第八十六話:連奏トライアルフリート・初陣!
「『連奏トライアルフリート』……それが、おまえたちの名前か」
目に隈を作った俺たちを見回して、教官は感心したかのように頷いた。
「ふむ。複数の意味を持たせたわけだな――それがまた、おまえたちらしい。いいんじゃないか?」
「ありがとうございます……」
あくびをかみ殺しながら、クリスが礼を言った。
「さて、明日はいよいよ第一期選抜試験だ。その内容だが……」
珍しく表情を曇らせて、教官は続ける。
「――以上だ。おまえたちなら突破できると信じている。頑張れよ」
その内容に、俺たち三人は開いた口がふさがらなかった。
正気か? 正気なのか?
■ ■ ■
『おまたせいたしました!』
大型の拡声器を用いて、司会が叫ぶ。
島の一角にある巨大な野外用舞台。
そこに俺三人を含む、全ての灰かぶり杯参加者が並んでいた。
その向かいには観客席が設けられており、大勢の聴衆で賑わっている。
そして、その両者の間には……。
『これより、第一期選抜試験を開催いたします!』
司会のその姿には、見覚えがあった。俺たちがこの島に上陸しようとしたとき、男性は一切入れないと兵を率いて槍を突きつきてきた隊長だった。
しかし、いまはそれどころではない。
教官が言っていたことが正しいとすれば、その試験内容は――。
『内容は至って簡単! 飛び石を伝ってこの池を渡ってもらうだけ!』
正気を疑っていたが、本気だった。
舞台と観客席の間には巨大な人工池が用意されており、その上には軽石製とおぼしき飛び石がいくつも浮かんでいた。
池の水は濁っている。その理由はおそらく――。
『ただし、この飛び石は、普通に固定されているものと固定されずただ浮いているだけのものが混じっています! 固定されているものでしたらそのまま飛び移れますが、そうでないと――池への転落は免れません!』
そんなことだろうと思っていた。
『敏捷性、瞬発力、そして運が決め手となるこの試験、果たして何組が突破できるのでしょうか!』
会場の観客が沸く。
『ちなみに、組の中の誰かひとりが突破すれば、組全体が合格となります。誰を選ぶか、はたまた全員で参加するか、組ごとに判断力が問われますね!』
なるほど、たしかに見世物としては面白いだろう。
だが、体力はともかくとして歌と踊りのどちらにも該当していなかった。
そう、これは運だけだ。
『それでは! 第一期選抜試験……はじまりです!』
観客席が大いに盛り上がった。
が、俺たちはそれどころではない。
どうも各組順番はあらかじめ決まっているらしく、司会配下の女兵士から、次々と番号が書かれた紙が各組の代表に渡されていく。
「クリス——?」
「どうやら、最後尾ですね」
受け取った紙をひらひらさせて、クリスは俺とアリスに最後尾へ並ぶよう促した。
「でもこれ、後からやる人ほど有利になりませんか?」
「それはない。みて」
「……?」
その瞬間——。
「なんでーっ!?」
そんな悲鳴を上げて、試験に挑んだ俺たちとは別の組のひとりが、池に転落した。
「まさか——」
「そのまさか。一回ごとに固定、非固定を切り替えられるようになっているのよ」
と、俺。
多分、軽石部分の下は支柱になっていて、それを任意に接続したり外したりすることができるのだろう。
「え、じゃあどれが浮き石か覚えても意味が無いんですか?」
と、アリス。
「そういうこと。つまりこれ、単純に運しか求めていないのよ」
「ど、どうするんですか、マリスちゃん……!」
「どうするもこうするも——」
そんなことを相談していくうちに、俺たちの番になる。
『さぁ、次の組は《連奏トライアルフリート》のみなさんです! 今回の試験、どなたが参加されますか?』
「その前にひとつ、いいですか?」
さすがに我慢できなくなって、俺は挙手していた。
『はいはい、なんでしょう?』
「この選抜試験、歌にも踊りにも聖女にも関係ないと思うんですが」
『そんなこと、ありませんよ』
にっこりと笑って、司会は答える。
『少なくとも、聖女とは関係があります。かりにもそれをめざそうとしているのです、運だって実力のうちにしなければ。違いませんか?』
「それは——」
間違っているという言葉を、かろうじて飲み込む俺。
為政者は、運の要素をできうる限り減らすのが仕事のはずだ。
少なくとも俺は、そうしてきた。
結果として、あの忌々しい勇者というとんでもない不運を引いてしまったが、それでもその信念は今も変わっていない。
だが——。
『誰もが思うはずです。実力があっても、不運な聖女に導かれたくはない。……違いませんか?』
「——!」
そこまで言われては黙っていられない。俺は反論しようとして――。
アリスに、手を引っ張られた。
「マリスちゃん、周りを」
「え――」
そこで、周囲からの視線に気付いた。
司会に扇動されていると思しき観客席だけではない。同じ舞台の上で、俺たちの様子を遠巻きに見ている他の組の視線も——。
「これは……」
大衆の視線というのは、何度も見てきたからわかる。
いま、俺は非難の目にさらされていた。
「なぜ……」
「忘れないでください、マリスさん。ここがどこなのか」
緊張の色を隠さずに、クリスもそう言う。
そうか。
ようやく違和感の正体に気付く。
俺たち以外、今の理論に疑いを持っていないのだ。
司会も、観客も、そして他の候補者たちも。
唯一疑問視していたのは、俺たちの教官ぐらいだろう。
「——そちらの言い分、充分にわかりました」
『ご理解いただけたようで、なによりですっ』
それがわかったのなら、
「では、改めて確認したいんですが」
『はいはい、なんでしょう?』
——こっちも、こっちのやり方でやらせてもらう。
「何をしてもいいんですか?」
『ええ、もちろん!』
「池の上を通れば、どこを通ってもいいと?」
『当然です』
……かかった。
言質は、いま取れた。
「わかりました。ではここは、私だけで行きます」
「マリスちゃん!? でも……」
「いいから、まかせて。アリス」
「……わかりました」
「お気をつけて、マリスさん」
アリスとクリスに、俺は親指を立ててみせる。
さて。
頭の中で、ざっと計算する。
まず、俺自身の脚力で三歩。
そこに加速の魔法を五倍がけで十五歩。
そして今の俺と元の俺との体重差が約七割なので、二十歩超。
――よし、いける。
「マリスちゃん!?」
アリスが悲鳴を上げる。
それはそうだろう。
俺が横にずれて、飛び石のない位置に移動したのだから。
ふ。
ふは。
ふはは!
ふはははっ! ふはははは!
ハハハハハ! ハーッハッハッハァ!
流石に声に出すのは我慢するが、これで準備は整った。
俺はゆっくりと身をかがめ——次の瞬間、池を走破した。
『——え?』
目で追いきれなかったのだろう。司会がそんな変な声を上げる。
『いま、いったいなにを——』
「池の上を、走りきりました」
『――は?』
「ですから、走破しました」
『ど、どうやって――』
「右足が沈む前に左足を出しただけです」
『そんなばかな』
司会の言葉に、地が出た。
「できないわけではありません。集中力と敏捷性。そして、それを可能にするという信じる心。それもまた、聖女として求められている資質では?」
『ぐぬぬ……!』
観客席が沸き立った。
俺たちを遠巻きに見ていた他の組の視線にも、先ほどまであった避難の色はない。
流れが、こちら側に向いてきたのだ。
『――運営より連絡が来ました。不正は確認できなかったようです。よって、今のマリスさんの手法はありといたします!』
「ありがとう、ございます」
観客席が再び沸いた。
「(マリスさん、その状態でも魔法が使えたんですね……)」
クリスが小声で言う。
「(そりゃそうよ。この身体自体が魔力で動いているんだから)」
「(あの、大丈夫でしょうか……ばれたりは)」
同じく小声で、アリス。
「(魔法を使うなとは言われていないから、平気平気)。それよりも……一言、いいか」
「あ、はい」
「はっきり言おう。この試験、気に食わん」
いつもの口調になっていることに我ながら気付いていたが、それでも言わずにはいられなかったのだ。
「奇遇ですね、私もです」
「……わたしも、同感です」
クリスに続いて、珍しいことにアリスまでもが不満を口にした。
そう、これは不公平が過ぎる。
「これは本気で、この船団のことを調べた方が良さそうだな」
それが、よりここでの滞在を引き延ばすことはわかっている。
だが、この異常な事態を究明しなければ、俺たちの気は済みそうになかった。




