八月二十六日 たいそう
隣から寝息が聞こえてくる。目が覚めた玲汰は顔を横に向けた。視線の先では、聡が腕を広げて寝ている。
キャンプをしていたことを思い出し、玲汰はゆっくりと起き上がった。いつの間にかランプは消えていてすっかり外は明るくなっている。今日はいつもよりひんやりとした朝だった。
春乃と春昭はどこへ行ったのだろう。
すでに抜け殻となった二人の寝ていた跡をじっと見た玲汰は、まだ目覚め切っていない頭を振った。寝ている聡を起こさないようにそーっと立ち上がり、玲汰はのそのそと外に出て靴を履く。
急に肉眼で見た太陽が眩しくて思わず目を閉じる。
「あ、玲汰おはよう」
春乃の声がして目を開けると、ラジカセを手にした澄郎と春昭が爽やかに笑って手を振っていた。
「なにしてるの?」
玲汰は三人のもとに駆け寄り、物珍しそうにラジカセを見やる。栄太郎が使っている物とはまた違った形のものだ。
「ラジオ体操するよ」
「玲汰もやるか?」
澄郎の問いかけに玲汰は静かに頷いた。
「いつも栄太郎さんがしています。ぼくも参加できるときは一緒にやっていますが、澄郎さんもやっているんですか?」
「いいや、俺は普段はやってないけど、みんながいるからやろうかなって」
澄郎が楽しそうに笑う。
「夏と言えばラジオ体操だろ」
「そうなの?」
「ラジオ体操のスタンプ、貰ったことない?」
春乃が腕を伸ばしながら言った。ストレッチをしているようだ。
「ない」
「えー。もったいないね」
つまらなそうに口を尖らせた春乃は、すぐにはにかむ。
「でも、私もサボってばっかり!」
「人のこと言えないよ」
春昭が春乃を見てやれやれ、と首を振った。
「じゃあ今日は、参加者全員に特別なスタンプをあげよう」
ラジカセをセットした澄郎が仁王立ちで腕を組み、子どもたちを見下ろす。
「特別な⁉ なになに?」
「俺が木彫りで作った特別なやつだよ」
「えっ⁉ すごい!」
きらきらと目を輝かせる三人の様子を見て、澄郎は得意げに歯を見せて笑う。
「今日のラジオ体操は手を抜くなよ? ちゃんとやらないとあげないからな?」
いたずらに笑う澄郎に向かって三人は一斉に敬礼し、姿勢を正す。
「了解であります!」
◇
ラジオ体操を終えた頃、ようやく聡が外に出てきた。
「聡、おはよう」
「おはよう、澄郎さん」
聡はとろんとした目で澄郎を見た。
「まだ寝てるのか?」
「起きてるってば」
そう言いながらも聡は未だに開かない目をこする。
「朝飯食べるか?」
「食べる……。みんなは?」
「もう準備してるよ」
澄郎に促され、聡は玲汰たちのいるテントの裏側へと向かう。
「やっと起きた」
春乃が朝食のパンを食べながらからかう。手元にある厚切りの食パンにはトロトロの目玉焼きが乗っていた。春乃の顔よりも大きいそのパンを見た聡は目を輝かせる。
「うまそう」
「聡の分もあるよ」
玲汰は自分の隣の空いているところを指差す。聡はそこに座り、自分の朝ごはんを口にした。
「うめー」
聡の声は、まだ半分寝ているようだった。いつも元気に動き回っている聡とは対照的なのんびりした姿に玲汰は思わず笑みが浮かぶ。
「聡、全然起きないからもうラジオ体操しちゃったよ」
「ふぅん」
「今日は参加したらこれが貰えたのに」
春昭は自分の首に下げた小さな紙のメダルをいそいそと聡に見せつける。
「ん?」聡は薄い目を向けた。
「ええっ⁉」
そして急に大きな声を出して立ち上がる。危うくパンが手から落ちるところだった。
「なんだよそれ⁉ すげーかっこいい!」
聡は春昭のメダルをよく見るために再び座る。
「澄郎さんが作ったんだって。龍のハンコ」
春乃がメダルを手に取って釘付けになっている聡へ補足した。
「私は、こんなかわいい妖怪のスタンプ!」
春乃が自慢げに自分のメダルを見せる。
「玲汰も貰ったのか…手元に?」
「うん」
恐る恐る自分を見る聡に、玲汰は首に下げているメダルを見せた。
「ぼくはひまわりだよ」
「えー⁉ みんな貰ってるのかよ……」
聡は玲汰のメダルを見るなり羨ましそうに頭を抱えこむ。
「寝坊するからだよ」春乃がくすくす笑う。
「そんなかっけーのが貰えるなら、起きたのに!」
聡は勢いのある声を出し、小さなため息を混ぜる。玲汰は再びメダルをじっくり観察した。細部まで精巧に掘られた澄郎の木のハンコは、まるで手で描いたように緻密な模様だった。仕事の合間に暇つぶしで作っているとのことだが、もはや趣味の範疇を越えているような印象を受ける。
また宝物が増えてしまった。
嬉しくなって思わず玲汰の頬が緩んでいく。
◇
家に帰る時間まで、玲汰たちはキャンプ地で遊ぶことにした。聡たちのことは澄郎が家まで送ってくれるらしい。聡たちはそれを聞き、嬉しそうに澄郎に抱きついた。
澄郎が仕事をしている間、四人はテントをベースキャンプと見立てて探検隊ごっこをした。前に裏山を探検した時のように、この場所で新たな発掘をするつもりだ。
「何か見つけたら、報告するように!」
玲汰は引き続きキャプテンとしてみんなを率いる。各々、広場を好きなように動き回った。山とは違って平坦でひらけた場所なため大きな発見は望めない。それでも、普段は来ないこの場所に一同は胸をときめかせた。
周辺をきょろきょろと見回し、玲汰は一番大きな木に近づく。自分よりもはるかに背の高いその木は幹も太く、樹齢は相当の年数に及ぶ。風が吹くと緑の傘がさらさらと揺れる。
玲汰はそっと木に触れた。思ったよりもごつごつとしている肌は、不思議と玲汰の柔らかい肌を包み込むようだった。
「玲汰」
気が付くと隣に聡がいた。
「キャンプ、まだ終わってないけどさ、楽しかったな」
「うん。昨日の星も、すごく綺麗だった」
「だな。外で寝ると体痛くなるけど、たまにはこういうのいいよな。今年は、玲汰がいたからもっと楽しかったよ」
聡が少し照れくさそうに目を逸らして言う。
「みんな、玲汰のこと待ってるから」
「え?」
玲汰は聡の横顔をじっと見た。もじもじとした様子の聡は玲汰の視線に気づき、ハッと気を取り直したように笑う。
「だから! いつでも遊びに来いよ!」
「……うん」
眩しいその笑顔に魅せられるようだった。初めて会ったときと同じ、太陽のような笑顔。
「うん!」
玲汰はもう一度頷いた。聡は玲汰の顔を見るとホッとしたように眉を下げる。
まるで、陽だまりのようだ。
「ねぇキャプテン!」
そこへ春昭が大きな声を出して駆けよってきた。
「どうしたの?」
「ぼく、みつけた!」
興奮している春昭の姿に玲汰と聡は顔を見合わせる。
「こっちだよ!」
春昭に手を引かれるままに、玲汰たちは春乃がしゃがみ込んでいる叢まで向かった。
「来た来た」
春乃は嬉しそうにほくそ笑み、その場に立ち上がる。
「見て!」
その場所を春昭の小さな人差し指が示した。覗き込むと、そこには無数の雑草が生えている。
「あ!」
一つだけ、周りと違う葉っぱがあった。春昭が指差しているそれは、まるで間違い探しのよう。それでも確かにそれは春昭が探しているものだった。
「四つ葉のクローバー!」
玲汰は思わず大きな声で叫ぶ。
「おお! ついに見つけたのか!」
聡も自分のことのように歓喜する。
「こんなところにあったんだな」
「そうなの!」
春昭はしゃがみこんでクローバーを大事そうに両手で包み込む。
「こんなに近くにあったみたい」
「近すぎてわからなかったね」
春乃が優しく微笑む。
「探していたものって、案外近くにあるものだね」
「ほんとうだね。しあわせのもとは、ここに咲いてたんだ」
春昭はにっこりと笑った。
「ねぇ、玲汰」
そして玲汰を見上げ、クローバーを優しく抜いた。
「これ、玲汰のね」
「え? でも、……だって、いいの?」
玲汰は困惑して首を振る。
「ずっと探してたんでしょ? 春昭くん」
「うん。でも、これは、キャプテンにあげる」
「どうして?」
「キャプテン・クローバーにこそふさわしいから」
春昭は四つ葉のクローバーを差し出して嬉しそうに笑った。
「ぼくは、見つけることができてもう十分!」
「でも……」
「玲汰、お前にふさわしいクローバーだ、受け取ってやれよ」
「そうそう」
聡と春乃も優しく肩を叩く。異論はないようだ。
「…………ありがとう」
玲汰は差し出された四つ葉のクローバーをそっと受け取る。
しあわせのお守り。
手にしたクローバーを見た玲汰の目が静かに輝いた。可愛らしい葉は、まるで春昭のように純真で無垢だった。玲汰はクローバーをぎゅっと手のひらで包み込み、再びみんなの顔を見る。
「さぁ、冒険を続けよう!」
新たな発見はかならずある。玲汰の表情は誇らしげだった。それもそのはず。だって、幸運の鍵があるのだから。