1.ラーナクラス子爵家の夫婦関係
この国には魔法が存在する。
主には貴族が魔力を持っていて、当然使えるとしたら貴族がほとんどだ。それは魔力がほとんど遺伝によるものであって、魔力を持つ者同士が結婚をしてこの国を建国したからだ。稀に平民に魔力を持つ者が産まれることがあるが、その魔力を感じ取った国の魔法使いがその平民を引き取り、然るべき家に養子へと出される。だから、この国で魔法を使える人間は貴族しかいない。
魔法には様々な種類があって持っている魔力の量もそれぞれだが、16歳から魔力が少ない者でも王宮の研究所や領地の診療所、国境の要塞などで働くことが決まっている。
その中でも重宝されるのは光魔法と闇魔法だ。光魔法は人を癒す力を持ち、闇魔法は呪いの力を持っている。この2つの魔力を持つ人間が少なく、またその力を充分に使える魔力量を持って産まれる人間は更に少ないために重宝される。
光魔法と闇魔法を扱う者の婚姻は国によって決められる。
建国当初からの堅実な光魔法の一族であるハーティバル子爵家は、これまで大きな魔力を持った一族ではないけれど近年では稀な生粋の光魔法の一族として王宮の研究所で働いている。当主であるウィリアム・ハーティバルは研究所所長として働いており、妻のメアリー・ハーティバルは平民であったが光の魔力を持って産まれたことから男爵家に養子に入ってウィリアムとの婚姻を義務付けられた。
そして、その1人娘であるテレジア・ハーティバルも当然の如く光の魔力を持って産まれた。父親より少し弱い魔力量ではあるものの、テレジアも16歳になると王宮の研究所への働きを命じられた。研究所では疲労回復や体力回復、傷を治すなどのポーションを作り、その精度を高めるための実験や新しい魔方陣を作っている。テレジアも幼い頃から父親の仕事を見ていたために喜んで研究所に入り、28歳になった今でもテレジアにとってこの仕事は楽しいものだった。
テレジアに婚約者が決まったのは10歳の時だった。その婚約者は、まともに会ったことも名前も知らなかったが、ハーティバル子爵家の隣の家の男の子だった。テレジアの部屋の窓からは隣の家の正門や庭が見えていて、時々年頃の男の子がいることを見ていて知っていた。両親から隣の家について話されたことはなく、テレジアも知ろうとしなかったから婚約者について話された時に初めて名前や貴族であること、極秘事項である隣の家の━━ラーナクラス家のこと、テレジアに課される使命について知った。
ディオン・ラーナクラス。
2代前の当主からできたラーナクラス子爵家の跡継ぎであり、水魔法を扱い、将来は騎士団に入る。テレジアとは同い年で、礼儀正しくて優しい、言い換えればどこにでもいるような平凡な容姿に平凡な性格の男の子。ラーナクラス子爵当主と同じく魔力量も平凡。それが周りからの評判だ。
両親からテレジアに伝えられた話は、王家からの命令だった。
ディオン・ラーナクラスとテレジア・ハーティバルは結婚して、子供を作り育てること。
ハーティバル家が生粋の光魔法の一族であることからテレジアも幼い頃からずっと光魔法を扱う子息と結婚させられると思っていた。何故水魔法のディオンなのか、その疑問はすぐに解決した。
ラーナクラス子爵家は王家の影の1つであり、表面では普通の貴族として振る舞いながらも裏では様々な場所に潜って情報を集めて暗躍しているらしい。ラーナクラス子爵家というのも名目上のものであり、ラーナクラス子爵とされている当主とディオンには血の繋がりはない。ディオンは孤児院にいた所を魔力を持っていたから引き取られ、その魔力がとても強力な闇の魔力だったためにラーナクラス子爵の子供として育てられていた。
闇の魔力を持つ者は、血が混ざりあってなくてもある程度は他の魔法を使うことができる。だから、ラーナクラス子爵家は表向きは水魔法を使う家として認知されているのだ。
ディオンもラーナクラス子爵家に引き取られた当初から影としての教育を受け、10歳ながらにもう働いているらしい。周囲に溶け込むことが得意で剣術や水魔法の腕はそこそこだが知り合いも多くて上司にも好かれている。
けれど日に日に闇の魔力が強くなって制御が追い付かなくなってきており、そろそろ婚約者を決める時期でもあったから、生粋の光魔法の一族であるハーティバル家との婚姻を結ばせようと王家とラーナクラス子爵は考えたらしい。婚約すると互いの魔力を宿らせた魔石を嵌めた指輪をするようになり、それを利用してディオンの闇の魔力を抑えられないかとの考えからだった。闇魔法は光魔法に弱く、光魔法は闇魔法より強い。また自分の魔力が宿っているので遠くからでも魔石の力を維持することもでき、ディオンが暴走しようものならテレジアがそれを感じ取って暴走を食い止めるという役割もある。
すでに父親からいくつかの魔法を習っていたテレジアは、闇の魔力を抑える魔法といくつかの魔法を施した魔石を父親に渡した。その魔石を見て何の魔法を施したのかわかったウィリアム子爵は、驚いたように娘を見たけれど満面の笑みで彼女を誉めた。
婚約者との顔合わせ当日。
テレジアは心なしか浮き足立っていた。
ディオンとの婚約は王家の命令、ディオンは影であることから普通の生活は望めない、何よりも優先するのはディオンの魔力を受け継ぐ子供を作って無事に育てること。しかしながらテレジアも10歳の普通の女の子で、時々窓から見えた姿を知っていて、将来の旦那様と思うとワクワクしてしまうのは仕方ない。
応接室で今か今かと待っていると、ついにラーナクラス子爵に伴われたディオンが現れた。その表情は時折窓から見えた、気難しげな不満げな表情が見えていてなんとなくこちらが本当のディオンだと察するとテレジアは安心した。テレジアの嬉しそうな笑顔を見て、ラーナクラス子爵とウィリアムは互いに目を合わせて苦笑した。ディオンは明らかに気味が悪そうにテレジアを見て、何を思ったのかはっとして無表情になった。
ラーナクラス家とハーティバル家について、ディオンの闇の魔力について、テレジアの魔力について、周囲がテレジアに期待する役割についてなどの話がされて、ではせっかくなのでとディオンとテレジアは二人にされた。二人と言ってもハーティバル家の侍女が1人壁際に待機しているが。
しかし、この時二人は何も話さなかった。一言も言葉を発することはなく、テレジアは紅茶を飲みながら時折ディオンの様子を眺め、ディオンはテレジアの存在が見えないかのようにその瞳には何も映さなかった。
そのことに内心焦っていたのが空気に徹していた侍女であり、沈黙が30分を超えたところで泣きそうになった侍女が執事を呼びに行き、部屋の様子を見た執事がすぐさま当主たちを呼びに行き、当主たちが部屋の様子をそっと盗み見ると異様な空気のはずなのに当事者たちは気にすることなくマイペースに過ごしているためすぐに部屋に入って今回の顔合わせは終了することになった。
ラーナクラス子爵とディオンがハーティバル家を去る前、ディオンとテレジアは婚約指輪を付けた。
ディオンの魔石はほとんど黒だが水魔法をよく使うからか端が青く、テレジアは綺麗な金色の魔石が加工して嵌められていた。ラーナクラス子爵とハーティバル子爵夫妻が見守る中、ディオンが先に自分の魔石が嵌められた指輪をテレジアに付けた。
テレジアは自身の指に嵌められた指輪を興味深そうにしばらく眺め、今度はディオンの手を取って指輪を嵌めた。
「貴方が怪我をしませんように」
突然口を開いたからか、ディオンがびくっと体を震わせて手を引っ込めた。
それをテレジアは微笑ましいという表情をして見ていた。
それから年に一回、彼等は顔を合わせるようになるのだが相も変わらず二人が世間話すらもまともな会話が全くないまま数年が経った。
ディオンの魔力は強くなっているがテレジアの魔石が効いているのか、ディオンの魔力操作が上手くなっているのか危惧されていた暴走は起こらなかった。ただテレジアの魔法が少し、ある日は大量に使われていることから危険な仕事をしていることはわかっていた。新しく魔法を施すには実際に魔石に触れなければいけない。10歳の時には学んでいなかった魔法を修得していたテレジアは、次にディオンに会った時に新しく魔法をつけ直そうと考えたのは15歳の頃だった。
16歳になれば、テレジアは王宮の研究所で働くことが決まっている。
17歳になったら、ディオンとテレジアは結婚する。
普通の貴族の夫婦としての生活は出来ない。何故ならディオンは王家の影だから。昼間は騎士団に入っているがそのまま家に帰るわけはなく、夜もまたテレジアが知らない仕事をこなしている。結婚をしても、テレジアとディオンが顔を合わせることは少なく、ディオンが家に帰ってくることすら年に数回程度であることは彼女自身も理解していた。けれど結婚をして数日は休みをくれるだろうから、その間に色々と話し合っておきなさいとハーティバル子爵夫妻からテレジアは何度も言われていた。
お互いに仕事が忙しくて結婚式を挙げずに結婚をしたという報告をするだけの貴族が度々いることから、テレジアたちもそれに倣うことになっていた。多くの親族を呼んでの式はしないが神前での宣誓は必ずしなければならないため、テレジアはディオンに合わせた衣装を作らなければならない。そのドレスのデザインをどんなものにするのか、母親とテレジアが話していた時のことだ。
テレジアは突然目眩がして、ソファーに座っていたのに呻き声をあげて前屈みになってしまった。
突如変わった娘の様子にメアリーは慌てて駆け寄り、光魔法を施した。速くなっていた呼吸は次第に落ち着いてきたが、テレジアの顔色は真っ青で身体が小刻みに震えている。
どうしたのかと聞いてもテレジア自身も困惑しているのか、口を開いても言葉にならずにまた口を閉じてしまう。
まさか、とメアリーが心当たりに気付いた時に夫のウィリアムから連絡がきた。
『王太子が襲撃されたが幾人か負傷者が出たが無事である』
第一王子である王太子は1ヶ月前から隣国に行っていて、今は本国に帰国途中だった。それは内密のものだったので不自然に思われない程度の少人数で動いていた。その随行にはハーティバル子爵、騎士団に所属していたディオンもいた。
本来ならば王子と直接的な関わりのないメアリーに夫がこのような連絡をする必要はなく、また不用意に王子が襲撃されたなどと話してはいけない。
何故、こんな連絡がきたのか。それは、ディオンが王太子を守った時に怪我を負ったからだった。ウィリアムはテレジアが魔石に施した魔法を知っていたから、テレジアに起きただろう異変を推測して連絡を送っていた。
メアリーはすぐにテレジアにウィリアムからの連絡を伝え、大丈夫と言って慰めた。案の定テレジアは大きく息を吐いて安堵の表情を浮かべた。
この後テレジアはディオンと会う機会は無かったが、ウィリアムと顔を合わせるたびにディオンの様子を聞いていた。ウィリアムはそんな娘の様子から、政略的な婚約で会っても会話すらしないと聞いていたがきちんと意志疎通は出来ていたのだなと安堵していた。しかし全回復したと伝えても会いたいとの一言もなく、せっかくだから会ってみるかと聞いたら、「え?別にいい」と素っ気ない返事だったのでウィリアムはテレジアがディオンのことをどう思っているのか実際にはよくわかっていない。
16歳の再会では、テレジアからディオンに久しぶりに話しかけた。ネックレスにされていた指輪を出してもらい、より強度を増した魔法を施した。それをディオンは10歳の頃とはまた違った目で、少し考え込むように目を伏せて様子を窺っていた。
また1年後。当日に久しぶりの再会をしたテレジアとディオンはお互いに婚礼衣装を着て、神の前で宣誓をした。その場にはハーティバル子爵夫妻とラーナクラス子爵、何故か下級騎士の格好をした王太子と王太子に仕える魔法使いのグレンヴィル侯爵家の子息が見届け人として立ち会っていた。
二人は正式に夫婦となり、二人はラーナクラス子爵家に住むことになった。勿論、ラーナクラス子爵の家は名ばかりなもので子爵自身も滅多に帰らず使用人も少ないため、実家との距離は近い方がいいだろうと王家が配慮したものだった。
ハーティバル家から遣わされた侍女によって綺麗にされたテレジアは自分で選んだ夜着を着て寝室のベッドに座ってディオンを待っていた。しばらくしてディオンも寝室に入ってきて、テレジアは不機嫌そうだと思いながら隣に座る彼をじっと見つめていた。その視線が鬱陶しかったのか、ディオンは眉を顰めながらテレジアへと顔を向けた。
「お願いがあるのです。」
テレジアは薄暗い部屋の中でも真っ直ぐにディオンの瞳を見つめ、ディオンもテレジアの目を真っ直ぐに受け止めた。
「子供を二人は絶対に作りたいのです。旦那様がお忙しいことは理解していますが、旦那様に都合は合わせますのでどうかご協力をよろしくお願いいたします。」
不愉快げに顔をしかめたディオンは大きくため息をついてテレジアを押し倒し、少しの間見つめあって唇を重ねた。それから三日間の休暇があった二人は、昼間はこれからの生活についてや秘密にしておくべきこと、結婚して聞かれるだろう問いに関しての答えを決めて、夜は寝室を共にして過ごした。
それから11年が経ち、テレジアは望み通りに二人の子供を産んだ。結婚して1年後に身籠った子供は男女の双子で、兄のアレクシスはディオンの血を濃く継いでいて闇の魔力を持っていた。闇と光は同じように扱えないのだが、アレクシスは光魔法も少し使えるようだった。その反動なのか闇の魔力を持っているならば光以外の他の魔法も少しは使えるはずなのに闇と光の魔法しか使えない。また妹のアレクシアは逆にテレジアの血を濃く継いでいて、光魔法しか使えない。
アレクシスはテレジアの光の加減で煌めく金色の瞳とディオンの黒髪を、アレクシアはテレジアの栗色の髪とディオンの黒曜石のような瞳を見事に受け継いだ。
ディオンは相変わらず家に帰ることは少なく、テレジアも子供がいるためにハーティバル家に帰ることが多かった。しかし、テレジアは双子にはよく言って聞かせていたのかたまに帰るディオンには必ず挨拶をしてお父様と呼び、双子がある程度の年齢になってからはテレジアも仕事に戻って忙しくしていたにも関わらず、我が儘も言わず両親を良く慕うとても良い子に育った。魔法の勉強も進んで真面目に取り組んでいる。基本的に放任主義のようだったからか普通の10歳の子供よりは随分と大人びて育ってはいるが。
この双子は右手の小指に指輪をしている。その指輪にはテレジアの魔石が填められていて、テレジアがその時々で使える最高の魔法が施してある。テレジアからも魔法を教えられてはいるがまだ自分の身を守りきれない双子は、放任されていながらも母親自身よりも母親が自分たちの身を大切に思っていることを知っていた。
『旦那様は貴方たちをちゃんと大切にしてくれてるのよ』
テレジアは、双子に会うたびに最後はこの言葉で終わる。
この言葉通りに双子は父親からも大切にされていることをちゃんと知っている。滅多に会うことは確かにないけれど、それでも時間を作って会いに来てくれていることは知っているし、会えば話をして聞いてくれて欲しいと言った物は後日に母親を介して与えてくれる。
双子は双子なりに両親を大切に思っており、両親それぞれの意思を汲みたいと思っている。
父親であるディオンはアレクシスを王家の影にするために6歳の頃から英才教育を施している。一方のテレジアは、アレクシアをハーティバル家の次期後継として教育も施している。しかしテレジアが双子に本当に望んでいることが違うことを年々感じ取っていた。
両親それぞれは双子を大切にしている。
しかし、両親の仲がお世辞にも良いと言えないことも理解していた。勿論仲が悪いというわけではなく、その判断が出来るほどに両親が接している姿を見たことがなかった。使用人に聞いてみても、両親の様子は婚約当初から変わらないらしい。これが両親の通常なのかと、双子は思っていた。
それが少し違うのかもしれないと思ったのはいつだったか。
ある日珍しく早く帰って来たテレジアはラッピングされた小さな箱を両手で大切そうに抱えていた。楽しそうな表情を浮かべて、双子を視界に入れたテレジアはただいまと言った。それは何ですか?と尋ねると、秘密ですと答えて私室に上がった。
ある日、双子が母親を訪ねて私室に行くと机に向かって何かを書いていた。何をしているのですか?と聞くと、旦那様にお手紙を書いているのですと答えたので、双子は自分たちの知らない間に両親はコミュニケーションを取っているのだと思った。
「人の付き合い方はそれぞれ形が異なるのですよ」とメアリーおばあ様から聞いたことを思い出し、双子は自分たちのことを考えた。なるほど、確かにアレクシアとアレクシスは魔法を使わなくても口に出さないで会話をできる。考えていることが自然と伝わるので小さな頃はほとんど喋らない子だったらしい。今もアレクシスとアレクシアの二人だと言葉を発することがなく、いつか行ったお茶会では同年代の子供たちが活発に喋って遊んでいる様子を静かに眺めて元気だねと思いあっていた。
アレクシスとアレクシアにとってこれは通常、ということはディオンとテレジアと関係もあれが通常なのだ。と双子は密かに思っていたのだ。
「「え?どういうことですか?」」
当たり前のようにアレクシスとアレクシアの声が被る。まだ声変わりしていないアレクシスの声は高く、声だけ聞けばアレクシアと間違う人間も多い。
突飛過ぎた説明で二人の理解の範疇を越えてしまったのだろう、顔を同じようにしかめるその表情は父親であるディオンに似ていると国王であるセオドールは内心苦笑する。
「申し訳ない。先にテレジア嬢に説明するべきだったな」
何故国王自らが子爵家の子供に会っているのか。
それは国王の影をこの双子の父親であるディオンが務めているからだ。影はいつ如何なる時でも対象の側を離れず、危険が迫った場合は身を呈してでも国王を守る。ディオンは王太子の頃から影の1人であったが、ある時からセオドールの専属の影にしてもらい、既に10年以上の付き合いがある。姿を現すことが滅多にない影だが、セオドールが呼べば時々目の前に現れて他愛ない話をして今では一番信用できる人間の1人だ。
「お母様はもうお呼びですか?」
国王の御前であるはずなのに、アレクシスはまだ10歳ながらにはきはきとしっかりとした態度である。仕事の合間を縫ってディオン自らが指導をしており、飲み込みが速く、上達ぶりも同年代の影候補よりも群を抜いている。
セオドールとこの双子が話すのは今回が初めてだが、セオドールは双子の姿を時々見ていた。影候補の子供たちが訓練する訓練場に時々訪れており、アレクシアは影候補ではないがいつもアレクシスと一緒で休憩の時は木影にいた。あれがディオンの子供たちか、と親しみを持っていた。
テレジアより先に双子が呼ばれた理由はその訓練場にたまたまいたからなのだが、ディオンのことについて聞きたいことがあったため、セオドールの私室に宰相と魔術師長と双子を呼んで機密事項に当たるディオンの異変を説明した。
両親の特徴をきちんと半分ずつ受け継いだかのような双子の片割れのアレクシアがアレクシスの問いに答えた。
「アレクシス、お母様がお父様の異変に気付かないわけじゃない」
「けれど、アレクシア。お父様が怪我を負ったわけでも命に関わる呪いにかかったわけでもないよ」
「けれど、アレクシス。お父様の指輪にはお母様が様々な魔法をかけているのよ。どの魔法をかけているのかわからないけれど、その守りを破ってお父様に呪いをかけたのだから、」
「「お母様はさぞお怒りだろうね」」
最後にはぴったりと息を合わせて同じ言葉を紡ぐ。
父親の異変なのだからもう少しぐらい焦ってもいいとこの場にいる大人たちは思うのだが、それよりも聞きたいことに関する単語が出てきたのですかさずセオドールは双子に聞いた。
「その、ディオンの指輪に施してある魔法のことなんだが」
同時に双子の4つの目がセオドールを映す。
「君達のお母さんが一体どんな魔法をかけたのか知っているかい?」
「「知りません」」
少し考えるような素振りを共に見せるも、口から出た言葉も同じだった。
「本来なら苦しみ殺されるような呪いだったんだ。しかし、ディオンが受けたのはそれが・・・軽減されたものか?とりあえず命に別状はなく、これからも命が危険になることもない。ルーベンスが言っているのだから確かだろう。」
「はい、確かですよ。この異変も直に元に戻るでしょう。呪いも強力だったので、陛下の邪魔をしようとの悪あがきで最終的にあのような形になったのだと思います。」
セオドールの背後に控えていたフードを目深に被った魔術師長が答える。
ルーベンスは純粋な光魔法の一族で、光の魔力が国中で一番強いことから代々国王を守る魔術師長を担っている侯爵家だ。余談ではあるが、純粋な光魔法の一族の伯爵家の娘を妻に娶っているがテレジアがディオンと婚約するまではテレジアがルーベンスと結婚する可能性も考えられていた。ルーベンスの両親とハーティバル子爵夫妻も仲が良いため、幼なじみだったルーベンスとテレジアはある年頃までは手紙のやり取りなどもしていたが次第に交流もなくなっていた。
「ルーベンスが言うには、ディオンの指輪にかけられている魔法が呪いから守った、と。昔から幾重にもかけられていてどんな魔法がかけられているのか全ては解明できないのだ。是非知りたいと思ってね。」
王宮の研究所で働いているテレジアの仕事は、魔力量の操作についてだ。子供は身に宿っている魔力を最初から上手く操作出来ず、暴走させてしまうこともある。昔のディオンが不安定だったように。
年を重ねたり、家庭教師から学び始めると次第に安定させる感覚を覚えるのだが、それでも何割かは上手くいかない。それの補助であったり、たまに魔力の流れを読める者がいて悪用されないように流れを色々と誤魔化す術を開発したり、大人でも難しい魔法をかける魔力の量を調節するなどを研究している。
テレジア自身が魔力を大量に持っているわけではないのに、呪いを弾こうとしたディオンの指輪には1度や2度では到底かけられないような魔法が幾重にも複雑にかけられていた。魔力が込められた魔石に相手を思って魔法をかける伴侶は勿論いる。ルーベンスの妻が夫の魔力を補う魔法をかけているように。
昔からディオンは強かった。それは闇の魔力が多いことも関係しているのだろうが、王家の影たちが鍛えている以上に体力や傷の治りも早く、毒や呪いにも強かった。
それを不思議に思っていたセオドールとルーベンスがディオンを調べていると、ディオンがネックレスにしている結婚指輪の魔石に魔法がかけられていることに気付いた。テレジアの魔石にディオンが光魔法をかけられるわけがなく、テレジアがかけたことは明白だった。ただその時は状態異常の回復や毒への耐性、体を軽くするぐらいの魔法だけで、理解できないという表情をするディオンに愛されてるんだなとからかうだけで終わった。
それからセオドールは国王になって忙しくしており、ディオンとまともに顔を合わせることは年に一回あるかないか、ルーベンスも国王を守る役目が一番の為にセオドールの近くにいたがディオンと顔を合わせることはセオドール以上に稀だった。
数時間前。謁見の間では隣国からの使者が来ていて、やけに笑顔が胡散臭い使者の近くには嫌な気配がするフードを目深に被った魔法使いがいた。嘘か真か、国王お抱えの魔法使いだと言われて無下にできるわけもなく、その魔法使い、否、使者を入れたこと自体がいけなかったのかもしれない。ルーベンスが席を外した時を狙ってその魔法使いがいきなりセオドールに向けて闇魔法を繰り出したのだ。
王族である以上身を守る術を身に付けているとはいえ、セオドールは完全な光魔法の使い手ではなく、繰り出された闇魔法が強力で周りの防御も間に合わなかった。ディオンを除いては。
その魔法がセオドールを捉える前にディオンが現れて主人を突き飛ばし、魔法もとい呪いを一身に受けたのだ。
報告を受けたルーベンスが戻った時には、強力な魔法を使った代償だったのか虫の息の魔法使いは捕らえられて使者はいつの間にか消えていた。
セオドールはルーベンスと第一騎士団団長と玉座近くに倒れるディオン以外を謁見の間から追い出し、ルーベンスに解呪を急がせた。
しかし、その時にはディオンの呪いは解かれていた。守られていたと言うべきか、ディオンの緩めた襟の間からネックレスが零れて金色の魔石が煌々と光輝いていた。その光がやがてディオンを包み込み、苦しみから速くなっていた呼吸は次第に落ち着いて薄く開いていた目がセオドールを捉えると安堵したように閉じた。
その瞬間には、ディオンの身体は子供のように小さくなっていたのだ。アレクシスとアレクシアと同じ、10歳の頃と同じような大きさに。
双子は自分たちの隣で未だ気を失っている子供、もとい父親をじっくりと見る。いつも全身黒い服なのだが、子供用の騎士団の服に着替えさせられていた。その胸元にはいつも服の中に収められている結婚指輪が下がっている。
「アレクシア、お母様がお父様に魔法をかけている姿を見たことがある?」
「アレクシス、貴方が見たことがないなら私があるわけないじゃない。」
「だよね、アレクシア。」
「そうよ、アレクシス。」
「そもそも僕たちはお母様とお父様が一緒にいる光景は自我を持ってから両手で数えるぐらいしかないよね。」
「もしかしたら私たちが知らない間に会っているのかもしれないけれど。」
「使用人たちからはそんな話1度も聞いたことがないね。」
「けれどお母様はプレゼントも手紙も送っているから王宮内で会っているのかもしれないわ。」
「「夫婦の形は人それぞれだからね。」」
10歳の子供から夫婦の形を言われるのはどうかとも思ったが、双子の会話に引っかかるものを覚えてセオドールがルーベンスを見上げれば、ルーベンスも驚いて目を見開いていた。
ここで強調しておきたいことは1つ。
元から口数の少ないディオンが妻について語ることはなく、テレジアも夫について語ることは多くなく、夫婦生活はどうですか?と聞かれると静かに微笑んで
『とても幸せです』
と、いつも答えているという。いい年をして未だに騎士団の中でも街の見回りをしている下っ端に近い夫を持つテレジアに同年代の女性は同情し、また家に帰ることも少ないと噂に聞くので妻としてのプライドからの言葉だと聞いた人々は思っている。
ディオンとテレジアは婚約時代から冷めた仲であることは誰もが知っていた。
だから、彼らを知る人間は皆思っている。
ディオンとテレジアは仮面夫婦である、と。
「国王陛下、テレジア・ラーナクラス様がいらっしゃいました」
扉をトントンと叩き、外にいた第一騎士団団長が用件を告げる。
双子が目を丸くして居住まいを正した。
セオドールが入室の許可を出し、扉が開き始めた時を同じくして。
気絶していたディオンの瞳がうっすらと開いたことを確認したセオドールは、入ってきたテレジアを見て口元が引きつりそうになるのを堪えた。
心なしか空気が冷たくなったように感じる。