陸之書 ~第一章~ 其之二
登場人物
氷動 真夜-ヒョウドウ マヨ-:主人公、陸人の従者。
陸人-リクト-:神様の一人、真夜の主。
西暦2018年 12月 東京某所 雑居ビルオフィス
「きゃっ!!」
恐らくは何か小さな会社?のオフィスであろう、照明がついていないためその詳しい間取りや設置物の類は確認できないが窓から差し込むかすかな明かりが業務用のデスクを照らし
今自分は、ソファのようなものの上に放り投げられたことは確認できた。
「あっ・・・あ・・・あぁ・・・っ」
あまりに唐突な出来事なのではっきりいって自身が混乱しているのはわかる。そして20年間味わったことのない恐怖により頭で命令しても体中が震える。
掛け値なしの恐怖。絶望。
B級サスペンスでもありがちなこの展開に、まさか一介の大学生である自分が置かれようとは、氷動 真夜は夢にも思わなかった。
ましてや自分がいるのは世界一安全な国で世界一安全なその首都なのだ。
何かのファンタジーじゃあるまいし、神に助けを請うたら自分を恐怖のどん底に叩き込んだ当事者は自らのことを神だといい、次の瞬間念願のお姫様抱っこをこんな形で実施され、
一瞬目の前が光り輝いたとおもったらこのオフィスに移動し、こうしてソファの上に投げ出されたわけだ。
「おい」
「ひっ!」
混乱する彼女を尻目に、男は真夜に向かって何かを投げつける。それが純白のタオルだということに気が付くのに数秒の時を有した。
「とりあえず、その酷い顔をなんとかしろ」
どの口がいうのか。男がいうには顔をふけということだろうか。
確かに両の目からは涙があふれ出し、鼻水が口に入り塩辛い味が口内を包む。自分の顔がひどい有様なのは容易に想像がつくが
そうならしめた相手に、それを咎められてもなんの説得力もない。季節外れの汗が額から顎へ流れ、脂汗にその赤みを帯びた長髪がぐちゃぐちゃにまとわりついている。
かろうじて息はできるが、自分が思う以上にそれは荒く、不規則な物だった。
ドンッ
男は机を挟み真夜の座るソファとは反対のソファにこしかけ、その足を机の上にそのまま伸ばして叩きつける。
そしてジャケットの内側から、恐らくタバコと思われる紙巻の筒を取り出すとそれを口に加え・・・ライターで火を
ボッ
ライターで火をつけなかった。否、咥えたタバコらしきものが勝手に燃え出した。訳が分からない。この男は手品師か何かなのか?
ともあれその様子はいつぞやテレビドラマで見たその筋の人間のそれだ。これ以上自分を威嚇して何になるのか?
一介の女子大生で、実家は田舎の小さな喫茶店兼食堂兼カラオケ居酒屋兼農家、容姿端麗とは言わないものの見た目も中の上の評価がでれば満点以上だ。
そんな自分を拉致して一体この奇術師になんの得があるのか。
(あれ・・・この匂い・・・)
男の出した煙が真夜の鼻をつつくが、それは実家の常連たちが咥えていたものとは明らかに違う。
まるでこれは・・・
「お香・・・?」
白檀だっただろうか?その手の知識は疎く、はっきりした品種は分からないがその香りは徐々に真夜の恐怖心を和らげる。
気が付けばそう思考できている自分が落ち着きを取り戻しているということに彼女が気が付くのは容易なことだった。
「あのっ・・・私っ!」
「いいから顔をぬぐえ。落ち着いてからだ」
大人の男の低い声。30台に届かないくらいだろうか?それでも真夜は自身を女性と認識してからこのような密室で異性と二人きりになったことは無い。
落ち着け、といわれても無理がある。しかしながら徐々に思考は戻りつつある。とりあえず渡されたタオルで顔をぬぐいながら自身の置かれた状況を整理する。
(そうだ、私のバック・・・)
真夜は自分のバックを探す。中には携帯電話が入っている。隙をみて緊急発信を行えばこの窮地を脱出できるかもしれない。
「ひょうどう、まよ」
「!?」
男は不意に自分の名を呼んだ。凝視すればその傍らには真夜のバック、そして手に握られているのは彼女の身分証明書だ。
「20歳、鳥取県出身、現住所はこの近くか」
鼻から煙を出しながら男は続ける。
「都内女子大学在学、専攻は・・・ほう、歴史学か、お前考古学には詳しいか?」
「人並みには・・・・」
「やっとまともに喋れたか」
とりあえず頼みの綱だった私物は男に握られている。当然といえば当然だが、そうそう20歳の小娘の思うようには人生運ばないらしい。
「鳥取のどこだ?あの辺は昔からよく寄るんでな」
「と、鳥取市から少し南・・・」
「つーことは霊石山はしってるか。いや懐かしいな」
男はお香のようなタバコを灰皿に押し付け、真夜の免許証と学生証、その他私物を机の上に無造作に置く。
「私・・・どうなるんですか?」
思考が戻ってきたところで、真夜はまずは自身の安全を確認する。誘拐にしてもその目的をはっきりさせなければいけない。仮に命が目的なら、彼女は今ここには居ないだろう。
鋭いまなざしを真夜に向け、男はふっ笑う。
「どうもしない」
「はぁ?」
思いがけない返答に真夜の思考は一時フリーズする。まさかこの男は訳もなく自分をこんな状況においこんだのか。
「ふざけないで・・・ください」
そんなわけはないだろうと、真夜はようやくあらかた顔を拭き終わり、タオルをわきに置きながら、落ち着いた仕草でソファに座りなおす。
「なんの目的もなく、私をこんな場所に連れ込むなんておかしいんじゃないですか?」
「そうだな、言い方が悪かった。少しからかっただけだ。だがまとま思考はできるようだな」
男はそういうと不意に立ち上がる。
「コーヒーか麦茶か酒、好きな物を選べ。とりあえず一息入れよう」
「・・・ならコーヒーで」
「ホットでいいか?インスタントしかないが」
「ありありのホットでお願いします」
男はすぐ近くに置かれた食器棚から手慣れた手つきでコーヒーカップを用意し、ポットから湯を注ぐ。
真夜はその隙にオフィスの出入り口の場所を確認する。
「出ていくのは止めないが、今はやめたほうがいいぞ?」
「!?」
自分に背中を見せる男のふいの言葉に真夜は背中にゾクリと悪寒を感じる。
「それに折角入れたんだ。飲んでもらわないともったいない」
男はソーサラーに砂糖とミルクを乗せ真夜の前に置く。嗅ぎなれたコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
そして改めてソファにこしかけ真夜を見据えた。それを見ながら真夜は砂糖とミルクをカップに注ぐ。
「のめ。如何わしいものはいれてない」
「・・・いただきます」
真夜はそっとカップに口をつける。なるほど、特に変な味はしない。至って普通のインスタントコーヒーだ。
「俺は陸人、さっきも言ったがお前たちの言うところの神様だ」
「ぶっ」
ありがちな反応だが思わず飲みかけのコーヒーを噴き出してしまう。慌てて先ほどのタオルを手に取り口元をぬぐう。
「さっきといい、私のことからかってます?」
「いや?だがさっきお前は見たといったな?」
その言葉に真夜の脳裏を先ほどの光景がよぎる。そう、彼女はみたのだ。夢ではない・・・はずだ。
クリスマス前だというのに珍しく雪が舞い散る大学からの帰り道。
友人たちと別れ、一人人気の少ない近道を通った時にそれは起こった。
彼女の前には二人の男、一人は今彼女の目の前にいる陸人と名乗った男。
そしてもう一人は40歳台ほどのスーツ姿の男。
陸人が手をその男にかざすと、スーツ姿の男は光に包まれその場から消え果た。
そう文字通り消滅したのだ。なんの言葉も発することなく、一滴の血を流すことなく。
一度は引いた脂汗がふたたび真夜の額に浮かぶ。目をつむり片手でこめかみを抑える。
なんど思い出しても彼女ははっきり見たのだ。
その不可解な現象を。そしてそんなことができる存在は現代科学の理論上存在しえない。
存在できるとすればそれは人智の先の存在。
「神…様」
「認めるか?」
だが真夜はそのまま席を立つ。無言で机に散らばる私物をまとめオフィスの入口へ。
「ありえない、そんな与太話のために私をこんなところへ連れてきて。死ぬほど怖い思いして」
そして陸人に振り向き
「ふざけんじゃないわよ!悪ふざけにもほどがあるわ!この糞男!頭おかしいんじゃないの!?」
少ない語彙からあるだけの罵声を陸人にあびせ踵を返す。陸人は言った、真夜の現住所を見てこの近所と。
それならこのビルから出れば真夜でも自宅へたどり着くのも容易だろう。
「さようなら!警察には言わないから二度と私の前に現れないで!コーヒー御馳走様!!」
そう言い放つとドアノブに手をかけようとする。その瞬間真夜は身の危険を感じ扉から後ずさる。
派手にバックステップを踏みバランスを崩しそのまま尻から床に倒れこむ。
自分が何をしたか理解ができない。ただ真夜の本能という部分が扉を開けることを拒否したのだ。
「ほう・・・」
陸人は真夜の行動を満足げに見届けると。ソファを立ち扉の前に歩み寄る。
「よくわかったな、この扉の結界を」
そういうと彼はドアノブを掴む。すると
バリバリバリバリバリ!
鋭い閃光が迸り、まるで目の前に雷が落ちたような音と衝撃が真夜を襲う。
「ひいっ!?」
なんとも情けない声だと我ながら思いながらも顔を庇い閃光が収まったのを確認して恐る恐る目を開ける。
「う・・・うそ・・・?」
目の前では何事も無かったかのように陸人がたたずむが、真夜の目は陸人ではなくそのドアノブを掴んだ右腕を凝視していた。
「うっうぇっ!ああああああ・・・ううっ!」
酷い匂いだった、思わず先ほどのコーヒーが吐しゃ物になるところだったが真夜は口を押え信じられないとそれを見る。
陸人の右腕は黒く焼け焦げ、炭化した皮膚が煙をあげところどころの肉がただれ落ち、白い骨格が露わになっている部分もある。
「まぁ、お前が握ってもこんなことなる前に扉から弾き飛ばされている」
自身の腕がほぼ吹き飛んでいるにも関わらず陸人はさも当然な顔をして真夜を見下ろす。
そして自身の右腕に目を移すと腕に向かってふっと息を吹きかける。
「え・・・?」
息を吹きかけた腕は光を纏い次の瞬間には一緒に吹き飛んだと思われるジャケットごと元に戻っていたのだ。
真夜はひどい頭痛を覚えながらも人智を超えた一部始終をその目に焼き付けた。
「ばけ・・・もの・・・」
「心外だな、神様だ」
陸人は真夜に歩み寄るとその手を握り起き上がらせる。
「少しは信じる気になったか?」
真夜は無言で何度も首を縦に振る。そのままソファへ戻り呼吸を落ち着かせながら改めて腰を下ろす。
(なんなのこの人・・・、トリックとかそんな次元じゃない・・・)
上目使いで男を凝視しながら真夜は試案をめぐらす。彼女の想像通り、陸人は明らかに人智を超えた存在なのは間違いない。
そんな彼が何故自分を拉致してこんなオフィスに軟禁するのか。真夜の興味はその一点に尽きる。
「話を続ける」
一方的にそういい放つと陸人は先ほどのお香の香りがするタバコらしき物にまた火をつける。無論、道具を使った形跡はない。
「はぁ・・・拒否権は無いんですね、もう好きにしてください」
「肝は座っているようだな」
紫煙を吐き出しながら陸人は再び机に脚を乗せる。行儀はわるいがそのワイルドな仕草は不思議とその容姿にしっくりとくる。
「三度いうが、俺はお前たちの言うところの神様だ。日本神話じゃイザナギ、イザナミに相当する」
「まってください」
真夜は陸人の言葉を制する。
「私の知る限りで恐縮ですが、イザナギ、イザナミといえばこの日本の創造神ですよね・・・?」
「わかりやすく例えたつもりだが論点をかえる。そもそも神話とはなんだ?」
「私の個人的な見解になりますが・・・人類開闢期の事象を科学的に説明ができない当時の人々が、神様という長上の存在にその事象の
説明を、無理やり担わせた。いわば当時の人に都合のいい作り話・・・でしょうか?」
「忌憚のない意見だな」
コーヒーを口に運びながら。陸人は続ける。どうやらブラックが好みらしい。
「概ね間違っていない。だが、実際に説明がつかない事象があったとして、その事象が起こったことは事実だ。
だとすれば、それを引き起こしたのは一体誰だ?」
「・・・それは・・・神様・・・?」
「はぁ・・・この手の説明は俺より海人の方が適任なんだがなぁ。どうもお前たちに分かりやすく説明するとなると
気を遣うな。まずここには居ないが、俺を含めこの世界には三人の神が存在する。三人だ、いかなる国の神話が様々な
創造神を伝承するが、それはすべて俺たち三神がそれぞれ違う形で伝承されていると、認識しろ」
真夜は右手の人差し指を横から唇にあてる。友人からも指摘されるが、彼女が真剣に考え事をする際の癖であるらしい。
「この際、難しいことは抜きにして、怖れ多くもその三神の一人であるあなたが、一介の女子大生の私に何を望まれるのですか?」
「なかなか辛辣な言い回しだ、俺好みだ」
「はぁ?」
真夜は先ほどまでの怯える子羊とは打って変わり、自分を小ばかにしたような陸人の物言いに侮蔑の視線をぶつける。
逆に陸人はそんな真夜をなだめるかのように両手をかかげ静止の仕草をとって見せた。
先ほどまでならこのような強気な発言は彼女にはできなかったであろう。
しかし先ほどの自分を試すような扉の結界といい、先ほどからの言い回しといい、彼は明確な目的をもって彼女に接しているのは明らかだ。
逆に考えればこの陸人と名乗る自称神様にとって、自分は何かしらの価値がある存在だというのは、想像にやさしかった。
そう仮説を組めば、多少強気にでるくらいが交渉には丁度いい。
事、交渉ごとに関しては例え自身の立場が下であっても、いかにそれを対等以上に見せることができるかが重要だということを、以前大学の講師から聞いたのを思い出していた。
「神話の話に戻る。神話は太古に起こった事象を神様のせいにして、無理やり結論を導いた。お前のその仮説が正しいとして、実際にそのすべてを俺たち三神が
引き起こしたと、お前はそう思うか?」
「あなたが神様ならそのくらい容易いような気がしますけど・・・それにしてはエピソードが多すぎるし、その性格も多種多様・・・
それに今あなたは三人っていいましたよね?普通に考えれば、この地球全体を3人でカバーなんて普通不可能だと思います」
この突拍子もない会話についていける自分がすこしおかしくなるが、真夜は続ける。
「仮説ですが、神話のエピソードは大半が創作、想像によるファンタジーでしょうが、事人間に関わる部分でいえばあなたたちの介入があったのは
恐らく間違いないでしょうね。そしてそれを代行する人間がいたとしても不思議じゃありません」
フム・・・と陸人は満足そうに灰皿に吸い殻を押し込む。
「続けろ」
「おそらくあなた達三神の力を代行して使役した人間・・・それが多くの神として伝承されて今に至った」
「合格だ、お前はここ最近の転生者の中では物分かりのいいほうだな」
聞きなれない言葉に真夜はすこし目を細める。
「転生者?」
意味は恐らく真夜の想像通りだろう。しかし正確な意味を知る必要はある。
「かつて、俺たちが世界安定のため素養のある人間に力を分け与えた。お前の知識の中にある主だった神々の大半はその人間が神として伝承されたものだ。
俺たち三神はこの地球の自然秩序の安定化を務めることを生業にしているが、今も昔も人手不足でな。お前の様に素養のある人間に俺たちの手伝いを依頼している」
「こんな誘拐まがいなことをして?」
真夜は皮肉たっぷりに言う。
「俺は穏便なやり方は得意じゃない。非常に稀ではあるが俺たちが力を分け与えたお前たちの言う神様が、転生して現世に生まれいずる」
「私が、その転生者なの?根拠は?」
「こうして俺の行使する力を実際に認識している。素養のない人間は、まず視覚することはおろか認識することはない」
陸人は無造作に頭をかきながら立ち上がり、薄い街明かりが差し込む窓へと向かう。
「それに遺憾だが、現代社会の中では俺たちはかつての様に人間にその力を分け与えるほどの力はないし、自ら転生者を見分けることすら困難だ。
お前を見つけたのは、本当に偶然だ。ただでさえ稀な存在を見つければそれが誰の転生者にかかわらず、俺たちとしてはこうして依頼を持ち掛けるわけだ」
そういいながら陸人は窓を開け放つ。冷たい風が室内に吹き込み、真夜の頬をなでる。
「氷動真夜、お前はこの陸人の従者になれ」
(あぁ・・・、この人本当に神様なんだろうな・・・)
神々しいとはこのことだろう。透き通るような瞳はまるで自分の思惑を見透かすようで、その肌と風貌は人間が放つそれと明らかに異なる。
不覚にも20年の人生の中で彼女はそれに心奪われてしまったのだ。