無念の思い
「ぐっ……!」
アンドレアスは追撃がないことを確認し、その心配はないと悟ると目の治療を開始した。
あまり深く斬られていなかったのは幸いだが、それでも目の治療ともなれば時間を多く要することとなるのは必然であった。
冥府の短剣によってつけられた傷のため、回復魔法はかなり効きづらくなっているはずだった。しかし、アンドレアスは『気にするまでもない』と強引に回復魔法を掛けた。すると、みるみるうちに眼球が再生していく。
このような事は、アンドレアスほどの卓越した魔法の腕でなくばできないであろう。
「……逃がした、か」
アンドレアスは、アンジェリカが飛行魔法を使い逃げていったであろう方向を見て、そうつぶやく。
その顔には、複雑そうな表情が浮かんでいたのだった。
―― ―― ―― ―― ――
俺は飛行魔法を使い、木々の上を飛行していた。
あまり飛行魔法を使い慣れていないというのもあるが、それを抜きにしてもやはり魔力の操作が安定していなかった。やはり、まだアンドレアスの持つ『魔乱の魔剣』の効果が切れていないからであろう。
体ではなく、手に持っていた剣に少し触れただけでこれだ。もし体に当たっていたら、どれだけ効果が持続したことか……。
雨のため視界が悪く、胸部の痛みが一段と酷くなってきた。このまま魔法を行使し続けるのは危険だろう。
俺はそう考え、一度森の中で身を隠すことにした。
「うぐ……っ!」
俺は倒れ込むようにして地面に着地すると、近くにあった木の下へと腰かけた。
戦闘中はアドレナリンが出ていたからかまだ平気だったが、今になって胸部に我慢ならない痛みが走る。
アンドレアスに蹴られた部分を触ると、感覚が前と少し違った。
「あー……これ、やっぱり折れてるな」
幸い内臓には影響ないようだが、少し圧迫してみるとかすかに骨と骨かがきしむ音が聞えてきた。
満身創痍とまではいかないが、かなり疲弊していた。それも、心身ともに。
俺は胸部に手を当てると、回復魔法を掛ける。
「リジェネレーション」
俺もアリスほどではないが、回復魔法を使うことができた。熟練度に圧倒的な差があるため効果は薄いが、それでもなにもしないよりは何倍もましだろう。
本当ならアリスに治療してもらいたいのだが、今はそんな泣き言を言っている場合ではなかった。
回復魔法を掛けていると、次第に痛みが和らいでくる。そしてしばらくすると痛みは完全に引き、軋轢音は聞こえなくなった。
体を動かし完治したことを確認すると、俺は自分が着ているドレスを見た。泥だらけであり、雨のせいで全身がびしゃびしゃにぬれている。
「……ひどいな、これ」
俺はドレスに《クリーン》を掛け、泥を洗い流す。
空を見上げたが黒雲は連綿と続き、一向に雨が止む気配はなかった。
――俺は、どうやら自惚れていたらしい。
苦戦することはあっても、今までは最終的にどんな相手でも倒すことができていた。しかし初めて本物の強者と出会い、自分が自惚れていることに気がついた。
圧倒的な力量差の前では、多少秀でた力などほかと差はないに等しいのだ。俺はそれを痛感した。
歯を食いしばる。自分の無力さに、自分の愚かさに怒りが湧いてきた。
なぜあの時に止めておかなかったのか。なぜあの時に気がつくことができなかったのか。なぜあの時に……。
脳裏を自己否定の言葉に支配され、それだけで頭がいっぱいになった。
『後悔先に立たず』。今から悔やんでもなかったことににはならないと理解している。しかしそれでも、悔やんでも悔やみきれなかった。
俺は猛省し、もっと強くなることを決意した。
―― ―― ―― ―― ――
「……ソータ、雪も降っているし中に入ったら?」
「いや、遠慮しておく!」
アリスは怪訝そうな面持ちで俺に話しかけてきた。だが、俺はバスタードソードを振りながらそれを断る。
俺はしばらくしてチェイスへと帰って来ていた。
帰ってくる頃にはすでにいくらか細雪がちらつき、あたりを少しだけ白く染めていた。かなり寒さも本格的になってきて、服を何枚も着込んでいる人を当たり前に見るようにもなった。
「風邪ひくわよ?」
「大丈夫だ!」
冒険者というのは、冬に狩りをするということはあまりない。
それは雪が降っていると動きづらいというのもあるが、一番の理由は冬に狩りをしてもうま味が少ないからである。
魔物のほとんどは、冬に活動することはめったにない。したがって、冬の間は獲物の数が全体的に減り、狩りの効率が著しく落ちるのだ。
誰しも寒い中しんどい思いをしてまで、大して成果の出ない狩りをしたいとは思わないだろう。
そういうわけで、冬の間はしばらく暇になるのだ。俺はその間にいろいろと鍛錬しておくことにした。
素振りをしたり魔法の練習をしたりと、できることはたくさんある。
「根を詰めすぎないようにね」
アリスはなにを言っても無駄と思ったのか、窓を閉めた。
俺はバスタードソードを降り続けたのだった。




