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七月二十七日 はたけ


 「栄太郎さん」


 庭で朝のラジオ体操を終えた栄太郎のもとへ玲汰は慌てた様子でサンダルを履いて駆け寄る。


「おはよう、玲汰くん」

「あの、ぼく、寝坊しちゃって……」

「いいんですよ、玲汰くん。起きれた時は、一緒にやりましょう」


 栄太郎はもじもじとして俯く玲汰の頭をポンポンと優しく叩いた。


「はい。……あの、栄太郎さん」

「ん? なんですか?」

「ぼく、畑に行ってみたいです」

「畑にですか?」


 玲汰はこくりと頷いた。頬がほんのりとピンク色に染まる。


「ふふ。そうですか。そうしたら、この後畑に行きましょうね。家の裏にあるんですよ」


 栄太郎はにっこり笑うと、縁側に向かって歩き出す。サンダルを脱ぎ、縁側に腰を掛け置いてあったタオルで顔を拭く。


「少し休憩したら行きますかね」


 玲汰は栄太郎の隣に座り込み、じっと栄太郎を見つめる。微かに肩が動いていた。


「大丈夫ですよ。今日も暑くなりそうですね」


 玲汰の目線に気づいた栄太郎は、そう言って笑うとペットボトルの水を飲んだ。玲汰はこくりと頷き庭を見回す。雑草が綺麗に整えられた庭の端には小さな花がいくつか咲いていた。草の緑や低木、一本だけ佇む大きな木の葉で視界はとても涼しい。見上げれば広がる綺麗な青空と真っ白な雲は、近いようで高い。思わず手を伸ばしたくなった。

 少し休憩した後、玲汰と栄太郎は家の裏にある畑に出た。意外と広い畑には既に何かが実っているようだった。玲汰はしゃがみこんで葉の隙間を見る。


「わぁ!」


 思わず感嘆の声が漏れた。そこには玲汰の顔ほどの大きさがある綺麗な紫色の茄子が収穫を待ちわびるかのように実っていた。


「玲汰くんは茄子は好きですか?」


 無意識のうちに目をキラキラとさせている玲汰に栄太郎は声をかけた。


「はい。好きです」


 玲汰は麦わら帽子を被ってタオルを首から下げた栄太郎を見上げ大きく頷く。


「玲汰くんは野菜もちゃんと食べられるんですね。偉いね」


 栄太郎は玲汰の隣に並んで優しく微笑んだ。


「これはもう収穫してしまうから、今日は茄子を食べましょうね」


 栄太郎の言葉に玲汰はまた目を輝かせる。


「玲汰くんも一緒に収穫してくれますか?」

「はい……!」


 初めて見る玲汰の無自覚な表情の輝きに目尻を下げ、栄太郎は玲汰に茄子の収穫の仕方をレクチャーしはじめる。


「こうやって、はさみで切るんだよ」


 一つの茄子を優しく手で支えた栄太郎はヘタの上からはさみで切り取った。切り取られた茄子を玲汰に渡せば、玲汰は興味深そうにその茄子をじっと見やる。


「綺麗ですね」


 茄子の外皮の艶を玲汰はそっと撫でた。


「玲汰くんもやってみましょうか」


 栄太郎がはさみを玲汰に渡すと、玲汰はごくりとつばを飲み込み、ぐっとはさみを握りしめる。目の前にある色鮮やかな茄子を手に取り、玲汰は慎重にはさみを閉じた。すると、見事に取れた茄子が玲汰の手のひらに落ちてきた。


「上手ですよ」


 栄太郎にそう言われ、玲汰は仄かに嬉しそうに笑う。


「さぁ、続けましょうか」


 玲汰と栄太郎は、その後も黙々と茄子を収穫した。照り付ける眩しい日差しにも負けず、玲汰は夢中になって茄子を収穫し続けた。途中、栄太郎はキュウリの収穫に向かったため玲汰の傍を離れた。玲汰は茄子の収穫を続けたが、その中に一つ、これまでの茄子とは違う様子の物を見つけた。

 少しぼてっとした形をしていて、外皮の艶もなく色も褪せている茄子だ。玲汰はそれを他の茄子と同じように収穫し栄太郎のもとへ向かった。


「栄太郎さん」

「どうしましたか? 玲汰くん」


 栄太郎は元気がない様子の玲汰に気付き、作業の手を止めて玲汰に真っ直ぐ向き合う。


「これ……」


 先ほど収穫した茄子を栄太郎に見せ、玲汰の顔はしょんぼりとする。


「あぁ、これは」


 栄太郎は玲汰からその茄子を受け取り、ふふ、と笑う。


「これはボケなすと言って、日光とか水分、肥料が足りなかったものです。私の整備不足で、こうなっちゃうんです」


 栄太郎はそう言うと、恥ずかしそうに頬を崩す。


「ボケなす……」玲汰はぽかんとする。

「野菜に限りませんが、何かを育てると言うのは、労力をかけなくてはいけないものなんです。こちらが頑張ってしっかりと目を配らせないと、野菜だって応えてはくれません」


 栄太郎はゆったりとした口調で言った。ボケなすを見るその表情は、愛情に溢れて見える。


「それは、大変じゃないんですか?」

「大変じゃあないよ。疲れてしまうこともあるけど、私が始めたことだからね。咲野さんも喜んでくれるし。それに、こんなに美味しい野菜が食べられるんだ。感謝しないといけないよ」


 玲汰の問いかけに、栄太郎は微笑んだ。


「これは、もう食べられないんですか?」


 ボケなすを悲しそうに見る玲汰。栄太郎は近くに実っていたキュウリを一つ切り取って見せた。


「食べられますよ。少し手を加えなければいけないけれど、皮を取ってしまえばいい。このキュウリも同じです。形は他の物とは違うけれど、捨ててしまう必要なんてない。その野菜にあった料理をすれば、なんてことはない。せっかく育てた野菜ですからね。ここまで育ってくれた野菜を、しっかりと無駄なく食べることで恩を返さないと、私はそう思っているのですよ」


 栄太郎が手にとったキュウリは大きく曲がっていていびつな形をしている。とてもじゃないが店では売れない。それでも栄太郎は嬉しそうにそのキュウリを見つめる。


「そうだ、玲汰くん」


 そんな栄太郎を不思議そうに見る玲汰に、彼は水で冷やした収穫したてのキュウリを一本渡す。


「暑いでしょう。これで少しは涼しくなりますかな?」


 玲汰はまっすぐに伸びたキュウリを受け取り、恐る恐る一口食べてみた。

 ひんやりとしたそのキュウリは、歯で砕くとみずみずしい音を立てた。シャキシャキしていて、少し甘みを感じる。噛むほどに出てくる水分は、何よりも玲汰の熱くなっていた身体にスッキリとした刺激を与える。


「おいしいです‼」


 玲汰がまた目を輝かせたので、栄太郎の顔もつられて明るくなった。


「ふふふ。それは良かった。大事に育てた甲斐がありました」


 栄太郎は美味しそうにキュウリを頬張る玲汰を見て、誇らしげに笑った。



 茄子とキュウリの収穫が終わると、既に時刻はお昼を過ぎていた。遅い昼ごはんを食べようと食卓へ向かった二人は、そこに用意された氷の入った冷たいそうめんに思わず顔を見合わせる。


「お二人とも、疲れたでしょう」


 咲野が戻ってきた二人を見て冷たい麦茶を出す。


「ありがとう咲野さん」

「ありがとうございます」

「あら、今年も一杯採れましたね」


 咲野は二人が収穫してきた野菜を見て穏やかに微笑んだ。


「今晩はごちそうですね」


 咲野の言葉に玲汰は少しだけ心が弾むのを感じた。

 初めて収穫した野菜。玲汰が育てたわけではないが、栄太郎が丹精込めて栽培した野菜たち。出来不出来を分け隔てなく嬉しそうに見つめる栄太郎と咲野につられて、玲汰も収穫した野菜をじっと見た。


 きっと、美味しいに違いないだろう。

 この二人に愛情強く育てられ、料理されるこの野菜たちに、不思議と玲汰は根拠はないがそんな確信を持っていた。

 夕飯がこんなにも待ち遠しいのは、いつ以来だろう。小さな唇から柔い息がこぼれた。


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