13 - 空回り
――学ぶ機会がない町の人々のために、学校を作りたい。
その思い付きを行動に移すべく、私はエヴァ伯爵の許を訪れていた。いきなり学校を建てるなんてことはしないが、それでも新たな試みを行うなら、事前に上司に話を通しておいた方がいいと判断してのことだ。元の世界で学級委員をやっていた頃も、前もって先生に話を通しておけば何かとスムーズに事を運べたのだ。
「町に学校を?」
「はい。町の方々に、年齢や性別関係なく、開かれた学び舎を……と思ったんですが」
エヴァ伯爵は自室で紅茶を飲んでいた。
カップをソーサーに音もたてずに置いた後、彼女はにっこりと微笑む。
「いいじゃない。好きにやってみるといいわ」
「あ、ありがとうございます!」
思っていたよりずっとスムーズに伯爵から許可をもらうことができたので、私はその日の内に準備を始めた。
まずはテキストの用意だ。小学校低学年の頃に使っていたワークを思い出しつつ、それに似せて手作りのテキストを作成する。生憎この町にコピー機はないため至ってシンプルな作り――見開き左に手本の文字を予め書いておき、右に手本を見ながら書き写すスペースを用意した作り――になってしまったが、最初から力を入れすぎるのもよくないだろう。
そうして薄いテキストを十人分用意して、宣伝を兼ねて何日か町を回った後、屋敷の書斎で初回の授業を開いた――のだが。
(文字の読み書き教室と銘打ってみたけれど……思ったより、集まりが悪い)
宣伝不足か、それとも学びの場がそこまで望まれていなかったのか、集まったのは子ども四人だけだった。
(ううん、来てくれた子たちと精一杯向き合わないと!)
四人の中には見知った顔もあった。リコだ。彼女はどうやら友だちを連れてきてくれたようで、目を輝かせる女子二人と、親に言われて嫌々来たのか机に肘をつく男子二人が今日の生徒だった。
彼らに手作りのテキストとペンを配る。
「課題を作ってきたの。お手本を見ながら空欄に真似て書いてみてね」
そうして各々のペースで始めてもらう。
――しかし、皆すぐにペンを投げだしてしまった。
「うまく書けない……」
「それが当然だよ。焦らなくていい」
泣きべそをかく女の子。心が折れてしまったようで、いくら励ましても彼女が再びペンを握ることはなかった。
「つまんない!」
「あきたー」
男の子二人は大声で不満を漏らす。椅子に座っていることすら苦痛なようで、姿勢を崩して床にへたりこんでしまった。
――授業を始めて一時間。女の子は半泣きで、男の子二人はすっかり飽きて窓の外を恨めし気に眺めていて、今もなおワークに取り組んでいるのはリコただ一人だった。
(集中力が持たないんだ……)
どれだけ声をかけても励ましても、集中力が切れてしまった子どもたちの心には響かない。結局これ以上の授業は無理だと判断し、一時間でお開きになった。
帰り際、ペルナさんが焼いてくれたスコーンをお土産に渡し、明日も同じ時間に授業をやるから来て欲しいと声掛けをしたのだが――
「今日はリコだけ?」
「うん……」
翌日、足を運んでくれたのはリコ一人だった。
薄々予想していた結果ではあるが、授業開始時間になって屋敷の扉を開け、庭で待っていてくれたのがリコ一人だけだと分かった瞬間、どうしても心は沈んでしまった。私の落胆を機敏に感じ取ったのか、リコは申し訳なさそうに俯く。
――いけない。人数が減ったことを嘆くより、今日もリコが来てくれたことを喜ばなければ。
私は気持ちを切り替えて、笑顔でリコを招き入れた。そして昨日のように書斎でワークを手渡そうとしたのだが、その際、リコが何か言いたげにもじもじしていることに気が付く。
一体どうしたのかと言葉を促すようにじっと目を見つめれば、彼女は数秒間視線を泳がせた後、決心したのか真正面から見つめ返してきた。そして、
「あのね、チカお姉ちゃん。今日は課題じゃなくて、お母さんにお手紙書きたいの」
思いもよらないお願いだった。
一瞬虚を突かれて固まってしまったが、リコの眉が八の字に下がったのを見てはっと我に返る。遠慮深い彼女からすれば、課題ではなく手紙が書きたいと言い出すことにとてつもない勇気が必要だったはずだ。今日は彼女以外の生徒もいないし、その勇気をはねつける気にはなれなかった。
「なんて書きたいの?」
承諾の意味を込めて問いかければ、リコはぱぁっと表情を明るくさせる。
「今日お誕生日だから、おめでとう、これからも元気でいてねって……」
――かくして、今日の授業はリコのお母様に宛てた誕生日メッセージ作成へと変更になった。
ペルナさんにも協力してもらい、三人で色紙を切り貼りしてメッセージカードから作ることにした。
元の世界で母に送ったカードを思い出して、再現できるように工夫を凝らす。手先の器用なペルナさんと発想が柔軟なリコの力を借りることで、既製品にも劣らない飛び出るメッセージカードの作成に成功した。
その後はリコが書きたい文章を聞き出して、私が手本を書き、それをリコ本人が書き写す。以前薬屋でメッセージを書いたときと同じ手順だ。
「ねぇねぇ、絵を描いてもいいかな?」
「きっと喜ぶよ」
無事にメッセージを書き終えて、余ったスペースに母親の似顔絵を描くリコ。
昼食を挟み、気づけば窓から差し込む光はオレンジ色に染まっていた。
「できたぁー! ありがとう、お姉ちゃん!」
「気を付けて帰ってね」
出来上がったメッセージカードを胸に抱いて、リコは嬉しそうに帰っていった。昨日とは全く違う笑顔に、つくづく課題はつまらなかったのだと痛感する。
リコの背中が見えなくなるまで屋敷の前で見送ってから書斎へと戻る。そしてすっかり散らかしてしまった室内を片付けていると、不意に大きな手が床の上の色紙を拾った。
「今日はリコだけだったのか」
背後を振り仰ぐ。そこには外の夕焼けと同じ色の瞳でこちらを覗き込むセルジュがいた。
なんとも痛いところを突かれたが、彼の言葉は紛れもない事実だ。言い返せる言葉を持たない私は俯いて答える。
「他の子たちは、どうやら初回の授業がつまらなかったみたいで」
「今日のリコはずいぶんと楽しそうだったじゃないか」
昨日今日と姿が見えなかったのだが――授業に関しては私一人でやらせて欲しいと事前に伝えてあった――どこかで様子を見ていたらしい。
確かに今日のリコは楽しそうだった。母親に宛てた文章も泣きごと一つ言わず書き上げたし、一日中作業をしても笑顔で帰っていった。けれど本来やるはずだった課題は一ページも進んでいないのだ。この調子では、この町に学校を作れるのはいつになるのか――。
うまくいかない。もどかしい。誰も悪くないのに焦りばかりが大きくなって、悔しさで胸が詰まった。
「それは……でも……」
「焦らなくていい」
セルジュの声にはっと顔を上げる。夕焼け色の瞳は、優しく細められていた。
「君が昨日、生徒にかけた言葉だ」
思い出す。
確かに昨日、うまく文字が書けずに半べそをかいていた女の子にそう声をかけた。焦らなくていい、と。――あぁ、今の私はあの女の子と同じなのかもしれない。
うまくできず、悔しくて、今にも泣き出しそうで。焦らなくていいと声をかけた私が一番焦っていたのだ。
「何も、学校という形にこだわる必要はないんじゃないか? 授業料をとっているわけでもなし、完全な善意だ」
セルジュの指摘に一気に目の前が開けた気がした。
彼の言う通り、私は学校という形に固執していたのだ。だから自分が過去学校でやったことを辿るようにワークを作り、授業を行おうとした。そんな形にこだわらなくても、読み書きを学ぶ方法はいくらでもあるのに。――そう、今日のリコのように。
脳裏にある光景が浮かんだ。青空の下、大人も子どもも関係なく、彼らは大切な人のために文章を綴っている――そんな光景が。
立ち上がる。そして優しくこちらを見つめるセルジュに、真正面から向き直った。
「あの、手伝ってほしいことがあるんです」




