第七十三話:まるで、お姫様のような
「んむぅ……」
クリスが唸っていた。
近いうちに開かれる舞踏会のために、アステルがドレスの採寸をして以来、ずっとこの調子であったりする。
「なにか、懸念事項でもあるのか?」
俺がそう訪ねると、クリスは小さく頷いて、
「アステルさんにお任せしたドレスが、どんなものになるのか心配なんです。だって普段が……あれですよ?」
「ああ……」
アステルが普段着用している、きわどい水着を思い出す。
あれに準拠するなら――。
「背中がほぼ丸見えで、肩はむき出しで、胸はちょっとした弾みでこぼれそうになるくらいしか覆っていなくて、それでいてスカート部分の切れ込みがはげしくなっている可能性が、高そうだなって思うと……」
「それは……さすがに……」
ないとは言い切れないのが、こわいところであった。
「そして私の場合、ひっかかるところがないから、すぐに上半身が露わになったりするんです、きっと」
そう言って、クリスは水着越しに自分の胸を押さえた。
「それはないだろう」
「どっちの意味で、ですか?」
「両方だ。アステルはそこまでしないだろうし、クリスはその……ちゃんとひっかかるくらいには、あると思う」
「ありがとう、ございます」
ほおを赤くしてそっぽを向くクリス。
それはクリス特有の照れ隠しだった。
「だが、あまり考え事ばかりをしているのはいけないな。アリスのダンスを見ている途中であったのではないか?」
「あ、そうでした。ごめんなさい……!」
そう、クリスはアリスに頼まれてダンスの練習を見ていたのであった。
ちなみに俺は俺で、今この瞬間もアリスの様子をしっかりと目で追っていたりする。
「……アリスさん、この前マリウスさんと踊ったのが初めてだって言っていましたよね」
「そのようだな」
「覚えるの、早くないですか」
「俺もそう思う」
アリスと行動を共にするようになってだいぶ経つが、発光信号や調理をはじめ、元からいろいろな事を習熟しているというのもあってか、雷光号の通信席の使い方など、新しいことを覚えるのも早かった。
いや、いろいろな事を習熟しているということはそれを覚える期間も必要であったはずだから、元から覚えるのが早いのだろう。
「ここまでくると、もはや才能だな」
「ですね……」
現に今踊っているアリスの動きは、俺のそれと遜色がない無いようにみえた。
「マリウスさん、クリスちゃん、どうでしたか?」
一通り踊り終えたアリスが、タオルで額の汗を拭きながら訊く。
余談になるが、水着で踊っているため、社交ダンスの練習と言うよりもバレエの練習のようであった。
「ああ、良かったと思う」
「足運びの方はどうでしょうか。それが一番気になっていたんですけど」
「だいぶ良くなっていますよ」
「じゃあ、もうちょっと頑張ってみます!」
前からそう思ってはいたが、努力家のアリスだった。
「いや、少し休憩しよう。あまり根を詰めすぎて、本番で足が痛くなったら洒落にならないからな」
「あ……そうですね」
「ですよ。そろそろアステルさんが採寸したドレスが届く頃ですし」
「ドレス――」
タオルで口元を隠して、アリスは微笑む。
「わたし、楽しみなんです。ドレスなんて、物語のお姫様が着るようなものだと思っていましたから……」
「アリスさん――」
「でも、わたしがお姫様なんておかしいですよね? 会ったこともないのに」
「いやあの――このところほぼ毎日会っているじゃないですか、お姫様」
「えっ!?」
首を傾げるアリスに対し、クリスは少し申し訳なさそうにひといきつくと、
「夢を壊すようで申し訳ないんですが、アステルさんは正真正銘のお姫様ですよ」
「ステラローズ公女……いわゆる公爵令嬢だからな」
定義は様々だが、皇族、王族の女子は確実に姫でよく、有力貴族の女子もほぼ間違いなく姫として認識して良い。
ましてやアステルの一族、ステラローズ公爵家は事実上船団ウィステリアの政治と軍事を司っているのだから、なおさらだろう。
まぁ、実感がわかないのも無理はないが。
「アステルさんが……お姫様……」
いまいちぴんとこないのだろう。アリスが夢でも見ているかのように、そう呟く。
「物語でしか逢えないと思っていた思っていたお姫様が、アステルさん――」
「呼びまして?」
「わっ!?」
当の本人が、ひょっこり顔を出していた。
「お、お姫様……!?」
「そうとも呼ばれていますわね」
ちなみにアステルはいつも通りの格好である。
つまり、マントのように軍装の上着だけを羽織り、下は相も変わらず布地面積が極端に少ない過激な水着姿であった。
そんなアステルをアリスは上から下までしっかりと見つめ――。
「あう……」
「ど、どうしましたのアリスさん!?」
「現実との折り合いがつかなかったんでしょう」
めまいを起こしたかのようによろめくアリスを、俺は慌てて支えた。
「お姫様の普段着って、こういう感じだったんですね……」
「安心してください、アレはアステルさんだけです」
「クリスさん、ちょっとおまちになって! アレってどういうことですの、アレって!」
アリスにとっては予想外の刺激であったろうが、それがいい方向に向いてくれるのを、期待したい。
……いや、無理かもしれないが。




