~十月六日~ 2
遊織は自らよりも低いところにある少年の髪をがしがしと掻き混ぜた。少年は驚いて遊織の手を振り払おうとする。遊織は逆らわずに手を離した。不満そうな顔でこちらを見ている。
「なんだよ、突然」
「ありがとな」
「は?」
遊織としてはいつも見ていてくれることに対しての礼だったが、少年の表情は困惑に変わる。しばらく釈然としない表情だったが、はっと思い出したように少年が口を開いた。
「そうだ、任務内容知ってる?」
「ああ。情報を盗むんだろう? 場所は知らないけど」
まだ詳細が決まっていなかったのか、それとも情報が残るのを避けたかったのか。遊織宛のメールには仕事の内容が詳しくは書かれていなかった。少年は頷いてどこからか一枚のメモ用紙を取り出した。それを受け取って場所と内容を確認すると、遊織はメモを返して腕時計を見た。まだ日付は変わる前。遊織は歩き出した。少年はメモに火をつけて後を追いかける。粉々にされた黒い塊が宙を舞った。
「どこ行くんだ?」
「こういうのは物理的にも近い方がよかったりするんだ」
この程度なら家からハッキングすることも可能ではある。けれど今回は相手の大きさも、傾向も分からない。下手をすればこちらの情報が漏れてしまう可能性だってある。少しばかり厄介だからこそ、自分の足で直接乗り込んだ方が仲間を危険に晒すリスクが低いのだ。時間もあまりないので調度いいだろう。
「なんで? 自分のパソコンだとデータ盗まれるから?」
「それもあるけど、場所の特定がされにくいんだ。怪しい反応が二つあったら、近くの反応は嘘だと思うだろ?」
納得できないような顔をしている少年に笑って、遊織はすたすたと歩き出した。
「例えば、お前が盗聴されてるとして」
「えっ?」
少年はぎょっとしたように遊織を見る。遊織は苦笑して「例えばだよ」と続けた。
「半径5キロメートルまでなら音を拾えるタイプの盗聴器だとしよう」
「ああ」
「それが見つかったとしても、隣の部屋の人間の仕業だとは思わないだろう?」
「……うん」
「近くにバンでも止まってれば、それの方が怪しく見えたりするんだ。それにな、セキュリティ関係のプログラムは案外誤作動を起こしやすい。どうせ手下がいるんだろうし、そいつらに持たせた通信機に反応することもある」
「そうなんだ」
「ま、灯台下暗しってやつだな」
「……なるほど」
極論に近いものがあるけれど、つまりはそういうことだ。システムの誤作動だと勘違いする人間が多いから、まさかと思うような場所で行なうのが一番安全。誰だって隣人の犯行をそう簡単には疑わない。マザーの監視下に置かれた現代ならなおさらだ。その心理を逆手にとって行動する。少年も納得した表情で頷いた。
遊織が立ち止まったのは指定された大きな屋敷の裏だった。昼間は真夏のように暑いとはいえ、夜は少し肌寒くなってきたから、外でじっとしている分には辛いものがある。家から着てきたコートは暖かいけれど、これだけでは心もとなかった。こんなところで風邪をひくなんて堪ったものではない。遊織は小銭入れを取り出して少年に放り投げた。少年は慌てて受け取ると疑いの眼差しをこちらに向けてくる。遊織はにっこり笑っていった。
「俺コーヒーな。ホットで」
「何でオレが!」
「暇そうだっただろ?」
少年は確かに落ち着き無くそわそわとしていたから、その一言にぐっと押し黙る。自分の仕事とか、その他諸々、思うところがあるのだろう。少年の仕事はきっと遊織の護衛だから、この場を離れることにも抵抗があるのかもしれない。遊織自身は身体を動かして戦うのが得意ではないけれど、護身術くらいならできる。逃げることになら自信があった。
遊織は傍にあった電柱に手をかけ、配電盤を開ける。電柱の配電盤が下についているタイプでとても助かった。屋敷に直接乗り込むには情報が心もとない。鍵はいつだったか彼女に貰った開錠セットで難なく開く。配電盤から電気を拝借するためにいくつかコードを弄りだした。元から繋がっていたコードをいくつか繋いで、一纏めにする。持ってきたケーブルを取り付けて、それを電圧計測器に繋いだ。当然のようにパソコンに繋ぐには電圧が高すぎるため、電圧を下げるモーターに繋ぐ。
「なんか手伝うことないの?」
「だからコーヒーって」
「分かっててやってるだろ」
「なんのことだ?」
しれっと言ってやると少年は不機嫌な表情を作った。遊織はじっと少年を見る。少年もじっとりと遊織を睨み返している。全身で不満を訴えてくるその姿が、やはりどことなくあの犬に似ていて、少し笑ってしまった。
「何笑ってんだよ」
「ごめんごめん」
少年を宥めるように謝れば、彼も大きな声を出すつもりはないのか、ふいと顔を背けてしまった。遊織の愛しい彼女もよく似たような態度を取るけれど、二人とも実年齢より幼く見えてしまうことに気づいていないのかもしれない。遊織がそれを指摘することがないから、一生気づかない可能性だってある。なんとも微笑ましい。




