第八十三話:アリスの意外な特技
「さて、基礎体力の測定と足捌きの様子がわかったわけだが……」
俺、アリス、クリスを前にして、教官はなにかをを手帳に書き込みながら言葉を続けた。
「それぞれ、特に問題が無いことがわかった。身体の動きはおおむね平均以上と言ったところだな」
『ありがとうございます!』
声を揃えて、俺たち。
「なので、本日より歌唱力を測ることにする! ……なんだ、その顔は」
そう言われても仕方がないと思う。
俺たちの誰もが、人前で歌ったことなど無いのだから。
それと——。
「教官、質問です」
「なんだ、マリウス」
「その……古き神、聖女灰かぶりは本当に皆の前で歌を唄っていたのですか?」
「今更何を言っているんだお前は。当然のことだろう」
ふ。
ふは。
ふはは!
ふはははっ! ふはははは!
ハハハハハ! ハーッハッハッハァ!
ここに!
本人が!
いるのだが!
我が治世のうち!
一小節でも!
誰かの目の前で唄ったことなど!
ないのだが!
実際、魔王軍将兵六万余騎のだれひとりでも、俺の歌を聴いた者など居ないだろう。
居るはずがないのだ。
だというのに……どうして、こうなった!
「どれ、まずはマリウスから唄ってみせろ」
「唄うといっても、何を唄えばいいのか」
「なんでもかまわん。好きなものを唄ってみせろ」
それが一番困る!
……のだが、できないと答えるのも、それはそれで腹立たしい。
なので、かつて封印される前に見た歌劇で流れていた歌を、俺は披露した。
「ふむ……基本が出来ていないな。だが、それが出来れば逆に伸びしろがあるということだ」
「ありがとう、ございます」
「基本である声音は悪くない——いや、むしろいい。しっかりと鍛えてやるから、そのつもりでな」
我ながら酷い歌声だとおもったが、想像以上に高評価だった。
「次、クリスタイン」
「はいっ!」
クリスが背筋を伸ばした。
「不肖、クリス・クリスタイン、唄います!」
そう言って唄ったクリスの歌は、軍の行進歌だった。
おそらく、それを聞いて育ってきたのだろう。
ある意味で、クリスのいままでの生き方を表現する、良い歌だった。
「ふむ……なかなか懐かしい響きだった。思わず現役に復帰したくなったぞ。だがクリスタイン、緊張しすぎだ。もっと肩の力を抜け。それと、次の歌詞を考えながら唄うな。唄うときは最初から最後まで歌詞を暗記しておけ」
「ときおり歌に感情がこもらなくなったということですね。わかりました」
「お前は理解が早いな。そういうところを積極的に武器にすると良いだろう。さて——」
教官は最後に残った、アリスに向き直った。
「ユーグレミア。お前も唄ってみろ」
「あ、はい。わかりました。あの……教官?」
「なんだ?」
「何を唄っても、いいんですよね」
「そういったはずだ」
「では、子守歌でもいいですか?」
「子守歌?」
俺もクリスと顔を見合わせる。
なぜ、子守歌を……?
「いいだろう。選曲としては珍しいが、やってみろ」
「ありがとうございます。では——」
アリスが、深く息を吸った。
そして紡ぎ出されたのは——。
いままで俺が聞いてきた中でも、五本の指に入るくらいの綺麗な歌声であった。
決して大きくはならないのに、すんなりと耳に入ってくる声音。
どこにも尖ったところがないのに、耳に残る旋律。
まるで、穏やかな午後の日差しに包まれているような……そんな心地であった。
「ユーグレミア、お前は……」
手帳に何かを書き込みながら聞いていた教官が、言葉を詰まらせる。
「やっぱり、おかしかったでしょうか」
「その逆だ。お前に歌の技術を教える部分はかなり少なくなるだろうな。だから、お前には色々な歌を覚えていってもらう。覚悟しておけ」
「わかりました。ありがとうございます!」
褒められて嬉しかったのだろう。アリスはぺこりと頭をさげた。
「ところでユーグレミア。あの子守歌、私達に合わせたな?」
教官が、不思議なことを訊く。
「はい。教官は大人、マリスちゃんとクリスちゃんはわたしと同世代ということで、その部分を意識しました」
「それは、普段から子守歌を唄うときに相手のことを考えているということか」
「はい。わたしは住んでいた船団が滅びた後、色んな船にお世話になっていたんですけど、最初は子守しか出来なかったんです。だからせめてそれだけでもうまくできるようにって。ほら、預けられる子供って、年齢が微妙に違うことがあるじゃないですか。ですからそれにあった子守歌を歌うようにしていたんです」
「そ、それは……壮絶だな」
割と修羅場をくぐっているらしい教官ですら、思わず言いよどむアリスの人生だった。
「それでアリスさん、歌が上手なんですね……」
「ありがとうございます、クリスちゃん」
「本当に上手かったわよ、アリス」
「マリスちゃんも、ありがとうございます!」
軍で新米の兵士がやるように、お互いの手を打ち合わせる。
本来の俺の身体では色々と手加減しなければならないが、今は思い切りやることができる。
それはなかなか、気持ちのいいことであった。
「ふむ……いい具合に均衡がとれているな。お前たちは」
そんな俺達をみて、なにか思うことがあったのか、教官は大きく頷く。
「ではこれより、歌唱力の稽古をはじめる。しっかりついてこいよ、お前たち!」
『はい! よろしくおねがいします!』
ここだけは決して外さないとばかりに、俺達三人の声が重なる。
……ただこれ、癖になりそうなのがなんだか怖かった。
■今日のNGシーン
「不肖、クリス・クリスタイン、唄います! タイトルは……in f——」
「それ以上はいけない」




