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00 あれこれあって


 

 石灰で造られた小さな神殿。

 細やかな彫刻が施されているが、あまり目立たないシンプルな作りだ。

 普段はひっそりと佇んでいる建物も、今日こそは様子が違った。神殿がある小高い丘は人で埋もれている。

 いつもは微風に揺れている芝も、人々に埋め尽くされ晴天を拝めないでいた。だがしかし、木の葉がそよぐ心地よい音は丘に届いていた。不思議と遮る騒音は何もない。人々は沈黙を決め込み、ただその時を待ち続けていた。


 そうして神殿の鐘は始まりを告げる。



 リィ―――ン。


 リィ――――――ン。


 リィ―――――――――ン。



 澄んだ音色。

 すぐにスッと消えきってしまう儚げな調は、神殿内に居る少女の耳にも届く。

 金の祭具が散りばめられた祭壇。陽射しが色ガラスの窓を抜け、鮮やかな色が照らし出す一ヶ所。まるで花嫁のように純白の神衣を纏った少女は膝を折り頭を垂れていた。



 リィ―――――――――ン。


 リィ――――――ン。


 リィ―――ン。



 全ての鐘の音が浸透しきる前に祭壇の真上に光の粒が集まり始める。

 それに合わせ人々がハッと息づき、声が神殿内に広がっていく。

 やがて眩い光は大きな人の形をとる。金色だ。まるで光そのものの姿のようで、長い髪がゆらゆらと揺れる度、その先から小さな輝きが解けていく。細く長い腕は胸の前で組まれ、祈りをささげているように見えた。そうして何の装飾もないワンピースがはためいており、そこから下――脚の部分は形成されていなかった。


「――聖霊(せいれい)


 誰かが言った。

 それはゆっくりと視線を下げると、人々は深々と跪いた。しかし、ひとり祭壇で膝を折っていた少女は面を上げた。そんな彼女の様子を見届け、聖霊は微笑んだ。


『この地に生きる聖霊士よ、名を――』

「ミコト」


 聖霊と少女は視線を交わす。

 人々はそろそろと頭を上げ彼女たちを見守った。誰も声を発しない。沈黙は守られたままだ。

 やがて、聖霊は首を横に振った。


『我は其方との契約に応じられぬ』

「――……はい」

『この地に幸があらんことを』


 解けていく光に向けて少女はまた膝を折った。

 そうして固く目を瞑り、聖霊が居なくなるときを今か今かと待ち望んでいた。


(早くここから出ていきたい)


 少女は切に願った。

 膝に乗せた片手をギュッと握りしめる。もう限界だ。腹の底――胃から込み上げてくる不快感が今にも口から出てしまいそう。これ以上抑えきれそうにない。

 またダメだった。

 今回はもう後はない。

 

 静まりかえっていた神殿内が次第にざわつき始める。

 「また上手くいかなかったのか」「器は確かなハズなんだが」「信じられない」「刀の腕は歴代最高だろう?」「きっと穢れているのよ」「これで何回目?」「五回目じゃないかしら……」「失敗するヤツもいるんだな」「ちゃんと降臨したんだ、聖霊士の資格がないわけじゃないだろう」「だったら何が原因だって言うんだよ」「出来損ない」「どういうつもりだ」

 色んな声が聞こえる。

 少女は唇の端を噛んだ。

 全て自分に向けられたものだ。よく知っている。彼らが言っている通り、これが初めてなわけじゃない。慣れている。慣れているはずなのに、胸を刺すようなギリギリとした痛みは毎回強くなる。


(なんでダメなんだろう……)


 理由はわからない。

 きっと誰にもわからないことだと思う。絶対に。

 例え聖霊に訊いても答えてはくれないだろうこともわかる。できるとすれば、聖霊の言葉を聞くことができる特別な人間――聖霊士だけだろう。

 厳密に言えば聖霊と絆を結んだ聖霊士だけということになる。

 でもってつい先ほどの儀式が契約を結ぶ機会――だったのだが、残念な結果に終わってしまった。

 そんな機会を逃した自分は決して理由を知ることはできないということ。もしもこの場に聖霊士が居たら教えてくれるのかもしれないけれど――少女はため息をついた。


(わかってももう手遅れだし、たぶん聞いて解決する問題じゃないんだろうな)


 仕方がない。

 例え理由を知っても、きっと結果を変えられるような事じゃないのだろう。無理なのだ。根本的な何かが欠けているのかもしれない。それなら到底無理に変わりない。


 諦めをつけて少女はゆっくりと立ち上がる。それからすぐに後方を振り返った。

 静まり返る神殿内。

 痛いくらいの視線を目の当たりにし、反射的に身がすくんでしまう。一刻も早く立ち去りたい。人々と顔が合わないよう、視点を下に捉えながら祭壇の階段を降りると、真っ白な髭を蓄えた祭司が待ち構えていた。

 彼もどこを見ればいいのか戸惑っているようで、視線が泳いでいた。瞳には悲しみや同情があるように思えた。若干眉間にも皺がよっている。少し痩せたんじゃないか。そう感じながら、少女は純白の神衣を脱いだ。

 聖霊士ではない自分に神衣を着る資格はない。脱ぎ終えると祭司の隣に居た神官が衣をひったくっていった。

 祭司はそんな神官の様子に肩をすくませた。


「すまない」

「いえ。私にはもう必要ないですから」

「すまない」


 彼はまた謝りながら、少女に黒い衣を手渡した。

 神衣とは真逆でビックリするくらい真っ黒だ。


 産まれた時から聖霊士として教育され、ほとんど純白一色の生活だった。

 神聖なる者たちと通じ、力を借りて人の世に祝福をもたらす存在。それが聖霊士。世界で数ヶ所しか存在しない聖地に選ばれ育つだけで栄誉なことだと称えられると同時に、絶対その道に歩まなければならないという完全な使命がある。

 幼い頃からプレッシャーの中で様々なことを詰め込まれる。

 英才教育というやつだろうか。

 よっぽどのことがない限り普通に聖霊士になれる――と言われているのだが、どうにもならないこともある。らしい。今がまさにそうだと、少女は眉をひそめた。 


 新しい衣に袖を通して闇に紛れそうな姿に半端ない違和感があった。

 里の者たちも聖霊士を輩出する場所という意識が強いためか、大体は白っぽい服装だ。それ所以、黒は聖霊士の才を持ちながらも何らかの理由で聖霊と契りを結べなかった者が着る正装。出来損ないの資格という暗黙の了解があった。

 真っ白な神殿内。

 黒衣を纏っている自分が異色であることがよくわかる。ここには不要なのだ。


「ミコト、お主にはこれから西へ向かってもらう」

「西――最果て、ですか」

「そうじゃ。我ら人類が都を拠点に西へと開拓を始め、ようやく大海までの道が拓けた。しかし尚もまだ戦いは止んでおらぬ。それどころか、戦況は悪化しておると風の噂で流れてきておった。彼の地には救いが必要なのじゃ」


 またも神殿内がざわついた。

 少女は祭司の言葉を静かに聞いていた。


「聖霊とはめぐり合わせがなかったようだが、お主の刀の腕は誰もが認めておる。彼の地――ユエルイズノはお主の力が存分に発揮できる場所だろう。そして彼の地にも聖霊がおる。ここでは縁がなかったが、お主にも契りの機会がくるやもしれぬ」


 祭司は傍に待機していた神官から細長い布の包みを受け取った。そして少女の前に差し出すと、布から中身を抜き出した。


(刀だ)


 艶やかな漆の光沢が鈍く輝いている。ガッチリとした印象の刀身。

 やや細身で軽いが、なんとなく頼もしい気もする。


「それはお主の父が持っていた物だ」

「父は、聖霊士だったんですか」


 祭司が頷いた。


(どんな人なんだろ)


 父と母。どこにいるのか。その生死さえもわからない。

 生まれた時から英才教育は始まっていたし、周りにいる子たちも同じだったせいか生みの親がいるという考えはなかった。というか、今更じゃない? ただ、父は聖霊と契約できていたという事は判明した。自分ができなかった理由はいったい何なのか。少女は悶々とする一方だった。


「数多の魔を退けてきた代物よ。きっと護ってくれる」


 感触を確かめながら左脇に携えた。

 これからは傭兵として生きるのだ。


「今までありがとうございました」

「きっと、良いめぐりあわせがあるはずじゃ」


 消え入りそうな声は震えていた。

 ここは聖霊士の土地だ。聖霊士としての役目を担えないのならば、立ち去るほかに居場所はない。昔から取り決められそうしてきたからこそ、希少と言われる聖霊士の血を多く輩出し続けられているのかもしれない。

 仕方がない。

 少女は祭司に一礼し、神殿の出口へ向かった。

 隙間もなく埋まっていたはずの人々の中に一線の道筋ができる。その視線の全てが先ほどの軽蔑から同情や憐れみに変わっていることを感じた。


(最西端、ユエルイズノ……)


 振り向かずに少女は進んだ。

 戦禍の地域。

 死に行けと、言っているようなものだ。

 それを誰が決めたのかはわからない。今まで聖霊士になれなかった者がどんな末路を歩んだのかも知らない。もしかしたら居なかったのかもしれない。自分が初めて。それもあり得ると思った。自分には合っているのかもしれないとも思った。

 毎日朝日が昇る前に起きて冷水で身体を清めてお祈りをして、日中は学問と聖霊の言語を学んで、夕日を浴びて身を清めてお祈りして就寝する。そんな狭苦しくてむず痒い日々が窮屈で仕方なかった。みんなよく耐えられると思った。でもそれが当然だと思っていた。十日に一日の安息日には必ず里を抜け出して刀の稽古を兼ねて森に入ってやり過ぎだと叱られる。女なのにお転婆だともよく言われた。

 だから? だからだろうか。

 契約するに価しない者。

 そう思われたのかもしれない。


「――ミコト」


 呼び止められた。

 幼い時から一緒だった赤毛の少女だ。

 彼女は早いうちから聖霊との契約を果たし、村を守る結界を担う大役を任せられている。

 天才だと囃され、自らも胸を張って言っているくらい。いつも上から目線で蔑んでくるやつ。今日はさすがに憐れみを向けられている感じで、とてもやりにくい印象だ。


「あなたらしくないわね。気持ち悪い」

「なっ?! 人が同情してあげてるのにその言い方はないでしょ!」

「うるさいなぁ」

「ちょっと、あんた自分の状況分かってんの?!」

「あなたともサヨナラよ」

「ふざけないで! ずっと一緒だったし、あんたに負けたくないから一生懸命頑張って追いついて追い越して、またあんたも追い越してくれるんだと思ってたのに、なんで諦めるのよ?! あと一回くらいチャンスが欲しいって言えばいいじゃない!」

「わかってるよ」

「え?」

「あなたが今日のチャンス作ってくれたの、前に失敗したときに頼んでくれたの知ってたから」

「じゃあ、また同じように頑張ればいいじゃないの、ね?」

「何回やっても一緒なら結果は同じだと思う。それに私、ここから出た方が良いと思うの」

「あたしの気持ちも考えてよ! ずっと一緒だったのに!!」

「なら、私の気持ちも考えてみて」


 嗚咽をあげ始める少女に微笑みかけた。


「ありがとうセツナ。皆をよろしくね」


 神殿の扉を開け放つ。

 外には大勢の人が居た。そして驚くくらい晴天だった。

 なんて解放感だろう。

 心地よいそよ風に少しだけ身を任せてから、大きく空気を吸い込んだ。


「よしっ」


 少女は荷袋の中から黒のスカーフを取り出すと、淡い藍色の髪を高めの位置で一つに束ねた。

 そして後ろを振り返ることなく丘を下り始めた。

 



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