14 ヴェルス
*
(あの人たち、なんだったんだろう……)
街からの救援のおかげでルフェイと共に無事生還することができた。
彼らの助けがなければもしかしたら最悪の結果になっていた可能性も高いと思うと、ミコトもゾッとする。
完全にただ利用されただけの存在で、この街の疫病神のようなものだったと永遠に語り継がれただろう。だがしかし、そうなってない今でも実際そう思える。悪いことばかりだ、とミコト自身そう思い続けてすっかり落ち込んでしまっていた。
ここまできて何も精神的なダメージがないというほど強靭な心は持ち合わせていない。そりゃ、聖霊士の里で散々陰口を叩かれ続けてきた――が、あれは実際的な害などなかった。これは違う。もう疫病神でしかない。街に入り、現状を乱した場に必ず自分がいた。この街の歴史上でもこれほど変化があった時期とドンピシャじゃないかとわかるくらい。なのに。なのに――。
廊下をバタバタと駆ける人々の気配がひっきりなしだ。
ここはギルド。
ミコトは世話になっていた部屋のベッドで呆然と天井を見つめていた。
丘の上で黒い髪の青年と戦い、ボロボロにされ、不覚にもヴェルスの肩を借りて街まで戻ることとなった。
魔物を蹴散らす傭兵たちも数に圧倒されながら必死に戦い、負傷したものが複数いる。そして、ギルド内部で街の住人達も入り乱れて看病に当たっているところだ。幸いにも、今のところ死者が出ていないという奇跡的な状況にもあって、ギルド内の雰囲気は些か明るく感じる。
そして意外にも、街人が行動するきっかけとなったのがヴェルスだったということ。
半ば強引な判断で、ルフェイの言いつけを守る街人たちには到底決断できない案だ。
でもってもっと驚くことがある。
一体全体どうゆ事なのかワケが分からないが、ミコトのすぐ傍らにある椅子には当の本人が腰を下ろしているのだ。
(いったい何なの)
疲労困憊の身体を休めるためにも眠りたいのは山々だが、ヴェルスがずっとそこを陣取っているせいで気が休まらない。
瞳を閉じることすら気になってできやしなかった。
(ため息をつきたいけど、ついたらついたで何か絡まれるきっかけになりそうだもんなぁ)
うんざりと――ため息をついてしまった。
あ。しまった。
そう思った時はすでに遅し、ヴェルスはやはり反応した。
「あ? さっさと寝ろ」
いや無理ですから。
ミコトは彼にじっとりとした視線を浴びせた。
そういうなら部屋から出ていくとかそういう考えが何でできないんだろうか。手が空いてるなら別のけが人の手当てを手伝うとか、そういうのが絶対ためになるし、でもまだ座ってるし。休めない原因が自分だって気が付かないの? いや気付いてよ。ていうか、そういう配慮とかもう少し気を配ってくれても――って、例え言えたとしても聞き入れてくれなさそうだ、とミコトはまたもため息をついてしまった。
まったくの悪循環だ。
はぁ。
「……チッ」
舌打ちが部屋に響く。
彼もまたウンザリしているのだろう。そう感じた瞬間、ミコトの疲労が一瞬だけ吹き飛んだ。ウンザリしているのはこっちなのだ。いい加減出ていってほしい。
反射的に上体を起こし、ヴェルスを睨みつけた。
「小便か?」
(はぁ?!)
何とも言えない怒りがミコトの血を一気に沸点まで押し上げた。
怒号も、呻き声も上げられなくて、たまる一方のストレスに自分の髪の毛をかきむしることでなんとか感情を抑えた。だがしかし、やはり言わなければわからないのだ。そうして、サイドテーブルにあった紙と筆をとり、乱雑に『出てけ』と書きなぐった。
「リンジャにお前を見張っているよう頼まれた。文句はアイツに言え。俺は知らん」
リンジャが?
その言葉でミコトの熱が一気に冷めた。
これ以上彼女に迷惑をかけるわけにはいかない。ましてや、ルフェイが動けないだろう今、彼女がギルドのトップとなっている。ヴェルスから目を逸らし、窓の外を見た。まだ日は高い。街には周辺を警戒する傭兵たちがうろついているのが見える。あれだけ魔物を刺激したのだ。何かが起こらないとは限らない。
様々な境遇の、様々な性格の、なかなか個性豊かな輩が集まるこの街で、皆がある程度統制された動きをしている。
(絆、なのかな。――というか、ヴェルスも言うこと聞くんだ)
思えばそうだ。
一匹狼で気分屋でガラの悪い、協力など論外な印象のヴェルスがこうして大人しく座っている。リンジャってもしかしてルフェイより怖いとかあるの? まさか、ね。そんなことを思いながら彼を見つめていると、ヴェルスが悪態をついてきた。
「あんだ? くそムカつくツラしてんじゃねぇよ」
(はぁ?!)
「……チッ」
またも舌打ちをする彼。もやもやするミコト。
どういうわけでリンジャが命じたかは知らないけれど、お互いのために一緒にいない方が良いと思う。これは一刻も早く回復するしかない――けど、睡眠は無理だ。どうしよう。
状況は悪くなる一方だ。
(心を開くしかない? 私も私で、もう少し我慢すればいいのかもしれない。反感したらこっちの負けだと思おう)
かと言って無言を貫くのは余計悪化するだけだろう。
ミコトは考えを巡らせた。
そういえば、助けてくれた時、ヴェルスはあの青年の名前を知っていたし、彼もヴェルスのことを知っていた。
なぜ?
もしかして元仲間とか?
聖霊との契約の事も、ヴェルスは見抜いていたということになる。
純粋に気になった。その真実をしりたいと、ミコトは筆を走らせヴェルスに渡した。
『こうなるって最初からわかってたの?』
「んなワケねぇだろ」
『だったらなんで神殿まで来てくれたの?』
「この街の為、だ」
『どういうこと?』
「お前が契約できようができまいが、どっちに転んでもこの街が危うくなる。そう思ったからだ。だがあの女がどういうヤツなのか俺は知らなかった。結局は黒だったが、寸前まで対処できなかったのは痛い」
ということは、どっちにしろヴェルスはああなることを予測していた、ということだろうか。
でも一体どうしてそれが可能なのか。ミコトにはそこが引っかかる。彼が仲間ではないだろうことは察しが付いたものの、わかるようでわからない説明に頭を悩ませた。
「あいつらの狙いはなんだかわかるか?」
『アルヴァリウスを殺すこと、じゃないの』
「そうだな。だが、ヤツらは直接アルヴァリウスに手を出せねぇ。何故だかわかるか?」
ミコトは横に首を振った。
「ヤツらが魔だから、だ」
ヴェルスは大きく息を吐いた。
「聖と魔。対の性質だが害はなせても消すことはできねぇ」
『魔?』
「あ? 聖霊士見習やってきだんじゃねぇのか? それぐらい察しろ、魔人だ。聖霊が生物につくと魔物、それが人間に憑く――まぁ、どういう心情でそうなったかは知らねぇが、ヤツはら人間であってそうじゃない。ある意味、聖霊士と一緒だろうがな。丁度、今のお前とは真逆だろうよ。だが、そうなって初めて奴らは触れることができる。浄化し、この地を守る存在として具現化したんだからな。だが調子に乗るんじゃねぇぞ。アルヴァリウスは力を持っているだけだと思え、行使するのは人間であるお前だ」
そう言いながらヴェルスはミコトに指をさした。
重圧と責任感。いろんなものがヒシヒシと身に染みてくる。だが、こうも的確に現状を受け止め、見定める力が彼にあったということに驚いてる面が大きい。そのせいか、話の信憑性を今一度考えるべきではないかと、脳内の一部が混乱していた。
あの荷馬車で寝こけていた傭兵が偉そうに。
ミコトは筆を走らせる。
『随分と詳しいのね。どうしてそう断言できるの? そんな知識があるようには見えないけれど』
「お前と一緒だ」
『意味が分からない』
「マヌケ」
(はぁ?!)
思わず掴みかかりそうになり、何とか気持ちを抑え込んだ。
意地の悪いヴェルスと真っ向から話し合っても無駄なのだ、とミコトは肩を落とした。そして同時に、自分でももう少し考える必要があったのかもしれないと省みた。
(ヴェルスが、私と一緒――?)
あの青年と彼は確実に初対面ではなかった。
そして彼らの仲間ではない。敵だとして、過去に何か因縁でもあるような感じだろうか。
その出来事を含め、ヴェルスの知識と自分が置かれた状況が一緒ということだろうか。
ふと、ミコトの思考に彼の言葉が蘇る。
(――そういえば)
数年前、この街に訪れた災厄。
聖霊士の運命から逃れたいと願う子供が、聖霊を裏切った影響で街と神殿が隔たった。
シィラとあの青年――ザイアがずっと狙っていたもの。それは即ち、アルヴァリウスと絆を結べる聖霊士の存在。共通するのは器となる人間。彼らの標的となった子供――前回はルフェイの兄。今回はミコト――自分自身である。
ミコトはハッとしてヴェルスを見た。
『あなたは、ルフェイのお兄さん、なの……?』
ヴェルスの表情は変わらなかった。
肯定もしなかった。
「話を信じる気になったか?」
『答えて』
「俺はもうアイツの兄じゃねぇ」
『ならどうしてこの街に居るのよ』
「ケジメだ。この街がこうなったのは俺の甘えのせいだ。結果、アイツに全部背負わせるハメになった。それは俺の一生の罪だ――いや、一生経っても償えないだろうよ。だからこそ一生守り抜く。アイツが表立って動けないときもそのきっかけになれるよう生きてやる。街のヤツらが動けないときは罪となっても切り開く。それが俺の覚悟だ。力があるのに、初めからこうしておくべきだったんだろうがな。今更遅いが、遅くないこともたくさんあるだろうよ」
『一方的だわ』
「なんだと?」
『そんなの自己満足だって言ってるのよ。あなたはずっと一方的で上から目線だわ。本当に償いたいなら彼に直接言えば良いじゃない。都合のいい時だけ出てきて、やってやったってふんぞり返るのは償いでもなんでもないわ――
(――なっ?!)
筆が吹っ飛んだ。
同時に、ミコトの身体がベッドへ叩きつけられる。
ギシリと軋む異音と、上半身にのしかかる重さにミコトは顔をしかめた。ザイアとの戦いで受けた傷が痛んだものの、耐えられないほどではない――が、それはたいして気にならない。むしろそれどころではない。ミコトは混乱していた。こういう状況は初めてだ。ただ、間近で見るヴェルスの顔に息を飲むことしかできなかった。
「俺は俺のやり方でやる。黙ってろ」
透明感のある翡翠の瞳。
まっすぐとミコトを映している。
ドクンドクンと、鼓動が早くなっているのがわかった。
「なんなら、お前の両腕折ってやっても良いんだぜ」
力では敵わない。
ミコトはヴェルスを睨みつけると、彼が短く息を吐く。
「可愛げのない女だ」
そう言いながら離れる彼を確認しながら、ミコトも飛び起き床に降り立った。
(いったい何なの?!)
乱れた衣服を整えながらヴェルスに向き直る。
彼は何事もなかったかのようにまた傍らの椅子に腰かけた。
これが本当に事実だというのなら、これ以上事あるごとに彼から危害を加えられるのは避けたい。
アルヴァリウスを宿しているという事実がある限り、命の危険はないだろうが、ああいうことをされるのは生理的にも嫌だ。だが、彼の弱みを握ったことにかわりはない。ならば上手く利用しなければ、とミコトは筆を握りしめた。
『取引よ』
「あ?」
『私に聖霊術を教えて』
妙な静けさが部屋に流れる。
意味が分からないのだろうか。そう思い、ミコトがもう少し丁寧に書き直そうとすると、ヴェルスが項垂れて肩を震わせ始めるのが見えた。そうして大きな笑い声を上げ「可愛げのない女だ」とため息をついた。
「面白そうな取引だな」
ミコトは苦笑いを返した。
自分自身も責任を取らなければいけない。
これはその覚悟だ。
ルフェイの兄――ヴェルスは、街の皆が称賛するほどの聖霊士だったと聞く。ならば師にうってつけだろう。それになにより槍の技術面だけを見ても彼は強い。ザイアとシィラを相手にするには聖霊術だけでは対応できないかもしれない。今の自分に必要なものを彼が持っている。
ミコトにとっても、これ以上とない取引だ。
ヴェルスは立ち上がり、ミコトの前に立った。
「もう俺は力は使えない。ただ、助言はできるだろう。それに、アルヴァリウスの力を使えれば、街の結界を張り直すことができる。それは俺にとっても重要なことだ」
彼から差し出された手を握り返す。
取引は無事成立だ。
「まずは、その声だな」
ヴェルスの声がこれほど頼もしく聞こえたのは初めてだ。
ミコトが驚きほうけていると、傍らで舌打ちが聞こえた。
その音は相変わらずウンザリするものだった。
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