第九十四話:いまさらなんですが
風呂上がり、自室に帰ったときのことだった。
「あれ? ア――アヤは?」
いつもなら自分の机で勉強している聖女アンの姿がみえないので、俺は先に上がっていたアリスとクリスに声をかけていた。
「アヤさんなら、視聴覚室だそうです」
と、ベッドとベッドの間にある自由学習用の床で柔軟体操をしていたクリスが、そう答える。
「なんでまた、そんなところに?」
「それはですね――」
今度はアリスが答えてくれた。
「なんでも、例の曲に耐性をつけたいんだそうです」
……なるほど。例の自分が歌った曲を課題曲とされたいま、怖じ気付いている場合ではないということか。
「かくいう私も――気をつけないといけないか」
あんな曲を歌った憶えがないとはいえ、『俺が唄ったことになっている』のが、なによりも辛い。
が、いつまでもそういってばかりはいられない。
「おっと、私も柔軟柔軟っと――」
ベッドの上で、クリスと同じように身体を伸ばす。
風呂に入った後は、念入りに関節をほぐしておかないと、翌朝どうしても動くまでに時間がかかるようになってしまう。これは朝の体操に並ぶ、割と重要なことであった。
「あの、マリスさん」
依然柔軟を続けていたクリスが、疑問符を浮かべた顔で訊く。
「なに? クリス」
「前から不思議に思っていたんですが」
器用に足と手の両方を同時に組み替えながら、クリスはそう訊く。
「その身体、どうなっているんですか?」
どうって……。
「ニーゴと一緒よ」
俺は簡潔にそう答える。
だが、クリスはそれで納得しなかったようで、その表情からは疑問の色が消えていない。
そしてその話題は、アリスの興味を惹いたようだ。
いままでベッド上で髪を梳いていたのを止めて、こちらのベッドに腰をかけてくる。
「でも、ニーゴちゃんは鎧ですよね? マリスちゃんは、どこからどう見ても女の子ですけど」
「材料が一緒なの。つまり、見た目はともかく基本的な構造も一緒なのよ」
ニーゴもこの身体も、元は遺跡に眠っていた自動的に動く機動甲冑の残骸から造られている。
それゆえ、外見は全く異なるが関節の構造などは同一のもので出来ているのだ。
「元はマネキンとして造ったんですよね。どうしてそこまで複雑にしたんです? 汗を掻いたり、普通にしていますよね?」
「つい、こりすぎてしまったのよ。まぁ怪我の功名といったところじゃない?」
「ということはマリスちゃんは――」
アリスが首をかしげる。
「やろうと思えば、ニーゴちゃんとして振る舞うことも出来るんですか?」
「あちらにはニーゴ自身の自我があるから駄目ね。どんなに魔力を注ぎ込んでも入れないわ」
そう答える俺。雷光号の二五九六番として振る舞っている時には抜け殻となるが、そのときにも基本的な情報は残っているので、俺が自分の身体として動かすことは出来ないことも付け加える。
「では、次の質問です。生身でないのに、柔軟体操とか必要なんですか?」
「もちろん。動かしているのはあくまで私の精神だから、それに合わせて身体を動かすためにもそういった動作は必要なの」
「なるほど……本当にいまさらですけど、すごい技術ですね。それ」
「全然お人形っぽくないですもんね!」
と、アリス。
「メアリさんやドロッセルさん、それにアステルさんに、マリウスさんのお子さんですって言ったら信じられちゃいそうです」
「お願いだからやめてね、それ……! 絶対に、あらぬ誤解をするから!」
ただでさえややこしいことになっているのだ。
これ以上、わけのわからないことになるのはごめんだった。
特にメアリあたりは嬉々として『どきどき! 魔王裁判』とか開きかねない。
もっともメアリは俺の正体を知らないが……。
「あらためて、マリスさんの技術力と、魔法力……ですか? にはびっくりします。なんでもありなんですね、魔法って」
「本来は有限だから、そうも贅沢に使っていられないけどね」
「魔王だから、桁違いに多いと?」
「そんなところ」
「なるほど……だからこういう反応もあると」
そう言って、クリスはなんに予備動作もみせずに、俺の脚を撫で上げた。
「ひゃあ!?」
「触感も、あるんですよね……どうなっているんですか、いったい」
「どうなっているもこうなっているも――そういう風に造らないと、ぼろが出るでしょう!?」
「それはそうですが……」
「じゃあ、こうしたらどうなるんですか――?」
「ちょ、アリス、くすぐらないでっ……ひゃあああ!?」
いきなり背後から、アリスが脇腹をくすぐってきた。
それには抗しきれず、俺は思わず身をよじる。
「おお……大胆ですね、アリスさん」
「今は女の子同士ですし!」
「そういう問題じゃないから!?」
もし今のアリスの主張が正しいのなら、アリスとクリスが始終絡み合っていなければおかしいことになる。
……我ながら、思わずとんでもないことを想像してしまったが、そうそうに忘れ去ってしまいたかった。
「あれ? 心と体のすりあわせが必要なのはわかりましたけど……」
アリスが、俺の下腹部に視線を向けながら、そう続ける。
「マリスちゃん普段はその――生えてますよね?」
「女の子が生えているとか言わないの!」
突然何を言い出すんだ、いったい!
「感覚的に違和感はないんですか?」
「違和感だらけに決まっているでしょう!」
最初の頃は慣れるのにも一苦労だったのだ。
逆に言うと、今は慣れてきてしまっているのが、怖いと言えば怖いのだが。
「というか、そこ、どうなっているんですか?」
「お風呂でも見ているでしょ、普通にじょせ――何を言わせるの!」
「どこまで精巧に作っているんですか、どこまで」
「だって、怪しまれるわけにはいかないじゃない……」
クリスが呆れるが、結果として今の今までばれていないのだからいいのではないかと思う。
もっとも、風呂で肌を見せ合うということはまるで考えていなかったので、怪我の功名みたいなものであったが……。
「胸にも触感とかってあるんですか」
「そ、それはまぁ」
「それじゃ、触り比べてみます?」
「比べないっ!」
「私はちょっと興味がありますけど」
「駄目ったら駄目!」
「えいっ! うわ! すごいふかふか!」
「あーりーすー!?」
「ではちょっと失礼します。すごい……すべすべですね!」
「クリスまでっ!?」
俺のベッドの上が、関節技の実験台みたいになる。
「もう、怒ったわよ!?」
「ひゃ!? マリスちゃん!?」
「わっわっ、そんな的確に急所を!?」
魔王を舐めないで欲しい。
色仕掛けからの暗殺に対し、ちゃんと対抗できるよう訓練済みなのだ。
まぁ本来はその前の段階で止めるようにするものだが、何事にもいざというときがある。
「ふ。ふは。ふはははは!」
「あ、それ久しぶりに聞いた——ひゃん!?」
「アリスさん、ここはふたりがかりで——ひあっ!?」
「させないわよっ!」
このまま、魔王の恐怖を体験させようとしたときである。
「た、ただいまもどりました……あの、みなさん、なにをしているんです?」
「……なにかしらね」
聖女アンが、視聴覚室から戻ってきたのであった。
「あはは……」
「傍目から見ると、いかがわしいことかもしれませんね」
「そう思うのならやめなさい……」
汗まみれ、かつ肩で息をしながら、俺。
ちなみに、それはアリスもクリスも同様であった。
「たしかに、マリスちゃんすごかったです……」
「見事な寝技の数々でした……今後のためにも、全部覚えなくては……!」
「何言っているのよ。クリスは普通に強いし、アリスは何故かこっちの隙を突くのが上手いし……!」
「え、えっと……とりあえず皆さん」
一通り、事態を把握したのだろう。聖女アンがそう声をかける。
「お風呂に、入り直してきてはいかがでしょう?」
「そうするわ……」
一同を代表して、俺。
「それと、お風呂が済んだら――」
真顔になって、聖女は続ける。
「三人とも、本場仕込みのお説教を受けてくださいね?」
『はい……』
俺とアリスとクリスの声が、自然と重なる。
逃れる術は、なさそうであった。




