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アイノナイバショデ  作者: 笛み
番外編
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10+2 制度と価値観

 婚姻制度は駅ごとに異なる。ウンキュウが言っていたようにワシの駅は厳格な一夫一婦制で、不倫などしようものなら絶縁はおろか、当事者たちは駅から追放されるという噂さえあるから怖ろしい。婚姻前にどれほど多くの異性と付き合おうともそれは大して咎められないのに、なぜ結婚後はそこまで縛りがきつくなるのか。リクガメには理解できない。カメの駅がかつては夜這い制だったことが理由かもしれない。


 今でこそカメの駅も、他所に倣って一夫一婦制となっているが、数十年前、少なくともリクガメたちの祖父母の代ではまだ、夜這い制が一般的だったと聞く。昔、酔った父と祖父が、母の不在時に教えてくれた。普段は完全に母の尻に敷かれている父も、その時はすっかり羽目を外して兄だけでなく、幼かったリクガメにも『男の話』をしてくれた。面白おかしく語り聞かせてくれたその話によると、少なくともカメの駅はとても自由だったようだ。


 よく言えばおおらか、悪く言えば奔放、無分別。風紀が乱れに乱れていた。


 一応、婚姻制度はあったらしい。スズメのところのような一夫多妻制でもウオの一部のように一妻多夫制でもない。一夫と一婦を『夫婦』という一単位とし、生まれた子は彼らが『親』として養育し、それを『家族』と呼ぶのは今も昔も変わらない。


 しかしその『夫婦』は子どもの『親』であっても、必ずしも性生活を彼ら『夫婦』だけで営まねばならないという決まりはなかった。夫が別の家族の妻や娘を誘い、行為に及んでもいいし、妻は妻で別の男の誘いにのるのもあり(・・)だった。もちろん、妻が別の男のもとに通うことも何の問題も無い。中には夫が別の家族の夫の元に通ったかもしれないし、妻も娘も然りだった。


 異性同性関わらず、意中の相手の元にそれを目的として訪ねることを『夜這い』と呼び、特段珍しいことではなかった。それが普通だった。例外的に妊婦と乳飲み子を抱える母は『夜這い』の対象から外され、また、初潮前の女児および精通前の男児も除外された。当然だと思う。むしろ然るべき措置だ。


 『夜這い』に気付いた家族は、例え同じ部屋で寝ていても寝た振りをしてやることが暗黙の了解で、夜這いが止められるのは誘われた側が拒絶した時のみだった。


 男でも女でも、好意のない相手から夜這われた時は拒絶する権利を持つ。大声で助けを求め、全身全霊で拒絶すべし。夜這い者を払い除ける技と心得、知識の習得は必須とすべし。


 腕力が不安視される女、子どもの家族は、その者たちの意向を判ずる目を持つべし。妻や娘、息子が夜這われそうな時は、家族は息を顰めて夜這いの行く末を見守るべし。万が一、妻や娘、息子たちに嫌がる素振りがあれば、夫や兄弟は夜這い者を打ちのめすべし。それでも無理矢理行為に及ぼうとする屑の一物は切り落として良し、縫いつけて良し、晒して干して捨てて良し……。


 他にも色々、細々と決まりがあったようだが、幼かったリクガメはそこまで覚えていない。ただ、おおらかなくせに規則が多く、罰則は耳を疑う内容で、全体的に過激だな、という印象を持ったのは確かだ。厳罰は犯罪を抑制するために必要なのかもしれないが、それにしてもそんな罰を受けた犯罪者は、犯した罪も罪だが受けた罰に関しては被害者な気もする。


 祖父が祖母の夜這われた回数を自慢していたことも覚えている。異性から好かれる妻を持つことは、祖父の代では非常に名誉なことだったらしい。


―したら父さんはじいちゃんと血が繋がってないの?―


 兄がそう質問した頃、リクガメはまだ『血の繋がり』という言葉の意味がわかっていなかった。だから兄が何に疑問を持ったのかさえ理解できていなかった。しかし、その後の祖父の言葉は覚えている。


―生みの親より育ての親っていうべや―


 そう言った祖父の横で、真っ赤な顔をした父がらげらげらと笑っていた。



 非常におおらかだったのだろう。兄の質問の意味を理解した今は、そうとしか思えない。


 少なくともリクガメたちの世代で、祖父の世代の感覚を正確に理解できる者はおそらくいない。同じ駅の中なのにここまで世代間断絶ができた理由は、考えるまでも無い。他所からの干渉が強まったが故だろう。


 駅間交流は以前から細々とあったようだが、現在のようになったのは、ワシが瓶詰作りを一手に担い始めてからだと聞く。かつては駅ごとに夜汽車を待ちうけ、瓶詰作りをしていたが、夜汽車の本数が減少してきたことをワシの頭首が案じたらしい。駅の頭首たちは一同に会し、協議を重ねた結果、本線に一番近いワシの駅が瓶詰作りを専業に行って、各駅に配給するという現在の制度が確立した。その代わり、他の駅はワシの駅に対価なしで各々の技術を提供する。施された分は施し返す、というやつだ。配給制度の開始と共に、大々的なワシの駅の改修工事が始まった。


 他と大差ない崩れ具合だったワシの駅の、骨組みから修繕したのはウオの駅で、不必要なほど華美な壁紙や床板、障子紙を提案したのはチドリの駅で、そのための機械、器材を提供したのがカメの駅だ。修繕工事で負傷した者を診たのはもちろんヘビの駅だし、その他の駅は工事の担い手を派遣した。そうしてワシの駅の大改修が終わるころには、駅間交流は最盛期を迎えた。嫁や婿のやり取りも珍しいことではなくなり、文化は混ざり合い、価値観は変化した。そしてカメの駅の夜這い制度は終わった。


 ワシの駅の大改修後に生まれたリクガメたちはだから、祖父の世代と価値観が違うのだろう。若者は独占欲が強い傾向にあるし、生みの親より育ての親という言い分も頷けないことも無いが、やはり血縁が優先される。自分と血の繋がりがなければ仲間ではあっても『家族』とは思えないとリクガメも思う。完全にワシやヘビ、トカゲの価値観だ。


 しかしその癖、祖父の代まで脈々と続いていた夜這い制度の影も残っている感が否めない。結果、他所に倣って一夫一婦制を標榜しつつ不貞行為については厳格に禁じているとは言えず、何となく「やむなし」的な空気が漂っている。だからこそ財産分与は母方が優勢なままだ。何故なら父親が誰だかわからない。育ての親が生みの親とは限らないのだから、父だって自分や兄を本当の子どもだと認識しているか定かではない。おそらく父は、財産を遺すとしたら母や自分たち兄弟ではなく、叔母と従兄弟(その子ども)たちを第一候補にあげるだろう。何故なら父親は違っても母親は同じだから。父は兄や自分と血が繋がっていないかもしれないけれども、父と叔母は祖母という同じ女から生まれた、血の繋がりがある『家族』だから。叔母から生まれた従兄弟の方が、父との血の繋がりは確実と思われる。だから父は自分たちには何も遺さない、祖父がかつてそうしたように。


 この混沌とした、血縁と養育と相続の問題を、根本から納得する者はカメの駅の外にはいない。「カメの嫁は外に出すな、カメの駅には婿入りするな」などと揶揄されていることは有名だ。他所の奴ら(そと)自分たち(うち)をどんな目で見ているかは、リクガメだって肌で感じる。


 どこか自分たちを蔑んでくるワシやヘビはリクガメも苦手だし、どちらかと言えば鼻につくし正直に言えば腹立たしいしむしろ嫌いだ。カエルとは分かり合えそうだが、それでもカメはカメの駅で完結していればよかったのにと、自分は全く干渉することが敵わない歴史にけちをつけたりする。


 祖父たちに独占欲はなかったのだろうかと疑問を持つ。自分の好意を寄せる相手、ましてや両想いになれた相手を、他の誰かに寝取られることに何とも思わなかったのだろうか、と。誰もが誰のものでもなく、自分の意のまま自由に振る舞い、誰からも束縛されなかった時代。言葉にしてみるととても理想的に聞こえてくるが、なぜ自分は拒絶反応を示すのだろう。毛嫌いしながらも感化されている他所の価値観が、リクガメをげんなりさせる。それでいて他所の駅の、婚姻期間における不貞行為への罰の重さにも納得できない。価値観の過渡期にしばし見られる、制度と感覚の葛藤が難しい。

 


 なんでこったらこと考え始めたんだべか、と自ら始めて自分で作りあげた嫌な気分の原因を考えた。そしてその原因が廊下の先で振り返ってきて、リクガメは思い出す。


「なした? その顔」


 眠たそうな兄の顔。ああ、いやだなあ、とリクガメは目を逸らした。


「今日は誰とやり合った?」


 平素から寝ぼけているような、常日ごろ覇気のない兄が、いつにも増して眠たそうに尋ねてきた。


「腫れてるぞ」


 リクガメの頬を見遣ってヌマガメはにやりと笑う。誰のせいだよ、とリクガメはひとりごちる。


「そっちは?」


 弟からの質問にヌマガメは眠そうな顔を傾げた。


「なにが?」


「やー、だから昨日さ…」


「ん?」


 昨日の昼間、ミナミちゃんと何してた?


「何だよ」


 兄は怪訝そうに眠そうな眉毛を持ち上げている。リクガメは聞かねばいけない一言がなかなか告げられず、口籠って佇んでいる。


「……まぁ中、入れや。それ冷やしときな」


 言い置いて兄が部屋に足を踏み入れた。


「兄貴!」


 リクガメは慌てて兄を止める。親の前で出来る質問ではない。


「なんだよ。早くしろや」


 兄がいらつき始めた。リクガメはその顔を直視できなくて顎を引いて唇を舐めて潤す。そして、 


「あ、のさ……、昨日の昼間……」


 心なしか兄の雰囲気が固くなる。リクガメは緊張する。


「……寝てた?」


 そう聞くのが精一杯だった。


 心臓の音がうるさい。廊下ってこんなに静かだったか? とリクガメは静寂を思い知る。

 数分にも数時間にも思われた気まずい空気を、兄の鼻息が打ち破った。リクガメはちらりと兄を窺う。

 兄はそっぽを向いていた。しかし微かに見えた口元は笑っているようだった。


「起きてたけど」


 兄が答えた。妙に勝ち誇ったような言い方で。


「お前は寝てたべ?」


「……うん」


「なんですったらこと知ってんの?」


 聞いたから、とも答えられず。 


「変なこと聞くなや」


 半笑いの兄が部屋に入っていった。リクガメは敗北感に襲われる。


 ウンキュウに合わせる顔が無い。きっと男どもには馬鹿にされる。しかし兄の余裕っぷりはリクガメを委縮させるのに十二分だった。

 兄はきっともう何も答えてくれない。何故なら兄は嘘を一切ついていないから。どこで寝てた? と聞くべきだったと思っても後の祭りだ。リクガメは自分の不甲斐なさに息を吐きながら項垂れた。


 * * * *


 ウンキュウの姉のミナミイシガメが結婚したのは、一月後のことだった。

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