12 - 私にできること
「できたー!」
メッセージカードに悪戦苦闘すること一時間弱、リコは歓喜の声を上げた。
書き直すこと数十回。用意されていた白紙のカードをほとんど使い切ってしまったが、どうにか彼女自身が納得できる出来のメッセージが完成した。
私は机の上やリコの足元に散乱したカードの残骸をかき集めながら褒めたたえる。
「すごい、よく頑張ったね!」
実際リコの学習能力の高さには目を見張るものがあった。お手本があるにはあるが、全く読み書きができない状態から一時間で「いつもありがとう」という一文を書きあげたのだ。
勉強の場が設けられれば水を吸い込むスポンジのようにたくさんの知識を吸収するだろうに――
町に学校がないことを歯がゆく思いながら、最後の仕上げをするべくペンを手に持つ。そして書き損じたカードの裏に、リコの名前を書いた。
「最後にあなたの名前も書こう」
集めたカードの残骸を裏返して、今度は名前の練習に使わせてもらう。
一文を書きあげたことで自信がついたのか、リコの持つペンの動きに迷いはなかった。何枚か練習をして、納得したのか本番のカードへ手を伸ばす。そしていつもありがとう、と書かれたメッセージの下に、自身の名前を書き添えた。
「リ、コ……ふふ」
完成したメッセージカードを手に取って、リコは嬉しそうに笑う。つられてこちらまで嬉しくなってしまうような笑顔だ。今日の経験が、遠慮がちな彼女に少しでもプラスに働いてくれればいいのだけれど――
「待たせたな――って、なんじゃこりゃ!」
不意に第三者の声が割って入った。声のした方を振り返ると、調合を終えた薬師のゼンザさんが目を丸くして立っていた。
彼が驚くのも無理はない。休憩スペースの一角に、書き損じたメッセージカードが散らばっているのだから。
私は慌ててベンチから立ち上がる。そしてカードよほとんど使ってしまったことを謝ろうと頭を下げて、
「リコ、お母さんに手紙書いたのか! すごいなぁ!」
それより早く、的確に状況を察したらしいゼンザさんが、私の目の前でリコの頭を撫でた。
「リコ、煎じたての薬だ。お母さんのところに持って行ってやりな」
そして小さな包みをリコの手のひらに乗せる。どうやらそれが調合したばかりの粉薬のようだった。
リコは目をキラキラと輝かせてゼンザさんにお礼を言う。そして勢いよくベンチから飛び降りると、店の入口へとかけていった。一秒でも早く母親に渡したいのだろう。
私は小さな背中を見送って、リコに聞かれないように小声でゼンザさんに声をかける。
「すみません。メッセージカード代は全て支払います」
一、二枚程度ならともかく何十枚と使ってしまったのだ。何食わぬ顔で店を後にするなんてことはできるはずもない。
しかし店主は小さく首を振ってから、ニカッと歯を見せて笑った。
「お代は結構ですよ、チカ様。元々メッセージカードはサービスですし」
「でも、こんなに使ってしまって……」
「やめてください。これで代金を受け取ったら、俺が嫌な奴になっちまう」
食い下がったものの、そんな風に言われてはこれ以上強く出ることはできない。しかしこのまま引き下がることもできず、どうにか相手を納得させられるような切り返しができないかと口をもごもごさせていたら、
「今度魔女の屋敷の湖で採れた魚を持ってくる。家族で食べてくれ」
入口の方からセルジュの声が飛んできた。その言葉を聞いて、目の前のゼンザさんの顔がぱぁっと明るくなる。
「おぉ、本当か、セルジュ! そりゃ楽しみだ!」
ゼンザさんがセルジュを見た。私もそれにつられるようにしてセルジュの方へ顔ごと視線を向ける。そうすれば彼は確かに私の方を見て、まるで合図をするようにゆっくりと瞬きした。
――あぁ、フォローしてくれたんだ。
そう理解した瞬間、セルジュはリコに腕を引っ張られたらしく目を逸らした。お礼を言う隙すら与えてくれないスマートなフォローが腹立たしくて、それ以上に嬉しいと感じる自分がいた。
リコたちを追って店を出る。薬を持ったリコは意気揚々と先陣を切って歩き、私とセルジュは彼女の背中を見守りながら、数歩後ろを並び立って歩いていた。
つい先ほどのゼンザさんの様子を思い出す。柔軟な発想が持てないばかりに代金の支払いに固執して、きっと困らせてしまったことだろう。
「どうした」
知らず知らずのうちに俯いてしまっていたらしい、セルジュが顔を覗き込んできた。
「あなたは、人との付き合い方が……上手だと思って」
不意を突かれた問いかけに、ぽろりと弱音のような本音がこぼれてしまう。
あそこでセルジュが助け舟を出してくれなければ、私自身で着地地点を見つけることはできなかっただろう。それが簡単に想像できてしまうことが情けなくて、歯がゆい。
「私は……真面目過ぎるみたいで、よく相手を困らせてしまって」
今回のようなことは、悲しいかな、元いた世界でも時折あった。間違ったことは言っていないはずなのに、頭が固い、真面目過ぎるなどと何度言われたことだろう。面と向かってため息交じりに言われたことも、陰で嘲笑されたことも少なくない。
真面目ということは一概に長所とは言えない。それどころか私にとっては短所として捉えられることの方が多かったような気がする。
「人と人の付き合いに正解はない。ただ今回は、俺の方がいくらか薬師について知っていて、彼が金より魚の方が喜ぶと分かっていただけだ。次からは君も同じような対応ができる」
「そう、でしょうか……」
セルジュが言う通り、薬師ゼンザさんの好物が魚だと知った状態で同じ場面に鉢合わせていたとして、果たして彼のような提案ができたかは怪しいところだ。私がそんな発想を持てる人間なら、元の世界でもあれこれ悩み苦労することはなかっただろう。
きっとセルジュのような人は、どんな立場・どんな環境でもうまくやっていける。それがひどく羨ましかった。
「誠実だな、君は」
突然鼓膜を揺らした誉め言葉に心当たりがなくて、私は首を傾げる。今の問答のどこから私の誠実さを見出したのだろう。
「俺なら相手に多少苦笑いされたところで、何も気にしない。それどころか気づきもしないだろう」
セルジュは落ち込む私をこれ以上なく好意的に解釈してくれたらしい。正直なところ自分の情けなさに落ち込んでいた部分が大きく、彼からの評価が心苦しかった。
誉め言葉を受け取らず、小さく首を振る。
「だだ、自分に自信がないだけです。すぐに人の顔色を窺ってしまう」
「誠実な上に気遣い屋とは、素晴らしいことじゃないか」
どう返しても誉め言葉が浴びせられて、私は困惑した。セルジュはこんな人物だっただろうか――そう考えて、一つの可能性にたどり着いた。
これは、もしかして。
「……慰めてくれてます?」
「思ったことをそのまま言っているだけだ」
セルジュはリコの背中を見つめたまま、端正な横顔にそっと笑みを浮かべていた。こちらを一瞥もしない。しかしその距離がかえって心地よくて、私は気づけば顔を上げ、リコの背中を見つめていた。
――自分の不甲斐なさを嘆き続けるのはもうやめよう。足りていない部分は自覚できているのだから、周りの人たちから学んで、欠点を埋めることを考えよう。きっとセルジュはいい手本になる。彼から吸収できることはたくさんあるはずだ。
どういった理由でセルジュが私の教育係に選ばれたのかは分からないが、最終決定を下したであろうエヴァ伯爵に感謝したいと思った。意地が悪い教育係との出会いは、私の人生の中で、大きな財産になるかもしれない――
不意に前を歩いていたリコが駆けだす。その先には家から通りに出てリコを待っていたのであろう母親の姿があった。
「お母さん!」
「リコ!」
「あのね、薬、これ!」
リコは満面の笑みで薬とメッセージカードを母親に手渡す。母親の目が大きく見開かれて、彼女は震える手で差し出されたものを受け取った。
「まぁ……このメッセージカード、リコが?」
「チカお姉ちゃんに教えてもらったの!」
メッセージに目を通した瞬間、母親の瞳が潤んだ。その変化は遠目に見ても分かるほどで、どれほど彼女が感動したのか手に取るように分かる。
母親は強く娘を抱きしめた。娘も負けじと抱き返す。夕日に照らされた母子の姿は美しく、眩しく、愛に溢れた光景にこちらまで泣きそうになってしまう。
ぽろりと一筋、涙が母親の頬を滑り落ちた。とても美しい涙だった。
「ありがとうございます」
私の目を見て母親は微笑む。
正味、私は何もしていない。薬草の知識はセルジュから教えてもらっただけだし、調合はもちろん薬師任せ、そしてメッセージカードの件だってお手本を書いただけだ。それなのに私の胸は大きな達成感と幸福で満たされていた。
小さく首を振って母親からの視線に応える。そうすれば彼女は目礼をして、娘と二人家の中へと戻っていった。
その際、頬を紅潮させたリコが小さく手を振ってくれる。あぁ、なんてかわいいんだろう。一人っ子だったけれど、年の離れた妹がいたらこんな感じなのだろうか。
母子二人の背中を微笑ましく思いながら見送って、
(領主は町の人々に尽くさなければならない……)
ふと脳裏をよぎったのは、前領主である祖父の“口癖”。
私にはまだ、領主のなんたるかは全く分かっていない。実際この町の領主になるかも分からない見習いだ。――けれど日々を懸命に生きる少女の力になりたいという、ごくごく一般的な感情は持ち合わせていた。
「どうした?」
リコたちが家に入ってもなおその場に立ち尽くす私を不審に思ったのだろう、セルジュが顔を覗き込んでくる。私は彼とは目を合わさずに、リコたちが消えていった素朴な木の扉を見つめながら、心の内から湧いてきた思いをそのまま口にした。
「私、この町に、学校を作りたいです」
この町をよりよいものにしたいなんて大それたことを思っていたわけではない。ただリコとその母親の笑顔を見て、この世界に来たばかりの私にもできることがあるかもしれないと、そう思ったのだ。




