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アイノナイバショデ  作者: 笛み
番外編
156/159

10+156 第二感情

 もう駄目だ。全部終わった。お終いだ。左右の目から涙を垂れ流したままスッポンは歩く。


 やだもう。もうやだ。やだやだ駄目なのだって無理だもん。しゃくりあげて呼吸さえままならず、幼子のように泣きじゃくる。


 視界がぼやける。壁際の灯りが濡れる。揺れて滲んで見えなくなって、床に突いた両手の痛みで、自分が躓き転んだ事実を知る。


 まだ乾ききっていない床の冷たさが、手の平から、膝から脛から全身を這いあがる。身震いと共に大粒の涙が弾け落ち、それがきっかけだったみたいにしてスッポンは再び大声で泣き叫んだ。


 なんで? なんで、どうして嘘でしょ? 床に伏して嗚咽する。


 あり得ない。あっちゃいけない、こんなこと。だって、駄目だってば、だってなんで、なんで!?


「だんでぇ……」


 まともな発音も出来ない口が、答えの無い憤りを嘔吐する。


 待ってるって言ったのに。待っててくれるって言ってたのに。後ちょっとだよって言ったのに言ってたのに言われたのに言い聞かせたのに、


「ぃうぅ…ッ」


 リク、リク、リク、リクぅ、


「いぅああぁあ!!」


 声にもならない音が、息が出来ない喉から、頭の奥を熱くして、壊れた原動機の暴発間際のような不協和音を響かせた。


 リク。


 リク、リク、


 リクぅ………。


 何度呼んでもそれに応える者はいない。スッポンが振り向いて欲しい背中はもうない。顔を上げたらそこにいて、いつもの調子で抱きしめてくれる気がしてならなくて、でも辺りを探しても誰もいなくてそれが現実だと知らされる。


 こんな現実、あり得ないのに。あっちゃいけないのに。なんで、なんで、なんで、なんで!? 悲しみを放置しておくと自分が壊れそうだったから、生存本能が別の感情を呼び寄せる。何が悪い、誰のせいだ、そいつはどこだ、許さない。生存本能が呼び寄せたのは他罰思考という名の現実逃避だった。


―トカゲとジュウゴを逃がすために囮になられたそうです―


 おとり……。


―…とジュウゴを逃がすために囮になられたそうです。リクさんは上手く巻くつもりやったがかもしれませんけどカエルの囲いこみ…―


 身代りになって囲まれた。


―ジュウゴを逃がすために…―


「ジュウゴ……」


 そうだ、スッポンは思い出す。『ジュウゴ』だ、ヤマカガシはそう言っていた。


 ジュウゴ、ジュウゴだ! ジュウゴ!! あの夜汽車だ、聞き間違えるはずがない。トカゲに嫌がらせばかりしてクサガメを常に苛立たせてシマヘビも毛嫌いしていた男。俄かには信じ難かったけれどもリクガメもそうだと言っていた夜汽車の男。あれの代わりにリクガメは死んだのだ。あんな奴を守るためにリクガメは死んだのだ。


 なんであんなのを!? スッポンは歯噛みする。だって夜汽車だ、瓶詰の中身だ、飲み物だ。偶々色々な偶然が重なってイシガメに助けてもらったみたいだが、本来ならば既に死んでいるはずの存在のくせに、そんな者のせいでリクガメは死んだのか!? そんな物のために!!


 スッポンは赤い顔を上げた。許せない。許さない、許さない! 噛みしめた奥歯を軋ませる。


 締めなきゃ。搾ってちゃんと詰めないと。この数年間で培ってきた技術が指関節を鳴らす。


 だって夜汽車だ。夜汽車なのだ。飲まれるべくして育てられた存在だ。


 そうすべきなのだ。そうでなきゃいけない。そういう運命だったのだから。


 それが何を間違えたのかのうのうと生き延びてこんなところまでやってきて。散々駅の中を引っかき回して挙げ句の果てにはリクガメを死なせるなんて。


 スッポンはゆらりと立ち上がる。壁に手を付きふらふらと歩き出す。


「…なきゃ、締めなきゃ……」


 ぶつぶつと口中で唱えるその顔は、既に涙が乾いている。義務感と正義感に満たされた胸は熱いが震えはしない。



 怒りって便利だ。それ以外の全ての感情を忘れさせてくれる。



「イシ!」


 リュウキュウヤマガメが呼んだ時には遅かった。イシガメは誰の制止も聞かずに裸足のまま処置室から出て行く。


「イシ!」


 リクガメの訃報を知らせに来てくれたヘビの娘がリクガメを追い、その子を追うようにしてシュウダの親戚筋の男も走り去る。


「走んなや! 頭打ってんだぞ!」


 シュウダの親戚の子と同時くらいにクサガメも兄を追い、リクガメ班の若い奴らはリュウキュウヤマガメの声など聞いてさえいない。


「リュウちゃんは動くなや」


 セマルハコガメが起き上がりかけたリュウキュウヤマガメを押さえつけた。


「あいつらのことは任しといて、リュウちゃんは寝てて」


 その隙にキボシイシガメが班長を説き伏せて駆け出し、他の班員も思い出したように続く。


「絶対に安静だかんな! 絶対に無理すんなよ!」


 奥さんうちの班長ば頼みます、と妻にまで言い含めてセマルハコガメも出て行った。しかし扉は閉まらない。入れ替わるようにして入室してきたのは義兄だ。


 「お兄ちゃん」と妻が呼ぶのと同時かそれより早く、娘が自分のそばから離れて義兄に駆け寄った。流れるような動作で娘を抱き上げた義兄は、通路の方を見遣りながら、


「何あったが?」


 リュウキュウヤマガメの班員たちの慌ただしさに眉をひそめた。妻が気まずそうに視線を送ってくる。リュウキュウヤマガメは妻から顔を背け、セマルハコガメの注意に従って、背中の痛みに顔を歪めながらうつ伏せに戻った。


「リクさんの話聞いてイシガメ君が飛び出して行ってしもうて」


 自分に代わって妻が義兄に状況を説明した。義兄はその一言ですべてを悟ってくれたらしい。無言で娘を妻に手渡すと、リュウキュウヤマガメの枕元に座った。


「傷は?」


「なんもなんも。かすり傷っすよ」


 強がるリュウキュウヤマガメに義兄は無言の視線で応じる。


「それより義兄にいさん、小銃はどうでした?」


 リュウキュウヤマガメは明るい声で自分たちの仕事の出来を尋ねた。「ばっちりやちゃ」と義兄は暗い顔のまま答える。「でしょう!」とリュウキュウヤマガメは歯を見せて胸を張ったが、義兄の顔は暗いままだった。


「……あんな凄い武器もんまで作ってくれたがに…」


 言葉を濁して俯く義兄に、「やめてくださいよ」とリュウキュウヤマガメ苦笑した。


「狩り合いじゃないですか。いつ誰がやられてもおかしくないってあいつだって覚悟は決めてたと思います。今日は偶々あいつだっただけでもしかしたら俺だったかもしれないし」


 恐ろしい可能性を笑いながら語る夫を、キクザトサワヘビが叩いた。


 眉をハの字にしながら淡々と正論を語る義弟を、ヒバカリは黙って見つめる。


「こっちこそアオダイショウさん、すみませんでした」


 リュウキュウヤマガメはヘビ側の犠牲者を守りきれなかったことを、カメとして謝罪した。ヒバカリは「なーん」と首を横に振ってから顔を上げる。目が合ったリュウキュウヤマガメは「なんすか?」と明る調子で尋ねた。


「無理されんな」


「だから大丈夫ですってば。しゃあないでしょう、こういうことは」


「痩せ我慢は体に毒やぜ」


「してませんて」


 義兄の気遣いをリュウキュウヤマガメは苦笑で受け流す。しかしどんなに努力しても自分の笑顔に効力は無いと悟ると、持ち上げていた頬を下ろして息を吐いた。


「……まぁ、覚悟はしてたんすけどね、」


 リュウキュウヤマガメはため息ながらに呟く。


「覚悟もしてたけど約束もしてたから、そこだけはちょっとあれかなあ?」


 言いながらやはり苦笑する。 


 その苦笑のまま眉間に皺が寄り、歯を食いしばってうつ伏せのまま顎を引いた。


「リュウ君?」


 妻に心配される。何でもないよ、言おうとする。しかし口が言うことを聞かなくて、


「今日の飲み会どうすんだよ……」


 叶わぬ約束を漏らして歯噛みし顔を伏せた。


 班員たちの前では我慢できたのに、ゼニガメを見捨てた時だって泣けなかったのに、堪えようとすればするほど目尻と目頭は雫をこぼし、鼻の奥から情けない声が漏れる。


 「おとうちゃん?」と娘にまで心配されるのに、リュウキュウヤマガメは応えられない。


 夫を慰めようとしたキクザトサワヘビを止めたのはヒバカリだった。自分の前でそんな姿を晒すことを、おそらく義弟は望んでいない。


「その怪我治るまで当面は禁酒やぜ」


 敢えて冷たく言い含めた。義弟はへっへっと泣き笑いに背中を揺する。


「怪我治ったら付き合うちゃ」


「…義兄にいさんの奢りなら付き合います」


 顔を伏したままの鼻声の強がりに、ヒバカリは小さく笑った。

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