第九十三話:よみがえる、惨劇
聖女アンを加えた稽古がはじまって数日。
「おまえたち、息が合うのが早いな……!」
いつも通り特定の楽曲に合わせて踊るのを数回こなした後の、教官の言葉がそれだった。
教官が無条件で褒めるのは珍しい。
通常は、褒めてもなんらかの助言が加わるからだ。
「途中で合流した場合、うまがあうまで時間がかかるものなのだがな」
「ア――マ・アヤさんに手を引かれている感覚はありますが」
汗を拭きながら、俺。
「それでも、全員が全力を出しているのはわかる。それができることそのものが、貴重なのだ」
教官は、そう答える。
「ふむ……おまえたちにはまだ早いと思ったが――あれを見せてみるか」
「あれ?」
クリスが首をかしげる。
「まさか――」
一方の聖女アンはなにか思い当たったらしい。
「少し待っていろ」
そう言って、教官は一度稽古室を退室した。
「ア――アヤさん。教官が何を持ってくるのか、わかります?」
アリスが聖女アンにそう訊く。
すると聖女は頷いて、
「た、多分、私の過去がほじくりかえされるんじゃないかと……」
「過去?」
それはどういう意味? と俺が訪ねる前に――。
「待たせたな」
巨大な機械を担いで、教官が戻ってきた。
それは木箱の上に管楽器が乗っかっているような造りをしている。まるで……。
「蓄音機?」
「ほう! マリウスは詳しいな。正確に言うと、これは蓄音機で録音したものをもう一度演奏させる、再生機という装置だ」
なるほど、それで音を吹き込む部品がないのか。
「今からおまえたちに、現聖女であるアン・ブロシアの歌を聴かせよう」
聖女アンがびくんと震えた。
なるほど、これはたしかに過去をほじくり返されるのに等しい。
それは想像するに、恥ずかしいものだろう。
「曲は、初代聖女――すなわち、封印されし古き神、今は灰かぶりと呼ばれている存在が歌ったとされるものだ」
ちょっとまて!
なんかとんでもない方向から、俺に飛び火してないか!?
「前口上も蓄音してある。聖女がどのようなものか、よく聞いておけよ」
そう言って、教官は再生機を動かしはじめた。
□ □ □
「みっなさーん! 今日は私の独唱会にきてくださり、ほんとうにありがとうございまーすっ!」
「みなさんのおかげで、聖女に選ばれて一年、こうしてここに立つことができました。これもみなさんの応援があればこそです!」
「今日のために、私、たっくさん練習してきました! 時間いっぱいまで唄うので、ついてきてくださいねっ!」
「それでは聞いてください! 『渚の蒼い珊瑚礁が見えるお城の白いベランダで、貴方と』……!」
□ □ □
「以上だ。どうだ?」
曲が流れ終わった後、俺たちを見渡しながら教官はそう言った。
「すごい……これが聖女の歌声なんですね!」
感嘆の声を、アリスが上げた。
「ものすごく大きな声なのに、声が裏返っていないし、枯れてもいない——! どうやら私達は、聖女を過小評価していたみたいです……!」
クリスが、彼女らしい分析結果を述べる。
「ああ、そうだな。だがお前たちも、そろそろこの曲が歌えるはずだ。今度はこの歌が唄えるように——どうした、アヤ!? すごい冷や汗だが……!」
「いえ……その……せ、聖女の歌が思っていた以上にすごくて……」
と、聖女アン本人。
「そ、そうか。具合が悪いのなら今日はここまでにするが——」
「すみません、それでお願いします……」
「わかった。お前にとっては衝撃的過ぎたようだな……クリスタイン、ユーグレミア、マリウス、後は頼めるか」
「はい」
簡潔に、俺が答える。
「わかった。では、今日はここまでとする。アヤ、明日までには体調を整えられるようにな」
「は、はい……!」
弱々しげながらも、聖女アンは一礼して教官を見送った。
——さて。
「マリスちゃんはそのままで。クリスちゃん、アヤさんをお願いします」
アリスが、てきぱきと指示を出す。
「――そうですね。この場は任せました、アリスさん。ほら、ア――アヤさん、行きますよ。お風呂場で冷たい水でも浴びれば、気分も落ち着くでしょう。大丈夫です、私もつきあいますから」
「ご、ごめんなさいクリスさん……」
クリスとアリスの視線が交錯する。
「それでは行ってきます、マリスさん。周辺には私達しかいないみたいですから、ゆっくり休んでください。では」
そう言って、クリスは聖女アンの手を引き風呂場へと移動していった。
「マリスちゃん。もう、大丈夫ですよ……?」
アリスが、そんなことを言う。
「——本当に?」
「はい。だから——」
「うん……」
今度は俺が全身から冷や汗を吹き出す番だった。
「マリスちゃん、器用ですね……」
わざとおどけた様子でアリスがそう言うので、俺は肩をすくめて応えてみせる。
「クリスも、気付いてた?」
「はい。たぶん」
「そっか……」
手の甲で、額の汗をぬぐう。
それだけで、手が汗でぐっしょりとなった。
全身がどうなっているのか……あまり、想像したくない。
「アリス、先に言っておくけど――」
「ああいう歌は唄ったことがない、ですよね」
「本当に、きつかった……」
「わかります。自分がしていないものが流布されたら、つらいですもんね……」
「それもあるけど、振り付けが——」
「あー……両手を腰に当てて、お尻をふりふりしているのは……わたしも、真似できそうにないですね」
「そう、それ!」
仮に俺が唄うのはまだいい。
だが、あんな振り付けの当時の魔王軍の前で使用ものなら、卒倒者であふれかえったのではなかろうか。
「はい、こちらへそうぞ」
アリスが床に座り、膝枕を促す。
「ありがとう、アリス……」
普段なら遠慮するところだが、今回ばかりはアリスに甘える俺であった。
「大丈夫ですよ。あしたからまた、頑張りましょうね」
「うん……」
アリスの脚の柔らかさを後頭部に感じつつ、俺は静かに目を閉じた。
どうやらまた、越えるべき試練がひとつ増えたようである。
俺が唄っていたという伝承は我慢ならないところがあるが、どうにかしてこの歌を唄えるようにしなければなるまい。
——やってやる。ここまで配慮してくれた、アリスとクリスのためにも。
膝枕をしてもらいながら、俺は胸中でそう決心したのであった。




