10+6 監視
九年前
肌でぴりぴりと痛いものを感じながらも、リクガメの頭の中は期待と興奮と知識欲に満ち足りていた。
「……このこれにここをこうしてぐっとやるべ? したらこれとこれが連動するとこまではわかるか」
「うん」
オサガメに指導を受けていた。しかも一対一で。心踊らないはずがない。
どこからの受注案件でもない、オサガメが自ら開発しようとしている新しい移動手段の開発だ。ネズミの乗り物から発想を得たらしい。リクガメはネズミなど見たことも無いけれども。
「お前やってみろや」
オサガメに場所を譲られてリクガメは尻をついたまま移動する。言われた通りに連結部分を握って回してみると、通電前の原動機が回った。
「な? こいつがここで回るっつうことはこっちがぐるんてなれば反対にこっちがこう動くっつうことで…」
「車輪が動かせる?」
オサガメの言葉から予想された仮説を口に出すと、オサガメはがばっと振り向き、そしてにやりと笑った。
「いいか、俺の技術は全部お前に叩きこむからな。体で覚えろよ」
「頭も使わしてや」
真剣なオサガメの言葉に対してリクガメは軽口を挟む。オサガメは目を線にしてリクガメの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
リクガメもオサガメに目をかけてもらえたことが嬉しくて笑顔で話していた。しかし視界の端に自分を睨みつける女の顔が入り込んできて、一瞬で喜びが凍りつく。
「じいちゃん、おれもみてていい?」
「お、おれも……」
イシガメとクサガメがひょこりと顔を出す。幼い孫たちにすっかり祖父の顔になると、オサガメは子どもたちをそれぞれ左右の膝の上に乗せた。
「いいか、イシ、クサ。じいちゃんは今、今までにない新しいもんを作ってんだ」
「「あたらしいもの?」」
「自動で走る自転車だ」
イシガメとクサガメは顔を見合わせる。そして、
「じてんしゃはこぐしょや」
「でもこいだらかってにはしるっしょや」
「したってこがなきゃはしらないべや」
「でもこいだあとで、あしばーんってやったらかってにはしるしょや」
子どもたちの語らいにオサガメは笑って「そうだ、そうだ」と頷く。
「じいちゃん、どっちのみかた?」
「イシがまちがってるっしょ?」
「クサだべや!」
「イシでしょや!」
「はいはいそこまで!」
湯呑を乗せた盆を手に、ヒメウミガメが入って来た。リクガメは反射的に顔を背ける。
「あんたらおじいちゃんの邪魔しないの。リクも勉強中なんだから静かにしなさい。でなきゃ外!」
「「は~い……」」
年長の従姉に注意されて、イシガメとリクガメは一緒にしょげくれた。ヒメウミガメは従弟たちを静まらせてからこちらを向き、微笑みを作って見せた。
「お疲れさま。一息いれたら?」
オサガメは孫娘にももちろん甘い。ヒメウミガメの提案に素直に頷いて湯呑を受け取り、
「休憩だ」
駅の頭首で技術者の親爺の顔をリクガメに向けた。リクガメはその変貌ぶりに思わず吹き出す。
「どう? 進んだかい?」
「やー、どうだべね?」
ヒメウミガメから湯呑を受け取ってリクガメは首を傾げて見せる。
「どうせ小難しいことばっか言われてるんでしょ。『どーん』とか『ぐいっ』とか」
否定できずに苦笑で返す。
「スー、あんたも飲むっしょ?」
男たちに湯呑を配り終えた後で、ヒメウミガメは妹にも声をかけた。リクガメは思わず肩をびくりと揺する。誰にも気付かれていなければいいが。定まらない視線のまま湯呑を口に運んで案の定、口中を火傷した。その拍子に茶をこぼし、服を汚し、皮膚まで熱が沁み込んできて、リクガメは悲鳴をあげる。
「リッくん、きったねえ!」
イシガメにからかわれ、
「大丈夫かい?」
ヒメウミガメに心配され、
「なんだ、疲れてたか」
オサガメに気遣われて、
「なんもなんも全然全く!」と早口に否定した。そこで終わればよかったのに、
「はんかくさい」
壁際で無言を決めていたスッポンが、白けた顔で呟いた。その一言に一瞬で空気が冷却される。
しかし一秒後には、
「はんかくせー!」
「リッくん、だっせー!」
「だっせー! くっせー!」
「うるせー!!」
子どもたちの元気のおかげで瞬間解凍した。
「うるせーぞ! お前ら。静かにしてろってヒメちゃんに言われたばっかりだべや!」
リクガメは内股を拭いながらイシガメたちに怒鳴りつけるが、
「一番うるさいのは誰さ」
再びスッポンに揚げ足を取られる。リクガメは堪りかねてスッポンに振り返るが、
「リッくんがいちばんうるさいべや!」
「うるせーぞ! うるせーぞ!」
またまた子どもたちに囃したてられて、どちらを先に窘めるべきかと唇をわななかせた。最終的に子どもたちを先に黙らせようと立ち上がった時、囃したてていたイシガメが体勢を崩して転倒した。倒れる時に手をかけてしまったのだろう、道具箱を盛大にひっくり返す。金属音が作業室中にけたたましく響き渡り、イシガメが後頭部を押さえて大泣きし始め、ヒメウミガメが駆けつけて、クサガメに責め立てられたリクガメが言い訳を繰り出していたら、
「やかましい!!」
オサガメが一喝した。途端に喧騒はぴたりと止む。
オサガメは空になった湯呑をヒメウミガメに差し出すと、むっくりと立ち上がってしまった。
「おっちゃん…」
「ここで騒ぐなっつっるべや。壊したらどうすんだ!」
「「……ごめんなさい」」
「今日はもう終いだ」
「待ってよ、おっちゃん…」
「てめえは遊びに来てんのか」
オサガメに凄まれては、リクガメは何も言えない。
「おじいちゃん…、」
ヒメウミガメが祖父の機嫌をとろうとしたが、オサガメはすっかり臍を曲げて、作業室を出て行ってしまった。
「……リッくんのせいだからな」
鼻声でイシガメが言う。
「あ?」
当然リクガメは不服で凄むが、
「なに、子どもにむきになってんのさ」
白い目で呟いてスッポンが立ち上がった。
「なしてあんたはそんなに機嫌悪いのさ」
ヒメウミガメが困った顔で妹を注意する。しかし当のスッポンは姉の忠告にも「べつに」と無愛想に返しただけで、眉根に力を入れたままリクガメの方に歩み寄って来た。
「……んだよ」
「早く帰って着替えれば?」
「……言われなくても」
「したらさっさと行けばいいべさ」
「スー!」
ヒメウミガメが盆を置いて歩み寄って来た。
「あんた最近態度悪いよ? なしたの」
「別に」
「なんでもそやって『別に別に』って。馬鹿にしてんのかい?」
「別にしてないし」
「その態度やめなさい! ヒラタ君の前では普通でしょや」
姉の一言が癪に障ったらしい。
「いいよ? したらお兄さんに言えばいいべさ! お兄さんは寄り合いだけどね。チドリの駅まで迎えに行くの? いってらっしゃい!」
「スー!!」
「ヒメちゃん、」
リクガメはヒメウミガメを止める。
「俺、帰るからさ。したらスーの機嫌もなおるっしょ。だべ? スー…」
振り返った先にいたのはイシガメとクサガメ。スッポンの姿を探すリクガメに、クサガメが戸口の方を指差す。見るとすでに、スッポンは作業室を出ようとしていた。
「帰るんでしょ? とっとと帰んな」
リクガメを睨みつけたまま顎でしゃくる。さすがにリクガメも堪忍袋の緒が切れかける。
「スー、あんたなんでそんなにつんけんしてるのさ」
ヒメウミガメが妹を見て眉尻を下げて、
「昔は『リッくん、リッくん』って懐いてたくせに」
「「えーー!?」」
ヒメウミガメの暴露に、幼い兄弟が反応した。スッポンの周りにたかって真偽を確かめようとしたが、
「いつの話さ?」
全然動揺も恥ずかしげも見せない従姉がつまらなかったのだろう。大して盛り上がらずに終わった。
「わかったよ」
リクガメは歩きだす。
「帰ればいんだろ? 帰れば」
「初めからそう言ってるべさ」
かわいくない。
「ごめんね、リク」
妹を持て余してヒメウミガメが詫びる。「なんもなんも」とリクガメは笑いかけて、
「したっけね」
「またおいで」
ヒメウミガメと挨拶をかわしたが、
「もう来ないで」
スッポンが横から口を出し、
「えー?」
「リッくんもう来ないの?」
子どもたちが唇を尖らせた。
「来る来る。また来っから。したっけな」
イシガメたちの頭を軽く叩いて作業室を出た。
「リク!」
ヒメウミガメが顔を覗かせる。
「明後日には叔父さんたちも帰ってきてると思うからさ、一緒にまた習いな」
叔父さん『たち』とは、イシガメたちの父親とヒメウミガメの交際相手のヒラタウミガメのことで、帰ってくるのは寄り合いからだ。既往症で体調が優れなかったオサガメの代理として、その婿が寄り合いに赴き、婿入りがほぼ決定事項であるヒラタウミガメをその従者として任命していった。
オサガメの技術を直々に教わっているのは自分だけでなかったらしい。
リクガメがひそかに抱いていた優越感をひび割れさせたことなど露とも知らずに、ヒメウミガメは笑顔でリクガメに手を振った。リクガメも悟られまいと笑顔を張りつけて手を振ったのに、
「……んだよ」
スッポンが出てきた。