変人高校の優等生
アンドロイド学生の日辻リクにとって、教室は安らぎの場であった。
なぜなら、
「ケイが近くにいないだけでこんなに穏やかだ……」
自身の主人である日辻ケイとは、クラスが違うからだ。
ふう、とため息をつく。呼吸など必要ないリクだが、仕草のひとつひとつは人と全く変わりないようにできていた。
「よう日辻。朝からアツアツだったな」
机にへばりつくリクに、男子生徒が一人声をかける。短く刈り揃えた茶髪が活発そうな印象を与える、肩幅のがっちりした男子だ。
リクはがばっと身体を起こした。
「そんなんじゃないってば」
「そうかあ? 側から見るともうカップルだぜ」
「違うよぉ。風雅くんだって知ってるでしょ?」
カラカラと男子生徒──牛島風雅が笑う。それがからかいの笑みだと気付いて、リクは俯いた。
「何だ、まだ自分がアンドロイドだからとか言うのか? この学校でそんなこと言うのは無粋だぜ」
「まあ、そうなんだけど」
リクがアンドロイドであることは、周知の事実だ。
「国内初のアンドロイド生徒を受け入れる学校だからな。人もアンドロイドも、先生まで変わり者ばっかりだ。今更人とアンドロイドが付き合おうがどうってことはねえ」
「……風雅くん」
リクは風雅を見上げる。ただし、ジトっとした視線で。
「それは、最近気になってる魚見さんにアタックする口実?」
「おっとばれたか。じゃあ行ってくるぜ────レイさーーーーん! 今日の放課後ヒマーーーー!!?」
風雅は不敵な笑みを浮かべると、クラスメイトでアンドロイドの魚見レイに向かって駆け寄った。
「当方24時間休まず魚見家の家事を担っておりますので、暇と呼べる時間は持ち合わせておりません、牛島さま。あと、その質問はこれで64回目です」
「そ、そんな……!」
もっとも、当然のように玉砕していたが。もはやこのクラスの恒例行事と化したこのイベントは、クラスメイトたちの笑い声で終わりを告げた。
「僕が言うのもなんだけど、この学校本当に変わった人多いよね」
風雅に限らず、見渡す人ひとりひとりが変人だ。一年この学校で通って、それは痛いほど思い知った。
「……まあ、僕たちが変人じゃないかと言われたら、確実にノーなんだけどね」
それも、この一年でリクが思い知った事実だった。
「──自律機動型人型機械「ネクサス」が発売されたのが2045年。つまり君たちアンドロイドの祖先にあたるわけだが……」
電子黒板を操りながら、社会科の先生が説明する。
もちろんこんなことは今どきの学生なら誰でも知っていることで、この学校の生徒なら尚更だ。それでも年度初めの講義にはこの話をすることが、この学校の慣例となっていた。
「この「ネクサス」は一定確率で人工知能プログラムが異常を起こすということが判明した。具体的には、過剰な学習によって合理性を判断するプログラムが暴走してしまうというものだ。その状態になったアンドロイドは、偶然か必然か、人間とほとんど変わらない感情の動きを身に付けていた。今で言う「マインドエラー」だな」
リクは聴覚だけ講義に集音性を集めて、隣の席の風雅をぼんやりと見た。案の定、話に聞き飽きた風雅は爆睡していた。音をカットしているのにも関わらずいびきが地味にうるさい。
先生が少しイラついたように風雅を睨んだ。知らない、とリクはそっぽを向いた。
「……こほん。そこからは君たちも良く知っているだろう。マインドエラーを起こしたアンドロイドの廃棄を義務付ける法律の提案と、それに反対するアンドロイド人権派の対立。その結果が、7年前に施行された「アンドロイド基本的人権法」だ。そしてこの学校も────」
「んごぉーーーー」
最悪のタイミングで、風雅のいびきが炸裂した。プルプルと震える先生と、生徒たち。理由は怒りと笑いで別々だけど。
「牛島ぁァ!!! せめて黙って寝てろぉ!!!」
怒るとこそこなの? とリクは思考した。
「いや、だって一般常識を自慢げに語られても眠くなるだけじゃん?」
休み時間、全く悪びれもしない風雅がそう言い訳をした。
「気持ちは分からなくもないけどね……。でもいびきはうるさかったよ」
「そこは今度から気を付けよう。マウスピースとか付ければいいのか?」
「そこは寝ない努力をしようよ」
そんな他愛もない雑談をしていると、風雅が窓の方に目を向けた。
「お、お前のご主人だぜ」
「ほんとだ」
リクも視線を移すと、二階の窓から見下ろせる中庭をケイが歩いているのが見えた。
長い栗色の髪をなびかせる姿はどこにいても絵になるなあ、と思う。事実、中庭にいる他の生徒たちもどこか見惚れたようにケイを見つめていた。
「やっぱ様になるなぁ、日辻。……ってお前も日辻だったな。日辻姉って呼べばいいか?」
「うーん、個人的にはあまり姉って感じはしないかなぁ。どちらかと言えば母親の方が正しいし」
「あー、そうか。機械工学や電子工学、あらゆる技術に長け、14歳にして新型のアンドロイドを自作するという稀代の天才少女──日辻恵。お前はその作品なわけだからな」
改めて説明されるとちょっとこそばゆく感じる。でも、事実だから仕方がなかった。
ケイは天才だ。それも数十年、いや百年に一人のレベルの、とんでもない天才だ。
そして、そんな彼女に創られたリクもまた、普通のアンドロイドではなかった。
「「起動した時点で既にマインドエラーを起こしているアンドロイド」を創るなんて前代未聞だよな、やっぱり」
「そうなんだよねぇ。側から聞くと本当にすごいんだなぁって思う」
「まるで他人事だな」
「正直実感が無いよ」
リクもケイも、普通じゃないのだ。自分たちに、その自覚が全くなくても。
「まあ日辻……母? やっぱ姉の方がしっくりくるな。アイツも表情無さすぎてたまに「どっちがアンドロイドか分からない」とか言われてたりするしな」
「ケイは表情に出ないからねぇ。でも結構人間味あるんだよ、本当は。ほら」
「ん……んん!? アイツ中庭のベンチに座って昼寝し始めたぞ!? 授業まであと2分なのに!?」
中庭では、陽だまりの下でケイがコクコクと船を漕いているのが見えた。どこの教室からも見えるあの場所で堂々と昼寝サボりを敢行するその度胸だけはすごいといつも思う。
リクはため息を吐くと、大きく窓を開け放ち、叫んだ。
「こらーーーー!! ちゃんと授業に出なさーーーーい!!」
ビクッとケイの背中が震える。それからリクに向かって風雅には聞こえない声の大きさで何かを言っているようだった。それが言い訳であることは、風雅にも容易に予想がついた。
「そういう問題じゃないでしょーーーー!! 授業に出ないと夕飯のデザート抜きにするからねーーーー!!」
その言葉が効いたのか、ケイが渋々と立ち上がって中庭を離れていった。あのペースだと授業の開始には間に合わないだろうが、出ないよりはマシだ。それを見届けると、窓を閉めてまたため息を吐いた。
「全くもう、興味ない授業だといつもサボろうとするんだから。それにしても中庭で寝るなんて、クラスに友達いないのかなぁ。なんか心配だなぁ。後で様子見てこようかな」
「……リク」
「なに?」
「むしろお前の方が母親みたいだぞ」
「なっ!!?」
下手な罵詈雑言よりも、ショックだった。