26 地を統べる聖霊(上)
*
「聖霊を従わせる、ね」
ルフェイの反応はミコトが思っていたより冷静なものだった。
「可能なのかい?」
「あ、いえ、試したわけではないのでわからないです」
「そうか……」
ルフェイの部屋――ギルド頭領の執務室に故郷からの使者はいない。
ギルドに戻った時にはすでに話は終わっており、使者の姿はなかった。しかし、未だ彼は街に滞在しているようで、手の空いた傭兵に周辺を案内されているとのことだった。
どうやっても連れ帰るつもりなのか、帰りにくいだけなのか、ミコトには彼の心中はわからない。が、些か気の毒に思えてくる。とはいえ変えるつもりはさらさらない。
「例え魔物を使役できたとしても、根本的な問題解決にはならないだろう――というのが僕の見解ではあるが……ミコト、君はどう思っているのかな?」
「よくわからないです」
「というと?」
「命を狩るというリスクが管理されるというだけで、魔物にとっても人間にとっても何も変わらないんじゃないかと」
「君の管理下に置くようになるだけ、か」
「いえ、明確にはわかりません。従わせられるという言葉の意味からの推測なので、それができるかどうかも怪しいですけど……」
「どういうものかわからなければお手上げだね」
ふぅむ。と、ルフェイは重たいため息をこぼした。
ギルド頭領というだけで責務は山のようにある。また問題を抱えさせてしまったとミコトは眉をひそめた。試せ、と彼に頼まれれば自分はそうするだろうか。できるというアルヴァリウスの言葉があるとはいえ、方法がわからないのでは試しようがないというのが現状でもある。
やはりあの使者に訊くしかない――と考えていたとき、ルフェイが「あ」と顔を上げた。
「そういえば、リンジャと一緒に助けに行ってくれたんだってね。助かったよ、ありがとう」
「いえ、手が空いていたので――……」
ふと、ミコトはあの格好を思い出し右手で両目を覆い天を仰いで羞恥心をやり過ごそうとした。
どうかしたかい? とルフェイが苦笑する声が聞こえ、反射的にイラっとしてしまう。あえては言わないが知っているのだろう。優しさではなくちょっとした悪戯心に違いない。
ミコトはルフェイを睨みつけるが彼はまだ苦笑していた。
「ルフェイはどんな話を?」
「ああ」
遠くを見るルフェイ。
どこを見てるんだろうか。
ミコトも反射的に視線の先を追う――が何も異常はない。必要最低限のものが取り揃えられた書斎。雰囲気を飾る煌びやかな置物や絵画などはない。だがどこか威厳や風格が感じられるのは、街を守るギルドの長が居るからだろうか。
ルフェイが口を開いた。
「君の里の事を訊いたよ」
「――え」
なんて?
不意の言葉にミコトの鼓動がドクンと高鳴った。
どうして? なんで? それが素直な気持ちだ。猛烈に押し寄せてくる不安に、ミコトは自分の口が開いたままになっていることに気付かなかった。故郷の事? 自分に不審に思われることでもあっただろうか。聖霊士を育てる閉鎖空間。大抵の人は内情を知らない場所。そんな里を知れる機会があれば誰しも聞きたがるだろうか。
不安を募らせながらルフェイに尋ねた。
「何故です?」
「問題だったかな」
「いえ、気になるだけです」
「もちろん、好奇心は全くなかったと言えば嘘になってしまうだろう。知りたいことはたくさんあるし、情報というのは知っておいて損はないものだ。けれど僕はまず、彼が本物かどうか知りたかった。未だ混沌の地域は多いからね。聖霊士を狙う輩も多いだろうし、欺いて信仰を促す者もいるだろう。君がアルヴァリウスと契りを交わしたという噂も、どこまで広がってしまったかわからないからね」
「そう、ですか……」
「何か心配かい?」
「いえ、なんとなく」
「大丈夫さ。君はもうこの街の住人――僕が守る大切な人の中のひとりだよ。本当に僕は彼らについて知りたいし訊きたいことがたくさんあったからね」
「それって何か訊いても良いですか?」
「……そうだね。正しくは『問いただしたい』かもしれないけれど、なぜこの街に――ユエルイズノに聖霊士が来なかったのかを訊きたいのさ」
一瞬、ルフェイの瞳が淀んだ。それを見たミコトはハッと息を止めた。
ギルドの外、木々の揺れる騒音がやけに大きく感じる。
もしも、もっと早く聖霊士が来ていればルフェイの兄も救われていたかもしれない――ヴェルスも、違う形でルフェイと一緒にこの街を支えていたのかもしれない。兄弟が離れ離れになる結果にはならなかったかもしれないと、ミコトは床に視線を落とした。
だがそれが原因だとは断言できない。
魔物と人間の生存争いが一番激しいこの地で、いつどこでなにが起こり命を落とすかはわからないのだ。聖霊士を向かわせなかった里に非があるとは言い切れない。そのことをルフェイも重々承知したうえで、あの使者に訊いたのだとミコトは重く受け止めた。
「すみません……」
「君が謝ることじゃないさ。まぁ、こういうことを根に持っているのは頭領としてはどうかとおもうけどね、どうも割り切れないみたいでね。聖霊士が派遣されないことが事態の絶対的な解決方法ということではないだろうし。魔物に対する特効的手段が確保されるだけで命が約束されたわけじゃない。けれでも、どうしても思ってしまうこともあるのは、まだまだ僕が未熟な証拠かもしれない。聖霊士は希少だ。そういう事情も考慮して、彼らがどういうものか対話して知っておきたかったのさ。まぁ、よくわからない答えだったけれど」
ルフェイは困ったように笑うと、大きく伸びをした。
「君はこの街が気に入ったかい?」
ミコトはまっすぐ彼を見た。
「大切です」
ルフェイはありがとう、と万遍の笑みを見せた。
「アルヴァリウスのこともあるけれど、もちろんそれがなくても君にはこの街に居続けてほしいと思っている。魔物を使役できるかもしれないことも君が良いというのなら僕は喜んで協力しよう――が、ギルドではなく僕個人としての協力と考えてほしい。兄さんも何か知っていたかもしれないしね」
「良いの?」
「もちろんさ」
そう言いながら彼はが窓の外へ視線を向けた。
ミコトも追って見る。一見すればのどかな街だ。とても心地よく街の人柄も喜作な人ばかりで温かい。だが、一歩外に出ると危険と隣り合わせの現実が待っている。ここまでの街を作り上げてきた手腕を考えると、ユエルイズノは世界屈指の場所であるとミコトは思う。
「きっと、君と出会ったのも何か意味があるんだろう。僕自身向き合いたい事でもあった。君を言い訳にするようで悪いが、ちゃんとした僕の意志だから安心しておくれ。よろしく頼むよ」
「ありがとう、ルフェイ」
ルフェイの握手に応えた。
ヴェルスよりも小柄で細身であるが、しっかりとした筋肉が備わっている。手は固くゴツゴツとしていた。
「――ところで、君はあの件を使者君に尋ねたいのだろう?」
「どうしてそれを?」
「すまないね、ガイにこっそり訊いたんだ」
あの野郎。とミコトは内心で舌打ちした。
そんなミコトの反応にルフェイは慌てて補足を加える。
「大丈夫、彼にも他言しないよう念を押してある。それに、まぁ、ガイは古参だからね。僕に色々助言してくれるのさ――と、すまない話がズレたね。君が使者君へ訊くことは許可する――が、僕も同席させてもらうよ」
「ルフェイも?」
「まだ君を連れ帰ることを諦めていないようでね、君の腕は認めているが警戒はしておきたいのさ」
「それは心強いです」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
その夜、会談が行われることになった。
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