第八十四話:墜ちた魔王ってなんなんですか? 天使……?
「そこまで!」
教官の一声で、俺たちは大きく息をついた。
「ふむ……お前たち、ひとりひとりの得意分野が違うものの、伸びしろが多いな。このまま試験を通過していったら最終的にどうなるか、楽しみになってきたぞ」
「あ、ありがとう……ございます……!」
俺たち全員の中でもっとも持久力がない(それでも同世代の少女に比べたらかなりのものなのだが)クリスが、汗をぬぐいながらそういった。
「とはいえ、たまには休暇も必要だ。明日はゆっくりと羽を伸ばしてこい」
「そういえば明日はおやすみでしたね」
クリスの汗をタオルでぬぐっていたアリスが、思い出したかのようにそう呟いた。
「……あ、そうだ。教官!」
「どうした、ユーグレミア」
「お買い物がしたいんですけど……服のお店とかはどこにあるんですか?」
「それだったら、この島の反対側だ。中央は聖女さまをはじめこの船団を司る機能が集約されているため通行できないから、左右どちらかから迂回するように。ここからなら右だと学生街、左だと野外の舞台や小道具や楽譜を売っている店が林立している。どちらか好きな方を通るといい」
「わかりました。ありがとうございます、教官。お洋服……えへへ」
年頃の少女らしく、アリスが笑顔を浮かべる。
「アリス、新しい服がほしいの?」
その様子がほほえましくて、俺は何気なくそう訊いていた。
するとアリスは首を横に振って、
「いえ、マリスちゃんのお洋服を買いに行くんです」
「……え゛?」
――俺!?
「あー、たしかにそうですね」
「うむ……そうであろうな」
あがっていた息が整ってきたクリスはおろか、教官も同意する。
「確かにマリウスは飾りっ気がなさすぎる。ユーグレミア、クリスタイン。あとで店の細かい地図を渡しておくから、よろしく頼むぞ」
「はい!」
「任せてください」
アリスとクリスが、敬礼しながらそう答えた。
「いや、ちょっとまって」
「なんだったらマリウスを縄で縛って連れて行っても構わん。お前たちの教官として許可する」
「はい!」
「任せてください」
アリスとクリスが、再び敬礼しながらそう答える。
「うむ。ふたりとも、頼むぞ」
いやだから、ちょっとまて!
■ ■ ■
そういうわけで、休日。
人形との接続を切って雷光号でゆっくり休むつもりであった俺は、そのままアリスとクリスによって買い物へと連行――あいや、連れ出されていた。
「訓練用の水着だけでよくないか――いや、訓練用の水着だけでいいんじゃないの?」
普段の稽古や座学では、前にクリスに頼まれて作った訓練用の水着――上下に分かれていて、下の方は布地が足の付け根に食い込まないよう膝の上まで覆ってあるもの――を着用しているのだが、それの予備は充分にある。
だから、買い足さなくてもよいのではないか?
俺は暗にそう言ったのだが……。
「それじゃだめですよ。みてください」
アリスが通りを指し示す。
確かに、町中を歩いている女性たちは、着飾っていた。
いままでのクリスやアステルの船団のように水着姿の者もいるにはいたが、パレオや上着で一工夫こらしていたし、残りの大部分はワンピースやタンクトップ他、俺には名称のわからない服で着飾っている。
「ほら、マリスちゃんも女の子なんですからおしゃれしましょう。女の子なんですから!」
「まって……女の子って連呼しないで……!」
でないと、俺の大切な何かが、崩壊してしまう!
「……まぁ、マリスさんのいうこともわかります。女の子だからって、女の子らしい格好をしろというのは、押しつけがましいとは思います」
さすがに見かねたのだろう。クリスが助け船を出してくれた。
「ですが、何着もの服が買える経済状況で、別にいらない、訓練着のままでいいというのはさすがにおかしいですし、船団の経済にもよろしくありません。というわけで、買いますよ、マリスさん!」
護衛艦隊の司令官どころか、為政者の視点で、クリスははっきりとそう言った。
……なんだろう。この助け船が来たと喜んで乗り込もうとしたら矢を射かけられた気分は。
「せ、せめて男物を——」
「女性しか島にいないのに、あるわけないじゃないですか」
言われてみれば、そうだ!
「というわけで、一軒目に到着です!」
そう言って、アリスが足を止めた。
俺は店内をのぞき込む。そこには——。
フリルが。
フリルが、リボンが、パニエが、ドロワーズが。
「ごめん……本当にごめん……このお店だけは、勘弁して……!」
がっつりとアリスに抱きついて、俺はアリスに懇願した。
「も、もぅ……しょうがないですね。それじゃもうちょっとふわふわしてないのを——」
「アリスさん、流されちゃ駄目ですよ」
じと目のクリスが、冷静にそう指摘してしまう。
「うぅ——じゃあ、先にクリスちゃんが服を選んで下さい。そうすればわたしよりふわふわしないはずですから」
「わかりました。では——」
俺をずりずりとひっぱって(体格差があるのでそれこそ全力で)クリスが俺を店内へと入れる。
そして試着室に俺を放り込むと……。
「これとこれと——あとこれです! アリスさん!」
「ありがとうございます! それじゃマリスちゃん、着 替 え ま す よ !」
「いや、まって。それくらい自分で着替え——」
「られます?」
「う……」
確かに、どうやって着ればいいのか……その構造がわからない。
「じゃ、じゃあ私が着てみるからアリスが修正して行く感じで、どう?」
「それなら大丈夫です。さぁ、着替えましょう」
「うう……」
頑として離れないアリスが恥ずかしかったが、だからといってそのまま試着室で突っ立っているわけにもいかない。俺は渋々と着替えはじめて——。
「ここは、これでいいのよね」
「雑に着ちゃだめです! ここはこうですよ!」
「こ、これならどう?」
「胸が服の隙間から見えていますよ。っていうか元は私と同じ寸法じゃありませんでしたっけ……え? 改造したときに増やした!?」
途中からクリスも参戦し、三人がかりで着付けていく。
そして——。
「できました!」
「完璧ですね……!」
アリスとクリスが、がっちりと握手を交わした。
「ほら、マリスちゃんも鏡を見て下さい」
「うう……なんか全体的にふわっとしていて恥ずかしい——って、え?」
姿見用の鏡に映る自分の姿を見て、俺は絶句した。
「こ、これが私――!?」
上はパフの効いた白いブラウス。お腹をコルセットで少しだけ締めて、スカートはそこそこ短めの黒いフレアスカートに、パニエでかさを増している。
そして、黒いタイツ。右の太もも部分には白いリボンが一周巻かれていた。
「綺麗ですね……思っていた以上です」
クリスが、感嘆の声を上げる。
「ですよねっ!」
ぐっと親指を立てて、アリス。
「どうですかマリスちゃん。かわいいでしょ?」
「え、ええ……かわいい。かわいいけど……」
それを口にしてから、我に返った俺は言う。
「なにか、だいじなものをなくしてしまった気がするの……」
「え、でもすごくかわいいですよ。天使みたいです!」
「やめてぇぇぇぇ!」
魔王だから!
俺は、魔王だから!
どうしてこうなった……。
どうして! こうなった!




