11 - 母への手紙
セルジュとリコと三人、森の入口までやってきた。この町・ディネルカは森を切り開いて作られているから、大通りから一歩逸れればすぐに森へと通じる小径がある。
人があまり踏み入らないおかげか入口付近にすらたくさんの薬草が群生しており、幸い森の奥まで進む必要はなさそうだ。
「風邪によく効くのは――」
リコを抱き上げたセルジュの視線がこちらに向く。どうやら午前中の勉強の復習をさせられているのだと理解し、私は教育係に回答を示した。
「ネノハ草! ……ですよね?」
「大正解だ、領主様」
生徒の答えに満足したらしい教育係は抱き上げていたリコを降ろす。そしてその背後から覆いかぶさるように膝をついて、彼女の体越しに生えている薬草の葉を撫でた。
「ここら一帯は全てネノハ草だな。適量を摘んで帰ろう」
リコがぱぁっと顔を明るくして、乱暴に葉っぱをちぎった。子どもらしい素直な行動に微笑ましさを覚えつつ、私も彼女の隣にしゃがみ込み、無残な姿になってしまった薬草からリコの手をそっと離す。そして「根っこから優しく掘り返そうね」と手本を示せば、賢い彼女は私の動きをトレースするようにして採取した。
「――よし、これぐらいでいいかな」
幼いリコが両腕で抱えられる程度の量を採り終えた頃、そう声をかける。確認のためにセルジュを振り返れば、彼は私の判断を後押しするように小さく頷いてくれた。
リコの手はすっかり泥だらけになっていた。少しでも綺麗にしようとハンカチを取り出すと、それよりも早くセルジュが自身の手のひらからリコの手に水を灌ぐ。何もないところから水が現れた光景にぎょっとしたが、それがすぐに“まじない”によるものだと理解した。
(便利だな……)
まじないによる水で私も手を洗わせてもらいながら、つくづく実感する。
すっかり手を綺麗に洗ったところで、セルジュがリコを抱き上げた。移動の合図だ。
「町の薬師を訪ねれば適切に調合してくれるはずだ」
薬草はそのままでは処方できない。薬師に煎じて粉薬にしてもらう必要があり、幸いこの町には薬師が住んでいるようだった。
セルジュの案内でやってきたのは清潔感溢れる純白の建物だった。質素な家が立ち並ぶ街並みからは浮いているように見えたが、薬という商品を取り扱っている以上、清潔感が大切なのだろうと勝手に推察する。
「いらっしゃい! お、リコ、セルジュ! それにチカ様!」
出迎えてくれた店主は思いのほか若く、元の世界では“あんちゃん”と呼ばれそうな風貌の男性だった。
リコはセルジュに抱きかかえられたままカウンターの上に薬草を並べ、自慢するように胸を張る。
「お母さんのために、薬草採ってきたの!」
「そりゃあすごい! えらいなぁ、リコ」
ガシガシと薬師に頭を撫でられたリコは嬉しそうだった。
撫でられたことであっちこっちはねた髪を整えるリコを降ろしたセルジュは、彼女に窓際のベンチに座っているように言って、さっと懐から小さな袋を取り出す。そしてリコに見えないよう、素早く薬師に握らせた。
「ゼンザさん、これで薬を調合してくれ」
「任せとけ!」
薬師――ゼンザさんも受け取った袋の中身を確かめることもせず、すぐさま懐にしまう。そしてカウンターの上に並べられた薬草を手に取って、店の奥へと引っ込んだ。どうやら渡した場で調合してくれるようだ。
(さっき渡した袋、たぶんお金だ……)
彼らの素早いやり取りを入口付近で眺めていた私は、自分に驚いていた。なぜって今この瞬間まで、お金がかかることを全く想定できていなかったからだ。
調合が有料であることは当然だ。薬師はそれで生計を立てているのだろうから。無料で調合してもらうことはすなわち、薬を無料でもらうようなものだ。ありえない。
今はそう思うのに私はお金を用意しておかなかった。それどころかセルジュに身銭を切らせて――
「何かあったときに使えと魔女から預かっている金だ。君が気にすることじゃない」
突然頭上から降ってきた声にはっとする。いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げれば、夕焼け色の瞳が緩く微笑んでいた。
――今の話は本当なのか、それともセルジュの優しい嘘か。
どちらかは分からなかったが、これ以上話すつもりはないとばかりにセルジュは私に背を向ける。そして窓際のベンチにお行儀よく座るリコの許へ歩き出したので、私も慌てて後を追った。
ベンチの周辺は薬の調合が終わるまでの待合スペースになっているらしい。ベンチと同じぐらいの背の机も用意されており、机の上には本をはじめとした暇つぶしのためのものが置かれていた。
私とセルジュでリコを挟んで座る。どれくらいで薬ができるのかは分からないが、リコが退屈していないだろうかと様子を窺うと、彼女の視線がある一点に固定されていた。
視線の先を辿る。そこには小さな箱の中に積み上げられた、これまた小さなメモがあった。
「……メッセージカード?」
思わず手を伸ばして箱ごと手繰り寄せる。そして一枚手に取ってみれば、予想通り硬い紙で作られたメッセージカードだった。
「ここは花も扱っているからだろうな」
なぜ薬屋にメッセージカードがあるのか、という疑問はセルジュの言葉で解消される。花を贈る相手にメッセージを添えられるようにという店側のサービスなのだろう。
関心していると、小さな手がカードに伸びた。かと思うとリコは大きな目でじっとカードを見つめている。
「どうしたの、リコ?」
「ん……」
聞いてもリコはちらりとこちらを見上げるだけだ。けれど唇がむにゅむにゅと何か言いたげに波打ったのを見て、またカードを決して手放さないのを見てピンときた。
リコはまた我慢しようとしているのだ。私たちに迷惑をかけてはいけない、と。だから優しくて我慢強い彼女の望みをこちらがすくい上げなければ。
「そうだ、お母さんにお手紙書いてみない?」
「う、うん!」
どうやら私の提案はリコの望みに沿ったものだったらしい。彼女は大きな目を輝かせて、意気揚々と机の上のペンを手に取った――のだが。
「うまく書けない……」
十数分後、机の上に散乱したメッセージカードの残骸を前に、リコは大きく肩を落とした。
――彼女は文字の読み書きができない。
セルジュからそう聞いていたから、私が一枚お手本を書いた。いつもありがとう。リコが書きたいと望んだのはその一文だ。
私が書いたお手本を見ながら、リコは初めての文字に悪戦苦闘していた。ペンの持ち方から教えて、一文字一文字練習をして。いざ文章を書き始めると文字と文字のバランスを取ることが難しくて、リコの大きな目には今にも零れそうなほど涙が溜まっている。
「いくら間違えてもいいんだよ。はじめはうまく書けなくて当然だもの」
そっとハンカチを差し出せば、彼女は一度ペンを手放した。そしてくしゃりと顔を歪ませて見上げてくる。
「チカお姉ちゃんも?」
迷わず頷く。
決してリコを励ますためについた嘘ではなく、本当のことだった。
「私、昔から負けず嫌いでね、うまく書けないのが悔しくて悔しくて、お母さんたちに隠れて泣きながら練習してたの。そしたら見つかって、みんなはじめは書けなくて当然なのよって笑われちゃった」
懐かしい思い出だ。両親に教えてもらってもうまく書けなくて、悔しくて、泣きながら何枚も紙を駄目にした。今のリコのように。そんな私を両親は見つけてくれて、ぐしゃぐしゃになった紙ごと抱きしめてくれたのだ。そんなに急がなくていいのよ、と。
不意に涙が滲んで誤魔化すように俯いた。これから先、両親のぬくもりを忘れていくのかもしれないと思うと、恐ろしかった。
気づかれないように頬のあたりを触る振りをして涙を拭う。そして顔を上げると横顔に強い視線を感じた。――セルジュだ。
泣いたのを気づかれたかもしれないと思うとなんだか気恥ずかしくて、彼の方を見ることなく問いかけた。
「……なんですか」
「いや、君らしいなと思って」
「私のことそんなに知らないでしょう」
腑に落ちない言いようにちらりと目線だけでセルジュを見る。どうせ揶揄うような、意地の悪い笑みを浮かべているのだろうと思い込んでいたのだが――予想外にも、彼はとても優しく微笑んでいた。
驚きで毒気が抜かれる。気づけば私は顔ごとセルジュの方を向いていて、彼の夕焼け色の瞳が更に細められる様を、じっと見つめていた。
「君が頑固で意地っ張りで負けず嫌いなのは一日一緒にいれば分かったよ」
言葉だけ見れば揶揄うような台詞なのに、その声が、面映ゆさを覚えるほど優しいものだったから。私は何も言い返せなくて、ただじっと、彼の瞳を見つめていた。
――見つめ合うこと数秒。先に目を逸らしたのはセルジュだ。
「リコ、手に力が入りすぎている。うまく書こうとしなくていい」
いつの間にか再チャレンジしていたリコにセルジュは優しく声をかける。
私は早まっている鼓動に気づかないふりをして、慌ててリコの手元を覗き込んだ。




