アンドロイドは人形みたいな美少女の夢を見るか
「リク。起きて」
肩を揺さぶられる感覚で目を開ける。
視界には、人形のように整った顔の少女が映っていた。
「……おはよう、ケイ」
ケイ、と呼ばれた少女は表情を全く崩さないまま、「うん」とだけ答えた。
無表情のままじっと見つめる姿は、日本人としては色の薄い栗色のロングヘアと琥珀の瞳も相まってなおさら西洋人形みたいだ。可愛らしいけど、同時に薄っすらとした怖さのようなものも感じて、少し申し訳なく思ってしまった。
気恥ずかしくなったリクは視線から逃げようと身体を起こそうとする。けれど、左右をケイの細い両腕に塞がれていることに気が付いた。
「あ、あの。ケイ?」
「なに?」
「僕、起きたいんだけど」
「そう」
ケイは「それがどうしたの?」と言わんばかりの顔で、リクに覆いかぶさる姿勢を崩さない。
「いや、だから、学校。もう7時半過ぎてるでしょ? そろそろ起きないと、遅刻しちゃう」
「大丈夫。朝ご飯の準備はできてるし、あと6分はこのままでいても学校には間に合う」
「それ始業10秒前に教室に着く計算でしょ!? ギリギリはやめようってあれほど言ってるのに! ……あーもう、起きるよ!」
「わっ」
出来るだけ優しく両肩を掴むと、強引に身体を起こす。栗色の髪がふわりと広がって、シャンプーの匂いが嗅覚をくすぐった。
ふたりは必然的に、ベッドの上で見つめ合う姿勢になった。リクの身体は普通の高校男子と比較して低めで、ケイと身長の差はほとんどない。当然、顔の距離も近くなる訳で。
「あ……っ」
「リク。顔赤い」
「だ、誰のせいだと思ってるんだよっ」
幼げで中性的なリクの顔が、ぽっと朱に染まる。
「うん。ごめん」
ちゅっ、と。
ケイはその紅い頰に口づけた。
「〜〜〜〜!!! ケイったら!!」
頰がさらに紅く染まった。
それは恋人のような、あるいは姉妹のような、どこにでもある朝のひと時。
たったひとつだけ違うとすれば、二人のうち片方は人造人間である、ということだ。
「リク、怒ってる?」
爽やかな風が吹く春の通学路に、二人の少年少女が並ぶ。
二人は同じ制服を着ていたけど、清楚に着こなしているケイに対して、リクはどこか服に着られているような雰囲気が漂っている。シックな印象のブレザーに対して、顔立ちや身体つきが幼いからかもしれない。それがリクには少し気まずく感じられた。
「そういう訳じゃないけど、何だか恥ずかしいんだよ」
「そうなの? 恋人とか家族なら頰へのキスは普通だって聞いたけど」
「そ、そうかもしれないけどさぁ! せめて同意を、ね!?」
ケイはふーむ、と顎に手を当てる。彼女はよくこうやってどこでも考える癖があった。
歩きながら思考に耽るケイの姿に、静謐な美しさを感じてドキッとする。この時の彼女は少し危なっかしいのでリクは違う意味でもドキドキするのだが。
「ごめん。思春期の男の子の考えはよく分からなくて」
「いきなり母親みたいなコメントされた……」
まあケイはこういう子なのだ。リクもそれを知ってるから、ちょっと世間知らずな彼女の言動を微笑ましくも思っていた。
とはいえ、直してほしいと思う部分もあるわけで。
「あの、ケイ。もう学校近いから手を……」
「なに?」
「そろそろ手を離してもらえないかなー、と」
「リクの手はひんやりしてて気持ちいい」
「そうじゃなくてね!?」
リクの右手とケイの左手が、がっちりと繋がっている。それは指と指を絡めたいわゆる恋人繋ぎというやつなのだが、鬼気迫るほど力を込めているケイの腕にそんな可愛らしさは微塵もない。
しかし顔は依然として無表情だ。ギャップがすごい。
「あの、ケイ。本当に、ね? 周りの視線がすごいからね?」
リクは周りをキョロキョロと見る。少し熱っぽい女子の視線とか、恨みがましく睨む男子の視線とか、色々いたたまれない気持ちになる。しかしケイはそんなこと知らないと言わんばかりに手に力を込めた。
「いいの。見せつけてあげればいい。私たちの関係を」
「関係ってただのご主人とアンドロイドだよ!!?」
「その先に行く気は無い?」
「その先ってどこ!?」
そう。そうなのだ。あくまでも二人は人間と機械。主人と従者。それだけなのに、ケイの瞳はどこか熱っぽく見えて、自分もドキドキしてしまう。
「リクは、嫌……?」
琥珀の瞳がじっと、リクを見つめる。
完璧に創られたかのようなその顔に見つめられて、ノーと言えるはずもなく……
「い、嫌じゃないけど……」
屈しかけた、その時。
「あぶなーーーーーーーーーーーい!!!!」
男の切迫した叫び声が、グラウンドから聞こえた。
声の方へ振り返ると、野球部のユニフォームを着た男子たちが、グラウンドからこっちを慌てたように見ているのがわかった。
「え、何!?」
「逃げろ!!」
声の理由は、ファールフライがグラウンドを越えて通学路に飛んでいったからだった。
周りの生徒たちが逃げ惑う中、ケイは未だに表情を変えないまま立っていた。その隣に立つリクも。
そして、
「危ないなあ、もう」
ケイの顔面に飛び込もうとしていたボールを、リクは片手で掴んだ。
「大丈夫ですか!! ……って、あれ?」
慌てて駆け寄った野球部男子が、その光景を呆然と見つめた。
ひょろっとした、女子にも中学生にも見える男子生徒が、悠々と片手でファールフライを掴んだのだから、無理も無かった。
「ケイに当たったらどうするんですか。そんな事は僕がさせないけど、まあ、一応注意してください」
「ご、ごめん……なさい?」
ミシミシと、野球ボールが軋む。中に金属が入っているはずのそれは、やがて球体から形を歪ませて、リクの手から零れ落ちた。
「あっ、君もしかして……!?」
リクの左耳に付けられたタグが、春風に揺れる。
『認可番号:201948』
それは、国に認定されたアンドロイドが身に付けることを義務付けられた認定タグだった。
「……あー、ごめんなさい。ボールだめにしちゃいました」
日辻リクは、日辻恵の所有するアンドロイドだ。
「で、どうしてケイは逃げなかったのかな?」
一応の落ち着きを取り戻した通学路で、リクは珍しく怒気を孕んだ声でケイに詰め寄った。
「ぶっちゃけ、何が起こったのか全く分からなかった。ボール見えなかったし」
「だとしても、とりあえず逃げるとかさあ!! 実際ちょっと動いてれば問題無かったんだし!!」
「結果論」
「開き直らない!!」
「リク母親みたいなこと言ってる」
さっき言ったことをそのまま返されて、リクはぐぬぬ、と押し黙る。
そんなリクの頭をケイは優しく撫でた。高精度の触覚センサーが、その体温を確かにリクに伝える。
「だって、何があってもリクが守ってくれるでしょ?」
ボッと、リクの顔が真っ赤になる。実際に血液が流れている訳ではないけど、リクの感情の動きを人口皮膚は正確に──あるいは人間以上に正直に──表した。
「そ、それはそうだけど……っ!!」
「ならいいでしょ?」
そして、そんなリクの姿を見て、ケイは今日はじめて表情を崩した。
柔らかな、微笑みに。
「ふふ、リクはやっぱりかわいい」
「け、ケイのばかーーーー!!!」
リクの顔はさらに紅く染まって、ケイの顔はさらに綻ぶのだった。
細々と、でもしっかりと続いている文明の中で、人を支える人型の機械──アンドロイドの存在は、着実に浸透していた。
現場で、日常で、そして家庭で。彼等は無くてはならない存在になりつつある。
しかし、同時に様々な問題も生まれた。
例えば、人と同じような感情の動きを見せるアンドロイド──「マインドエラー」の出現だ。
彼らは人なのか、機械なのか。その狭間で人と社会は揺れ動いていた。
これは、そんな世界の動きに関係あったりなかったりする、ひとりとひとつが一緒に暮らすゆるい物語だ。