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01 傭兵とは



 里を出て何日ぐらい経っただろうか。

 街から街へ乗り継いで、ようやくこれが最後の馬車だ。


(あと少しの辛抱……)


 ミコトの身体はギシギシと悲鳴を上げていた。

 当然だがずっと座りっぱなしなのである。

 里では聖霊士になるための英才教育のため、長時間椅子に座り机に向かい続けてきた。あのときも幼い頃から慣れるまでは尻が固くなるくらい痛かった記憶があるけれど、馬車と比べたらぜんぜん楽だったように思える。

 何せ、こうして外に出たり馬車に乗ることさえ初めての体験。まさかこんなに大変だったとは。今まで相当裕福な環境で生活していたのだと思い知り、ついついため息が漏れてしまう。


「あんた大丈夫かい?」

「あ、すみません、皆さんも同じなのに」

「あたしらはたまに街を行き来するために乗っているからね。あんたは東から来たのかしら? ここじゃ見ない顔だね。こんな遠くまで何しに来たんだい?」

「ちょっと色々ありましてー……人生の再出発、みたいな感じですかね」

「あらあら、まだ若いのに大変だね」


 そう言って女性が苦笑した。

 すると、彼女の後ろから小さな少女が顔を覗かせた。今までまったく気が付かなかった。ミコトが目を丸くしていると、少女はすぐに隠れてしまった。まるで小動物のようだ。女性は「恥ずかしがり屋なのさ」と、少女を抱き寄せた。


 馬車の内部はいたってシンプルだ。

 荷台にはワラが敷き詰められており、座席はない。乗車する者は自由に座るだけなのだが、料金はどの街の馬車よりも倍近く高かった。それに、この馬車以外は全てちゃんとした座席のある作りだった。これよりも遥かに値が張りそうなものなのに――今回はぼったくりなのだろうか。

 すると、女性の背後からケホケホと咳き込む少女の声が聞こえた。


(そういえば……埃っぽいというか、この匂いは何――?)


 砂の匂いに交じって草が発酵する異臭がするのだ。

 原因は、天井に吊り下げられた手の平ぐらいの小袋からだ。青々しい緑の香り。魔物が嫌う匂い。故郷でもよく使われていた魔除けの香――に似たもの、だろうか。

 もしかしたら一緒なのかもしれないが、知っているものに比べると何倍も濃い。

 本来、この香は風通しの良いところで使用されるものだ。しかし、地域にとってはそれが異なるということも里を出てわかった。絶対的な魔物への対策といったところだろうか。代表的な例が『街間を移動する馬車は荷台を天幕ですっぽりと覆わなければならない』という決まりだ。そんなこんなで魔除けの香の匂いが濃縮されているらしい。


(結界が張れない分、仕方ないか)


 故郷とは全然違う。

 まだ目的地ではないとはいえ、もうここは人と魔物の生きる場所を懸ける戦地なのだ。


(どんなところなんだろう)


 ミコトは膝を抱え、真っ黒な刀を見詰めた。

 人の気配が漏れないよう密閉された馬車の中。肺の中で濃縮されて内側から圧迫されている不快感が込み上げてくる。今すぐ開けて新鮮な空気を吸い込んだらどんなに幸せなことだろう。同乗している誰もが同じことを思い耐えているのだろうか。幼い子供も駄々をこねずに堪えている。わかっているのだ。自分が駄々をこねれば取り返しのつかない迷惑がかかり、自分自身も命に危険が訪れるということを。きっと、幼い頃から教えられ、感じ取るのだろう。

 だが、そんな中いびきが聞こえていた。

 まったく空気が読めていない。

 馬車にはミコトを含め六人が乗っている。

 先ほどの親子と年配の男性が一人。そうしていびきの主だ。一番奥から聞こえる。ずっと眠っているのだ。


(魔物に気付かれたらどうするのかしら)


 うんざりして起こしに行こうとすると、年配の男性が寝かせてやれと震えながら言ってきた。

 どの馬車にでもいざというときに備えて傭兵が乗っている。

 そしてこの能天気にいびきをかいている青年が傭兵だ。

 全員の運命は彼の腕次第。頼るしかない。護ってもらうしかない。だからこそ大柄な態度をとる傭兵も少なくはない。道中の馬車でも彼らの態度はあからさまだった。

 この傭兵も例外ではなく、そんな立場だということを当の本人もわかっているのだろう。とても気持ちよさそうに眠っている。


(どこも同じだわ)


 聖霊士になれば生活は安泰する。裕福に暮らせる。生涯不便はない。

 過去の自分もそういう考えがあった時もあるし、純粋に聖霊士の役目を誇る人間は割と少なかったような気がした。そんな彼らを蔑んでも、結果として何も残せなかったのは自分自身の方なのだ。

 ミコトは抱え込んだ膝に額を当てた。


(そういうやましいとこがダメだったのかなぁ)


 そのときだ、馬車が急停車した。


「きゃ――っ」


 他の乗客とぶつかりながらワラの上に投げ出される。

 刀を掴み、すぐさま上体を起こした。

 一体何が起こったのか。窓のない天幕は外の様子を伺うことはできない。それだけに胸騒ぎが収まらない。どうにか気持ちを落ち着かせようと状況を把握するため側面に聞き耳を立てた。しかし、残念ながら外からは何も聞こえない。

 いつの間にか、乗客たちは荷台の真ん中に集まり身を強張らせていた。


(何?)


 しかし、こんな時にもかかわらず尚も傭兵は熟睡している。

 余程の胆が据わったタイプなのだろうか。はたまたはただの間抜け? 

 状況がわからない。そんなに大したことではないのだろうか。もしかすると、岩にぶつかったのかもしれない。ミコトはなるべく音を鳴らさないよう慎重に足を運んだ。眠っている青年を跨ぎ、そのすぐ傍にある小さな裂け目から確認する。


 夕暮れ時だ。

 不気味なくらい真っ赤で鮮やかだった。

 草木は陽射しに彩られ、赤々と燃えている。

 何もない、大平原だ。岩もない。勿論行く手をふさぐ障害物も見当たらない。それなのに馬車を引く馬たちの様子はおかしかった。一体どうしたというのだろうか。まるで進もうとしない。ときおり何かを威嚇するように足踏みし、その影響で荷馬車はガタゴトと揺れ動く。手綱を握る騎手の横顔に汗が伝っているのがわかった。


(馬が怯えている?)


 騎手は馬を落ち着かせるので精一杯といった様子だ。進む様子はない。

 このままでは埒が明かない。ミコトは足元で熟睡している青年を揺さぶった。


「ちょっと、いい加減に起きてください。あなたこの馬車の傭兵でしょ?」

「んぁ……?」

「起きろって言ってんのよ」

「――っせぇな」


 青年は舌打ちをした。


「うっせぇな」

「は?」


 思わずミコトの口がポカンと開いたままになる。


「傭兵じゃないの?」


 もしかしたら間違っていたのかもしれない。

 そんな思いが脳裏を過る。しかし、横になっている彼の傍には立派な槍が転がっていた。


「傭兵でしょう?」

「ったく、うっせぇな。魔物が出たら倒してやるから静かにしてろ」


 そう言って青年は寝返りを打った。

 他の乗客は何も言わない。だがしかし何かに怯えているように声を押し殺しているのだ。先ほどの子供も今度ばかりは耐えかねて、今にも泣きそうに瞳を潤ませている。やはり、何か起ころうとしている。しかし傭兵は動かない。

 どうして? ミコトは理解できなかった。


(どういうこと?)


 しかしミコトには今がどういう状況なのかはわからない。

 ただ馬が暴れているだけという可能性もある。はたまたそうではない可能性もあるのだが、傭兵が何を悟って動かないのかは理解できない。彼のやり方なのだろう。もしもこの状況で、魔物がでてきたら?

 ミコトは再度青年を見た。けれども先ほどと何の変りもなかった。


(どういうことなの?)


 もしも魔物だとしたら――出てきてからでは遅いのではないか。

 ミコトの心に不安が募る。他の乗客たちは何が起こるかわかっているのだろうか。

 何に恐怖しているのか。そんなことを問えるはずもなく、未だ目覚めない青年を見詰めていた。

 このまま、ワケがわからないまま、彼が戦ってくれるのならそれまで我慢して耐えるしかないのだろうか。傭兵は彼一人だ。戦うのは彼しかいない。なら、ギリギリまで耐えて、彼のやり方に任せる。我慢する。下手なことをして機嫌を損ねて護ってもらえないのは困る。だから皆、何も言わないのだろうか。


(生き抜くためにはこれしかないってこと?)


 ミコトは悠長に構える青年を睨み、刀の柄をギュッと握りしめる。

 皆不安なのだ。自分たちがどうなるかわからないままでいる。緊張で胃がキリキリと痛んで血の気が引いて、最悪な状態だろう。ああいうのは嫌だ。一刻も早く、振り払ってやりたいとミコトは刀の柄を握りしめた。

「あんたまさか」と、不安そうな女性の声が聞こえた。

 振り返ってみると、他の乗客も信じられないというような目でミコトを見ている。


「正気?!」

「はい」

「あんたがどれだけ強いかは知らないけど、ここいらの魔物はあんたの故郷とは違う奴らだよ。あんたのような新しい傭兵が犠牲になるのは日常茶飯事さ。しかも女の子が、こんな危ない事しなくていいんだよ?」

「きっと、あなたの言うことは正しい」ミコトは俯いた。「今がどういう状況なのか私にはわからない。でもこのまま何も動かないで、もしも誰かが傷付いてしまうことになったら、私は一生後悔します」


 視線を上げると、女性の腕の中で少女が震えているのが見えた。

 いつもこんな危険にさらされてきたのだろうか。まるで故郷とは違う。集落に居れば――いや、近くの森へ薬草を摘みに行くくらいでも危険はない。しかしコチラは違う。薬草を摘みに行くことさえ、森で遊ぶことさえできない。街に居ても、心安らぐときはあるのだろうか。まるで違う。


(私にできることをする)


 ミコトは少女へできるだけ温かい笑みを浮かべて見せ、騎手の座席へつながる布の裂け目を潜った。




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