05 早朝に
*
(……眩しい)
まだ薄暗い早朝。
麻のカーテン越しに届く光から逃れようと、ミコトは毛布に顔を埋める。
もふもふとした肌触りが心地良い。体温でほんのりとぬくもりがあり、うたた寝するには丁度いい。このままもうひと眠りしよう。そう思いながら寝がえりを打つ。だがしかし、意識はだんだんとハッキリしていく。何かが落ち着かない。
「――んぅ」
意識はまだ眠っている。
しかしその奥底にある核が熱を帯びているせいか、やはり二度寝はできそうになかった。
気だるい上体を起こし周囲を見回した。
(あれ……? ここは?)
見慣れない部屋。
壁はくすんだ灰色。恐らく元々は白だったのだろうが、月日がたって色あせたのだろう。よく見ると所々にヒビが入っている。大型の動物に体当たりされたら呆気なく崩れてしまいそうだ。多分来ないと思うけど。なかなか年季が入っている。備え付けのテーブルも戸棚も照明でさえもくたびれて見えた。
故郷の住処とは違う。
今まで、聖霊士に貸し与えられた寝床は何もかもが新品同様だった。
ミコトの意識がハッと鮮明になる。
「そっか私、ユエルイズノに来たんだ」
ベッドから抜け出し床へ降りる。ギシリと板がわずかに沈んだ。
カーテンの端から外の様子を探る。夕べとは違い、静かな街並みがある。その先の向こうに見える丈夫な柵や堀も静寂に満ちている。若干景色が霞みがかっているのがわかるが、異常はないようだった。魔物も睡眠をとるのかしら。素朴な疑問を浮かべながらミコトは窓辺を離れた。
「とりあえず街に出てみようかな」
二度寝ができない以上、ここに居ても手持無沙汰だ。時間がもったいない。
髪を結いあげ黒衣を着込んだ――が、それはまだ微妙に湿っている。気持ち悪い。昨日、魔物の返り血を浴びたヶ所を洗ったのだが乾かなかったらしい。おまけに負傷したヶ所は穴が開いた。
もうボロボロだ。
ギルドの任務はいくらほど稼げるのだろうか。たくさん稼いで衣服を新調しないと穴だらけになりそう。今までの衣服はすべて支給されているもので当然お金はかからない。結構良いこともあったのかと、思わずため息が出てしまう。
刀をベルトへ固定しようとした拍子に腕がズキリと痛んだ。
(見た目は全然大したことなかったんだけどな)
寝る前にその個所を確認した。
魔物の爪が食い込んだ場所。見た目はただの内出血だ。
衣服が犠牲になってくれたおかげで、紫色に変色してしまったものの外傷はほとんどなかった。どっからどう見ても大したことないケガに拍子抜けしてしまったくらいなのである。
「さて、と」
身支度を整え部屋から出る。細く長い廊下が続いていた。
ギルドは二階建てだ。
一階部分に食堂や医務室、鍛錬場といった施設が入っており二階部分が宿舎になっている。しかし稼げるようになった者は街に自分の住まいを建てることが大抵なため、空き部屋が多いとリンジャが寂しそうに言っていた。
静寂に包まれた館内に足音が響く。
なるべく音を立てないよう運んでも、古い床が軋みを上げてしまう有様だ。変に気を使ってしまう。早く自分の宿を見つけよう。あわよくば住まいを購入しようとミコトは心に誓った。
早朝のユエルイズノは意外にも静かだ。
街の大通りには出ず、ギルドの後ろから続く小高い丘へ繋がる道をゆっくりと進んだ。
見張り台だろうか。
高台から街を見下ろしながら大きく深呼吸をする。
取り込んだ空気に生々しい鉄の異臭などは含まれていなかった。やはり街は大きな丸太の柵でぐるりと護られていた。だが、その向こうに広がるのは草原と森林。わずかに湖まで確認できる。とても豊かな自然がある。故郷とは違う、そのままの良さがあった。
本当にここが戦況地なのだろうか。
ミコトは首を傾げた。
そよ風の心地良さは故郷と同じ。少し肌寒い。それくらいが丁度いいし大好きだ。
徐々に日が昇り始め、辺りには目覚めの気配があった。
(……落ち着く)
高台の柵にもたれながら目を瞑る。
こんなにも心安らぐ場所だとは思いもしなかった。
「まだ懲りてねぇのか」
声が聞こえた。
不意に、背後からだ。
気のせいじゃない。でも気配は全くなかった。咄嗟に振り返り身構えるとあの傭兵――ヴェルスが立っていた。白髪がツンツンと短く逆立ち、透明感のある翡翠の瞳が鋭く光っている。
理由のない威圧感にミコトの緊張は高まっていく。
「何か用?」
何に懲りてないというのか。何も言われる筋合いは無いはずだ。むしろこちらからの文句なら山ほどある。
視線を合わせたまま考えているとヴェルスが口を開けた。
「お前、バカなのか?」
「はぁ?!」
声を荒げると、彼はクツクツと声を押し殺しながら笑みを浮かべた。
そんな彼の様子にミコトの腸は煮えくり返る。
昨日から散々な態度を取られている――いや、出会ったのは昨日だ。それなのに悪態だけしかつかれていない。荷馬車で指摘し、共に戦うということはあったが、何がそんなに気に障るのかミコトには理解できなかった。とりあえず最低なのはわかる。やはりこれ以上一緒に這いたくない。清々しい朝を邪魔されて迷惑だ。とても腹立たしい。
(ギルドに戻ろう)
引き返そうと歩みだすと、ヴェルスが行く手を阻んできた。
まったくどういうつもりなのだろうか。けれども彼は何も言わない。振り払い、避けようと左右に動いても彼はまるで鏡のようにピッタリと動くのだ。無言の攻防戦が続く。気に入らないことがあるなら言えばいいじゃないか。このままでは埒が明かない。ミコトは大きく息を吐き睨みをきかせた。
「どいて」
「これは失礼。お詫びに道を教えてやろう、馬車乗り場は街の大通りをまっすぐ突き進んですぐだ」
「どうして行かなきゃいけないのかしら。行きたきゃあなただけで行けばいい」
「マジで懲りない女だな。ここはお前みたいな余所者が入って良い街じゃねぇんだよ」
「ルフェイから聞いたわ、あなたも余所者なんですってね」
「俺は特別なんだよ」
「そんなこと知らないわ」
「そうか」ヴェルスはニヤリと口元を歪め、ミコトの右腕を掴んだ。
「――っ」
刺すような苦痛に表情が歪んでしまう。
昨日ケガをした個所だ。何故そんなに正確に覚えているのか。戸惑いながら痛みをどうにかやり過ごし、ヴェルスの腕を振りほどこうともがく。けれども彼との身長差や力の差は歴然で、びくとも動かなかった。
「放して!!」
「お前が出ていくと言ったら放してやるよ」
「嫌よ!!」
「頭の悪いヤツは嫌いなんでね」
「――ぅあ……ッ」
ヴェルスはピンポイントでケガの位置を突いてくる。
自分が何をしたというのか。何がそんなに気に入らないと言うのか。苦痛に顔を歪めながらミコトは苦悶した。
どうしてこんなにも出ていってほしいのか。
考えてもわかるはずがない。
大体、彼は早朝のこんな場所に何をしに来たのだろうか。
訪れたのは初めてだが、吹く風は心地よく街や柵の向こうの自然まで見渡せるとてもいい場所だと感じた。何より静かだ。もし早起きできたのなら毎日でも来ていいと思った。もしそれがヴェルスも同じ考えだとしたら。
(ここに一息つきに来ているの……?)
とても意外に思えた。てか、有りえない。そんなことを考えた自分に腹が立つと、ミコトは眉間にしわを寄せる。
だがしかし、彼のことを知っているわけではない。
この街に居る者は何らかの事情を背負っている。そう騎手も言っていた。それに自分自身だってそうだ。なのにルフェイもリンジャも何も言わなかった。それがこの街のルールだから。暗黙の掟があるとしても、何かを背負っているのに変わりない。
(大嫌いだけどこの人にも必ず何か理由がある。だからこの街に居て、一人で強くて……みんなはみんなで強いのに――一人で居なきゃいけないワケがあったりするのかも、しれない。そう思ったらまだ許せる――ことはない! イライラする。でもこの状況をどうにかしなきゃ)
ミコトは抗う力を抜く。
するとヴェルスが「あ?」と眉を吊り上げた。
「放してください。私は、あなたと事を構えるつもりはない」
「だったらこっから失せろ」
「できません」
「何?」
「私に行く場所などない」
「元居た場所で平和に暮らせばいいだろうが」
「じゃあ、あなたがそうすれば? 私には帰る場所なんかない。遊びで来たわけじゃない」
彼は何も言わなかった。
じっと睨み合いが続く。視線をそらしちゃいけない。ミコトは自分に言い聞かせる。しかし鋭い翡翠の眼光は、自分ではなく何か別の物を捉えているように感じた。なんだろう。反射的にその先を追おうとしかけると、傍から柔らかだが厳しい青年の声が聞こえた。
「その子が何かしたのかい、ヴェルス」
「俺の忠告を無視しやがった」
「出会ったのは昨日だろう。いつ親密な関係になったんだい? それとも、その子は君の身内だとでも? 少々お節介すぎるんじゃないのかな」
ヴェルスはつまらなさそうに舌打ちをする。「早く帰るんだな」そう吐き捨ててからミコトの腕を放した。
「ルフェイ、お前は世話を焼きすぎるんじゃないか」
「さぁてね。必要最低限だよ」
「せいぜい偽善者にならないように気を付けるんだな」
ルフェイを睨みつけながら彼は高台を下っていく。
(一体なんだったんだろう)
ズキズキと痛む傷のヶ所を庇いながら彼の背を見詰めていると、ルフェイが心配そうに顔を覗き込んできた。
「あの人はいつもあぁなんですか?」
「どうだろうね。あんまり誰ともかかわろうとしないんだけど、困ったことに悪態だけは立派なんだよね。それでいて強いもんだから、誰かに嫌われようが関係ない。ただ直接危害を加えるのは初めてなんじゃないかな。そんな噂はなかったしね。他人に興味を持つなんてビックリだよ。だからちょっと気を付けないとね」
「目についたら絡まれそうです」
「心当たりは?」
「どこから考えればいいのか……」
「一人にならない方が良いかもしれないね。で、本当に大丈夫かい? 腕かな? 痛そうな感じがしたけれど……」
「大丈夫です」
「ならこのまま任務へ行こうか。そろそろ時間だし。どこに行ったのかと思ってちょっとヒヤヒヤしたよ」
「え?」
「もう忘れたのかい? 昨日言ったじゃないか」
「――ぁ」
ミコトはハッと思い出す。お互いの実力を確認するため、簡単な任務に行く約束のことだ。すっかり忘れていた。ルフェイに深々と頭を下げると、彼はおかしそうにケラケラと笑った。
「君の部屋に行ったのだけどもぬけの殻でね、散歩でもしていたのかい? それともヴェルスに呼び出されたとか?」
「いえ、会ったのはたまたまです」
「すごい偶然だったんだね」そのまま彼は高台の縁にもたれ掛る。「僕もここが好きなんだ。風が気持ちいいだろう? ちょっと一息つくときには打ってつけの場所さ。まぁ、元々は兄さんに教えてもらったんだけどね。そのときは何も感じなくて、僕はすぐに帰っちゃったんだけど……」
不意にルフェイの表情が暗くなった。
何かを悔やむように眉間に皺が寄っている。
ミコトは何も言わず、そよ風に髪を踊らせていた。しばらくして彼がポツリと言葉をこぼした。
「僕には兄さんが居たんだ。二つしか違わないのにずっと強くて、しかも聖霊士だった。僕たちの父はギルドの頭領で、兄さんが継ぐと決まっていたよ。でもある日、兄さんは何処かに消えてしまったんだ。手がかりはなかった。キレイさっぱりにね」
ルフェイは苦笑した。
「だから僕がこうして頭領になったんだけど、やっぱり大変だなぁって思うよ。だけど、兄さんは小さい頃からこんな重荷を背負わされ続けていたんだってわかった。僕はなにもしてあげられなかったし、わかろうともしなかった。今思えば兄弟らしいこともなかったかな。いつも兄さんは――……」
そう言って、ルフェイは遠くを見るように黙り込んでしまった。
なにか気の利いた言葉がないものか。必死に模索しても何も出てこず彼と一緒に遠くを見つめた。
聖霊士を育成する施設で育たなくても聖霊士となる例もあるが数は圧倒的に少ない。聖霊と契約するについて――彼らから力を借りるリスクの知識が十分でないことから、短命かつ暴走後、魔人として変貌する最悪のケースもある。
もしかするとルフェイの兄は――とミコトは感じた。
「――ぁ、ごめんごめん。こういう話をするつもりはなかったんだけどね」
忘れて。と、彼は踵を返した。
「リンジャが心配しているかもしれない。君のこととても気に入ってるんだよ」
そう言って苦笑するルフェイの後を追った。
*