くのは、どこのカラコンを使っているのかという質問。
生まれ持った瞳の色だと主張すれば、冗談言わないでと笑われた。それでもなお主張を続ければ、変な人だと言いたげな視線を寄こして離れていくのだ。
『見た目通り、派手に遊んでるんでしょ』
面と向かって言われたことも、こそこそと陰口をたたかれたことも、もう数えきれない。
どうすれば信じてもらえるのか分からなかった。父も母も私の容姿を綺麗だと褒めてくれたけれど、綺麗でなくていいから、日本人らしい容姿に生まれたかったと何度も泣いた。しかしそれを両親に言うのは憚られて、誰にも心の内を吐露することはできなかった。
――ぱちり。目が覚める。
視界いっぱいに広がるのは見慣れた天井ではなく、フワフワのレース生地。ベッドにつけられた天蓋だ。
――昨日、魔女が私を迎えに来た。あなたの両親は異世界で生まれたのだと衝撃の事実を告げた彼女は、同じ口で私に領主見習いをするように言った。
どうやら昨日のできごとは夢ではなかったらしい。
少女が夢見るような天蓋付きの豪勢なベッドから身を起こす。喪服のままぐっすりと眠ってしまったようだ。
あたりを見渡せば、ドレッサーの椅子に衣服がかけられていた。それを用意してくれた着替えだろうと見当をつけて手を伸ばす。
かかっていたのはシンプルだが上品な柄のワンピースと、コルセットベルト――だと思う。下着ではないはずだ。たぶん。正直自信はなかったが、とりあえずワンピースに袖を通した。ふんわりとした肌ざわりが、このワンピースが高価なものであると主張しているようだった。
次にコルセットベルトを手に取った。そしてワンピースの上に着けて――
その最中、背後で扉が開く音がした。
「……ずいぶんと早起きなんだな」
突如として聞こえた男性の声に、私は慌てて振り返る。すると入口付近に立っていたのは、漆黒の髪を持つ男性。
(この人、昨晩の……!)
“ナーシャ様”とイチャついてた男! ――と喉まで出かかって、すんでのところで飲み込んだ。
彼はずいぶんと早起きなんだな、と言った。その言葉から察するに、時計で時刻を確認していないもののまだ早朝なのだろう。更に驚いたような表情を浮かべていることからして、おそらく私が起きていたのは予想外だったと思われる。
つまり。
「私が寝ていると思ってノックもなしに入ってきたんですか?」
自意識過剰だと言われようが、寝ているところを狙ってノックもせずに入ってきたあたり、乱暴するつもりだったのかもしれない。この見た目のせいか、そういった身の危険を感じることも少なくなかったのだ。
警戒心がぐんぐんと高まっていく。それを感じ取ったのか男は何もするつもりはないと意思表示するように両手を上げ、視線を床に落とした。
「失礼した。俺はセルジュ。エヴァ・ダリ伯爵から君の教育係を任命された」
「エヴァ・ダリ伯爵……?」
真っ先に引っかかったのは“エヴァおばさま”の敬称だった。
男はエヴァ・ダリ伯爵と呼んだ。伯爵。私の知識に間違いがなければ、そしてこの世界の貴族制度が元の世界と相違なければ、貴族の中でもかなり高い身分にあたる爵位のはずだ。
立場で相手への態度を変えることはしないけれど、それでも昨晩の自分の態度が伯爵相手に相応しいものだったかと不安が過る。しかし今更気にしたところで遅いと気持ちを切り替え、今目の前にいる男に意識を向けた。
彼は自分のことを教育係と名乗った。――教育係?
「待ってください、教育係って?」
「領主の仕事について、そもそもこの世界について、何も知らない君にはサポートが必要だろう。教育係とは名ばかりで、雑用係と思ってくれていい」
過不足ない説明と、未だ両腕を上げたまま視線を伏せている姿勢に、僅かながら好感を抱く。
教育係ということは向こう三か月世話になるはずだ。その正体も、なぜエヴァ伯爵が彼を教育係に任命したのかも分からないが、良好な関係を築いておきたかった。
警戒を解いて歩み寄る。そうすれば私の気配を察したのか、男性――セルジュは顔を上げた。
夕焼け色の瞳と視線が絡む。彼は堂々とした態度で続けた。
「分からないことがあれば聞け。できない仕事があれば振れ。そのためにいる」
「……わかりました」
正直な話、領主見習いをする上で事情を知る教育係が傍にいてくれるのは心強い。今のところエヴァ伯爵との間に、育った文化圏の違いよる意識のギャップを感じたことはないが、今後もそうとは限らないだろう。そういった場面に遭遇した際、彼の助けが必要になるはずだ。
私は挨拶の意味も込めて右手を差し出した。そしてすぐ、握手という挨拶文化がこの世界にないかもしれない、とセルジュの顔色を窺ったが、彼は至って普通の顔で私の右手を握り返してきた。
こうして改めて見上げると、彼は随分と背が高い。私も女性にしては長身な方だが、頭一つ分以上差がある。
程なくしてセルジュは握手を解き、こちらに背を向けた。
「部屋の外にいる」
だから身支度を整えて出てこいと言外に言われた気がして、私は思わずその背中を呼び止めた。確かめたいことがあったのだ。
「あっ、待ってください! 早速一つ聞きたいことが……」
引き留められたセルジュは片方の眉を上げて体ごと私に向き直る。
――正直、いま彼に投げかけようとしている質問の内容には気恥ずかしさを覚えているのだが、だからといって聞かずに間違えたままの方がより恥をかきそうだ。これから三か月、散々情けない姿を見せることになりそうだし、いっそ最初に恥をかいてしまおうと当たって砕けろの精神で問いかけた。
「この服って、着方これであってますか?」
ワンピースの上からコルセットベルトと思われる装飾品を身に着けたのだが、万が一これが下着の類だったらとんだ大恥だ。セルジュが一向に指摘してこないことからして大丈夫だろうとは思うのだけれど、異性の着こなしに口を出すのは憚られるだろうし――
呆れているのか、驚いているのか、セルジュは瞬きすらせずたっぷり十秒、静止していた。そして十一秒目に小さく息を吐き、
「待ってろ、メイドを呼んでくる」
そう言葉を残すと、素早く退室していった。
程なくして、昨晩屋敷内を案内してくれたメイドのリリィが現れる。幸い着方は間違っていなかったようで、彼女は軽く着こなしを整えてくれたあと、ついでとばかりに髪のセットもしてくれた。
恥を忍んで聞いてよかった、と安堵しつつ、今度はセルジュに変に思われていないかと心配になった。問いかけた後の彼の様子を思い出そうと記憶を辿る。そして思い出した。
部屋を出ていくときのセルジュの表情が不自然だった気がする。下唇を噛みしめていたものの、薄い唇は歪なカーブを描いていたような――もしかして、笑いそうになるのを堪えていた?
気にはなったものの、確かめる術は当然ないので、もう忘れてしまおうと小さく首を振った。
***
「エヴァ・ダリ伯爵が持つ領地のおよそ三分の二は森だ」
身支度を終えた後、廊下で待機していたセルジュに連れられて屋敷の外へ出た。おそらくは町・ディネルカに向かうつもりなのだろう。
屋敷の中にいたときも立派だと思っていたが、外に出て改めて見上げると、伯爵のお屋敷はより大きく立派に見えた。周りをぐるりと高い塀が囲んでおり、セキュリティもかなり強固だ。
「とても立派なお屋敷ですね。塀もすごく高い」
「森に住む凶暴な魔物たちに襲われないようにな」
「ま、魔物……?」
突如として飛び出てきた“魔物”という単語にぎょっとした。どうやらこの世界には魔物がいるらしい。それも人を襲う狂暴な魔物が。
表情が引きつるのを自覚しながら隣のセルジュを見上げれば、彼は心配するなと言うように笑った。
「それも昔の話だ。森の魔女伯爵は魔物を手懐けている」
森の魔女伯爵とは、エヴァ・ダリ伯爵のことだろう。魔女を自称するだけあって、さすがと言うべきか、魔物を手懐けてしまったとは。
それがどれだけ大変なことなのか、魔物がいない世界で生まれ育った私にはいまいちピンとこなかったけれど、彼女がどのようにしてその“偉業”を成したのかは気になった。
「どうやって手懐けたんですか?」
「さぁ? 魔女のことは分からん」
セルジュは肩を竦める。漆黒の髪と切れ長の瞳に引きずられて、一見するとクールな印象を抱くが、彼は思いのほか感情表現が大仰なようだ。
それにしてもエヴァ伯爵のことを説明する口調が随分と気安い。セルジュを教育係に任命したのが伯爵なのだから、彼からしてみれば上司のような存在だろう。それなのに“魔女”とよく言えば気安く、悪く言えばふてぶてしく呼ぶ彼は、もしかしたらエヴァ伯爵と近しい存在なのだろうか。
「あなたとエヴァ伯爵の関係は――」
「手を」
問いかけの途中、不意に手を取られた。次の瞬間、足が地面から浮いて、ぐるりと世界が一回転する。
何が起きたのか分からなかった。ただ再び地面に足が付いたとき、乗り物酔いのような感覚に襲われてふらついてしまったところを、セルジュが支えてくれたのは分かった。
目が回る。日差しが目に痛い。瞬きと深呼吸を繰り返し、徐々に落ち着きを取り戻した頃、
「ここが君の領地――になるかもしれない町・ディネルカだ」
セルジュが耳元で囁いた。
ゆっくりと顔を上げる。すると目の前には街並みが広がっていた。つい数秒前まで、木々に囲まれた屋敷にいたのに!
私は慌てて背後を振り仰いだ。そして山頂にポツンと建てられたエヴァ伯爵の屋敷を見つける。
――瞬間移動だ。あそこから一瞬にしてここまで飛んできた。どうやらこの世界には魔法もあるらしい。
「おや、セルジュ。その子はもしかして……」
ぼんやりと遠くの屋敷を眺めていたところに声がかかった。そちらを見やれば、人のよさそうな妙齢の女性が興味津々といった様子でこちらを見ている。
この町に住む女性だろう。どう挨拶するべきか分からず、とりあえず会釈をするだけに留めた。
「アマンド領主のお孫さんだ」
「おやおや、まぁ!」
前領主の孫だとさらっと身分を明かされたのは予想外だった。そんな紹介をされたら、私を後継ぎだと考える人もいるだろうに。
外堀を埋めるような紹介に嫌な予感がしつつも、紹介された以上きちんと挨拶をするべきだと頭を下げる。
「チカと申します。よろしくお願いします」
「あらやだ、礼儀正しい子じゃないの! 小麦色の肌と瞳の色はおじいさま譲りね」
――肌の色と瞳の色が祖父から受け継いだものだったとは。
初めて聞く情報に驚きつつ、今の今までどんな人物かまるでイメージがつかなかった祖父の姿が徐々に浮かびあがってくる。小麦色の肌に、朝焼け色の瞳。髪の色に言及しなかったということは、髪に関しては祖父の容姿的特徴受け継がなかったのだろうか。
まだ名前しか知らない祖父について考えていると、不意に女性が顔を覗き込んできた。そしてニカッと音が聞こえそうなほど快活に笑い、大きく両腕を広げる。
「ようこそ、ディネルカへ! ちょーっと階段が多いけど、ここは素敵な町だよ!」
女性の笑顔を見て、あぁここは素敵な町なのだと、なんの根拠もないのに信じることができた。




