ごはんとひるね、あとなでなで
「リク。お昼ご飯にしよう」
「ケイ、ちゃんとクラスに友達いる?」
昼休み。当然のようにクラスに来たケイに、リクはジト目で返した。
ケイは手に巾着袋を持っているが、リクはそれに見覚えが無かった。自分で作ったものではなさそうだ。
「大丈夫。ほら、友達にお弁当も貰った」
「ちょっと、今度作った人にお礼しないとじゃん! というかその人と一緒に食べなくていいの?」
「「食べてくれるだけでうれしい」って、お弁当もらった直後にどこか行っちゃった」
「それは本当に友達なの……?」
一体クラスでケイはどういう扱いなんだろうか。リクは今更ながら心配に思った。
休み時間にもいた中庭はケイのお気に入りで、昼食の場所もここを選んでいた。
「うわあ、とても手が込んでるよこの弁当。お弁当箱洗って明日ちゃんとお礼言おうね?」
弁当の中身はオーソドックスなものだったけど、唐揚げや煮物など、ひとつひとつ丁寧に作られているのがリクには分かった。アンドロイドである自分には食べられないが、きっと美味しいであろうことは見ただけで明らかだ。
ケイは唐揚げを箸でつまむと、無感動にそれを頬張った。
「美味しい……けど、リクの方がもっと美味しい」
「嬉しいけどそれ本人の前で言っちゃダメだからね?」
ケイはそういうところ正直すぎるというか、遠慮がない。彼女のいた環境とかも原因だと思うけど、そのせいでしばしば「アンドロイドみたい」と言われることがあった。
「ん」
「ん?」
不意に、ケイがリクに箸を差し出した。自分が食べられないことを知ってるはずなのにどうしたのだろうか、とリクは怪しんだ。
「んぁ」
リクが箸を取ると、ケイは薄紅色の小さな口を大きく開いた。リクは全てを察した。
「えー」
「ほら、はやく」
中庭には他の生徒もいるし、他の教室からも丸見えだ。当然、数多の視線がリクたちに突き刺さった。
でも、そんなことでケイが動じないことももう分かっている。
「あーもう、仕方ないなぁ」
リクは意を決して煮物の人参を摘んだ。そして、それをケイの口に運んでいく。
「はい、あーん」
「……ん。おいひい。リクが食べさせてくれるご飯は格別」
味なんて変わるはず無いのに。そう思うけど、満足そうなケイを前にそんなことは言い出せなかった。
「ほら、次」
ケイはまた口を開く。
「まだやるの?」
「ん」
今度は何も言わず、ただ口を広げるだけだった。リクは諦めた。
結局、弁当が空になるまでリクはケイに食べさせることになったのだった。
「ケイ、これ本当に気持ちいいの?」
「当然」
昼食後、リクは芝生の上で正座をしていた。
そしてその膝の上には、ケイの小さな頭が乗っかっている。
あーんだけに留まらず、膝枕まで要求してきたのだった。
視線は、まだたくさん突き刺さっている。
「リクは、そういうこともいっぱい学んでいかないとだめ」
「そうなの……?」
疑問に思いながらも、左手でケイのサラサラとした髪を撫でる心地良さを堪能する。それに合わせて気持ちよさそうに目を細めるケイを見るのは、確かに悪い気はしなかった。
「リクはこういうの、嫌?」
どう答えようか迷ったけど、リクは正直に答えることにした。
「ううん、嫌じゃないよ。ケイがして欲しいことなら、僕はなんでもしてあげる。君は僕の製造者で、僕は君の所有物なんだから」
笑顔で言ってみたけど、逆にケイは少し不機嫌そうに見えた。
「そういうことじゃないの」
「ええ?」
こうやって一緒に住んでいるはずでも、ケイのことはまだわからないことばっかりだなぁ、と思う。それだけケイの、人間の考えることは、リクにとってはとても難しい。
「えいっ」
「わっ!?」
がばっといきなりケイが起き上がると、今度は自分の頭を引っ張られた。
下に押し倒されて、しかし頭は地面とも芝生とも違う、柔らかくて温かい感触に触れる。
「実際に体験してみればいい」
視界には、綺麗さと可愛らしさの狭間にあるケイの顔がいっぱいに広がる。ケイの髪がカーテンのように日光を遮って、琥珀の瞳の輝きがはっきりと分かった。
そうしてリクは気付く。今度は、自分が膝枕をされているのだと。
「ちょっ、これ……っ」
「動いちゃダメ」
ああダメだ。また顔が火照ってしまう。
そんなリクの心のざわめきを無視するように、ケイはリクの人工繊維でできた髪を優しく撫でた。
恥ずかしくて、こそばゆくて、なのに、ずっとこうしていたい。不思議なステータスが、リクの感情プログラムを支配していた。
「あ……」
「今だけは、私がお母さん気分」
春風とケイの匂いが混じってリクに届く。それがとても心地よくて、リクは不思議な安心感に包まれていた。
「リク。かわいい、かわいい、私の、私だけのリク」
ケイのさえずるような囁きに、思考を溶かされる。それがケイがこっそり流しているスリープの命令コマンドだと分かっていても、抗う理由は無かった。
リクは瞳を閉じた。命令コードは受諾され、意識は途切れた。
「リクーーーー!! 何寝てるんだ!! 授業まであと5分切ってるぞ!!!」
「はっっっ!!!?」
上から響く風雅の声にスリープが解除され、意識が引き戻される。受信した時刻は風雅の言う通り、授業開始の直前を指していた。
「ケイ、そろそろ教室に……って寝てる!!?」
「くぅ」
よく見ると、視界に広がるケイの瞳は閉じられて、ふわふわと頭が揺れ動いている。明らかに意識が夢の中に行っていた。
「ケイ、起きてーーーー!!」
「……はっ」
「よかった。ケイ、早く教室に戻ろう」
立ち上がるとぱちっと大きな目を開いたケイに手を差し出す。しかし、ケイはそのまま動かない。
「……リク」
「どうしたの!?」
「足がしびれて、動けない」
「あ」
そういえばケイはずっと正座をしていたのだ。それも、リクの頭を乗せて、だ。
リクは動けない原因が自分にもあると思考した。ならば、責任を取らなければ!
「しっかり掴まっててね!」
「わっ」
ケイをお姫様抱っこの形で抱きしめると、中庭を全力疾走で駆け出した。
リクはアンドロイドである。身体つきから誤解されがちだが、その運動能力は人間を凌駕する。
今、ケイを抱えながら走るリクの速度は時速約20キロメートル。これは、マラソン選手の走るスピードにほぼ等しい。しかも、何度も角を曲がる校舎の中で速度をほぼ落としていない。
これがどういうことか。ケイは現在、絶叫系アトラクションを体験しているに等しい状態にある、ということだった。
「────」
表情は全く変わらず、しかし顔を真っ青にしたケイがリクの腕の中で震える。それに気付かないリクは、自身の計算通り授業の30秒前にケイの教室に着き、そのまま彼女を机に座らせた。
「なんとか間に合ったよ!」
「……正座」
「へ?」
「いいから、正座」
ガクン、と自分の身体が勝手に膝を折った。ケイの命令に逆らわないことはリクの思考の深層で規程されているから、仕方なかった。
ケイは真っ青な顔で、正座するリクを見下ろした。
「前から思ってたけどリクは気遣いが足りないと思う」
「それケイが言うの!?」
「黙って」
「はい」
あ、もしかして怒ってる?
リクがそれに気付いたときにはもう手遅れだった。
ケイは何も言わず、表情も変えず、ひたすらに睨むことでリクへの不満を表現し続ける。
それをクラスの一同が──ついでにさっき来た数学の先生も──呆然と見つめていた。
「あ、あの。ケイ、先生来たから、そろそろ」
「黙って」
「はい」
結局このクラスの数学の授業は中止となり、リクは現代文を欠席になったのだった。ついでに校内を高速で走ったことは先生にもこっぴどく叱られた。