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16 - ルールーの屋敷



「立派なお屋敷……」



 翌朝、セルジュの案内で親を亡くしたエルフ・ルールーの屋敷までやってきた。町のはずれと聞いていたけれど、舗装された道はずいぶん前の段階で途切れてしまっていて、もはや森の中に建っているといった方が正しいように思う。

 二階建ての立派な屋敷は、どこか寂れた雰囲気を漂わせている。全て閉められたカーテンに、鬱蒼と生い茂る庭の木々。あまり良くない表現だが“幽霊がでそうな”などと噂が立ちかねない屋敷だった。



「ルールーさん、ディネルカからやってきたチカと申します。昨日お顔を合わせて……」



 恐る恐る立派な両開きの扉をノックするが、返事はない。人の気配もしない。



「いないんでしょうか?」



 後ろに控えていたセルジュを振り返ると、彼は数秒考え込んだ後、勢いよく扉のノブに手をかけた。かと思うと躊躇う素振りを一切見せずに扉を全開にしてしまう。



「あ、ちょっと! 許可もなしに屋敷に入るのはいくらなんでも失礼ですよ!」



 けほ、と軽く咳込みながら非難する。外から風が一気に入り込んだせいか、ぶわっと埃がたったのだ。

 ――あれ、埃? こんなに埃がたつほど、屋敷の中は汚れている?

 ここで私ははっとする。大きく開かれた扉の向こう、屋敷の中は真っ暗だった。暗闇に目を凝らせば、玄関ホールが吹き抜けになっていることが辛うじてわかり、私は一歩足を踏み入れる。

 途端、異臭が鼻をついた。これは――生ごみの臭いだ!

 思わずセルジュに視線を向ける。彼も同じ臭いを感じとったのか眉間に深い皺を刻んでおり、どちらからともなく頷きあうと、臭いの元を辿った。

 そうして足を踏み入れたのは一階の厨房だ。



「……異臭がすると思ったら、ひどい荒れ様だな」


「これは……」



 想像以上の惨状に、私は言葉を失ってしまった。

 調理台は洗われていない食器や食べ残しで埋まっており、そこにおさまりきらなかったのであろうゴミは辛うじてゴミ袋らしき袋に詰め込まれているものの、あちこちに散乱している。ひどい臭いだ。



(小さな少女が一人で屋敷の掃除や管理なんてできるはずがない。こんな環境で日々を過ごしていたら……)



 鼻をつまんだが僅かな隙間からなおも臭ってくるようで、口の中に形容し難い苦味が広がった。異臭が味覚にまで訴えてきたのは初めてだ。



「まず窓を開けるべきだな」



 くぐもった声が落ちてきた。どうやらセルジュもあまりの異臭に己の手で鼻と口を覆っていたらしい。

 彼は一本だけ立てた人差し指を空中でくるん、と回して見せた。瞬間バタン! と大きな音を立てて締め切られていた厨房の窓が開く。背後からも同じ音が響き、だんだんと遠ざかっていく――おそらく屋敷中の窓が厨房から順番に開いていっているのだろう。



(まじないって便利……)



 遠くで響く音を聞きながら、私は長袖ブラウスの裾を肘が見えるぐらいまでたくし上げた。窓を開けたことで多少は異臭もマシになったが、臭いの原因を処理しないことにはどうにもならない。

 すっかり自分が不法侵入していることも忘れて、今日は厨房を綺麗にしようと意気込んだ――そのときだった。



「きゃあ!?」



 遠くでか細い悲鳴が上がった。少女のものだ。

 私は慌てて玄関ホールへと戻る。窓と共にカーテンも全開になったことで幾分明るくなったそこで、私は“彼女”と再会を果たした。



「ルールーさん!」



 薄暗く埃が舞う屋敷の中であっても、彼女――ルールーは光り輝いていた。

 吹き抜けになっている玄関ホールの二階部分からこちらを見下ろしている。背後に窓があるため、私から見ると彼女の姿は逆光に見えて、美しい銀の髪が光に透ける様は芸術品のようだ。



「あ、あんたらダレ!? 勝手に入るな! 悪党!」



 震える大声で矢継ぎ早に非難されてはっと我に返る。彼女からしてみれば、私は不法侵入してきた正体不明の悪党だ。さぞや恐ろしいだろう。

 とにかく少しでも安心してもらおうと、早口で捲し立てた。



「許可もなく屋敷に立ち入ったことは謝ります。私はディネルカからやってきました、チカと申します。昨日お会いしましたよね? 今一人で暮らしているとお聞きして、ルールーさんのことが気がかりで……」


「うるさい! 出てけ! 人間の癖に!」



 ルールーは手あたり次第に何かをこちらに向かって投げてくる。ここからではよく見えないが、二階の廊下部分にはいろんなものが散乱しているようだ。

 彼女は非力なのか、幸い投げられた物が直接こちらに飛んでくることはなく、大きめの物がいくつか階段を転がり落ちてくる程度だが、これでは近づけない。一度出直すべきか、と考えていたとき、足元に大きなクッションが転がり落ちてきた。

 埃まみれだが、細かい刺繍がカバーに施されており、高価なものではないだろうか。思わず拾おうと手を伸ばしたが、私より早く、大きな手がクッションを拾い上げた。――セルジュだ。



「随分と時代遅れなエルフだな。数千年前ならともかく、今時人間もエルフも変わらない」



 彼はクッションの表面をはたきながらルールーに冷たく言い放つ。初めて聞く低音に私は肩を震わせたが、勇ましいルールーは萎縮することなく地団太を踏んだ。



「黙れ! 黙れ!」



 セルジュの言葉が癇に障ったのか、先ほどよりも勢いよく物を投げてくる。しかし非力なせいで一向に当たらないことに苛立ちを募らせていったのか、彼女はどんどん前に出て――

 大きく踏み出した右足が着地地点を見誤ったのか、宙を切った。



「危ない!」



 がくん、とルールーの小さな体が大きく傾く。私は反射的に両腕を広げ、階段の一段目に足をかけた。けれど、間に合わない――

 全ての動きがスローモーションに見える。ルールーの体が階段の角に打ち付けられそうになった瞬間、ふわ、と“浮いた”。そのまま彼女は透明の台車の上に乗っているかのように、すーっと階段を滑り降りてくる。あまりに不自然かつありえない動きに私は目を見開いて、その表情のままセルジュを見上げた。

 ――どう考えてもまじないだ。セルジュが助けてくれたのだ。

 唖然と見上げる私の視線を、彼は苦笑で受け止めた。

 ルールーの体がふわりと私たちのすぐ近くに“降りてくる”。どこも怪我はしていないはずなのに臥せったままの彼女に私は顔を青ざめさせて、その体を抱き起した。



「だ、大丈夫ですか!?」



 不躾に体を下から上まで観察する。目のつく場所に外傷はない。もしかするとセルジュのまじないが一瞬間に合わず、頭でも打ってしまったのでは――

 起き上がれない原因が分からない以上、下手に体を動かすのも良くない気がして、私は必死に呼びかけた。そして何度目か分からない「大丈夫ですか」を口にしようとしたとき、

――ぐ~ぎゅるぎゅる……。

 間抜けな音が玄関ホールに響き渡った。

 一瞬、時が止まる。今の音はどこから聞こえた? それは、そう、すぐ近くから。もしかしたら、たぶん、おそらく、いいや間違いなく、ルールーから。

 あの音は何? 聞き覚えがある。銀の髪の隙間から覗けるルールーの頬が、赤らんでいるような気がする。そう、私もあの音を響かせてしまったとき、恥ずかしさでどうしようもなくなって――



「……厨房を掃除して食事を作るか」



 セルジュが大きなため息と共に呟く。

 先ほどの間抜けな音は、ルールーが盛大に響かせた“腹の虫”だった。



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