3.夫婦の愛
「可愛らしいな」
「寝言は寝て仰ってください。」
不機嫌さを隠さずに物言う小さなディオンに、セオドールは彼をただ見ていた頃を思い出す。
優秀だが未だ力のコントロールが不十分なので不用意に近付くなと、ディオンがセオドールの護衛にあたるようになってから色んな人間から言われていた。それでも興味深さを隠せずに時折様子を伺っていた時期。
闇魔法についてある程度の知識は持っていたが、まさか代わりに傷を受けるようにする魔法をかけているとは思ってもみなかった。
婚約者が光魔法の一族だったから、婚約者がテレジアだったからこそ、ディオンは今も生きている。
15歳の時の傷も、影での仕事も、この前のことも。
「まるであの頃を思い出すな。テレジアも嬉しいだろう?今では絶対に見ることの出来ないディオンの子供姿だからな」
国王の言葉に、子供姿のディオンの隣に座っていたテレジアが緩く微笑んだ。
しかし目は笑っておらず、不謹慎な言葉を選んでしまった国王を不敬にも睨んでいるようにも見える。しまった、と国王は内心焦り、後ろに控えていたルーベンスはバカだと内心呟いた。
ディオンがセオドールの代わりに闇魔法を受けてから、2週間が経っていた。
ディオンは1週間ずっと眠り続けていた。光魔法でほぼ無効になったとはいえ、身体には負担がかかったのだろう。
あの日、終始無表情のテレジアは小さくなったディオンを抱き締めながら話を聞いていた。隣にいる双子はそんな母親の様子を不安そうに窺っていた。全てを話し終えると、テレジアはセオドールが引き留める間もなく退出した。双子だけは申し訳なさそうにしながら母親についていったが。
ディオンの異変を知っているのは、国王であるセオドールとルーベンス、宰相、ラーナクラス子爵、ハーティバル子爵夫妻、テレジアと双子だけだ。
ディオンが目覚めた時にいた部屋は、ラーナクラス子爵家の夫婦の寝室だった。3人いたはずの使用人は仕事でいないとのことで、テレジアと双子からその後のことを聞いたディオンはすぐにでも登城しようとしたが妻によって止められ、念のためということで更に1週間休んでいた。
その1週間の間にディオンはラーナクラス子爵とハーティバル子爵夫妻に会った。3人とも無事で良かったと言ってくれたが、ラーナクラス子爵はにやにやと気味の悪い笑みを浮かべながら愛されているなと、セオドールと同じことを言って帰っていった。
1週間、テレジアはディオンに付きっきりだった。
一緒に寝るのは勿論のこと、同じ家の中にいるのに何処にでもついていってトイレは別だが、服を着替えさせられて、したことのない料理を手伝わされ、手ずから食べさせられ、休みましょうと睡眠を促され、起こされるとまた一緒に料理をして食べさせられ、一緒にお風呂に入って洗われて拭かれて着替えさせられて抱き締められながら眠って。
2日で耐えきれずに1人でも大丈夫だと言い張ると、その日は強制的に眠らされて、翌日に双子から延々と説教をされた。
『『お父様』』
いつにもまして真面目な顔をしている双子は、眠りから覚めたディオンが隣にいるはずのテレジアが既にいないことに安堵していた時にやって来て、着替える間もなく父親をベッドから引っ張って近くの長椅子に座らせた。
『お母様がどれだけ心配されていたかわかっていますか?』
『お父様がどれほど厄介な闇魔法をかけられていたかわかっていますか?』
『お母様が光魔法をかけていなければ今頃死んでいたのですよ?』
『お母様がお父様の妻でなければ今頃死んでいたかもしれないのですよ?』
『今までが働き過ぎだったのです。少しくらい、お母様との時間を持ってくれてもいいと思うのです。』
『お母様が納得するまででいいんです。お父様から、お母様を離さないでください。』
普段は父親であり、師でもあるディオンの方がアレクシスに厳しいことを言うことが多かったがこの時は逆であった。
再度言っておくが、今のディオンの姿は誰がどう見ても子供だ。10歳くらい。ディオンがテレジアに会った頃、双子と同じ年頃の子供の姿だ。しかし、中身は28歳の成人男性である。
なのに、まるで双子は自分よりも幼子に説明するように一つずつ丁寧にテレジアがどれだけ心配をして勿論双子たちも心配して、彼が目覚めるまでの1週間ずっと母親がディオンに異常がないか、後遺症が残らないか、小さくなった身体が元に戻らないか魔法をかけ続けていたことを説いて聞かされた。
今朝早くにテレジアからちょっと出掛けてくると言って、昼の今になってもまだ戻ってこないことも。
『・・・テレジアは、そんなに怒っていたのか?』
子供姿だからだろうか。
いつもよりもずっと感情のわかりやすいディオンに双子は顔を見合わせる。
少し、落ち込んでいる?
『今までずっと心配されていたと思います。』
『お母様は、僕達がお父様の為に在ることをお望みですから。』
その言葉に、ディオンは珍しく感情を露に、目を丸くした。
双子は、テレジアが自分たちに望んでいることをきちんと理解していた。
『子供は最低2人は欲しかったの。私と旦那様それぞれの特徴を持った子供。アレクシスとアレクシアが産まれてきてくれて、本当に良かった』
テレジアは子供好きなわけではない。ただ、ハーティバル家とラーナクラス家を継ぐ子供を産まなければいけなかった。
ハーティバル家には、光魔法を受け継ぐ子を。
ラーナクラス家には、闇魔法を受け継ぐ子を。
そして、その2人の子供がディオンの為に働くことを望んでいた。闇魔法を受け継ぐ子には影として、光魔法を受け継ぐ子にはディオンを守る存在として。
テレジアがその役目の為だけの存在として大切にしているわけではなく、アレクシスとアレクシアをきちんと一個の人間として大切にしてくれていることも理解している。
テレジアもディオンも、選択肢は用意してくれるのである。
アレクシスを影として育てる時は、ディオンは影としての役目と危険について説明してアレクシス自身に普通の貴族として育つか影として育つか選択させた。アレクシアも光魔法の英才教育を受けているが、テレジアがディオンにかけているほどの魔法をかけろと命令されているわけではない。
双子は自分のやりたいことを考えて選んだ。
アレクシスは影として育つことを、アレクシアはテレジアと同じ光魔法を覚えてディオンとアレクシスを守ることを。
それをテレジアに伝えた時、テレジアはとても嬉しそうに笑ってくれた。
『『お母様はお父様を愛していらっしゃいますから』』
目の前にいる父親が更に驚愕して身体を硬直させた様子を見て、言葉の足りない両親だなあと改めて双子は思ってしまった。
その日の夕方になって帰って来たテレジアはディオンを見ても何も言わず、食事も1人で食べさせてくれて、お風呂も一緒に入ることはなく、ディオンを1人にしてくれた。
だがしかし、いざ寝ようとしたところで、ディオンは自身からテレジアを抱き寄せた。無論、今はテレジアの方が身体が大きいのでディオンが寄っていったが。
はっと息を呑んだ様子を窺えたが、すぐに肩の力を抜いた妻は昨夜と同じように夫を抱き締めて眠りについた。
翌日からテレジアは元通りになり、ディオンはテレジアに世話をされながらその後の4日間を過ごした。見た目は子供だが中身は立派な成人男性だと言いたいのを何度も堪えて。
羞恥に耐えていたからか、彼はすっかりテレジアに聞きたいことを忘れていた。
2週間経った今日、やっとテレジアに連れられてディオンはセオドールの前に姿を現した。まだ子供姿のまま。
「それで、今後のことですが」
咳払いをしたルーベンスによって話が変わり、隣国のこととディオンの今後の話になった。
隣国について、すぐに国王に確認するとやはり宰相の一派による犯行だとわかった。いつの間にかいなくなっていた使節は宰相側の人間で、自分の意見が正しいと思うあまりに闇魔法の魔法使いを雇って今回の計画を立てたらしい。どんな人物と取引したのか、転移魔法で隣国に戻っていたが簡単に逃がすはずもなくすぐに捕らえて吐かせた。これにより隣国の領土拡大派は力を削がれて、宰相は世代交代し、親善派が台頭してきている。
国王からは謝罪の言葉があり、これからはそのようなことが2度とないように努めると親書が送られてきた。
ディオンについては、その姿が元に戻るまでディオンは家でこれまでの休暇と称して休むこと。セオドールの護衛には他の影がつく。 元の姿に戻った時は、テレジアを通じてルーベンスに連絡を入れて、再度検査をして問題がなければセオドールの影に戻る。もし1ヶ月以上子供姿のままであれば、その際はセオドールの影に戻ること。
ディオンは確かに子供姿のままだが、能力等に問題はなく、身のこなしなどで違ってはくるがセオドールの影であってほしいとルーベンスと宰相は考えていた。
本来ならすぐにでもという宰相の意見を退け、1ヶ月の猶予を与えたのはセオドールだ。
曰く、夫婦には対話が必要だ、と。
ディオンはそれに頷き、テレジアは彼の髪をすいていた。
その様子をルーベンスは観察しながら、2人が訪れた時から微かに感じていた違和感を口にした。
「ところで、テレジア」
3人の視線がルーベンスに向く。
「貴女から微かに闇魔法の気配を感じます。何か、呪いでも受けているのですか?」
「は?」
驚きに声を上げたのは、ディオンではなくセオドールだ。
ディオンは険しい目をしてテレジアを見上げたが、テレジアは変わらない穏やかな瞳でルーベンスを見ていて交わらない。
テレジアとディオンがセオドールの私室に現れた当初から、ルーベンスはテレジアから微かに闇魔法の気配を感じていた。しかし、光魔法の一族である彼女が闇魔法を使えるわけもなく、ディオンに対抗できるほどの光魔法を使っている彼女が容易に闇魔法を受けるわけもない。
ディオンが何かしたのかと思っても、この気配は彼のものでもなかった。
「まさか、あの時の闇魔法が貴女に返ってきているなんてことはありませんよね?」
「そうではありません。ご心配ありがとうございます。」
「・・・そうですか。ではどうして闇魔法の気配があるのか説明してください。ここは国王陛下の私室なのです。国王に、害を及ぼす可能性を放置することはできません。」
ルーベンスのテレジアを見る目が厳しくなる。
テレジアがセオドールに危害を加えようなどと画策しているとはルーベンスも本心では思っていない。しかし、国王付きの魔法使いとして見逃すわけにはいかないのだ。
テレジアは困ったような微笑みを浮かべながら、険しいような不安そうな表情をしているディオンの首にかけられたネックレスを出して、指輪を見せた。
その指輪にはテレジアの魔石がはめ込まれている。
その色は光魔法の使い手を表す、金色のはずだった。
靄がかかっているかのように黒ずんだ金色の魔石を見て、ルーベンスとセオドールは驚愕する。
「それはっ・・・闇魔法、ですか?」
ルーベンスの問いにテレジアは頷いて肯定した。
セオドールが思わずディオンを見ると、ディオンも驚いた顔でテレジアを凝視していた。
「ずっと黙っていたのですが、確証が持てなくて。私、何故か少しだけ闇魔法が使えるみたいなのです。どうしてかは本当にわからないのですが。」
「・・・・・嘘でしょう?」
「嘘ではありせん。子供も産んだ数ヵ月後くらいから、自分の魔力に対して違和感を持っていました。けれど、その時は私も忙しくしていたので次第に忘れていたのです。思い出したのは、つい先日のことですね。」
未だ驚いている夫の頬をなぞり、彼女は指輪を服の中に仕舞った。
「毎年毎年、幾重にも光魔法をかけていたのに守りきれなかった。所詮、私は魔力量が少ないのです。だから、旦那様を絶対に守ろうと思って闇魔法を使ってしまいました。」
「どんな闇魔法を、」
「例え旦那様が心臓を裂かれても1度では死なないようなものです。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ルーベンスとセオドールは絶句した。
その闇魔法は知っている。禁忌の魔法だ。
どうしてテレジアが知っているのか。
妻の告白に一瞬青ざめた夫は、立ち上がってテレジアの正面に立った。
「俺にかけたのか!?」
「私の旦那様はディオン様ですよ?貴方以外にそれほど守る必要があるのは、他には双子くらいなものでしょ。」
「そんなものかけられなくても自分の身は守れる!」
「でも貴方は光魔法を使えない。国王陛下付きなのだから、どうしても陛下が優先されるではないですか。」
「だがっ!貴女の命を代わりに生きようとは思わない!!」
「私は貴方が初恋だから、ディオン様に生きていてほしいのです。」
はっと息を呑んだディオンは何か言葉を紡ごうと口をぱくぱくさせ、湧き上がる怒りと気恥ずかしさから顔を真っ赤にして俯いてしまった。
そんな珍しい夫の様子を妻は面白そうに口元を緩めながら眺めている。
ディオンは双子の言葉を思い出していた。
確かにセオドールからもラーナクラス子爵からも愛されているなと言われていたし、双子もテレジアはディオンを愛しているのだと言っていた。その後の4日間の羞恥から忘れていたが、テレジアは本当に自分を想っていたのか。
嫌われていないことはわかっているつもりだった。そんな素振りはなかったし、子供を産んでくれたし、何よりも婚約者時代から魔石に治癒魔法をかけてくれていた。それがどの婚約者にも当然のことではないことは知っている。
ただテレジアから好きだとも愛しているだとも言われたことがなかったために、ディオンもそれを自然と口にするような環境で育っていなかったために、そこまで考えが及んでいなかった。
初恋がどんな意味を表すのかぐらいは知っている。
「俺は・・・・・貴女の、初恋なのか?」
「はい。そうですね。だから、貴方を失いたくないのです。せめて私が死ぬよりは長生きしてほしいですね。」
照れるテレジアは笑みを深めて、ディオンの小さな手を握った。
彼女の左手薬指にある指輪がディオンに存在を主張する。
ディオンの妻である証だ。
ディオンはいついかなる時でもテレジアからの結婚指輪を外したことはない。1度、セオドールから言われて外した時も本当は嫌だった。
テレジアがくれたものを他の人間が触ることが。
深呼吸をして自分の気持ちを落ち着けたディオンは、彼を覗き込むように見ていたテレジアと目を合わせる。
「貴女に誓う。必ず貴女のいない場所で死ぬようなことはしない。」
「・・・あら、ありがとうございます。」
「だからこの闇魔法を解いてくれ。先程も言ったが、俺は貴女を犠牲にしながらこの仕事を続けるつもりはない」
「・・・・・・」
「テレジア。」
思わず目を下げてしまったテレジアを、今度はディオンが覗き込んだ。
今度はテレジアがはっと息を呑んで彼を凝視した。
何故なら、婚約してから初めて見る、ディオンの笑みがそこにあったからだ。
「貴女と過ごす時間がとても幸せだ。」
突然始まった告白から蚊帳の外にいた2人の男は、空気を読み、雰囲気をぶち壊さないように空気に徹していた。
しかし、心の中で考えていることは2人とも同じだった。
いつかからかってやろう。
この友人が不器用で鈍感であることはわかっていたのだから。
張ったつもりの回収仕切れていない伏線は、番外編という形で回収します。
ご安心ください。
ディオンの身体は1週間後には元の姿に戻っています。