水槽夏 3
綾への手紙
手紙を書くなんて本当に久しぶりで、いつぶりだろう。多分、小学生以来じゃないかな。年賀状か何かだと思うけど。
そして綾に手紙を書くのはこれが初めて。それは間違いないよ。まぁ、ちゃんと届くかは分からないけどね。書いてる今現在も、これを綾にわたす手段をまだ思いついてないんだから。
でもいいよね。届かなくたって手紙は手紙なんだからさ。
まず、とりあえずいつも手紙をありがとう。
不思議よね、綾の手紙って。
いつもほったらかしのくせにたまに口うるさい、綾そのものみたいよ。
だから綾が家を出てからもう三年半くらい経つけど、そこまでの時間は感じていないわ。噛み砕いて言うと、そこまで寂しくはないの。
綾の手紙もそうだけど、最近いろいろあって(いろいろっていうのは良くないことだと、多分分かるとは思うけど)人生観、というのかな、そういうものについて、真面目に考えたの。
自分で使っておいてアレだけど、真面目っていうのは決して良い言葉じゃないよね。真面目なんだけどねって、なんかけっきょくそれって否定的じゃない?
でもまぁ、ちょっと真面目に考えました。
それで最初に思ったのが、葬儀場。
って、いきなりそんなこと言われても分からないか。
近所でさ、ずっと放置されてたコンビニ跡地、あるじゃない?
あそこ、最近、やっと買い手が見つかったみたいなんだけど、どうもあの場所に葬儀場を建てるつもりみたいなのよ。
まぁ、私は別に葬儀場でもなんでもいいんだけどね、もっと近くに住んでる人達は葬儀場建設断固反対! なんて旗をばんばん立てて反対してるのよ。買い手や市と、けっこう揉めてるみたいでね。
で、私、それ見て悪いんだけど、なんだか不思議だなぁ、って思ってしまったの。だって葬儀場建設に反対するっていうことはさ、心のどっかで霊とか、そういう類のものを信じてるってことじゃない?
亡くなった人の魂が、霊的な存在になって葬儀場を抜け出して近隣をうろつく。ドアベルを鳴らす。飼い犬を虐める。網戸の向こうから手を振ってる。極端に言うと、そういうことが嫌で、気味が悪いから反対するんじゃないかなぁと思うのよね。
それが凄く不思議なの。
私よりずっと頭の良い、良識のある大人達がそんなことを信じてるだなんて。
だからね、今まであまり信じてなかったけど、これはもしかして、霊的な存在というものは確かにあるんじゃないかな、と思ったのよ。
それで霊的な存在を認めるということはつまり、死んだその先も人生が続く、という理論にも繋がると思うの。そう考えるとある種の寂しさは少なくなるのだろうけど、裏を返せばそれはつまり逃げ場がないということにもなる。
ずっと先まで道は続いてる。
そういう理論も確かに分かる気がする。
十四の夏は心地よくて、それはまるで水槽の中に座って時間を忘れて外界を見つめているようで、すべての色がなんだか淡く浮き上がっていた。夏の、スイートスポットのような、そんな瞬間。
私はそんな中、中学の食堂横の階段に腰掛けて、蝉の鳴く声を聞いていたの。あれは夏休みだった。
あの時、私はなぜか、幼いながらも今自分が自分自身の最先端にいることを実感していて、柄にもなく過去を俯瞰してみたりしていたけど、今となるとそれはすごくちっぽけで。
でも、それは今も同じ。何も変わらない。二十二歳の私は、二十二歳の私で、それ以上でもそれ以下でもないのよね。
それくらい、ずっと先まで道は続いてる。
仕事を辞めても、恋を辞めても、私は終わらない。だから、無下にはできないよね。
なんだかそんなことを考えてる。
その道の途中で、綾にもまた会えればと思うよ。私はそう思ってる。それを楽しみにしてる。
書き終わって読み返すと、自分の文章は綾の文章とそっくりで、絵里は笑ってしまった。
それで綾と同じように便箋に「絵里」と名前だけ書いた。書き終えた手紙は鞄にしまった。
まだ眠る三上を跨ぎ、絵里はリクライニングチェアーに座って静かに目を閉じる。
そんなふうにしてその日はずっとうつらうつらしていた。
三上も絵里も寝たり起きたりお風呂に入ったりと自由にした。夕方、もう一度散歩に出て、その足でチェックアウトをする。
車に乗り込んだ時にはもう、遠く、西の空が暮れかけていた。
落日。
帰り道、国道沿いのラーメン屋に寄った。
三上の注文したセットの炒飯は色濃く、茶色で、
「昔、綾がこんな色の炒飯を作ってたの覚えてる?」
と、絵里が聞いてみるも三上は、
「いや、覚えてない」
なんて無愛想だった。
絵里はラーメンを半分しか食べられなかった。
すっかり暗くなった頃、見慣れた街まで戻ってきた。この前、寄り道をして高速道路を見下ろした橋を通り抜け、三上は前と同じ場所で絵里を降ろした。
運転が長かったからか、三上は少し疲れているようだった。
「気分転換になった?」
三上は車のウインドウを開け、側に立つ絵里に言う。エンジンはかけたままだった。
「うん」
「良かった」
「三上さん。ありがとう」
絵里がそう言うと三上は少し笑ってギアをドライブに変えた。
「これ」
絵里は鞄から昼間に書いた手紙を取り出して三上に渡した。
「何これ?」
「綾への手紙なの。住所が分からないから送れなくて」
「手紙」
「そう。三上さん、どこかで綾に会ったらわたしといてよ」
「俺が? 綾に?」
「うん。どこかで会うかもしれないでしょ」
「そりゃ、可能性はゼロじゃないけど」
三上は少し困ったような顔をする。
「お願い」
「分かったよ」
投函。
三上はボンネットに手紙を置き、軽く手を挙げて車を出した。絵里は三上の車が角を曲がるまでずっと手を振り続けた。何となくだが、もう二度と三上に会うことは無いような気がした。
三上が去った後、夜の街は静かだった。
家まではもう少し、あと二つ角を曲がるだけ。
今夜は涼しい。
それは、昨夜の山の夜が身体に染み込んでいるからだろうか。
見渡すと街灯の灯りも、交通標識も、色が浮いていた。絵里は水槽の中からそれを見つめて、二十分程度ぶらぶらと歩いてから家に帰った。




