黄昏時のまどろみ
「――ふぅ……」
俺は温かいお湯に包まれながら、小さく息を吐いた。
現在、俺は風呂に入っていた。
チェイスには公衆浴場などはなく、それにここは俺たちの屋敷だ。
少し前までは屋敷に風呂場はなかった。では、なぜ屋敷に風呂場があるのかというと、改築して新しく風呂場を作ってもらったからだ。
チェイス……というかこの国における風呂の普及率はかなり低く、一部の貴族や物好きぐらいの家にしかないらしい。
それはなぜかというと、別に風呂に入らなくても《クリーン》を使えば清潔を保つことができるからだ。
それに、風呂は設置するのにも入るのにもお金や時間が掛かるので、『風呂は贅沢なもの』という認識があるのも大きい。
風呂場を作るのなら、クリーンが使える魔法使いを雇った方が何倍も安上がりだからな。
まぁ、改築にミスリル硬貨五枚もかかったが、後悔はしていない。
風呂場は六畳ほどで、その内の二畳くらいが浴槽になっている。
ずいぶん広いように聞こえるがこれでも狭い方らしく、広いところではなんでも浴槽が二十畳くらいはあるそうだ。
ていうか、俺はこれでも広すぎると思っているくらいだ。
あっちの世界にいた頃は一畳もないくらいの浴槽しか家になかったし、なにより俺がここを使うときは必ず一人になる。
この屋敷には俺のほかにもアリスとアルバニアが住んでいるが、男は俺しかいないのだ。なので、当然入る時間は分けることになっている。
俺は久々に入る風呂をゆっくりと堪能するのだった。
―― ―― ―― ―― ――
私はお出掛けから帰ってくると、リビングルームを目指して歩いていた。
「いま帰ったわよー」
私はそう言いながら扉を開ける。でも、誰の返事もなかった。
いつもはなにか用事がない限り、姉さんとソータは基本的にここにいるはずなんだけど……。
私は部屋を見回す。すると、ソファーにソータが座っているのが見えた。
「ねぇソータ、返事くらいはしてよ――って、寝てたのね」
私はソファーの前に回り込んでそう声をかけるが、ソータは目を閉じてぐっすりと眠っていた。
少し前まで本を読んでいたらしく、テーブルの上には栞の挟まった閉じた状態の本が一冊置かれている。
ソータは寝ている間に多少大きな声を出したところでは起きたりしない。
普段は隙が全然ないのに、なぜか寝ている間は反応が薄かったりする。この前なんてしばらく揺すっても起きなかったくらいだし。
冒険者としては確かにダメだけど、ソータのそういうところってけっこう可愛いのよね。
私はソータの横に座って、ソータのほっぺたを数回指で軽く突く。
「んっ、ん……」
ソータは小さく声を上げるだけで、起きる気配はない。
「ふふふっ……」
「んんっ、やめ……」
ソータがいちいち反応するのが面白くて、しばらく頬を突いて遊んでいると、突然ドアが開かれた。
いきなり開くものだから、少しびっくりした。
「あ、アリス、帰っていたのですね」
「えぇ、少し前にね」
ドアを開けて入ってきたのは、姉さんだった。
「そうだったのですか。もうしばらくしましたら夕食ができますが、すぐに食べますか?」
「そうね、それでかまわないわ」
「かしこまりました、それではソータさんを起こしてあげてください」
姉さんはそう言うとドアを閉めて出ていった。部屋の外からは姉さんが廊下を歩いて行く音が聞こえる。
「ソータ、起きて。もうすぐ夕食の時間よ」
私はソータのほっぺたを軽く叩いた。部屋に小さくぺちぺちという音が響く。
「んんっ……ん? ……アリスか、なんか用か?」
ソータは目を覚ますと、ゆっくりと体を起こした。
寝ぼけているのか、普段よりも目が細くしゃべるのがゆったりとしていて、呂律がちゃんと回っていない。
「もうすぐ夕食の時間よ、とりあえずダイニングルームに行きましょう?」
「……ん、わかった」
ソータは立ち上がると、ゆっくりとドアの方へと歩いて行く。そして、ドアノブに手を掛けて捻った。
「――いてっ」
だが、ソータはなぜかドアに頭をぶつけた。
ドアを引かずに押したようで、ちゃんと開かなかったみたい。
「ふふっ、なにやってるのよ、そのドアは内開きよ」
「……俺は寝ぼけてたみたいだな」
ソータはおでこに手をあてながら、苦笑をこぼした。
パッチリと目が覚めたみたいだ。
「ふふふっ……」
「……なんだよ、そんなにおかしかったか?」
ソータは目を細めて私を見つめてきた。
「いや、かわいなって思って」
「……恥ずかしいからそういうのはやめてくれ」
ソータはそう言うと、ドアを開いて部屋を出ていった。
こうするとソータは諦めて退散する。あまり褒められたりするのに慣れてないみたい。
「……ふふっ」
私もソータを追って部屋から出ていった。




