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25 戯れ(下)






 二階奥にあるリンジャの部屋から足早に入口へ向かう。

 腰に携えている刀の重さがふわりとしたスカートのボリュームを押さえつけ、それが脚に絡みついてきて妙に歩きにくい。我慢、我慢とミコトは自分に言い聞かせていた。

 ギルドを出たリンジャはすぐ傍らにある馬小屋に向かった。

 

「無駄に体力消耗したくないし急ぐから馬で行くわよ!」

「え――」


 さっそうと騎乗するリンジャを横目に呆然と立ち尽くす。

 馬車はあるが馬に直接乗ったことはない。リンジャが赤髪のポニーテールを揺らしながら軽々乗りこなしている様を見ると、案外簡単なのかもしれないと錯覚してしまいそうになる――が、だからといって大丈夫だ、と無謀に挑戦する勇気はない。だが確かに街の入り口までは距離がある。

 どうしたものか。

 自分だけ走っていこうかと考えてたら、不意に手を引かれた。


「宜しければ一緒に」

 

 ミコトの手を引いたのはソォルだった。

 彼は騎乗すると手を差し出した。躊躇わずその手を取ると、グイッと引き上げてくれた。楽々と乗り、ソォルの前に横座りで腰かける。なんとも不思議な感覚だ。当然馬車よりも遥かに視点が高い。すぐ傍にあるソォルの横顔がやけに整って見え、まじまじと見てしまう。

 

「どうかしました?」

「い、いや何も別に。馬、操れるんだね」

「みたいですね」

「みたいって――」

「実は初めてなんです。でも不思議とできる気がしたので……。魔物との繋がりがあったからかわからないですけど、なんとなく生き物の気持ちがわかるような気がするんです。彼らにお願いすれば、動いてくれます」

「それって――」


 動き出す。

 ミコトは舌をかまないよう反射的に口を閉じた。

 訊きたいことが山ほどある。

 何食わぬ顔で馬を操る彼は、まっすぐ進路を見据えていた。

 ソォルはいつからそんな力を? リンジャやルフェイは知っているのだろうか。

 手綱を握るソォルは依然堂々としている。乗馬が初めてというのが信じられないくらい落ち着いているのだ。もしかして案外簡単だったり? とりあえず自分も習得しておいた方が良いだろうと考えていると、街の入り口――巨大な柵の門が見えた。傍に人だかりがある。一行は近くに止まり、ミコトは無事に地面に足をついた。

 

「どういう状況かしら」


 リンジャが一目散に動く。

 結界のギリギリ――門の外に目をやると、少し丘だったところに魔狼がうろついているのがわかった。そしてその近くに数人が身を寄せ合い耐えている。結界の範囲はギリギリだ。女性と子供数人がいる。動かない限りは大丈夫だろうが、突風などで体が結界外に出てしまえば餌食となるだろう。

 

「ミコト、どう思う?」


 目視できる魔狼三匹――だが、どこかに潜んでいることも大いに考えられる。

 もし周囲にその倍潜んでいると考えても一手に引き受けるのは少々苦しいだろう。リンジャの得物は短刀。体術はあれど、彼らの素早さとリーチを考えれば難しい。

 どうしたものかと、悩んでいるとソォルがポツリと断言した。

 

「三匹だけです」

「へ?」

「少し離れて別の個体もいますが……、この場には三匹ですね」


 リンジャが驚き目を見張る。

 

「それって魔物の数がわかるの?!」

「なんとなくなんですけど。淀んだ気配――みたいなモヤッとしたものがあります」


 ミコトはリンジャと顔を見合わせた。

 それが本当ならば手は打ちやすい。信じるか、信じないか。リスクはあるが効率的に戦略できる。だが彼の力がどれほど正確なのかはわからない点では危ういラインだ。しかしながら三匹という数が本当ならばミコト自身だけでの討伐は濃厚で、街人を安全に救出することができる――が、リンジャはどうだろうか。

 そう彼女を見たとき、短剣の柄を握る指先が微かに震えていることに気付いた。


「……リンジャ、大丈夫?」

「ごめん、自分ひとりって緊張するね。もちろん二人はいるけど、やっぱ魔物は怖いなって思う。でも、今あの人たちを助けられるのはあたしたちだけだからやらなきゃってわかってるんだけど……」


 三匹という情報もいつまでかはわからない。

 刻一刻とかわる現状。チャンスは今だ。迷っている暇はない、とミコトはリンジャに笑いかけた。


「リンジャ、お願いがあるんだけど」

「?」

「髪を束ねてる紐、貸してくれない?」

「わ、わかったわ」


 彼女は一拍置いてから、自分の髪を解いた。リンジャの赤い長髪がサラリと落ちた。そうして真紅の紐がミコトの手に渡る。ミコトはそれを受け取ると、淡藍色の髪を高くまとめ上げた。


「私が先に出て魔物を引き付けている間に彼らを街へ誘導してください」

「ミコト?! ちょっと待ってあたしが――」

「それが最善だと思うから」


 リンジャと数秒見つめ合う。

 真紅の瞳が不安そうに揺らいでいた。

 

「大丈夫。街の人たちをお願い」

「……わかったわ」


 リンジャが頷くのを見届け、ミコトは呼吸を整えた。

 土ぼこりの香りに交じり、微かに鉄の異臭もする。風に乗って運ばれてくる知らせをどこまで読み解くか、無視するか。どこかで何かが血を流したのか。人か動物か魔物か――あるいは聖霊か。

 ソォルのように感じることはできないが、彼らの間に立ち守ることはできる。


「できるだけ離します。私が魔狼と交戦に入ったら刺激しないよう結界に入りつつ動いてください。命の多い方が反応しやすい。結界の生の匂いを断ってくれる効果は万能じゃない。油断しないように。もしそちらに向かってしまった際はリンジャが応戦しつつ街へ急いでください」

「わかったわ……」


 森での出来事から魔物と相対したことはない。

 大丈夫だろうか。あんなに戦ってきたのに不安になる自分に苦笑する。

 いや、いつでも駆け引きは恐ろしいものだ。

 ミコトは生唾を飲み込んだ。

 

 ギルドでの静養を基本に街内での手伝いやリンジャの補佐として報告書の整理が主だった。ヴェルスに稽古をつけてもらってはいたが、本来の目的である聖霊術に関わる訓練は行ってはいない。本当に教えるつもりはあるのかと言いたいところだが、本音を言える相手でもないとミコトはヴェルスの趣旨に従うことにしていた。

 そうして久々の実戦。

 結界の回りに居座り続ける三匹は、いまだこちらには気付いていない様子。

 ミコトはゆっくりと街の結界の外に踏み出した。

 ピクリと、魔狼たちが顔を上げる。

 ミコトは彼らと目を合わせながら距離を取る。魔物もそれにつられてじりじりと動く。引きつけは成功だろう。よし、とミコトは一気に駆けだした。一目散に街から離れる。魔物の荒い息と騒々しい足取りがしっかりと自分を追いかけてきていることを確認しながら、全速力で走った。

 スカートの裾がふわりと舞い上がり、脚に絡みついてくる。

 もう着ない! と決心し、布をたくし上げながらチラリと後ろを確認した。

 三匹ともついてきている。街との距離も十分だ。残念ながらリンジャたちの動向の確認はできなかったがそこは何となく大丈夫な気がする。


 ミコトは着地した右足にグッと力を込め――反転するとともに抜刀した。

 魔狼との距離は丁度彼ら二匹分くらいだろうか。いける。ミコトはそのまま地を蹴り、魔狼の脚へ刃を滑らせる。勢いのままドシャリと地に落ちる個体に刀を突き刺した。残された二頭が飛びのき距離を取る。どうやら続けて襲ってくることはないらしい。街へくる道中に会った個体とは違い考えることができる厄介な魔物だと、ミコトは睨みを利かせた。

 油断大敵だ。

 ズルリと引き抜いた切っ先が、ドクンと鈍い熱を持ち始めたのがわかる。

 

「慣れないな」


 ズクンズクンと息づく生々しさが柄から指を伝い、ミコトの身体へじんわりと伝わってくるのだ。

 正直言えば気持ち悪い。不快である。これが本当に父の形見なのだろうか。いわく付きで、一緒に厄介払いされたんじゃないか。そう思えるくらい何か奇妙で不安な刀だと思った。

 もしかして使い方間違ってるとか? でも知らないし。何も言わないし。

 思わずため息をついてしまう。が、どうにもならないことだ。


「一度里に帰って訊くべきなのかな」


 魔物は低く唸り声を上げた後、間髪入れず二匹同時に飛び出した。

 なるほど、挟み撃ち作戦だ。


「よっ」


 だが幾分かヴェルスの槍術の方が速い。

 ミコトは悠々と飛び退き距離を取ろうとするが魔狼の追撃は容赦なかった。確実に命を奪わんとせん攻撃が繰り出される。牙を刃で受け流しながら、魔狼の肢体へ突き入れようと進めるが、もう一方に阻まれてしまう。抜群のコンビネーションだ。あと一歩というところ。いつのまにか息が乱れつつある。魔狼の策だろうか。


『何故避ける』

「ひぁ?!」


 不意のアルヴァリウスの声にミコトは短い悲鳴を上げた。


「やられろと?!」

『其方は守りすぎる』

「無茶はしない。死にたくないもの」

『何故使わぬ』

「は?」

『……無知。己を高めるのは武だけではない。其方は聖霊士。そして其方が契約せし我はこの地を統べる聖霊ぞ。我以上に高位な聖霊は存在せぬ』

「――何が言いたいの……?」


 ミコトが行っている行為は魔物の討伐、だ。

 その意志は宿っているアルヴァリウスにも自動的に伝わっているだろう。

 そしてそれを達成するために命の駆け引きをしている。だがアルヴァリウスが首を突っ込んで助言してくるということは、その他に最善となる策があるからといえる。

 ミコトは、アルヴァリウスの言葉に耳を疑った。


『彼の聖霊を従わせればよいだけのこと』

「……従わせる?」

 

 ちょっと待って。今なんて?

 ミコトは魔狼の牙を刃で弾き、距離を取った。

 聖霊を従わせる? 目の前のアレらを? 人間にとっては敵でしかない、先方にとってもこちらは獲物でしかない。それを使役するだって? だがしかしそんなことができるのか。

 ミコトは混乱した。

 例え、従わせられたとしても、どこまでその効果が持続するかはわからない。使役したからといって、街の中に持ち込むということは以ての外だ。魔物は命を求めて活動する。街を――人間を襲うことに変わりない。生に惹かれ焦がれた聖霊が生き物に憑き果てた形だ。やがて手に負えなくなり命を求める魔物となる。そして聖霊たちは楔を断ち切ってほしいと聖霊士に――願っているのか?

 ミコトはハッとして魔物に目を凝らした。

 狼に憑いている聖霊は見えない。一体化してしまっている。聖霊が、狼として生きている?


「討伐対象じゃない魔物もいるってこと?」

 

 魔物化しても、従来の動物と変わりない生き方をしているのなら、自然の摂理となんの変りもないのではないか。ポツリとミコトの思考に疑問が生まれた。

 あの大蛇のときのように手に負えなくなって暴走して助けを求めているのとは明らかに異なる。狼としての性を謳歌しているのだ。本能に従っている。暴走、ではない。それを考えれば普通の狼とてなんの変りもないじゃないか。

 なら、聖霊が宿る私はどちら側なのだろうか。

 どちら側につくべきなのだろうか。

 たまたま居合わせたから人を助ける?

 たまたま居合わせたから魔物を討伐する?

 これが本当に共存を目指すために生まれた聖霊士?

 そもそも共存って?


「聖霊が、ただ人に憑いただけ……?」


 だとすれば自分はどうなる?

 今は自分があっても、やがてあの大蛇のように――魔人のようになってしまうのだろうか。

 

『愚か者めが』

「は?!」

『魂に聖霊の干渉を受ける人間など易々と選ぶわけなかろうが。宿主の崩壊は己の崩壊をも意味する』


 アルヴァリウスの言葉を聞き、ミコトは胸を撫でおろした。そうして今一度目の前の魔狼を見据えた。

 狼はもう狼ではないのだ。

 その責任を取れるのは聖霊士しかいない。形を正すのが聖霊士の役目だろう。

 

「はぁっ!!」


 ミコトは地を蹴り真っ直ぐ魔狼の懐に飛び込んだ――がスルリと避けられてしまう。しかしそれが狙いだ。無防備になった魔狼の横腹へ刃を突き入れそのまま振り落とした。刀はまたもやズルリという気持ち悪い感触をミコトに伝え、地に叩きつけた個体を完全に果てさせる。

 残りの魔狼が背後から飛び掛かってきた――が、遅く感じる。

 腰の帯ベルトから鞘を外し、魔狼に食らいつかせた。肢体はミコトの背丈より少し大きいくらいだが痩せているせいか重さはそれほど感じられない。覆いかぶさろうと体重をかけてくる魔狼の懐に蹴りを入れ、怯んだ隙に喉元を一線した――が、体毛に阻まれ致命傷には至らなかった。

 

「ちゃんと終わらせる」


 喉元から体液を滴らせる魔狼がフラリと立ち上がる。

 睨みを利かせる魔狼をミコトはしっかりと見据えた。赤い瞳は魔物の印。肉体が腐り果てるまで動き続け、もちろん繁殖もできない。聖霊が憑いたときから道理から外れた存在になる。すでに、狼ではないのだ。

 体液を撒き散らしながら飛び掛かってくる。ミコトも踏み込み、魔狼の額一点に突き入れた。やはりあの不快な感覚がしっかりと伝わってくる。


『従わせれば良いものを』

「貴方はどっちの味方なの」


 だがアルヴァリウスは何も言わなかった。

 一体何が言いたいのだろうか。ミコトはため息をつきながら街へ戻った。門の傍――結界があるギリギリの場所でリンジャが手を振り出迎えてくれた。救い出された街人たちが深々と頭を下げていることに気が付く。「お疲れ様です」とソォルが笑顔を見せ、そのまま街人たちに向かって行った。

 

「ケガはない?!」

「ありがと、大丈夫」


 よかったと胸を撫でおろすリンジャの後ろに細身の傭兵が見えた。

 ガイだ。

 

「ご苦労さん」

 

 彼はミコトの姿を一目見て容赦なく苦笑を漏らした。


「嬢ちゃん、無茶もほどほどにしろよ」

「不可抗力です」

「ま、ケガもないなら良いってことだな」


 だが事態はまだ収拾しなさそうだった。

 リンジャとソォルは今回の当事者となった街人に事情を訊き、例え薬草の採取が結界のすぐ傍であっても傭兵を同行させることにする案をギルドで審議する形となった――が、本題は活発化する魔物への対策だろう。問題は積もる一方だ。


「ところで嬢ちゃんはこれからどうするんだ?」

「ギルドに戻ります」

「んじゃま、行こうぜ。あいつらは処理があるからな」

「あ、ちょっと待って」


 髪をほどきながらリンジャのもとへ向かう。


「ごめんねリンジャ、ありがとう」

「あ、ううんこちらこそありがと。それと、任せてごめんなさいね。無事でよかった。帰ったらお礼するわね」


 リンジャに髪留めを返し、ガイと共に歩き出した。


「で、なんか浮かない顏だな。せっかくの服が台無しだぜ?」

「これはもう良いんです」

「すまんすまん冗談だ。で? どうした」

「魔物と戦っている最中にアルヴァリウスが『魔物を従わせられる』って……ちょっとわからなくなったんです」

「――あ、なんだって?!」


 ガイも驚愕していた。


「魔物を従わせるって……正気か?」

「正確に言えば憑いている聖霊に対してということなんでしょうけど。アルヴァリウスが嘘をいうとは思えませんし」

「そんなことが本当にできちまうなら聖霊士の印象がガラリと変わっちまいそうだがな」

「いえ、できる聖霊は限られているみたいなので一概には言えませんが……、できれば他言無用でお願いします」

「ああ」


 どうしたものか。

 それをしないとはいえ、それができるのだという説が上がれば放っておくことはできない。

 もう嫌な予感しかしない。

 魔物を従わせるって、あの魔人と同類っぽくてとにかく嫌だと思った。でもそんなこと本当に可能なのだろうか。里では学ばなかった知識だ。前提的にアルヴァリウスのような地域を統べる聖霊でなければ不可能なのだろうが。契約した例も稀だということが理由となるだろうが、文献ぐらいは残されていてもおかしくないだろう。大きな事柄だ。今後の立ち回りも変わるかもしれない。

 やっぱり一度戻って調べた方がいいだろうかと悩んでいると、ガイが話しかけてきた。


「なんだ? まだ何かあるのか?!」

「いえ、そういう技術が実在しているのか気になって……。ちょっと放っておけなさそうなので……」

「それもそうだが嬢ちゃん案外真面目なのな。腕っぷしだけかと思っていたが、まぁそれについては丁度いいんじゃないか?」

「へ?」


 ガイがニヤリと微笑む。


「ほぉら、来てるだろう? 専門家が」

「――なるほど」

「嬢ちゃんが嫌でなければ――っと、相手も知らねぇかもしれないから、用心してそれとなく訊けよ」


 ミコトもニヤリと微笑んだ。





 

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