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09 呪い



 ふと、そこは暗闇。

 ヒヤリと冷たいそよ風に薄藍色の髪が揺れる。

 ここはどこだろうか。全く知らない場所――なのかわからないくらい何もない。果てしない闇に満たされた空間だった。自分以外なにもない。なら、どうして自分は居るのだろうか。ミコトは周囲を確かめ、自分が純白の衣をまとっていることに気が付いた。これは、聖霊士が着る神聖なローブだ。どうやらこのローブのおかげで闇に紛れずにすんでいるようだった。

 一歩、踏み出す。

 ぴしゃん。

 まるで雨水が溜まった水たまりに踏み入ったかのような音が響く。しかし、足元は汚れていない。ただ、波紋がゆっくりと辺りに広がり消えていくのが見えた。

 ここはどこなのだろうか。

 疑問は全く解消できそうにない。

 誰か。と、声を上げようとするが、それはただカラの息となって空間に溶け込んでしまう。

 もう一度、誰か、と投げ掛けても声は出ない。どうしようもない状況にミコトは俯いた。

 何が起こっているのか。状況を整理しようにも訳が分からなさ過ぎて整理するどころじゃない。どうしようもなかった。

 呆然と立ち尽くし、天を仰ぐ。

 こちらも真っ黒だ。どこが天井なのだろう。両手を突き上げ背伸びをしても、壁らしきものには触れられない。飛び跳ねてみても指の先さえかすりもしなかった。ただ、着地と同時に波紋が広がっていくだけ。ミコトは途方に暮れ、ため息をついた。すると、目線のずっと奥――暗闇の先から淡い光がこちらに向かってくるのがわかった。

 なんだろう。

 光だ。

 ふよふよと漂っている。人ではない。

 誰? そう問いかけても当然言葉にはならない。

 やがてそれが聖霊だということがわかった。

 ミコトの目前で、聖霊は何かを必死に訴えていた。

 どこか見覚えのある聖霊。懇願するような仕草がミコトの胸にチクりと刺さる。助けてあげられなかった。そんな後悔と無念が心いっぱいにじんわりと広がる。そう。この聖霊は大蛇に憑いていた子だ。気付いてハッとした瞬間、聖霊をかたどる淡い光がホロホロと宙に綻び拡散していった。慌ててかき集めようと、ミコトは反射的に手を動かす――が、バシャバシャと波紋が立つだけで、一粒たりとも受け止めることはできなかった。

 いつの間にか、純白のローブがドス黒く染まっていくのがわかった。

 手の袖から徐々に変わっていく。

 聖霊を救えなかった。

 どうしてあんなことをしたのだろう。自分には絶対に彼らの願いを叶えることはできないのに、なぜ助けようとしたのだろうか。これはきっと、罪だ。戒めだ。聖霊士に見せかけ偽りの希望を与えてしまった罰だ。

 どうして聖霊が見えるのか。

 見えなければあんなことにはならなかった。中途半端。聖霊士になれないのならこんな紛らわしい力なんていらないじゃないか。もしなければ――なければ、どうしていただろうか。

 確実に大蛇を仕留められていた。

 自分の軽率すぎる行為がなければ。

 ふと、足元がぬかるみ始めた。じゃぶじゃぶと深くなっていく。まるで沼にはまったようにどんどん引き込まれ沈んでいく。肌に突きさすように冷たい。あっという間に腰まで浸水してしまった。このままでは溺れてしまう。もう胸まで――顎まで、ドプンと、沈み切った。先ほどとは違う暗闇。目を固く瞑り、ぎゅっと息を止めこらえるが限界だ。

 ハッと、



 ――目を覚ますとくすんだ灰色の壁が見えた。

 天井だ。

 息もできる。

 はぁはぁと息を乱しながら上体を起こした。

 自分はどうなったのか。大蛇と戦い街へ戻る最中、馬車の中で記憶は途絶えている。だとすればここはギルド? しかし、貸してもらっている部屋とは違った。部屋いっぱいに棚があり、壁はそれらで埋め尽くされている。棚の中には小瓶がたくさん並び、いろんな色の液体や乾燥した植物っぽい物が入っている。そして薬品独特の異臭が酷かった。

 さしずめ、ここはギルドの医務室だろう。

 徐々に覚醒し始めた思考で記憶を辿り、声が出なくなったことを思い出す。

 改めて発声しようと挑戦するが何も言葉にならなかった。


(やっぱりダメだ)


 反射的にため息が出てしまう。

 喉に違和感は何もない。

 何故だろう。思い返してみても心当たりは何もない――が、大蛇と聖霊が原因だろう。念のため、傍にある鏡で確認しても喉元に外傷はなかった。

 コンコン――と、扉から聞こえた。

 はい。

 反射的にそう答えようとして、ハッと喉を抑えた。


(しばらく慣れそうにないな)


 ゆっくり扉が開き、ルフェイとリンジャが入ってきた。

 彼らの顔を見ただけでどこか心が落ち着いた気がした。そして、二人の後ろからもう一人姿を見せた。知らない人物。真っ黒の髪の女性だった。リンジャよりもメリハリのあるボディーラインで、深紅の瞳が特徴的かつ魅惑的な印象。胸元が大きく開いた純白のローブを纏い、ふっくらとした身体が大人の色気を醸し出している。

 もしかして聖霊士?

 じっと見ていると、彼女が微笑んだ。

 少し恥ずかしくなってミコトは頬を紅潮させた。


「調子はどうだい? っと、やはり声は出ないようだね」

「疲れが出たのかと思ったけれど、こんなケースは初めてじゃない? ミコトは持病とかあるの?」

「だったら何かしらサインを出してくれているハズじゃないかな。まぁ、結局僕たちは専門外だから何も言えないさ」


 眉をひそめ考える二人に「だからこそわたしを呼んだんでしょお?」と、女性が頬を膨らませた。

 そんな彼女にウンザリとした様子でリンジャが話し出す。


「ミコト、紹介するわ。彼女はシィラ、ギルドの聖霊士で癒術に長けているの。だからここの医者って感じかしら。見た目はアレだけど、腕は確かだから安心してね」

「ひっどぉーい」

「そのネットリした喋り方やめてくれる? うざいのよ」

「筋肉バカのお子様にはわからないのかしらぁ? 頭領はわかってくれるもの、ねぇ?」


 睨み合いを続ける二人をルフェイが苦笑いで宥めた。


「すまないシィラ、診てもらえるかな」

「そのままで大丈夫よぉ」


 彼女は魅惑的に微笑んだ。

 実際に、聖霊士に何かしてもらうのは初めてだ。聖霊士にはそれぞれ様々な力があり、契約した聖霊によって技術の種類は大きく変わる。彼女のような生命の流れを把握し、活力を与える種類もごく稀に存在する――が、聖霊士自体が貴重なため、人生で巡り合えることが珍しいといっても過言ではない。

 こんな戦地だからだろうか。

 逆に、こんな場所を何故選んだのだろうか。

 そんな能力があるのならばもっと豊かな土地で豪勢な生活を送ることも簡単だろう。本当に、聖霊士ならの話だ。

 彼女の指先がミコトの喉に触れる。ヒヤリと、その冷たさに思わずビクリと震えた。シィラは「冷え性なのぉ」と茶目っ気たっぷりに舌を出し、何やら集中し始めた――が、それは一分も経たないうちに終わってしまった。


(え、もう終わり?!)


 今ので分かったのだろうか。

 疑いの目で見てしまう。傍にいるルフェイとリンジャは至って真剣に彼女を見つめていた。

 唸るシィラに不安を抱きながら恐る恐る診断結果を待つ。


「んぅー……呪い、って感じぃ? 魔物の気をたぁーくさん浴びたのねぇ。神殿で浄化してもらえば治ると思うわよぉ? たぁーだぁーしぃー、あんまり長く放置しちゃったら治らなくなっちゃうからぁ。せいぜい一週間ってとこぉ? もしかしたらぁ、もうちょっぴり早いかもぉ。忘れないでねぇ」


 彼女はニコリと微笑んだ。

 あっさりと出た結果に信憑性を疑ってしまいそうになるが、まぁそうなのだとミコトは受け止めることにした。

 

(呪い、か)


 ミコトはシーツをギュッと握りしめた。

 夢で見た暗闇のことも思い出す。聖霊が消えていってしまう様。あれこそが呪いの根源なのだろうか。

 救ってくれなかった自分への恨み、悲しみ、裏切られた気持ち。

 救えなかったからだろうか。見えていたのに何もしてあげられなかったからだろうか。聖霊は自分が見えていることをわかっていた。コチラが何もできなくても「見捨てられた」と恨まれたのかもしれない。でなければ呪いなど受けない。やはり原因はそれだろう。ミコトは確信した。


(神殿で浄化してもらうしかない、か)


 しかし彼女の言う神殿の場所はわからない。

 教えてもらおうと手を上げた時、リンジャの表情が険しくなった。


「――でも神殿って、街の外れの……?」

「おバカさぁん。それ以外にどこがあるのかしらぁ?」

「あんなところに行けって言うあんたの気がしれないわよ。他に方法はないの?!」

「おバカさぁん。あったら言ってるわよぉ」


 リンジャはシーラを悔しそうに睨んでいた。


「ぁ、ごめんねぇ? この地の神獣が祭られている神殿なんだけどぉ、街の外れにあってぇ」


 分が悪そうにルフェイが言葉を濁す。


「神殿はこの街を魔物から護っている守護結界の源なんだ。つまり、そこがなくなればここは終わる。魔物もそのことを知っていてね、その近辺にはたくさんの魔物が生息している。昨日の大蛇と同格かそれ以上の魔物が、ね」


 そこまで聞いてしまえば何が言いたいのかわかる。

 無理だ、ということだ。

 先刻の戦いであれほどの力を見せた彼でも言葉を詰まらせるくらいの場所なのだ。神殿までたどり着くのは到底不可能。あきらめろ。そういうことなのだと理解した。声を失うか、死ぬか。その二択で考えれば答えは簡単だ。


(話せなくても、何とかなるような気もするし)


 『大丈夫です』と、紙に書き三人に見せた。

 何か他に策はないのかと、シィラに向けて声を荒げるルフェイとリンジャをよそに、彼女は「待って」と、部屋の戸棚から羊皮紙を取り出した。ネットリとした声音ではなく、淡々とした調子に二人も静かになる。

 なんだろうか。もしかして他に案があるのだろうか。

 ミコトはシィラの背を見守った。そうして何かを書き留めると、真剣な表情で差し出してきた。


「もし神殿に行くつもりならぁ、向こうでコレを見せてみて」


 広げてみると見慣れない文字が羅列してあった。まるで手紙のようだ。

 自分の知る聖霊の文字とは違ったものだ。地方によっては異なるのだろうか。


「ルフェイから聞いたけどぉ、あなた見えるんだっけぇ?」

 コクリと頷く。

「聖霊には人の言葉や文字は通じないからぁ、これを見せればあなたがどうしてやってきたか伝わるようになってる。お節介かもしれないケド、知ってしまった以上は放っておけないのよねぇ……職業柄ってヤツぅ? これを使うも使わないもあなたの勝手だぁーかぁーらぁー、気にしないでねぇ?」


 ベッドから降り、深々と彼女にお礼した。

 傍に居る二人にも『ありがとう』と気持ちを込めて頭を下げ医務室を後にした。



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