第六十七話:湯煙の少女たち
『そんで、嬢ちゃんと提督の嬢ちゃん置いて帰ってきちまったのか』
「……ああ」
雷光号の湯船に肩までしっかりと浸かりながら、俺はそう答えた。
もともと疲労はあまり感じない体質ではあるが、だからといってこういう風呂で癒されないわけではない。
現に、ここのところ溜まっていた疲れが、汐が引くように消えていくのを感じる。
それは気分の問題だとわかってはいるが、かといって無視していいものではないことを、俺は知っていた。
『あとで怒られても知らねぇぜ?』
「そういうふうには、ならないだろう」
湯船に肘をついて、俺。
航海中の急な揺れでも湯がこぼれないよう湯船は深めに作ってあるが、その湯船に段階を設けて、肘が置けるようにしてあるのだ。
これにより、風呂の中でより寛げるようになっており、アリス、クリス、そしてアステルにすら好評をもらっていた箇所であった。
「たまには同性同士で親睦を深めるのもいい。そういうものは、必要だからな」
『いやー、いまごろ組んずほぐれつしてるかもしれないぜ?』
「あってたまるか」
もしそうなら、裸踊りしてやってもいいくらいだ。
♨♨♨
「本当に大きいですわね……」
マリウスが造営した『百合の湯』の洗い場で、アステルはそう言った。
「だからアリスさんはすごいって言ったじゃないですか」
クリスが胸を張ってそう言う。
「ふむ……この大きさで少しも垂れずに張りを保っているのはさすがですわ。しっかりと己を磨いていますのね、アリスさん」
「も、揉まないでくださーい……!」
そして、やや涙目のアリスであった。
「ふむ……わたくしも、もう少し成長したらアリスさんに追いつけるかしら」
「……ふっふっふ」
「なんですのクリスさん、その笑い声は」
「私は追いつけますけど、アステルさんはもう追い越しているんですよ」
その言葉に、アステルはハッとしてアリスの顔を見る。
「まさか——アリスさん、いまおいくつですの?」
「え、あの、十四歳ですけど……?」
「負けましたわ……!」
「ふっ、私にはまだ二年と三か月の余地がありますから!」
クリスが勝利宣言を高らかに告げる。
それに対し、個人差という言葉をそっと飲み込むアリスとアステルであった。
「それにしてもアリスさん……胸は完敗ですけれど、腰の方はそれほどではありませんわね。むしろクリスさんに近いかしら……」
「そ、そっちまで、まじまじとみないでくださいっ!」
「あら、腰も大事ですわよ。丈夫な子を生めるだろうと、古い考えを未だに持っている殿方も多いことですし」
「たしかに、アステルさんの言う通りですね」
「十五歳と十四歳と十二歳の会話じゃないような気がするんですけど……」
身体の線が見えないよう、肩どころか首回りまで石鹸で泡だらけにして、アリスがそう抗議する。
「そうでもありませんわよ。わたくしたちは貴族か、それに近い存在ですから、今のうちに考えておかないと」
「か、考えるって」
「それはもちろん、結婚生活のことですわ」
「結婚!?」
「ええ。わたくしは貴族ですから……多分恋愛結婚は許されませんし」
「そんな……」
「おそらく、五船団のどこか、高家の方から婿養子として入ってくるのでしょう」
なんでもないことにようにそう言って、アステルは身体を洗い始めた。
「私も、今のうちに考えておかなくてはならないんですよね」
「えっ、クリスちゃんもですか?」
「も……って、私は貴族ではありませんけど家職は継続させないといけませんし。それに、アリスさんも考えておかないといけないことですよ」
石鹸から出た泡を全身に滑らしながら、諭すようにクリスがいう。
「で、でもわたしはただの秘書官ですし、アステルさんみたいに貴族でもないですし、クリスちゃんみたいに司令官でもないですし」
「アリスさん。その考えは改めた方がよろしいですわよ」
胸の谷間を丁寧に洗っていた手を止めて、アステルがそう忠告した。
「えっ」
「『海賊狩り』の称号は、結構重たいということです」
同じように身体を洗う手を止めて、クリスが補足する。
「『海賊狩り』はそれを承認した船団に対し、無条件で寄港、補給、交易することができるようになります。そしてすでに私の船団とアステルさんの船団では好きに航海できる権利を得ているんですよ」
「言ってみれば、貿易特権を持っている独立した船団のようなものですわ。その筆頭はマリウス大佐ですが、それを補佐する秘書官は、いわば船団の次席ですわよ」
「ええっ!?」
「そして、船団の筆頭は通常船団長ですが、その次席は大抵船団の防衛を司る艦隊の司令官です。つまり——」
「アリスさんは、立場的にわたくしたちと同じというわけですわね」
「ええっー!?」
驚くついでに、アリスの身体から石鹸の泡が飛ぶ。
「そういう意味で、マリウス大佐はわたくしのお婿さんとしての資格を得ていますのよね」
「それを言ったら、私だってそうですからねっ!」
「先程マリウス大佐にも言いましたけど、そういうのは身体ができてからの話ですわよ。クリスさん?」
「もうできてますっ! 私だって子供作れるんですよ!」
「夜伽の時に痛い思いをしますわよ?」
「マリウス艦長ならそこ辺りはちゃんと気を使ってしてくれるはずです!」
「わーわーわー! それ本当に、十五歳と十四歳と十二歳の会話じゃないですからっ……!」
「そんなことありませんわ」
「そうですよ」
「そんなことありますっ! マリウスさんがそんな……!」
「大きいのかしら、小さいのかしら。それが問題ですわ」
「アリスさんとアステルさんはともかく、私にとっては大問題ですね」
「な、なんのはなしですかーっ!?」
♨♨♨
『大将、風呂の中で寝ると風邪引くぜ』
「おっと」
しまった。ついウトウトとしてしまった。
「……先代にあることを言われた夢をみていた。懐かしかったな」
『どんなこと言われたんよ?』
「『君のお嫁さんになる人は、夜伽で物理的に苦労するだろうから、ちゃんと優しくしてあげてね』だそうだ。いまだに意味がよくわからんのだがな」
『お、おう……!』
♨♨♨
「まぁ、戯れ言はほどほどに致しまして……」
身体を洗い流して、アステルは続ける。
「マリウス大佐、そういうところが淡泊というか、興味がまるでないようなのが気になりますわ」
「マリウス艦長は——」
長い髪を苦労して洗いながら、クリスが答える。
「ご自分の船団が壊滅したときの生き残りを探すことに全力を注いでいますから」
「たしか、ご幼少の砌に自らの船団が壊滅されたそうですわね?」
「ええ、そのとき中枢船の中に隠されていたのが、雷光号だったそうです」
今度はアリスがそう補足する。髪の長いクリスやアステルと違って肩までしかないので、髪を洗うのに対して苦労せずに自分の分を終えたため、今は四苦八苦しているクリスを手伝っていた。
「ふむ……発掘品の調査と収集に特化した船団——そんなものがあればどこかの船団が気付きそうなものですけれど」
「壊滅したの、わたしたちが生まれる前の話ですから」
マリウス、アリス、クリス、そしてクリスの船団の情報部筆頭、ヘレナが加わって作った擬似的な歴史である。そう簡単には綻ばないようになっていた。
「まぁ、深く詮索するのも野暮というものですわね。それよりも、マリウス大佐が目的を達成された際、お世継ぎのことを考えてくださるように導く方がよっぽど建設的ですわ」
「ぬ、抜け駆けは駄目ですからね!」
クリスが慌てた様子でそう言う。
「当然ですわ。ただ、その時は容赦しませんわよ」
「望むところです!」
「アリスさんも、それでよろしくて?」
「あ、はい。ただ……」
「ただ?」
「その、マリウスさんにそういうのを押しつけるのは、よくないかなって」
「……アリスさんは、優しい方ですわね」
「だから、マリウス艦長の秘書官を務めているんですよ」
「あ、ありがとうございます?」
いまいちぴんときていない様子で、頭を下げるアリスであった。
「さて、それでは湯船に——あら。なんですの、これ」
アステルが見つけたのは、大きな湯船の隣にある、小さなみっつの湯船である。
そばには操作盤があり、なにかの仕掛けがあるのは一目でわかるものであった。
「温度は普通のお湯ですね」
小さな浴槽に手を浸けたクリスが、そう指摘する。
「察するに、なにか仕掛けが施してありそうですけれど……こうかしら」
アステルが、小さな湯船に浸かってみた。
「なんか背中がちょっとゴツゴツしていますね」
同じ格好で浸かったクリスが、そう指摘した。
「こちらに背中を預けるのではなくて? それなら痛くないですわ」
アステルが、湯船に入る方向の前後を入れ替える。
「あ、本当です。これなら痛くありませんね」
「でも、その位置に座ると操作盤押しづらくないですか?」
アステルとクリスにならうも、アリスがそう指摘する。
「足で押せばいいんですわ」
「なるほど、それは合理的です」
「うーん、マリウスさんそんなガサツな使い方想定しているかなぁ……」
「なにはともあれ、女は度胸! なんでも試してみるものですわ!」
「それもそうですね。えいっ!」
「うーん……本当に大丈夫かなぁ……」
♨♨♨
「あ、しまった」
『今度はどうしたよ』
「いや、風呂場の一角に強めの水流で背中のコリを治す浴槽を設けたんだが」
『へぇ。オイラには意味ねぇけど、なんか気持ちよさそうじゃん』
「間違って前後逆に座ってしまうと、水流が下半身を直撃するんだ」
『お、おう……!』
「まぁアリスやクリスやアステルがそんなガサツな真似をするわけがないから、大丈夫か」
『ま、まぁなぁ……そんなんで嬢ちゃんたちが悶絶したりしたら、オイラ強襲形態で盆踊りおどったるわ』
「はっはっは。それはいいな!」
♨♨♨
「んあああああああっ!? なんですのこれええええええええ!?」
「ひゃああああああっ!? なんですかこの感触ううううううっ!」
「ああああああああっ!? だから言ったじゃないですかああっ!」
後日、雷光号は本当に踊ったという。




