15 原因
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「で、お前はなんで声が出なくなったんだ?」
ミコトはヴェルスに事の経緯を説明すると、彼はハッと短く鼻で笑ってみせた。
やることが嫌味ったらしい。が、彼から教えを乞う以上、もう慣れるしかないのだとミコトは胸の内でため息をついた。
「呪い、ねぇ」
何か心当たりでもあるのだろうか。
ミコトは首を傾げた。
悪態をつきながらも割とまともに話を聞いてくれる彼が頼もしくも思える。そうして、意外にもヴェルスは博識のようで、過去にギルドの後継者として支持されてきたのは伊達じゃないと感じつつもあった。
(最初からちゃんと理由を説明してくれさえしたら、私ももう少し分をわきまえれたかもしれないのに……)
とにかく言葉足らずなのだ。
街にとっても異端者同然の扱いを受けている――大部分は強引な行動力に問題があるのだろうが、対話力の改善の余地は全然あるだろう。社交的で皆を引っ張っていくリーダー的存在のヴェルス。ミコトは脳内で思い描くが、何か彼ではないようで違和感が半端なかった。
前言撤回。
ヴェルスは今のままで良いだろう。
「あ? 俺の顔に何かついてんのか?」
『何も』
「ったく、お前も少しは考えろ。んなお気楽な頭だから、あの女にまんまと騙されて利用されんだよ。ちゃんと考えろ、頭あんだろ」
『じゃあ、原因が何かわかるの?』
「十中八九、お前の意志だろうよ」
(――は?)
どゆこと?
ポカンとした表情をヴェルスに向ける。
『私が声を失いたかったとでも?』
「違ぇよマヌケ。それともそう思ってたのか? あ?」
『そんなわけない』
半ば殴り書きの勢いで彼に突き付けた。
誰が好きで声を失う人間がいるものか。紙を破り、くしゃくしゃに丸め、ヴェルスに投げつける――が、彼はヒョイっと椅子に座ったまま上体を逸らし、あっさりと避けてしまうのだった。そうして腕を組み「あのな」と話を続けた。
「お前は中途半端なんだよ」
聖霊士を目指してるヤツはみんなこうなのか? と、ため息をついた。
「才のないヤツが学んでも実を結ばない。時間の無駄になるのは当然だ。が、お前みたいな半端者が一番厄介なんだよ。見える分、アイツらの気持ちを汲み取ろうとする。それは余計な情だ。実際にそんな暇はない。だがその実際を味わう機会なんざねぇのが現状だろうよ。すっかりキレイな場所だろうからな。救うだの浄化だの、学だけのヤツらは自分の手が汚れることを躊躇う。だが実際には何もできねぇのが現実だ。基本は、偽善者にもなりきれなかったヤツが勝手に絶望して諦めるだけだ――が、お前には才能があった。ワケも分からず力を使っちまったってとこだろうよ」
ヴェルスが椅子から立ち上がり、窓辺に向かった。
やがて窓をゆっくりと開ける。
冷たいそよ風が部屋に吹き込んだ。仄かに煙の異臭が鼻腔をつく。街の至る所に灯されたタイマツのものだろう。ミコトはぶるりと身を震わせ、黒衣を羽織った。そうして床へと降り立ち、ヴェルスが座っていた椅子へと腰かける。
ヴェルスは窓を閉め、その傍に寄り掛かった。
「お前はなぜ聖霊士になろうとした?」
翡翠の瞳がまっすぐ向いていた。
確かに、なぜだろうか。と、ミコトも思いを巡らせる。
自分が聖霊士を目指し始めた理由。そもそもなぜあそこに行く破目になったのか。
ミコトは自分の両掌を見つめた。
そうして驚愕する。
意外にもわからなかった。
どうして聖霊士に? そんな根本的なことが自分にはないと初めてわかった。そもそも聖霊士になることが当たり前の環境で育ち、それが世界のすべてだった。生まれて、気付いたらあそこにいた。どうしてそんなことになったのか、自分自身が知る由もないし知りたいとも思わなかった。当然だったのだから。
ゾッと、ミコトの背筋に悪寒が走った。
なぜ、どういう理由であそこにいたのか。きっとそれを知るのは故郷の長達だろう。だから里を去る時にあんなに申し訳なさそうな表情を浮かべていたのかと、今になって少しわかった気がした。
(最初から利用され続ける人生ってことか……)
ポッカリと胸に穴が開いたような無気力感がミコトに満ちた。
「お前が本気にならないと、アルヴァリウスは力を発揮できない」
『本気?』
「お前が声を失ったとき、多少なりとも本気になったんじゃねぇか? 聖霊と未契約のお前が、聖霊のいる場所でお前自身の声を代償に結界を張って事なきを得た、てなところだろう」
『そんなことありえる?』
「聖霊が絡んでいるなら力は発揮されるもんだ。ただし、それなりの血筋と能力が必要だろうがな」
ミコトはふと、故郷の司祭の言葉を思い出した。
父は聖霊士だったこと。そして、司祭から託された黒刀が父のものだということ。
どんな人だったか。どんな道を歩んだのか。それらの事情は聞かなかった。故に知る由もない。ただ、自分が聖霊士としての才能を見出された理由は父にあるのだろう。
「まぁ、お前が結界を張った場所に行き、それを行使する必要がないと証明できれば、結界の元となっている声は戻るハズだ。わかったか?」
『大丈夫』
ぐぎゅるるるるる――。
ミコトの腹の虫が大きな主張が部屋に響いた。
「品がない」
『あなたに言われたくない』
恥ずかしすぎて全身から汗が吹き出しそうだ。
これ以上鳴られては困ると、ミコトは椅子から立ち上がり部屋の扉を開いた。
しかし案の定、ヴェルスはピタリとついてくる。これもリンジャからの言いつけだろう。だがしかし、今は素直に同行を許せる気にはなれず、ミコトは赤面しながら睨みをきかせるハメになった。
「ああ? 仕方ねぇだろ。お前の面倒を見るようアイツから頼まれてんだよ」
廊下に出て尚更わかる。
バタバタと人が慌ただしく動く騒音があちらこちらから聞こえる。まるで戦場の一角だった。
ルフェイのケガはどうだろうか。ふと、ミコトの心に不安が過った。一命は取りとめているだろうが、到底動ける状態ではないだろう。医術に長けた聖霊士として所属していたシィラはもう居ない。その時点でいままでと大きく対応力が違うだろう。
複雑な思いを抱きながらギルドの雰囲気に耳を澄ませていると「今のお前は何の役にも立たねぇよ」と、ヴェルスに背中を押されてしまう。彼の言う通りだ。反論はない。
そうしてゆっくり歩きだすと、目の前に少年が立っていた。
いつの間に? 呆けてしまうくらい全く気配がなかったのだ。
ミコトは驚いて飛びのき、その反動でヴェルスにぶつかりよろけてしまう結果となった。
「あ? 何か用か?」
威圧感のある問いかけに表情を何一つ変えず、少年はスッと静かに指を上げた。
その指はミコトをまっすぐと差す。
(――あ! もしかして、あのとき助けた男の子)
咄嗟にメモをヴェルスに見せるが、彼の目つきは鋭いままだ。
やがて、少年がボソボソと口を開いた。
「あのお姉さんに、この人が出てきたら、一緒にご飯を食べてって」
(え?)
彼はもうすでに普通の人間のようだった。
言い終えてしばらくすると、彼はそのまま歩き出す。ミコトは戸惑いながらも少年の後を追う。
とても大人しい――というか大人しすぎる。まるで消え入りそうな気配だ。生きてはいるが、生気はない。精巧に作られた人形のような雰囲気だ。髪はヴェルスと同じく銀色だ。しかし、毛の先々が薄い栗色なのがわかる。
食堂へとつながる廊下を移動中、まるで花道のように傭兵たちが道を開けていた。散々やらかした自覚はあるものの、意外と睨みつけてくる者はいなかった。しかし、逆にあんぐりと驚いた表情を浮かべている者が多い。そして、異様なまでの静けさがミコトには気持ち悪くて仕方がなかった。
行きついた場所は朝食をとった部屋と同じ場所。
扉を閉めるとヴェルスの舌打ちが聞こえた。
「ったく鬱陶しい」
悪態をつきながら乱暴に腰を下ろす。
ミコトはヴェルスの対面、少年の隣にゆっくりと座った。
(ちゃんと食べれるのかしら)
テーブルにはパンとスープがすでに用意されていた。
ヴェルスはおもむろに食べ始める。一方で、少年は黙ったまま椅子に座り、ぼんやりと俯いていた。
食欲がないのだろうか。それとも食べ方がわからないのだろうか。どうするべきか迷った挙句、ミコトはパンを手に取り一口サイズにちぎってみせた。そうしてゆっくりと頬張る。パサパサと固い。咥内の水分が奪われてしまう。よく咀嚼していると、少年もおずおずと手に取り口に入れ始めた。
ミコトはホッと胸を撫でおろした。
落ち着いたところでヴェルスが疑問した。
「んで? そいつは誰だ」
『魔物から助けた子』
「じゃ、そいつに場所まで案内させればいいんじゃねぇか」
ミコトとヴェルスの視線に気づいた少年が首を傾げた。
ヴェルスが面倒くさそうにため息をつく。
「お前、魔物が誘導させていた場所まで俺たちを連れていけるか?」
しばらく考え込み、少年は首を横に振った。
「本末転倒だな。心当たりのあるヤツはいねぇのか」
そうしてミコトは思い返し始めた。
自分とリンジャ、大男は荷馬車の中に居た。知っているとすれば、手綱を握っていたあの二人だろう。
『ルフェイとガイが』
「じゃ、ガイのやつに連れて行ってもらうか。あと、一応こいつも連れていく」
『正気? 到底戦えるとは思えない』
「当たり前だマヌケ。いつまでもそんなボンヤリされてんのは迷惑なんだよ。お前らは魔物から解放したつもりだろうが、本体を殺さねぇと一緒だ。以前の街じゃちょくちょく起こってたんだがな。そんくらいルフェイも知ってるハズだろうが――」
急に黙り込んでしまったヴェルスから『俺が居なくなって廃れたのか」と、小さな呟きが聞こえた。
「まぁ、魔物を倒せばちっとはマシになるだろう。記憶はわからんがな。ただ、魔物に憑かれたヤツは極端に寿命が短くなる。その証拠が髪の色だ。聖霊に無駄に関わると生命力を喰われる。そいつのはかなり抜けてやがるからな、あまり先を期待すんじゃねぇぞ」
少年はもぐもぐとパンを頬張り続けていた。
確かに彼の髪色は変色した様がわかるくらいの変化がある。でもって、それよりも薄い色のヴェルスはどうなのだろうか。地毛だとしても年齢が若いうちに見られるのはかなり珍しい。少年と一緒なのではないのかとミコトが問おうとしたとき、部屋の扉が開いた。
姿を見せたのはリンジャだった。
「よかった!!」
彼女に飛びつかれた勢いで椅子から落ちそうになってしまう。どうにか踏ん張りつつ、両腕でしっかりと抱きとめた。サラリとした赤毛がくすぐったく、申し訳ない気持ちと嬉しさが無性に沸き上がってきた。
「暴れんな」
「うっさいわね。黙って食べてなさい」
「ああ?」
ヴェルスの威圧に臆せずしっかりと言い返して見せるリンジャ。
しかし、彼女の目元に薄っすらとクマが出来ているのがわかった。恐らくはずっと動きっぱなしなのだろう。やはり、ルフェイはまだ療養中のようだ。
「あいつは?」
ヴェルスが言った。
「ルフェイのことかしら? 大丈夫だけど、しばらくは動けないわね。あなたが動いてくれなかったらルフェイもミコトも危なかったと思う。ありがとう」
「淡々と言ってくれるよな。もう少し気持ちを込めてもいいんじゃねぇか」
「充分よ」
「そうかよ。一応言っておくが、俺らは明日、こいつの声を取り戻しに行く」
「――なんですって?」
リンジャが弾かれたようにヴェルスに向き直った。
「戻るの?!」
「こいつ次第だがな」
ヴェルスに指をさされる。
その流れでリンジャに見つめられる。彼女の瞳には「本当か?」といった疑念が宿っているように思えた。ミコトはゆっくりと頷いてみせると、リンジャが何か諦めたようにため息をついた。
「わかるの?」
「同じ場所に行く」
「――ちょっと待って、あの大蛇がいるわ」
「そんなもんどうにでもなる。だが場所がわからない。だからガイに案内を頼みたい」
「……わかった」
歯を食いしばり、拳をぎゅっと握りしめて、リンジャは悔しげに床を見つめていた。
「あたしも、と言いたいところだけれど――」
「そういうのはいらん」
「言わせなさいよ!」
「お前が考えるつまんねぇことはお見通しなんだよ。そういうのはもうウンザリだ。話さなくてもいいだろう。あと、このガキも連れていくからな」
「はぁ?! 戦えないわよ?!」
「必要だ」
「正気?!」
「ああ」
リンジャは眉間に指を押し付け唸り声をあげた。
やがて肩がガクリと力なく落ちる。さすがの彼女にもこの件は止められないらしい。
「ちゃんと帰ってくるならね」
ヴェルスにそう言い放つと、ミコトに向き直った。
「ミコト、あなたのこと、ガイにしっかり頼んでおくから安心してね。でもって、あの子のことお願い。あのバカ、腕は確かだけどちょっと――じゃなくて物凄く強引なところがあるから、何かあったらガツンと言ってやってくれるかしら。これはギルドの代理頭領命令よ」
そうして彼女は申し訳なさそうに苦笑した。
心の奥底ではヴェルスの事を信頼しているのだろうか。街に長年住んでいる者たちの絆のようなものを感じ取った。
もちろん目的は声を取り戻すこと。そして、大蛇の討伐し少年を元に戻すこと。ヴェルスもガイも少年も、もう誰一人傷付いてはいけない。傷付いてほしくないと、ミコトは思った。
(自分の意志、か)
ミコトの中に宿るアルヴァリウスは沈黙を続けている。
その気配も、ふと忘れてしまいそうになるくらい薄いものだった。
聖霊も限界なのだろうか。この地を守り続け、魔人たちからの襲撃にも耐え、自分の中に宿った。
自分にとって聖霊士とは何なのだろうか。
あまりにも予想外な壁にミコトの心にモヤモヤとした淀みがはびこっていく。
(ちゃんと、本気になれるのかな)
やがて、決めなければならない。
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