17 導き
*
「場所まではわかんねぇよな」
薄暗い森の奥を見つめながらヴェルスがため息をついた。
ガイも辺りを確認し、すまなさそうに肩をすくめる。微かに雑草が倒れているヶ所があるものの、それが過去に通ってきた道なのかはわからなかった。ミコトもできるだけの手掛かりを探すため、様々な視点で目を凝らした。しかし、やはり明確にわかりはしない。お手上げだ。
(とりあえず進むしかないかな……)
ヴェルスとガイに提案しようとしたき、不意に少年に手を引かれ体勢を崩しかける。
「おっと」
すかさずにガイが支えてくれるが、ミコトを引っ張る少年の身体は森へ進んでいた。
どうしたのだろうか。彼を止めようと慌てて体重をかけるも、意外にも力が強い――むしろ、尋常でない強さにミコトはズルズルと引っ張られる始末。ガイもさすがにおかしく思ったのか、少年を制しようと肩を掴むが一向に止まらなかった。
「おいおいおいおいおいおいおい、なんて力だ。若さの問題じゃないぞこれは」
(いったいどうしたの?!)
二人がかりで必死に止めようとしてもダメだ。
か弱そうな彼のどこにこんな力があったのか。純粋に驚いていたとき、ようやくヴェルスが動いた。そうして少年の前に立ちはだかり、身をかがめて目線を合わせた。
「わかるんだな?」
問いかけに少年は静かに頷く。
「よし、連れていけ。ただし、ゆっくりだ。わかったか?」
再び頷くと、若干少年の力が弱まった気がした。
ミコトはガイと目を合わせホッと一息つく。そんな様子を見たヴェルスが小さく舌打ちするのがわかった。でも今回はありがたいと思った。少年は確実にまだあの大蛇の支配下に居る。そして大蛇は生きている。どこかに身をひそめて、自分たちが来るのを待ちわびている。そして、ようやく誘われるように現れたのだ。傷を負わせたとはいえ動かせるなら問題ないのが魔物。どちらが有利であるか考えると、環境をよく知るあの大蛇の方だろう。
ミコトはゴクリと生唾を飲み込んだ。
油断はできない。
少年に手を引かれ、ゆっくりと森に入る。
やはり夜に近い暗さだ。だが、前回より禍々しい異様な雰囲気が漂っているのは明らかだった。
(殺気……? でも、何か違うような……)
ねっとりと体中にまとわりついてくるような不快感。
足を進めるにつれてだんだんと重しがのしかかってくるような怠さもあった。
ヴェルスも落ち着かないのか、前方を見つつ左右をピリピリと警戒しているのがわかる。ミコトの後ろ――ガイは少し距離をとって続いていた。ガサリと、近くの草むらが揺れる。ハッと目を凝らすも、森に住む小動物のようで一安心する。巨大な木々の枝葉、倒木の影――様々な視点が気になって仕方がない。いつあの大蛇が現れるのかと考えるとそうせざるを得なかった。
「厄介だな」
ヴェルスが呟く。
「森自体がバケモンって感じがしやがる」
(この森が……?)
どういう道を通ってたどり着いたのかはわからないが、長年手入れはされていないというのはわかる――というか、大抵は魔物の巣窟となっている森に踏み入るのは自殺行為だ。もちろん、手練れの傭兵が複数居れば話は違ってくるだろうが。しかし、それでも前回犠牲者が出たことを考えて見ればヴェルスの言うバケモノは相応かもしれない。
異様な雰囲気はいまだに濃くなっていき、やがて辺りにうっすらと霧が立ち込め始めた。
(……こんなに、前が)
周囲が白い。
でもって、鼻をつく異臭も増している気がする。
少年の手を握る指に力を込めた。
彼の進むスピードは衰えず、いまだなお真っすぐに突き進んでいる。もはや景色は望めない。自分が踏みしめる草木の雑音、地面がぬかるむ不快感に敏感になっている気がした。今傍らから襲撃されたら対応できるかわからない。そんな不安がミコトの脳裏に込み上げる。
弱気になってはいけないと、唇の端を噛みしめたとき――ふと、少年の手の感触が消えた。
(――あれ?)
いつの間にかミコトは自分が立ち止まっていることに気付いた。
(ヴェルス? ガイ?)
心の中で呟きながら辺りを見回すが姿は見えない。それどころか先ほどよりも更に色がなくなっていた。真っ白だ。木々の色も、葉や草の色も、深い森の色も。あの異臭も、だ。何もかも嘘のようにすっかり消え去ってしまっていた。
一体何があったんだろうか。
手を広げてみても、障害物はない。
確認できるのは自分だけだ。
(もしかしてはぐれた? ……にしては変わりすぎてる)
進んだ方が良いのか、留まった方が良いのか。
まるで別世界だった。だからこそ、どうすればいいかの判断に戸惑う。
この世界の果ては感じられない。下手に動けば上下すらも分からなくなってしまいそうだ。
せめて声が出れば叫び続けてみたり色々試せるのだろうけど、とため息をついたとき、背後に気配を感じ――弾かれるように振り返り、ミコトは目を見張った。
(――わたし?)
瓜二つ。
ますますワケが分からない。
淡い藍色の髪をひとつで束ね黒衣を身に纏う。その腰にはかつて父が使用していたらしい黒刀。男と見間違う華奢な姿の人間が静かに立っていた。
これは自分だ、とすぐにわかった。でもなんで? 様々な疑問がミコトを混乱させる。
写し鏡だろうか。だとしても何故ここにあるのだろう。こんな森の奥深くに。
(え、もしかして死後の世界とかいうヤツだったり?)
まさか、ね。と無理やり笑って気を紛らわせようとしたとき、『ミコト』の手が黒刀の柄に向かい――ミコトは反射的に飛びのき距離を取った。鼻先を刃が通り過ぎていく。間一髪だ。
まるで本物の人と対峙しているかのような気迫に、夢ではないことを悟った。
だとしたらこれは一体なんだというのだ。
その問いを投げ掛けることはできない。しかし、『ミコト』は容赦なくミコトの間合いを詰め、幾度も鋭い切っ先を繰り出してくる。避けるだけの対応も限界に達し、ついに自身も抜刀すると『ミコト』の動きがピタリと停止した。
(まさか、自分と戦うことになるとは……魔物の幻覚的なものかしら)
強大な力を持つ聖霊がそこそこ知能のある大型の魔物に憑りつくと、特殊な能力を持ち合わせた個体が発生する例もある。これがそのパターンだろうか。そうだとしても、この状況を打破するのに最も最適な答えを導き出さなければ自分の身がどうなるかは保証できないだろう。
ミコトが『ミコト』を討つか、『ミコト』がミコトを討つか。
単純に考えてみれば答えはどちらかが撃ち破ることだろう。そうだとすれば全力で戦うしかない。
だが問題は本当にそうなのか、ということになる。
討つことで死につながるというリスクもあるだろう。
(どうしろっていうの)
お互い刀を構えて睨み合いといった状況だ。
本当に鏡に映したような姿にミコトは舌打ちした。
(意外と辛気臭い顔してるのね。目つき悪いっていうか、まぁこれじゃヴェルスに絡まれるのも無理はないかもしれないかな……もう少し笑顔も必要? ……とりあえず、色気は皆無)
魔物や動物たち、自分が今まで手にかけてきた物たちはこんな風に見えていたのか。と、思い浮べミコトは苦笑した。
(なんか、聖霊士になるように生きる上では苦労なく――ってか結構良い暮らししてたのに、ユエルイズノの人――ううん、道中出会った人たちと比べても全然つまらない顔してるよね。ずっと、中身カラッポだったって丸わかりだったのかな)
魔物が傍にいる暮らしの中でも、彼らは皆イキイキとした表情で生活していた。
ミコト自身、自覚しなくてもそれが心地よくも感じていた。今となってわかる。逆に、こうならなければわからなかっただろう。どんなにつまらなそうだったか。どんなに聖霊士に寄り掛かって生きてきたか。まったく中身のない、ただの人形のような人間だったのだとミコトは納得した。
そうして理解する。
これは――『ミコト』は過去の自分だ。
大蛇と相対したとき、変わろうと、変わりたいと思う自分の意志が離れ力になったのだと、理解した。
(しっかり、決めなきゃいけないんだね)
黒刀を握り直し『ミコト』を見据えた。
なぜだろう。
気持ちが軽く清々しい気がした。
*




