表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/38

八月二十九日 パチパチ


 玲汰は咲野とバスで買い物に出かけていた。いつもとは違い、咲野は服飾売り場や生活雑貨などには目もくれず、売り場に設けられた季節の特別コーナーを入念に見ていた。

 玲汰は咲野が何か楽しそうに商品を選んでいる姿に首を傾げる。何を見ているのだろう、と一緒に目をやった。視線の先には数々のおもちゃ花火が並べられている。こんなに花火の種類があったことを玲汰は知らなかった。


「咲野さん」


 玲汰が咲野を見上げると、咲野は優しく微笑みを向ける。


「今日はみなさんで花火をしましょうね」


 咲野はたくさんの花火を買い物かごに入れた。


「そんなに?」


 そこまでたくさん使うものなのだろうか。玲汰は心配そうな顔をする。彼の心を察したのか、咲野はまた玲汰に微笑みかけた。


「大丈夫ですよ。あっという間に使ってしまいますから」


 玲汰は半信半疑で咲野のその笑顔を見つめる。まだ疑わしい。けれど咲野がそう言うのなら、きっとそうなのだ。



 日が暮れて辺りが暗くなってきた頃、車が止まる音と同時に家の前が騒がしくなっていく。


「聡たちだ!」


 玲汰はバケツの準備をしている手を止め、家の外まで駆けて行った。ちょうど車を降りてきた聡たちが見える。


「聡!」


 玲汰の嬉しそうな呼びかけに聡は笑顔で振り返った。


「玲汰!」


 その返事が玲汰のわくわくする心を刺激する。


「春乃ちゃんと春昭くんも」

「えへへ、花火楽しみだねー」


 二人の無邪気な表情も胸を弾ませてくれた。


「玲汰、準備中か?」


 車を運転してきたハスさんが玲汰の頭を撫でる。


「うん!」


 ついこの間会ったハスさんがとても懐かしく感じる。玲汰は嬉しそうにハスさんを見上げた。大きな手に包まれた頭が心地良い。


「今日はみんなの送迎ありがとうございます」


 いつの間にか外に出てきていた栄太郎が、水が入ったバケツを手に小さくお辞儀した。


「いえいえ、俺も花火したいんで」

「ふふふ、ありがたいことです」


 ハスさんの笑顔に栄太郎は頬を緩ませる。


「俺、ホースとってくる!」


 聡は栄太郎にそう宣言して庭まで駆けだす。足の速い聡。栄太郎のお礼を聞く間もなく姿を消してしまった。そしてすぐにホースを手に戻ってくる。


「咲野さんが蛇口に繋いでくれました」


 道の端っこにそっとホースを置いた瞬間、ちょうど咲野が家から出てきた。彼女の手には、今日買いこんだたくさんの花火が入った袋がある。


「そろそろはじめましょうね」


 咲野の穏やかな合図に子どもたちは両手を上げて歓喜する。玲汰はみんなが盛り上がる様子を少し後ろでそっと見ていた。


「玲汰」そこにハスさんが声をかける。

「まだ今日は終わってないぞ」

 和やかな声と表情に、玲汰は精一杯の笑顔で頷いた。



 「あ! また負けちゃったー」


 春乃が悔しそうに唇を歪ませる。


「やったね」


 反対に春昭は得意げな声を出して笑う。


「ふふふふ。花火は競争するものではないですよ」


 咲野の優しい慰めの言葉に、春乃は気を取り直して違う花火を手に取った。二人はどちらが長く線香花火を続けられるか競っていたようだ。春昭は引きがいいのか、今のところ連勝だった。


「なぁハスさん、まだかよ?」

「待て、待てって」


 聡に催促されたハスさんは、にやにや笑いながら噴出花火に火をつける。すると導火線を辿った先にある、道に置いた筒の中から派手な音を立てて火の粉が噴き出してきた。近くにいた聡の顔がその明るさに照らされ、興奮気味に花火を見つめる表情が露になる。


「すっげぇ! ハスさんもう一回!」

「連続は勿体なくないか?」


 待ちきれない様子の聡にハスさんは参ったように笑い出す。


「それー!」

「春昭くん、お上手ですよ」


 手持ち花火を魔法の杖に見立てて振り回す春昭は、楽しそうに円を描いて栄太郎に見せる。栄太郎に褒められ、春昭は何度もそれを繰り返した。

 玲汰は手持ち噴出花火に挑戦しようとしていた。咲野と春乃が見守る中、緊張気味に花火を構える。少しでも手がぶれたら花火がどこかへ行ってしまいそうだ。玲汰は花火を振り回している春昭の様子をちらりと見て思わず羨ましくなる。


「花火って、こんなに種類があるんですね」


 無事に火が消えた玲汰は燃え殻をバケツに入れ、ほっとしたように肩の力を抜く。


「そうだよ。大きな打ち上げ花火もいいけど、自分たちで好きなやつをするのもいいよね」

「そうですね。近くで花火を見ると、とても綺麗ですものね」

「春乃ちゃんはどの花火が好きなの?」

「私はやっぱり線香花火かな」


 春乃は春昭に負けたことを思い出したのか、そう言った後で一瞬眉をひそめた。


「派手な仕掛けはないし、地味なんだけど、小さくてかわいいし」

「線香花火は、静かにできるところもいいですね」

「うん! 静かな夏の夜も大好き。虫の声を聞きながら一緒にやるんだ!」


 春乃は咲野の腕にぴょんっと飛びついた。


「春乃ちゃんは知っていますか? 線香花火のお名前を」


 咲野が春乃を見ると、彼女は首を横に振る。


「ううん。知らない! 玲汰知ってる?」

「ぼくも聞いたことない」

「ねぇ咲野さん、教えて!」


 春乃が目を輝かせる。咲野は線香花火を手に取った。先端に火をそっとつければ、線香花火は静かに辺りをぼうっと照らし始めた。


「まずは蕾です。これは、花の蕾ですね。こちらは、あまり注目されることはないのですが。ほら、すぐに次の形に」


 咲野の持つ線香花火が小さく膨らみ丸い火の玉になる。


「牡丹の花のようなので、こちらは牡丹です。ここから、はじまるのですね」


 火の玉は次第にバチバチと勢いよく音を立てて火花を散らし始めた。


「松葉。元気よく、もっとも華やかに見せてくれます」


 しばらくすると音は小さくなり、火花は柳の木のように枝垂れ、角が取れたようにやわらかくなっていく。


「柳です。火花が落ち着いて、少しずつ小さくなっていきます」


 細い火花が、ちりちりと音を立てて線状に小さく静かに舞った。


「散り菊です。もうすぐ、消えてしまいますね」


 そして、ジュッと音を立てて火の玉は落ちていった。


「線香花火は、こうやって人生にも例えられているのですよ。線香花火も、途中で消えてしまったり、うまく形が変わらないこともあります。私たちと同じで、色々な線香花火の姿があるのですね。こうやって、最後まで、火の玉が落ちてしまうまで全うできるのは、本当に幸せなことなのですよ」


 咲野は優しく二人に語りかけ、燃え尽きた線香花火を慈しみに満ちた眼差しで見やる。


「綺麗な花を咲かして、いつだって私たちを慰めてくれるものです」


 春乃は興味深そうな顔をして咲野の持っている線香花火を食い入るように見つめる。顔を上げ、穏やかな咲野の目元を見るなり彼女の瞳が潤む。

 一方の玲汰は新しい線香花火を手に取った。線香花火もそれぞれの道を辿っているのだ。玲汰はまだ何の形でもない線香花火を顔に近づける。

 なんて繊細なのだろうか。玲汰が黙って見つめていると、咲野が火を用意してくれた。


「私もやる!」


 春乃も一本手に取り、咲野は二人の線香花火に着火する。灯りを同時に照らし始めた二本の線香花火は、それぞれのペースで形を現し始めた。

 二人の背後からは、聡が春昭に仕掛けられたねずみ花火から逃げている声が聞こえてくる。いつの間にか、火薬の匂いと賑やかな声に誘われた澄郎が栄太郎たちに混ざって一緒に花火を楽しんでいた。


 ざわざわとした背景に包まれながら、玲汰はじっと線香花火から視線を離さない。静かに火花を散らすその姿が懸命で、玲汰は釘付けになって集中する。

 こんなにも綺麗なのだ。一秒たりとも見逃したくはない。

 打ち上げ花火や仕掛け花火の華やかさには確かに負けてしまう。しかしこの暗闇の中、ただ使命を全うする姿には目を惹かれ魅せられる。

 寂しさを誘う夏の夜に移りゆく姿は勇気を照らしてくれるようだった。

 どんなに小さくても脆くても、この花は確かにそこにいた。

 玲汰はぼうっと道を照らす光を見つめる。やがて光は地面に落ち、足元にはまた暗闇が戻った。

 けれど不思議と心は満ち足りていく。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ