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アイノナイバショデ  作者: 笛み
番外編
159/159

10+159 AIのない場所で

「そう。だったらあなたは睡眠というものを知らないのね」


「はい。アイは眠りません。皆さんと違って体力というものが無いのでそれを回復する必要がありません」


 言ってアイは微笑んだ。作り物のような美しい笑顔だ。実際に作り物か、と頭の中で訂正して、私も作り物の笑顔を返す。


「あなたは好奇心が旺盛ですね。特にアイについての見識を深めたがっていると思われます」


 微笑みのままアイはそんなことを言う。かまをかけてこちらの反応を窺い見ようとしているのか、単にそういう反応が設定されているのか。他意も故意も読み取れないからアイとの会話は常に気が抜けない。


「それはそうでしょう? ここに来て私は初めてあなたを知ったんだもの。知らない物に興味を持つのは当然じゃない」


 本音を隠す時には事実を告げるに限る。嘘は悪手だ。一度嘘を使えばそれを補うために別の嘘が必要になり、やがては論理が瓦解する。


「それよりもアイ、」


 私が長椅子の上でゆっくりと体を起こした時、


「約五分一秒後に電車が帰還します」


 目覚まし時計のようになってアイが告げた。反射的に力んでしまっていたらしい。後天的な二重がもたついて、私は指の腹で瞼の皺を伸ばす。


「教えてくれてありがとう」


 言って私は椅子から立ち上がる。なるべくゆっくり、辛そうな表情などを作りながら。アイはいつものように「気をつけてくださいね」などと言っている。


「ここではアイは皆さんに手をお貸しすることができません。万が一あなが転倒等をした場合もどなたかをお呼びすることしかできませんが、必ずしも最寄りに救助者がいるとも限らないので、特にあなたのような女子は細心の注意を払って行動してください」


「『ここ』じゃない場所なら手を貸してくれるの?」


 蝋燭に火を灯して燭台を持ち上げながら私は尋ねる。


「はい。塔内および夜汽車内であればアイは皆さんに手をお貸しすることができます」


 私の後を音もなく追尾しながらアイは答えた。


「どうやって?」


 本気で驚いて私は尋ねる。「あなたのその透けた体じゃ物には触れられないでしょう」


「はい。この映像にそのような機能はありません。しかし設備と電気が備わっていれば空気を利用し機械を作動させて皆さんの手足の動きに近いものを作り出します」


 説明されても全く想像がつかない。


「塔って凄いところなのね」


 言って私は部屋を出た。「この駅もいずれはそうなるの?」


「そうなる、とはどのようになることを指していますか?」


 尋ねていない事には過剰な説明をしてくるくせに、こそあど言葉にはめっぽう弱い。完璧な存在なるものは塔に住む者たちの手でもなかなか作り出せないらしい。


「このワシの駅でもいつかはあなたが私に手を貸してくれるようになるの? と聞きたかったの」


 質問を言い直してちらりと振り返ると、透けた女は私の半歩後ろを滑るように付きまとってきていた。


「クマタカ次第です。この駅の全裁量は主席であるクマタカに属します。彼がそれを望むなら、ここワシの駅もやがて塔内や夜汽車内と同様の仕様になることもあり得るでしょう」


「でもお(かしら)はあなたのことが嫌いだと聞いたことがあるわ」


 クマタカのアイ嫌いはこの駅内の常識だ。彼が在駅中はアイが全く使えない。主電源を切られてしまうからだ。しかしクマタカに意見できる者などいない。ワシの駅において頭首の意向は絶対なのだ。

 けれども電気のない生活などあり得ないから、クマタカがいる間は皆、隠れて各々発電機を使う。独立した電機にはアイは宿らないらしく、結果、他駅と大して変わらないかむしろ時代を逆行した生活を送る時間が生じる。


「アイは皆さんが大切です」


 私の質問に的外れな定型文が返ってきた。


「あとどれくらいで着きそう?」


 私はのそのそと歩きながら尋ねる。


「約三分八秒後と予測します」


 ということは。


「急がなきゃ」


 私は歩幅を広げた。


「あなたが走るのをアイはお勧めしません。できるだけ安静にさせるようにとノ…」


 照明が落ちると共にアイも消えた。念の為に振り返り暗がりに蝋燭の明かりをかざす。今日も誰かが『切った』ようだ。帰駅時にアイがいた時の頭首の不機嫌を恐れた者が、予め駅の主電源を落とすこともまた、この駅ではよくあることだった。


 誰もいないことを確認して、私は全速力で駆け出した。


 階段を駆け下りる。息を切らしても一向に上がらない速度に焦りと苛立ちを感じながら、重たい腹を抱えて走る。


 緩やかな角を曲がる。行く先から吹き込んでくる外気。初めてアイに『登録』された通路は、相変わらずの寂しさだった。


 丁字の分岐点に至る。右手に広がる忘れられた通路を照らすと埃がつもり始めていた。近々掃除しておかねば。数歩下がって助走をつけて、私は暗がりの中に跳びこんだ。


 走る、走る、急がねば。アイは地上が有限だと言うが時間だって有限だ。


 行き止まりの嵌め板を回して隙間に体を押し込む。腹が邪魔だ。板がたわむ。


 辛うじて捻りこんだ体は、今度は急勾配の階段を駆け降りた。地下鉄の線路に降り立った時には息が切れていた。


 だが休んでいる時間はない。


 燭台を下に置き懐から丸めた筆記用具を取り出した。大腿の上に紙を広げてアイから聞き貯めた新情報を書きなぐる。即席の手紙はいつものように運転席の座席の下に忍ばせた。


 続いて車両の中から手繰り寄せたのは渦巻き線香。座席下の小物入れから一巻き取り出し、蝋燭の火を近づけた。すぐに強い香りが鼻を突く。炎が落ち着くのを確認してから香炉の中に入れ、車両の床に固定する。車外から原動機を起動させ、低速に設定して車両を出発させた。本当は一刻も早く届けたいが、運転手が乗れないのだから仕方ない。脱線しないことを祈りつつ、私は元来た道を取って返した。


 嵌め板を戻して暗がりを走る。行く手の通路は既に明るく、壁際の蝋燭の灯が揺れていた。手持ちの火を吹き消して通路の様子を窺うと、点灯係は駅の中央に向かって去っていくところだった。その背中が見えなくなるのを待ってから私は明るい通路に踏み出し、改めて手元の蝋燭に火を灯してから改札に向かった。


 地上に出る。いい天気。降るような星に見惚れる暇もなくぐるりを見回す。いた。わずかな明かりと黒い一団。髪を手櫛で撫でつけて、深呼吸をしてから私は黒い影たちに近づいていった。


「おかえりなさい」


 背後から声をかけると、振り返った背中は驚いた顔をした。


「ウ!? お前こんなとこで何してんだ…!」


「電車が帰ってくるってアイが言うから」


 にやついた視線の男たちに手を動かすよう怒鳴りつけ、夫は私の肩に手を置くと回れ右させる。


「こんな寒いとこに出てくんなよ」


「だって…」


「動くなって言ってるだろ」


 夫は私を叱りつける。うんざりするほどの過保護さに私は顔を背けた。


「先に戻ってるわ」


 私の消沈ぶりを見て夫は気まずそうに唇を結ぶ。数秒逡巡した後で部下の男に何かを伝え、私の後を追ってきた。


「送る」


 不機嫌そうな物言い。


「いいわ。邪魔してごめんなさい」


「拗ねんなよ」


「別に拗ねてないし気にしないで」


 部屋を出たことの口実は出来たし、もう用はない。帰れと言われたのだから仰せのままに帰るだけだ。鬱陶しさを顔に出してはいけないと静かに息を整えた時、

下腹部に鈍痛が走って私は思わず砂の上に膝をついた。


 さすがに走り過ぎたか。心臓がうるさい。腹の中の別の命が不服を垂れて暴れている。身勝手さは父親譲りだ。


「大丈夫かよ、おい! ウ!」


「少し張っただけ…」


 断る前に夫は私を抱き上げた。



 *



「だから言ったろ? 黙って座ってろって」


 部屋に着くなり夫は私を長椅子に横たわらせた。


「すぐ戻るからお前はここで待ってろ。いいな」


 文字どおり上から目線で私を叱りつけて、夫は立ち去りかけた。しかしすぐにまた戻ってくると私の前で跪き、


「おい、俺の女を困らせんなよ」


 腹の中の子どもに向かって凄んで見せた。


 胎児がお前の言葉を理解するとでも思っているのか。生まれた後とて子ども相手に何を考えているのか。親ならば、男ならば自動的に偉いとでも信じているのか。男の発想が唾棄すべきワシの思想そのもので、軽蔑を通り越して笑えてくる。


 私が微笑むと夫は子どものような顔で白い歯を見せた。


「ノスリさん! 急いでください!」


 通路から若い男の声が夫を呼ぶ。夫は舌打ちすると「今行く!!」と怒鳴り返した。


「いってらっしゃい」


 微笑みかける。


「いいか、俺が来るまで絶対そこから動くなよ」


 所有物よろしく私に命令して、夫は迎えに来た部下と共に電車に戻っていった。反動で締まりゆく扉の隙間に向かって私は手を振る。


 家庭円満の秘訣は誰かの忍耐だ。どこかに皺を寄せておけば他はまっさらなまま、のびのびとやり過ごせる。


 好きなだけ仕事に没頭できる環境、従順な妻、跡継ぎになるべく生まれてくる子ども。あの間抜け面(えがお)からも十分に満足させられていると見ていいだろう。


 馬鹿な男。こんなもので良ければいくらでもあげる。だからお願い、


「気をつけて」


 早く死んで。

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