第六十八話:提督令嬢の贈り物
「これでいいか?」
『百合の湯』大型浴槽の隣にある小型浴槽を改良し終えて、俺はそう尋ねた。
この小型浴槽は操作盤に触れることにより、背中に水流をあててこりをほぐすものなのだが、実際に使用したアリスとクリス曰く、前後を間違えてしまう可能性があるのが不安なのだという。
「指摘されたとおり、背もたれとなる部分の上に頭を預ける部分を追加して外見をわかりやすくした上に、背中に噴出口が直接当たらないようにした。これなら背中に突起物が当たるので前後逆に座った方が良いのではと迷う必要もなくなるはずだ」
「あ、ありがとうございます!」
アリスがぎこちない微笑みを浮かべる。
「こ、これでヘンなところに水流が当たったりしなくなるわけですね。いい改良だと思います!」
両脚を少しだけもじもじさせて、クリスがそう言った。
……ふむ。
「——もしかして、使い方を間違えたのか?」
「え、ええっと……」
アリスがクリスと顔を見合わせる。
「実はその、間違えてしまいました」
「そうか……」
雷光号が盆踊りをすることが確定したわけだが、どこで踊らせるべきか。
——いや、それより。
「ふたりとも、怪我はなかったか?」
「はい。わたしはだいじょうぶでした。クリスちゃんも——」
「そうですね、むしろ気持ちよかったくらいです」
「クリスちゃん!?」
「アリスさんは、きもちよくなかったですかか?」
「うぅ……きもちよくなかったわけじゃないけど」
「そ、そうか……」
足の裏に当たってくすぐったかったとか、そういうことだろうか。
詳しく聞いてみたくはあったが、想定外の返事が返ってくるのが怖かったので、それ以上追及しないことにする。
「ところで今気付いたのですが、マリウス艦長がつくったもので気持ちよくなったと言うことは、実質的にマリウス艦長に気持ちよくしてもらったということでは?」
「えっ!? ええ……えっ!?」
アリスの顔が真っ赤になり、ついで考え込むように普通の顔色になり、そして結論がでたのか再度真っ赤になった。
ふ。
ふは。
ふはは!
ふはははっ! ふはははは!
なにこれ聞くの怖い! ハーッハッハッハァ!
「あら、クリスさんにアリスさん、こちらにおりましたの」
そこでひょこっりと顔を出したのは、アステルだった。
まさかの救い手である。
「ごきげんよう、マリウス大佐。早速『百合の湯』の改修とは精が出ますわね」
「あぁ。使い方がうまく伝わらなかったみたいでな」
「もとはといえば、わたくしが強引にことをすすめたことが発端ですわ。ですので——クリスさんとアリスさん? 少しこちらに来ていただけないからしら?」
「私も勇み足が過ぎましたので、そういうのは気にしていませんけど……」
「わたしもです」
「いいからいらっしゃいな。おふたりに損はさせませんわ。あ、マリウス大佐? 作業が終わりましたら、サロンでお待ちくださいませ?」
「ああ、承知した」
「それでは、おふたりを少しの間お借りしますわ!」
アリスとクリスを追い立てるようにして、アステルの姿が消える。
それを確認してから、俺はおもむろに立ち上がり、風呂場全体を再点検した。
もう、このような事故を起こしてはならない。ならないのだ。
■ ■ ■
アステルの言うサロンとは、言ってみれば高級士官専用の休憩室であった。
昼は軽食と茶が、夜になるとそれに加わり酒が出るらしい。
部屋の中は適度に明るく、それでいて各席が適度に離れていて、お互いの個人空間を尊重するようになっていた。
当直の士官に頼んで、茶だけをもらう。
ここは城郭部分のかなり高いところにあるため、中枢船とそれを取り囲み、あるいは行き来する船の様子がよく見えた。
「おまたせいたしましたわ!」
そこへ、意気揚々とアステルが入ってきた。
当直の士官が敬礼し、それに対し丁寧に返礼しながらもこちらをみつけると、
「ほら、クリスさんもアリスさんもこちらに!」
そう言って、大仰に手招きをする。
「あのですね……」
「そういわれましても……」
クリスとアリスが、そろって顔だけをサロンに覗かせる。
「ほら、折角クリスさんもアリスさんも上手く仕立てたのですから、マリウス大佐にみてもらいませんと!」
「それは……そうですけど」
「行きましょうか、クリスちゃん」
「そ、そうですね……」
そう言ってサロンに入ってきたクリスとアリスは、それぞれアステルの海軍制服に身を包んでいた。
「ほう。似合うじゃないか」
「あ、ありがとうございます」
と、少し頬を赤らめてアリス。
クリスの護衛艦隊は白を基調としていたが、アステルの海軍は深い藍色を基調としている。
また、女性は高級士官であろうとスカートであるらしい。クリスの場合高級士官はズボンであったのとは、好対照であった。
「ふたりとも、本当に似合っているが——いいのか? 特にクリスは護衛艦隊の司令官だろうに」
「そう指摘はいたしましたわ。でもおふたりとも恥ずかしいと仰るので、制服をお貸ししましたの」
「なるほど……ん?」
茶を飲みながら、俺は疑問符を頭の上に浮かべた。
先ほどアステルは仕立てたと言ったが、この制服は借り物だという。
ならば、何を仕立てたのだ?
「なんでしたら、人払いいたします?」
そのアステルのひとことに気を利かせてか、サロン当直の士官が退出した。
「——アリスさん。腹をくくりましょう」
「そうですね。クリスちゃん」
そう言って、ふたりは制服のボタンに手を掛け——。
ぶ。
ぶば。
俺は飲んでいた茶を噴いた。
さらにぶばばとむせそうになるのを、どうにかこらえる。
アリスもクリスも、制服の下にアステルと同じ構造の水着を着用していたのだ。
「いかがかしら、マリウス大佐」
胸を張って、アステルがそう訊いてくる。
「なんというか——過激だな……」
前にも言ったが、アステルの水着の構造は、上の水着が胸部分で上下左右に少しずつはみ出ていて、下の水着はほぼ要所しか隠していないというものであった。
それを、アリスもクリスも恥ずかしげながら着用しているのだから、たまらなく目のやり場に困る。
アリスは、その胸の大きさが今までで一番よくわかるようになっていたし、クリスはクリスで緩やかな凹凸が強調され、少女から女性へと育っていっている様子がよくわかるようになっていた。
「やはり、クリスさんとアリスさんの分も、仕立ててもらって正解でしたわね!」
俺の沈黙を魅了されているものと判断したのだろう。
アステルが勝利宣言を上げる。
「いや、その前になぜ着せた。というか、なんで着た」
「着たのは各の自由意思ですからなんとも言えませんが、着せた方ならお答え致しましょう」
アステルが、さらに胸を張る。
「おふたりとも、似合うと思ったからですわ!」
「……そうか」
これでは埒があかない。
なので、俺は視線をアリスとクリスに向ける。
察するに——。
「今のままだと俺の気持ちはどこかに向いてしまうかもしれないから、か?」
「ま、まるで聞いてきたかのようにいいますね……」
恥ずかしそうに、クリスがそう答える。
「大体想像がつくからな。でなけば過激な格好などしないだろう……アリス?」
「はい。おおむねその通りです」
同じように少し顔を赤くして、アリス。
そうか、なら——。
「ふたりとも、綺麗だぞ」
俺の言葉に、アリスとクリスは顔をほころばせる。
「そして安心しろ、俺はこれからも貴様たちと共にいる。……だからもう、我慢はしなくていい」
その瞬間、ふたりはすばやく脱いだばかりの制服の上着を羽織ったのであった。
「あら、もったいない。おふたりとも似合いますのに」
「そうだな。だがアステルにとっては普段着かもしれないが、あのふたりにとってはそうでもなかったというわけだ」
「なるほど、文化の違いですわね」
「違うような気がするが」
「あと、もうひとつ」
あくまで勝者の笑みを消さずに、アステルは続ける。
「先ほどの発言を鑑みますと、おふたりとも娶るような仰り方でしたが、いかが?」
「あ」
言われてみれば、確かにそうだ。
「あー、それは……」
制服を着ていたアリスとクリスの手が、ぴたりと止まる。
「それは……だな……」
止まるどころか、再び脱ぎ出すふたりだった。
「……現状、保留で」
魔王として、為政者として落第点な返答をする俺。
このふたつにとって、なにもしないというのは、悪手に他ならない。
仮に先代や魔王軍将兵六万余名が今のを聞いたら大いに嘆かれることだろう。
いや、先代なら殴りかかるかもしれないが。
それはさておき——。
納得はしてくれたらしい。アリスとクリスは再び制服を羽織ってくれたのであった。




