八月一日 友だち
「玲汰、その自転車かっこいいな」
聡が自分の自転車にまたがったまま、鮮やかな青色の自転車を手で押してきた玲汰に笑いかけた。
「ハスさんから貰ったんだろ?」
「うん」玲汰は得意気に笑って頷いた。
「聡のもかっこいいね」
玲汰は聡の黒い自転車をじっと見やる。太陽のせいかギラギラとして少し暑そうにも見える。
「そうだろ。かっこいいだろ」
聡は鼻を高くして笑う。そのまま上半身を自転車に寄り掛かるようにして前に倒した。
「玲汰も自転車を手に入れたことだし、今日はちょっと遠出しようぜ」
「遠出?」
「ああ。俺たち以外にも、子どもはいるし。ちょっと会ってみない?」
「聡の友達?」
「友達っていうか、ライバルっていうか」
「ライバル?」
「玲汰にはいないのか?」
「いないよ。ライバルって、その子怖いの?」
「ははは。怖くないよ。身長も俺と同じだし。早く追い抜いてやりたいな」
「お待たせしてごめーん!」
聡の言葉を遮るように遠くの方から声が聞こえてきた。春乃だ。春昭と一緒に全速力で自転車を漕いでこちらに向かってくる。
「遅いぞ! 春乃!」
聡はからかいの声で春乃を迎える。
「ごめんって。今朝ヤモリが出てさ、ちょっと色々あって」
春乃は申し訳なさそうな顔をして素直に謝った。
「ヤモリ可愛かった!」
春昭は興奮気味に無邪気に笑う。
「今日は莉久たちに会いに行こうと思ってる」
「えー? 莉久? なんで?」
聡の提案に春乃は口を尖らせた。
「あんたたち集まるとうるさいじゃん」
「そんなことないだろ」
聡は首を傾げた。まったく自覚のない表情に春乃はため息を吐いた。
「栄太郎さん! 咲野さん! 行ってきまーす!」
相変わらずマイペースな春昭。姉の呆れ顔など気にもせずに家の前から玄関に向かって大きな声を出した。
「行ってきまーす!」
二人は家の中にいるため姿は見えない。しかし構わず聡も春昭に続いて挨拶をする。
「もう行くしかないのか。これは」
春乃はもう一度ため息を吐き、玲汰の方を向く。
「玲汰、行こうか」
「うん」
玲汰は自転車にまたがり閉じたままの玄関を見た。
「行ってきます」
一言声に出すと胸にすっと風が通るようだった。玲汰はそのまま思い切って自転車のペダルに体重をかける。
両側に畑が広がる道を四人は自転車で駆け抜けた。本日も晴天。見事な青空が頭上を覆う。爽やかな風を切りながら、緩やかに揺れている黄色の花畑や、きらきらと光る小川のそばも駆けて行った。一面に広がる雄大な緑が玲汰にはまだ新鮮だった。
前を走る聡と春乃、春昭の背中が、玲汰をまだ見ぬ世界へと導いてくれるようだった。玲汰は力強くペダルをこぎ続ける。次第に軽やかになっていく身体に、思わず笑みがこぼれる。今日はこれから、何に出会えるのだろう。白紙の向こうが楽しみで仕方なかった。
三十分ほど自転車を漕いだところで先頭の聡がブレーキをかけた。
「よし」
軽く呟き、そのまま自転車を押して歩き始めた。春乃と春昭も同じように続いた。玲汰もそれを真似しながら石畳の小道へと入って行く。片側には竹が生い茂っている。そよそよとそよぐ葉。竹藪は立ち入り禁止のようで道には低いロープが張られていた。
竹藪の反対側には石壁がある。壁の向こうは誰かの家が立ち並ぶ。五十メートルほど歩いたところでようやく皆がどこを目指しているのかが分かった。その先に小さな寺が見えてきたからだ。寺の広場には大木がそびえ立っており、その下に誰かがいるのが分かる。
「莉久ー!」
その誰かさんに向かって聡が声をかけた。
「なんだ、聡か」
莉久と呼ばれた少年は立ち上がり、半ズボンのポケットに手を入れた。聡よりも少し髪の長い莉久は、日に焼けにくい聡とは違って日焼けた肌をしていた。髪の毛も薄茶色に染まっている。身長は聡と同じくらいだったが、どちらかと言われれば莉久の方が若干大人びた顔をしていた。
「どうしたんだよ」
莉久は聡に近づくなり後ろにいる玲汰のことにもすぐに気付いた。
「あ、こいつ」
莉久にじっと見つめられ、玲汰は少しだけ心臓が小さくなる。何か言われるだろうか。不安になったのだ。
「そ。こいつが玲汰!よろしくな。今日はお前たちに紹介しに来たんだ」
聡は明るくそう言いながら玲汰の肩を叩いた。
「俺たちの新しい仲間!」
玲汰は聡の笑顔をそっと見上げる。聡は玲汰の眼差しには気付かずに嬉しそうに笑ったままだ。
「ほら、お前も!」
「俺、莉久。それと……」
莉久は寺の方をそっと見やる。
「恭平!」
寺に向かって莉久が呼びかけると、しばらくしてどたどたという足音が聞こえてきた。
「なんだよ莉久。俺いま食べてるんだよ!」
足音とともに現れたのは、ぽっちゃりとした体形の大柄な少年だった。
「どんだけ時間かけて食べてるんだよ。俺、待ってるんだからな」
不満そうな声を出しながら外に出て来た恭平に負けじと莉久は恨めしそうな顔をする。
「ごめんって。で、何?」
恭平は短い天然パーマの髪の毛を掻きむしりながら首を傾げた。春昭といい勝負ができそうなくるくるとした癖のある髪の毛だった。
「こいつ、玲汰だって」
莉久がぶっきらぼうに玲汰を示すと、恭平の視線は玲汰に向かう。
「おー、お前が!」
恭平は玲汰の顔を食い入るように見つめながら近付いてきた。
「小さいなー。ちゃんと食べてるかぁ?」
恭平に覗き込まれるように見られた玲汰は、困ったように口角を下げた。
「お前は食べすぎ」
莉久の呟きが耳に入り、恭平は恥ずかしそうに笑う。よく見れば優しそうな顔をしていた。
「よろしくなー。俺、恭平。この寺の息子」
「よろしく……」
玲汰は緊張した笑顔を見せる。怖くない人だということは分かった。けれど二人は聡たちにとってどういう友だちなのだろうか。玲汰はぐるぐると考える。
「玲汰」春乃がこっそり耳打ちをする。
「莉久と恭平と聡は、なんかいつも張り合ってるんだよね。だから面倒なことは無視していいよ」
「そうなの?」
玲汰が目を丸くすると春乃は頷いた。
「今日もまた面倒なこと言い出すよきっと」
「面倒なことって?」
玲汰が質問を投げかけた時、タイミングよく莉久がしかけてきた。
「聡、ちょうどいい」
「なんだ?」
「この前の相撲では負けたが、今度は絶対に負けないやつを捕まえた」
「はぁ? 俺のトリケラが負けるわけないだろ?」
「いーや、トリケラの時代も終わりだな」
莉久は憎たらしい笑顔を浮かべる。聡はそんな莉久が気に入らないようで、眉を斜めに上げながら詰め寄る。
「何言ってるんだ莉久。そんなこと言って、また負けても知らないぞ」
「負けないから心配いらないし」
喧々とした二人の会話。玲汰だけがぽかんとした顔で聞いていた。春乃は呆れた顔をして、春昭は恭平の腕にぶら下がって遊んでいるだけだ。
「え? 相撲やってるの?」
「虫相撲だよ。クワガタとかカブトムシを戦わせるの」
「虫相撲?」
玲汰の単純な疑問に答えた春乃はゆっくり頷くと、くだらないよね、と一蹴する。
「あの二人、夏はよく虫相撲してて、勝敗は五分五分。ただ聡のカブトムシ……トリケラって呼んでるんだけど、それが強くて、そいつには莉久は勝ててないかな」
春乃は玲汰に現在の戦況を説明してくれた。
「なんか強いの見つけたみたいだけどね」
「虫相撲かぁ」
「ん? 玲汰もやりたい?」
「いや、ぼくは……」
玲汰が慌てて誤魔化そうとしていると、その場の空気をかき消すように聡が大きな声を出す。
「そしたら明日! 対決だ!」
一同は彼の声につられて一斉にそちらを見る。
「いいぜ。じゃあいつもの裏山でな」
莉久は腕を組んでニヤリと笑った。
「じゃあ明日な! 絶対に来いよ」
「当たり前だ」
二人はバチバチと火花を燃やすような視線を交わし握手した。玲汰は静かなる互いの闘志に息を呑む。
見たことはないけれど、虫相撲とはそんなに白熱するものなのだろうか。またしても好奇心が胸を通り過ぎていく。