奇妙な違和感
ガチャ……
俺が公爵令嬢アリーシャと共にオリンポス最高神ヘラ様が待つVIPルームに入ると、ヘラ様は先程座っていたテラスにある席から部屋のソファーに移動していた
俺は公爵令嬢アリーシャに、今買ってきた食べ物を預けるとソファーに座っているヘラ様の真横に座った
するとすかさずヘラ様の側近、虹の女神イーリスが近くまで走ってきたかと思うと仁王立ちしながら俺に向かって不満の言葉をまくし立ててきた
「ちょっと、ルキ、ヘラ様の隣は私が座るのよ! 早くどきなさいよ!」
俺はイーリスには構わず、ヘラ様にパンフレットを渡しながら近づくと、今しがた公爵令嬢アリーシャと宮廷魔術師リコッチーから聞いた話を、ヘラ様の耳元で囁いた
「なるほどの……」
ヘラ様がそう言った瞬間、イーリスは金切り声を上げた
「ルキー!!!! そんなにヘラ様に近づくんじゃないわよ!!!! だいたい、ルキとヘラ様が、つきあ……えっ? ウッ、オェッー!!!!」
突然、喋っていたイーリスの口からヘラ様の長い王笏が飛び出してきたかと思うと王笏は縦になり、ヘラ様を中心に半径2m辺りのところを光り輝きながら、ものすごいスピードでグルングルンと回り始めた
ビュンビュンビュンビュン……
キーーーーン……
(あっ、耳鳴りがする……)
俺がそう思った次の瞬間、ヘラ様の王笏は跡形もなく消えてしまったのだった
(あれっ……ん? 何かがおかしい……)
「あっ!!!!」
俺が驚いたのは目の前にいるイーリスが両手で口を押さえて目をパチクリさせていたのだが、その動きが妙に遅かったからである、その姿は、まるでスローモーションのようだった
「一体、何が……」
俺が驚いているのに気づいたのか隣に座っているヘラ様が言った
「イーリスは、お喋りじゃからの、口が開かないようにしてやったのじゃ」
ヘラ様はなぜか、その言葉の内容とは似つかわしくないイタズラっぽい微笑みを俺に向けながら言った
たしかにイーリスの口は、上下の唇がくっついているらしかった
だが俺が感じる奇妙な違和感はそれが原因では無い……
俺は辺りを見回した……
「と、止まってる……」
驚きだった……見渡す全てが止まっていたのだ
アリーシャもメイドも、メイドがカップに注いでいる紅茶もそのままの形で全てが止まっていた
「ヘラ様……これは……」
俺の問いには答えず、ふいにヘラ様がソファーの上に置いている俺の手の上に自分の手を重ねてきた
その途端……
「ルキー!!!!!!!!」
突然喜びに満ちた声でそう叫びヘラ様が俺に抱きついてきたのだった
その反動で俺はソファーの上でヘラ様に押し倒される形になった
ヘラ様は俺を熱く見つめてきた
俺はすぐにピンと来た
(なるほど……。)
「ヘラ様……本当に……本当にお美しい……心よりお慕いしています」
俺はそう言ってヘラ様の熱い眼差しよりさらに熱く熱くヘラ様を見つめ返したあと、ヘラ様を抱き寄せ、そっとヘラ様の頬にキスをし、そのまま唇にもキスをした……
「ヘラ様、そういうことですね……」
俺がヘラ様から顔を離し、ソファーに座り直しながら、そう言うとヘラ様は頷きながら言った
「そうじゃ、ルキ……わらわの半径2m以外の時を完全に止めたのじゃ……これで邪魔者はおらぬこの世界でわらわとルキは2人きりじゃ……ただし半径2m以内におったとしても、わらわから離れるごとに、あちらの世界に影響されて動作が鈍くなるがの……ルキ、よいから、もう少しこのままでいようぞ」
そういってヘラ様が再び抱きついてきたので俺はたまらずギュッと強く抱きしめた
俺はヘラ様を抱きしめながらヘラ様から1m50cm離れたあたりにいる動作がゆっくりとなったイーリスを見ながら考えていた
たしかにヘラ様の言う通りだ……アーサー王国に着いて以来2週間、常にヘラ様のそばにはイーリスがいた……もうそれはSPなみの監視体制であった
昨日ヘラ様を連れ出し犬の獣人に絡まれた後も、空を飛んでヘラ様を探していたイーリスに見つかってしまいすぐに王都に連れ戻されたのだ
俺とヘラ様は、2週間ぶりのイチャイチャをしばらくたっぷりと楽しんだ
ただイーリスを見ると、体の動きは遅いが、時間の感覚はリアルタイムらしく、意識がハッキリしているのか、ものすごい視線で、こちらを見ていた……そしてその両まなこは相当怒りに満ちているらしいことは容易に推測できたのであった
「ヘ、ヘラ様……そろそろイーリスを許してやってもいいのでは?」
俺はイーリスの視線に背筋がゾッとなり、ヘラ様にそう言った
「そうじゃな……」
その瞬間、イーリスの唇が開いた
「ルー、キー、よくも、よくも、私の目の前でヘラ様と……」
イーリスの喋りはリアルタイムに聞こえるのだが、動きは相変わらずゆっくりで、こぶしを握った手が徐々に頭の上の方に向かって上がっていく
「こ、こえーよ、イーリス……まあ、そんなに怒らなくてもいいじゃん……だって、そもそもイーリスは俺とヘラ様がつきあうことは許してくれてるんだろ?」
「はあーー? いつ私がルキとヘラ様がつきあうことを許したのよ! 言ったはずよ、ルキだけを恨むってね……ていうか、普段から私がちょっとヘラ様から目を離した隙にコソコソとイチャイチャしてたの知ってるのよ! あっ、思い出した……2週間前、ココアサンドラ号のリビングでヘラ様とイチャついてて私が廊下からリビングに入る寸前に急いでヘラ様と離れた後、舌打ちしたわよね! 私は耳がいいから聞こえたのよ! まかりなりにも女神の端くれなんですからね!」
「えっ! あの舌打ち、聞こえてたのかよ! どんな地獄耳だよ!」
「女神に向かって地獄耳って言うんじゃないわよ! とにかくそれから2週間、私の密かな監視のおかげでヘラ様も平穏無事にお暮らしになられてたのに……まったく……ねぇ、ルキ……昨日はあなたがヘラ様を外へ連れ出したんでしょ? 突然ヘラ様が居なくなって、私がどんなに心配したか分かる?」
「えっ? たしかにヘラ様を連れ出したのは俺だけど……今は反省してヘラ様をイーリスに黙って連れ出したのは悪いと思ってるよ」
「やっぱりそうなのね……私、ルキとヘラ様の交際には断固反対ですからね!」
「婚約してるんだけどな……」
「そんなこと知ってるわよ! 婚約だなんて言って……あなた本当に分かってるの? ゼウス様に知られたら間違いなく殺されるのよ!」
「いつ死刑確定になったんだよ」
「いえ、一般論よ、絶対あなたはオリンポス最高機関、元老院には認められないわ」
俺は沈黙した……
だが俺は神妙な顔をし考えるふりをしながら、イーリスには正直、うんざりしていた
なぜならこの2週間、イーリスの言う通り、たえずヘラ様のそばにはイーリスが居て、ヘラ様と俺がイチャイチャする隙を与えないようにしていたからだ
俺は我慢しすぎて、うずうずしていた……
しかも昨日ようやくイーリスの隙をついてヘラ様を連れ出したものの、すぐに見つかってしまい連れ戻されほとほとイーリスにはうんざりしていたのだった
だから、今ヘラ様とのイチャイチャを目の前で見せつけることが出来て内心俺はほくそ笑んでいた
もちろん表には全くそんなことは微塵も出さなかったが……
しばらくの沈黙のあと俺はイーリスに言った
「俺はヘラ様との愛を貫くよ……」
「はっ? ルキ、今私が言ってたことちゃんと聞いてた?」
イーリスは明らかに呆れた態度をしながら俺に言った
「もうそのくらいにするのじゃ、イーリス」
「し、しかし、ヘラ様……」
イーリスは目で精一杯ヘラ様に訴えかけていたが、それが無駄だと分かると、ひとつゆっくり息を吐き言った
「分かりました、ヘラ様……」
「では、時を戻すことにするかの」
その瞬間、全てが動き出したのだった……




