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アイノナイバショデ  作者: 笛み
番外編
153/159

10+153 本願

胸糞

 リクガメは蹲る。頭部を守る以外に出来ることが無くなる。しかしそれさえも、手首に巻き付いた鎖のせいで度々妨害を受ける。


 全身の痛み。逃れる道を探す。カエルたちの脚の間を這ってでもと思ったが、想像以上に集まっていた頭数に隙間さえ見つからない。


 潰れかけた視線を上げる。ヒバカリ班は何をしている。小銃持ってんだろ、くれてやっただろ! さっきみたいにとっととそれでこいつらば撃退しろやと砂丘の上を睨み上げたリクガメは、そこで目を見開いて固まった。



 ヒバカリも仕事をしていないわけではなかった。あんな奴でも一応自分を仲間と認識していたらしい。ヒバカリ班はこちらに小銃を構えていた。しかし撃てないのだ、密過ぎて。カエルとリクガメの距離が近過ぎて。簡単な操作と言えども使い始めたばかりの道具だ、容易に間違いは引き起こされる。ヘビたちは小銃を構えているだけでそれ以上のことを出来ずにいた。


 その中で唯一、確かな照準を定めている銃口があった。


 その銃口は確実にカエルたちの足元、リクガメの頭に照準を定めていた。赤ら顔をいつも以上に紅潮させ、汗だか何だか判別がつかないほど土砂降りの雨にずぶ濡れになり、滝のように流れる水流の中から真っ赤に充血した目で、今にも噛みつきそうなほどに食いしばった歯も剥き出しにしながら、銃口をリクガメに向けていた。



 なんだ。ばれてたんだ。



 アカマタから視線を逸らせないまま、リクガメは全てを悟った。


 やられたらやり返すと息巻いた。奪われたのだから奪い返す、それは当然の権利だと、ワシが潰されるのは奴らの義務だと信じて疑わなかった。


 だが、やられたらやり返すことが権利だと言うならば、やった後にやり返される結末もまたついて回るものだろう。奪われたからと奪い返す正当性を語るなら、奪った後には奪い返されることも止む無しと受け入れねばなるまい。


 リクガメに向けられたアカマタの形相は、妻を寝取られた男の正当な怒りそのものだった。


―アカマタさんが怖くて逃げとるがですか?―


 うん。ヤマカガシの質問に半日遅れで頷く。


―最低です。あんた屑や―


 そうだね。ヤマ君の言う通りだよ。


 怖かった、駅の中で孤立するのが。ヘビのしきたりに馴染めぬまま過ごしてきた八年余、唯一親しみをもって接してくれたのがアカマタだった。その男を裏切っている後ろめたさと騙している罪悪感は常に傍らにあった。『自分はカメだ』と息巻いた所で、生まれた時代は『今』だった。夜這いの仕方など知る由もないし、重婚も乱交も抵抗感がある。父や祖父たちの感覚など話で聞いても実質的に理解することはできなかったし、多少の誤差はあれども自分の感覚と常識は、ヘビのそれと違わなかった。一夫一婦制に基づいた、がんじがらめで息苦しく、厳格な上に面倒くさて煩わしくも、安心感を約束された関係を欲する貞操感の上で育ってきた。


 だからわかっていた。頭でも心でも感覚としても道理としても。スッポンとの関係に気づかれた時に起こりうる最悪の状況を、カメの仲間たちを今以上に居心地悪い立場に置いてしまう危険を、ヘビからの侮蔑を、ヒメウミガメの怒りを、シュウダの落胆をそして、アカマタがどれほど自分を憎むだろうことを。


 止まない殴打の嵐の中で蹲りながらリクガメは考える。どこで間違った? 何がいけなかった? どうすれば良かった? 何が、どこで、いつから、誰が。


―自分の(けつ)は自分で拭け―


 事あるごとに父から言われた。だからやってるべや、と思っていたが全然出来ていなかったのかもしれない。いや、出来ていなかったのだろう。だからこその今だ。不貞という名の裏切りと欺きの末に、アカマタの信頼を失うという結果だ。その後始末の仕方など、リクガメは知らない。知らないし出来もしないのにやることだけはやってきた。


―大丈夫かい? リク―


 大丈夫でないよ。教えてや、母さん。どうすればいい? 俺は、おれは…


―本気でほしいと思ったら、他は全部捨てんだよ―


 金言っぽく言っていた兄を思い出す。


 本気でほしいと思った。絶対に手放さないと誓った、一生守ると決めたけれども俺は、


 俺はあいつのことば守れてたのか?


 散々泣かせた。不本意を強制する羽目になった。自分のせいなのにそれを非難して傷つけて、俺は何を守ろうとしていたんだ?


―他は全部捨てんだよ―


 何を捨てれば良かったのか。ヘビの駅か? ヘビのしきたりなんぞに従わないと決めた時点でヘビの駅にいる資格などなかったのではないだろうか。


 あるいはカメの矜持か。駅内におけるカメの立場など考えずに、ヘビに諂い、ヘビに従い、ヘビに迎合して服従の立場を取れば良かったのだろうか。だがどちらもリクガメには出来なかった。


 駅を出て地上を彷徨い生き抜く勇気などなかった。そんなジュウゴみたいな大それたこと、自分の力のみで生きていこうなどという気概はなく、現実的に考えて無理だと、試してもいないのに不可能と決めつけて、恐ろしくて出来ないだけの選択肢を初めから無かったことにした。


 ヘビに下る強さもなかった。ヘビとカメは対等だと言ってくれたシュウダの言葉だけを頼りに、表面上は下手に出ている振りなどしながらも、ヘビの常識を尽く非難し嘲り無視を決めた。そうすることこそがカメとして胸を張る手段だと履き違えて。実際は単なる子どもじみた反抗に過ぎなかったのに。


 何も捨てられなかったから何一つ手に入れられなかったのだろう。ヘビの駅にしがみ付きながらもヘビのしきたりには従わず、カメの矜持だと息巻きながらもカメのしきたりも理解せず、大して好きでも無い場所で、居心地が悪いわるいと文句ばかり垂れながらも決してその場を離れようとせずその努力もせず、ただただ惰性で居続けた。


 そうか、リクガメは初めて気付いた。自分が必死で守っていたものを。何を捨てても誰を泣かせても決して譲らなかったものを。


 居場所だ。


 数々の地上の脅威から物理的に身を守ってくれる居場所、そしてリクガメがリクガメとして立ち振る舞うことが許される精神的な居場所。リクガメにとってヘビの駅は、毛嫌いしつつも失う訳にはいかない寄る辺だった。


 だからこそヒメウミガメの要求を受け入れた。だからこそシュウダの頼みを聞いていた。だからこそスッポンとの関係を秘密裏にして、アカマタとの仲も温存させた。全てはヘビの駅に居続けるためだ。そのための選択だ。スッポンのためではない、自分のためだ。守れるはずがない、別の物を守り続けていたのだから。


 意気地無しは時に全てを失う。だって今がそれだ。だから父さんはいっつも俺のことば怒ってたんだ。兄ちゃんばっかし贔屓してたんだ。母さんにだって心配されてばっかだったし俺は、おれは、


 怖い。


 朦朧とし始めた意識の中で、父が母が生き生きと語りかけてくる頭の中で、リクガメは死を感じた。ちょっと待ておい、今のって例のあれか? 死ぬ間際に見る脈略の無い記憶とかいう……。


 怖い。


 いやいやいや! え? うそだべ? 俺ここで死ぬの!? 何一つやり遂げてもないのに、ワシの『わ』の字も潰せてないのに、こったら誰もいないとこで痛いままで痛い中で痛いくらい暗い怖い寒い凄い、


 怖い。


 ないないないない、あり得ない!! したって俺まだ二十八だぞ! 早すぎるべや!!


 しかし兄は今の自分より若くして死んだ。ヒラタウミガメだって、ウンキュウだって、ミナミイシガメだって。


 おばさんもおじさんもあっちのじいちゃんもリュウの姉ちゃんも従兄弟たちも、誰もが皆、あの時自分が死ぬなどと思ってはいなかったのではなかろうか。


 突然来るのだ。気が付いたら通過した後で、自覚出来なかった者さえいるかもしれない。知っていたはずなのに、これまで散々数え切れない死を見てきたのに与えてきたはずなのに、自分にそれは来ないと勝手に信じこんでいた。あの時のエゾアカガエルと同じように。


 リクガメは視線を上げる。エゾアカガエルの甥が死にもの狂いで自分を殴りつけている。大きくなったなぁ。かつて一度、一目しか見たことのない子どもの成長に感慨を覚えた。


 怖い。


 そりゃエゾアカ死なしたのは俺だもんな。憎いよな。その目、その気持ち、わかるよ。だってその顔、俺もしたことあるし。


 怖い。怖い。


 でもたすけて。


 助けてほしい。見逃してほしい。許してほしい。生かしてほしい。


 死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない。


「リクガメぇッ!!」


 リクガメは狭まった視界を緩慢に上げる。カエル、カエル、カエルと鈍器と時々ちらつく鎖の向こうに、ジュウゴ。


 ジュウゴが手を伸ばす。リクガメも手を伸ばす。踏まれる、踏みつけられる。顔を上げる。ジュウゴが転倒していた。その足首に巻かれた鎖をカエルの男が引いた。ジュウゴが背中で地面を滑る。足掻く。抗う。引かれる。引かれる。


 リクガメは立ち上がった。エゾアカガエルの甥も振り払い、ジュウゴに巻きつく鎖を足裏で踏み止め、鎖を握りしめるカエルを殴りつけた。男は驚いた顔のまま頬を陥没させて天を仰ぎ、同時にリクガメも膝をつく。


 体が動かない。これほど自分は重たかっただろうか。もっと減量しておけばよかった、と過去の怠惰な自分を呪う。重たい体を両手の付け根と膝を使ってようよう向きを変えると、尻を付いていたジュウゴが腕と肘で起き上がろうとしているところだった。リクガメは手を伸ばす。強張った指が開き切らなくて無様な握り拳のような形のままで。ジュウゴの頭を撫で回そうとする。はんかくせえな、何戻ってきてんだよ。でも助けに来てくれたんだよな、ありがとな…


 ジュウゴが遠のいた。あれ? とリクガメは思う。そして、ああ、と納得する。


 反抗期か。ヤマ君もそうだしな。イシクサも最近はなま意気っしトカゲちゃんなんて万年あれが平常うん転だ。あれだべ? 俺と対とうっていいたいんだべ? いっちょまえに生い気に、下僕のぶんざいでそのどきょう、


「いいね」


 直後に喉が締まった。リクガメは喉を掻き毟る。鎖、取れない、掴めない。


「リクガメ!!」


 ジュウゴが叫んでいる。どんどん遠のいていく。カエルはジュウゴを諦めてくれたようだ。エゾアカガエルの甥に感謝する。感謝? なして……。ああ、そっか、


 俺、あいつらば守りたかったんだ。


 止まった息と回らない頭の中で終わりゆく景色が徐々に白んでいく。


「リクガメぇッ!!」


 元気な声が遠く近くに響き渡る。無事ならそれでいい。お前でなくてよかった。本気で守り通した居場所(なかま)の無事を喜ぶ。でも、


―男の子ならモドキって付けようと思って―


 だっこしたかったなぁ。

 えらべてなくてごめん、す…


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