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アイノナイバショデ  作者: 笛み
番外編
3/159

10+3 結婚式

 ミナミイシガメの結婚式はカメの駅で行われた。リクガメも出席した。披露宴では高砂から一番離れた親族席に座っている。高砂には幸せそうなミナミイシガメとヌマガメ。


「よう兄弟!」


 ウンキュウが肩を組んできた。リクガメはうんざりした顔を作る。


「なんだよ、それ」


「兄弟だろ? 今日から俺ら」


 それはそうなのだが。


「血は繋がってないべや」


「『縁』が繋がったべや」


 ウンキュウはにやにやしながら肩を揺すってくる。リクガメは鼻で笑って、揺さぶられながら酒を飲む。


 ウンキュウの姉のミナミイシガメは、予定通り結婚した。ただ、相手が変わった。


 リクガメが男どもにせっつかれて兄に事の詳細を尋ねようとした日、その試みは失敗に終わったがその日を境に部屋の中が不穏な空気に満ちていった。兄と両親とウンキュウの家族が何を話し合ったのかリクガメは知らない。きっとウンキュウも知らないと思う。駅の頭首のオサガメも加わってワシの頭首らしき顔も見かけたりして、部屋だけでなく駅の中全体が落ち着かない日々が続いた。当事者の兄は常にどこかに呼ばれていて話しかけられる時間などなく、両親は忙しそうで、リクガメは放置された。


 ミナミイシガメは監禁された。自室から一切出ることを禁じられていたという。ウンキュウの狼狽は凄まじかった。しかし当初予定されていたミナミイシガメの結婚式の日が近づくにつれ、駅内の空気は徐々に様相を変え、兄はオサガメに呼び出され、ワシは来なくなり、次にリクガメが聞かされたのは「お兄ちゃん結婚するから」という母からの爆弾発言だった。




 ミナミイシガメが幸せそうだ。花嫁衣装のせいかもしれないが普段の二割増しで綺麗に見える。女は結婚が好きなのだそうだ。結婚式が好きなだけかもしれない。いずれにしろミナミイシガメはどこから見ても幸せそうだった。


「いやあ、ヌっくんが俺の兄貴になるとはねえ」


 酔っぱらったウンキュウも上機嫌だ。あれだけ心配しておどおどしていたのが嘘のように。ミナミイシガメが幸せなら相手など誰でも良かったのかもしれない。


「お前、いい奴だよな」


 リクガメはウンキュウの横顔を見つめて言った。


「何? いきなり」


「率直な感想」


 言ってリクガメは高砂を見遣る。


「ミナミちゃんはお前みたいな弟がいて幸せだと思うよ」


 *


 歓談の間に席を立つ。幸運なことに便所は空いていてリクガメが用を足していると、本日の主賓が入ってきた。兄は相変わらず眠そうな顔でリクガメを見つけると、「おお」と眉毛をちらりと上げて見せる。リクガメも「うん」と顎を引く。


「おめでと」


 隣に並んだ兄の顔を見ないでリクガメは言った。


「なんだよいきなり」


 兄は眠そうな目をさらに細めて鼻で笑う。平素から感情の表出が薄い男だが、さすがに今日は嬉しそうだ。


「兄貴さぁ」


「ん?」


「結構やるね」


 兄が振り返る。


「正直びびった」


 リクガメも兄を見て、にやりと笑った。


「正直さ、」


 兄が言う。「ん?」とリクガメは鼻だけで返事をする。


「お前に聞かれた時、金たま縮んだ」


 リクガメは思わず吹き出す。


「ばれたかなって思うっしょや」


 ばれたって、


「何が?」


 兄は何も言わずに鼻で笑うだけだった。


 横目で兄を見ていたリクガメは視線を落とす。しかしすぐに黒目を右往左往させ、やっぱり下向きで落ち着き、一息吐いてから顔を上げた。


「……あのさぁ、」


 リクガメは絞り出すように言う。


「ん?」


「兄貴あの日、ミナミちゃんと……」


「孕ませちゃないよ。……多分」


 避妊はしてるって、と言って兄は全身を震わせた。こともなげにそんなことを言った兄の横で、リクガメは見開いた目を下に向けている。やっぱりしてたんだ、などと思いながら。


「あの日はちょうど、どこに逃げるかって話しててさ、」


 兄は衣服を戻しながら話を続ける。


「逃げるって…?」


「駆け落ち先」


「か!?」


「でもいざ行くべってなった時に、あいつ尻ごみしちゃって。『やっぱり家族を裏切れない』とか泣かれちゃさあ。したらミナミの弟が出てきて『姉ちゃんどこ行くの』って始まって」


 ウンキュウはそんなこと一言も言っていなかった。


「でもま、全部丸く収まってよかったわ。な?」


「え……」


 収まったのか? ミナミイシガメの元婚約者とその家族とワシの駅が、どのように身を引いたかをリクガメは知る由もないが。


「悪かったな」


 兄は洗面の前に至り、瓶から水を掬って手を洗いながら鏡の中から自分を覗きこんでくる。


「お前にも迷惑かけたべ?」


「え?」


 挙動不審なリクガメはまだ便器の前で佇んでいた。困った顔の弟を見てヌマガメははにかむ。いつものように眠たそうな目が、より一層細くなる。


「早くそれ(・・)しまえや」


 兄に顎で指されてリクガメは自分の格好を思い出す。


「したっけな。楽しんでって」


 兄が両手の水滴を払いながら踵を返した。


「兄ちゃん!」


 リクガメは慌てて兄を呼びとめる。


「あのさ、いっこ聞いていい?」


 顎でしゃくられる。衣服を正しながらリクガメは兄の正面に立ち、そして、


「夜這いってどうやるの?」


 ずっと気になっていた疑問をぶつけた。その顔は真剣そのものだ。


 尋ねられたヌマガメは、珍しく目を見開いた。それから腹を抱えて声を上げて笑う。笑われてからようやく、自分の質問が物凄く小っ恥ずかしいものだったことに気がついて、リクガメは赤面した。


「笑うなや…」


「リクぅ、」


 目尻を指で拭いながら兄は顔を上げる。


「本気でほしいと思ったら、他は全部捨てんだよ」


 リクガメは眉根を寄せた。


「ま、がんばれや」


 相変わらず眠たそうな顔のまま、本日の主役は片手を振って去っていった。


 兄の言葉が意味深すぎて全くわからなかったリクガメは、急いで手をすすいで便所を出た。しかしそこで鉢合わせたのはヒメウミガメで、ぶつかりかけてたたらを踏んで、結局ぶつかり詫びる羽目になる。


「ごめん、大丈夫?」


「なんもなんも」


 ヒメウミガメは酔っているようだった。へらへらと笑う姿が妙に艶っぽい。色白の肌が赤く、うなじまで熱っぽくて晴れ着が艶やかで。リクガメは思わず女の肌をまじまじと観察する。


「本日はおめでとうございます」


 ヒメウミガメが顔を上げて、律儀に挨拶してきた。リクガメは慌てて顔を背けて適当に返しておく。


「寂しくないかい? お兄さんが部屋出ちゃったら」


「別に。同じ駅の中だし」


「したって今までとは違うべさ」


 しんみりした話題を振りながらヒメウミガメは楽しそうにころころ笑う。その笑顔をリクガメは横目で盗み見る。


「そうだ、リク」


 瞬時に目を泳がせたリクガメに気づかずにヒメウミガメは微笑みを向けてきた。


「おじいちゃんがあんたの仕事褒めてたよ。『筋がいい』ってさ」


「おっちゃんが?」


 リクガメはヒメウミガメに向き直った。下心さえなければこうして普通に話せるのだ。


 一瞬で顔つきを変えた祖父の贔屓に、ヒメウミガメは目を細める。物作りが心底好きなのだろう。ヒメウミガメ自身は祖父の仕事をそこまで手伝うわけではないが、こんな顔を見せられたらこちらまで嬉しくなる。


「うん。スズメから受注してたやつ。『若い奴らに任せてみたけどリクガメが一番丁寧に仕上げてくれた』って」


 リクガメは隠しもしないで喜んだ。褒められたことはもちろん、ヒメウミガメの口からそれが語られたことがなおさら嬉しい。


「おじいちゃんってばよっぽど嬉しかったみたいでさ、『俺の技術は全部リクガメに叩き込んでやる』とか言って張り切っちゃって。暇見て行ってやってくれる? あんたから顔見してくれたら喜ぶと思うからさぁ」


「行く行く! 行くに決まってるしょや! いつがいい?」


「それはおじいちゃんに直接聞かないとわかんないけど、多分いつでも…」


「お姉ちゃん」


 ヒメウミガメは振り返る。スッポンが廊下の先からこちらに早足で向かってきていた。せっかくヒメウミガメとの会話が盛り上がっていたのに。リクガメは少なからず残念がり、それがそのまま顔に出る。


「大丈夫? 酔いつぶれてないか見てこいってお母さんが…」


 そこまで言いかけてスッポンはリクガメに気づいた。姉と楽しそうに話していた相手の正体に目を見張り、リクガメと目が合うとさっと横を向く。


「大して飲んでないべさ。お母さんが大げさなんだわ」


 妹の心配を笑ってかわすが、その笑顔こそがヒメウミガメが酔っぱらっている証拠だ。当然妹には見透かされていて強制的に手を引かれた。


「したっけリク、いつでもいいからね」


 酔っぱらいに手を振られてリクガメの顔は完全に緩んでいる。片手をあげかけて、しかし反対の手でそれを抑え込んで、でもやっぱり含み笑いで見送っていると、


「おいリク!」


 今度は後ろから叱責のような声で呼ばれた。リュウキュウヤマガメだ。


「お前、こったらところで何、油売ってんだよ。出番だっつってるべや!」


 リュウキュウヤマガメは衣装を着替えていた。適当に着付けたのか、胸の合わせははだけて、中に描かれた顔がこちらを覗いている。


「なぁ、まじでそれやんの?」


 リクガメはリュウキュウヤマガメの腹の顔を白い目で見下ろす。


「当たり前っしょ! 親父の監修だぞ? ぜったいうけるって!」


 リュウキュウヤマガメは胸を張っ腰を振るが、


「時代錯誤だべや。今どき腹踊りなんてじじばばしか笑わないっしょ……」


 リクガメは本気でやりたくない。


「いんだよ! じじばばが笑えば!」


 リュウキュウヤマガメはリクガメの袖を引く。


「結婚式なんて親ば喜ばしてなんぼだべ?」


 リュウキュウヤマガメの理論にリクガメは眉根を寄せて、


「やー、新郎新婦が主役でないかい?」


 できれば今日は、父母より兄を立ててやりたい。


「したら立てれや、新郎弟! ほら、行くぞ!」


「だからさぁ…!」


「リッくん」


 掴み合いながらリクガメたちは振り返る。いつの間にかスッポンが戻ってきていた。


「ヒメちゃんは?」


 尋ねてリクガメは廊下の先に目をこらす。壁にもたれかかっているあれか?


「スー、なした? 結婚式見て早く嫁に行きたくなったか?」


 リュウキュウヤマガメがリクガメを押し退けスッポンに話しかけたが、スッポンはまっすぐにリクガメの正面に駆け寄った。首を伸ばしていたリクガメはヒメウミガメを眺めたままスッポンに、


「ヒメちゃん、あれ、大丈夫か?」


 尋ねたがスッポンはそれには答えない。代わりに、


「お姉ちゃんはやめといた方がいいよ」


 みぞおちに一撃を食らわされたかのような衝撃。リクガメの意識と視線は、遠くの女から目の前の少女に移る。


「あ!?」


「それだけ」


「おい!」


 ものの五秒にも満たない会話。早口に言いたいことだけ言い切ると、スッポンは逃げるように駆けていった。


「スー、なんだって?」


 小声の早口を聞き取れなかったのだろう。リュウキュウヤマガメが首を傾げている。しかしそれに答える気にはなれず、リクガメは睨むようにしてスッポンの後ろ姿を見送る。


「また『お嫁さん』宣言?」


 リュウキュウヤマガメが古い話を持ち出してきた。


「最近はないべや」


 リクガメはうんざりして切り捨てる。


「スーもいい女になったよなあ〜」


 リュウキュウヤマガメがしみじみと言うからリクガメは思わず否定した。


「どこがだよ! あんなちんちくりん!」


「リク、どこ見てんの?? でかぱいぱいの間違いっしょ! あの胸の成長には目を見張るものがある」


 変質者のような格好をしながら変態じみた発言。全方位どこからどう見ても危険な輩だ。


「お前それ、女の前で言うなよ。なんま気色悪いわ」


「なに? 妬いてんの?」


「はあ?」


 リクガメは呆れ声をあげたが、リュウキュウヤマガメは「ぅおっし!!」と気合いを入れた。腹踊りってそこまで気合いが必要なものか? リクガメは首を傾げたが、


「したら行くべ! ゼニちゃん、多分ぶち切れてるよ」


 リュウキュウヤマガメに腕を掴まれ歩かされる。


「やらないっつってるべや……」


 リクガメはまだ往生際悪く駄々をこねるが、


「ヌッくんのためだ。ひと肌脱げや」


 リュウキュウヤマガメに引きずられていく。 


「お前さっき、じじばばのためって言ってた…」


祖父祖母(じじばば)父母(ちちはは)兄姉(あにあね)その他、全てに捧げよ、我が腹踊り!」


 この駅では、個より全が重んじられる。

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